ウィリアム・ジェイムズ——プラグマティズムと純粋経験の哲学

はじめに:プラグマティズムを世界に開いた男

プラグマティズムという言葉を初めて公の場で口にしたのはウィリアム・ジェイムズ(William James, 1842-1910)である。1898年、カリフォルニア大学バークレー校での講演「哲学的概念と実際的結果」において、ジェイムズは四半世紀前に友人パースが提唱した着想を「プラグマティズムの原理」として紹介し、この瞬間から、ケンブリッジの小さな談話会で生まれた思想は世界的な哲学運動へと変貌した。パースが創始者であるとすれば、ジェイムズはプラグマティズムを世界に開いた伝道者であり、同時にそれを独自の方向へ発展させた第二の創造者である。

しかしジェイムズをプラグマティズムの普及者としてのみ理解するのは、その思想の広がりを見誤ることになる。彼は『心理学原理』によってアメリカ心理学の基礎を築いた「アメリカ心理学の父」であり、『宗教的経験の諸相』によって宗教心理学と宗教哲学に不朽の貢献をなし、晩年の根本的経験論によって、後の現象学や過程哲学に通じる独創的な形而上学を構想した。医学、心理学、哲学、宗教学を横断するその知的経歴は、専門分化が進む20世紀にあって稀有な総合性を体現している。

本稿では、ジェイムズの生涯をたどったうえで、意識の流れ、プラグマティズムの方法と真理観、信じる意志、宗教的経験論、純粋経験と根本的経験論、多元的宇宙論という主要な思想を順に検討し、最後に現代への影響を概観する。パースを扱った前稿と対をなす、プラグマティズム系譜の第二部である。

生涯——放浪の青年期からハーヴァードの看板教授へ

ウィリアム・ジェイムズは1842年、ニューヨークの裕福な知識人家庭に生まれた。父ヘンリー・ジェイムズ・シニアはスウェーデンボルグ神秘主義に傾倒した宗教思想家であり、弟のヘンリー・ジェイムズは後に『ある婦人の肖像』などで知られる大小説家となる。一家は子どもたちの教育のためにヨーロッパ各地を転々とし、ウィリアムは英仏独の学校と家庭教師のもとで多言語的・コスモポリタン的な教養を身につけた。この放浪的な教育は、彼に広い視野を与えると同時に、生涯つきまとう帰属先のなさの感覚をも植えつけた。

青年期のジェイムズは進路をめぐって長く彷徨した。画家を志してウィリアム・モリス・ハントに師事したが断念し、ハーヴァードで化学、比較解剖学、医学へと転じ、1865年にはアガシーのアマゾン探検に同行し、1869年にようやく医学の学位を得たものの、臨床医となることはなかった。この間、彼は深刻な抑うつと自殺念慮に苦しんでいる。1870年、ルヌーヴィエの自由意志論を読んだジェイムズは「自由意志の最初の行為として、私は自由意志を信じることにする」と日記に記した。この個人的危機とその克服の経験は、信念が生を支えるという後年の思想の実存的な源泉となった。

1872年にハーヴァードの生理学講師となったジェイムズは、1875年にはアメリカ初の心理学実験室を設け、心理学、ついで哲学の教授として同大学の看板教授となっていく。12年の歳月をかけた『心理学原理』(1890)の刊行は彼の名声を確立し、1897年の『信じる意志』、1902年の『宗教的経験の諸相』、1907年の『プラグマティズム』、1909年の『多元的宇宙』と、主著が晩年に向けて次々と生み出された。1910年、心臓病のため死去。死の直前まで、彼は未完の形而上学体系のための草稿を書き続けていた。

『心理学原理』と意識の流れ

『心理学原理』は、生理学的心理学の最新知見と内観的記述、そして哲学的洞察を統合した1400ページの大著であり、刊行と同時に心理学の古典となった。この書物の最も有名な貢献が「意識の流れ(stream of consciousness)」の概念である。ジェイムズによれば、意識は観念連合論者たちが考えたような、独立した観念の原子が結合したものではない。意識は切れ目なく流れる連続体であり、「鎖」や「列車」ではなく「川」や「流れ」の比喩でのみ適切に記述される。

ジェイムズは意識の流れの特徴として、それが人格的であること(すべての思考は誰かの思考である)、絶えず変化すること、連続的であること、自らを超えた対象を扱うこと(志向性)、そして選択的であること(注意による選別)を挙げた。とりわけ選択性の強調は重要である。意識とは受動的な鏡ではなく、無数の刺激の中から関心に応じて対象を切り出す能動的な働きなのである。この見方は、後のプラグマティズムにおける「認識は実践的関心に導かれる」という主張の心理学的基盤となった。

『心理学原理』にはこのほか、習慣論、自我論(物質的自我・社会的自我・精神的自我の区別)、そして情動をめぐるジェイムズ=ランゲ説——「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という、身体的変化の知覚こそが情動であるとする理論——など、後世に影響を与えた理論が多数含まれている。ヴントの要素主義とは対照的なその機能主義的アプローチは、アメリカ心理学の主流となり、また意識の流れの記述はジョイスやウルフら20世紀文学の手法にまで影響を及ぼした。

プラグマティズム——方法としての哲学

ジェイムズにとってプラグマティズムとは、第一に形而上学的論争を解決するための「方法」である。『プラグマティズム』(1907)の有名な例を見よう。リスが木の幹にしがみつき、人間がその木の周りを回る。リスは常に人間の反対側に回り込むため、人間からリスは見えない。このとき「人間はリスの周りを回った」と言えるか。ジェイムズの答えは、「回る」の意味を実際的な帰結で区別せよ、というものだ。東西南北の順に位置を変えるという意味なら回っており、リスの正面・背面を順に見るという意味なら回っていない。区別が明確になれば、論争は消滅する。

これはパースのプラグマティズムの格率——概念の意味はその実際的帰結の総体である——の応用である。しかしジェイムズはこの方法を、パースが意図した科学的概念の明晰化を超えて、形而上学と宗教の問題にまで拡張した。唯物論と有神論の論争、自由意志と決定論の論争、一元論と多元論の論争は、それぞれの立場が私たちの経験と生き方にどのような差異をもたらすかによって判定されるべきだとされる。もしある形而上学的学説が経験上のいかなる差異ももたらさないなら、その論争は空虚であり、差異をもたらすなら、その差異こそが学説の意味なのである。

ジェイムズはプラグマティズムを、経験論的な「硬い心」と合理論的な「柔らかい心」——彼の用語では「硬心的(tough-minded)」と「軟心的(tender-minded)」——の対立を調停する第三の道としても提示した。プラグマティズムは、事実に忠実であるという点で経験論の美点を保持しながら、宗教的・道徳的な観念をもその実際的価値に応じて受け入れる余地を残す。この包容性こそ、ジェイムズ版プラグマティズムの魅力であり、同時に厳密さを重んじる論者から批判を招く要因ともなった。

真理の実用説——真理は「起こる」ものである

ジェイムズのプラグマティズムの最も論争的な部分が真理論である。伝統的な対応説は、真理を観念と実在の静的な一致と捉える。ジェイムズはこの「一致」の意味を問い直す。観念が実在と一致するとは、その観念が私たちを実在との満足のいく関係へと導くこと、すなわち観念が経験の中で検証され、有効に働くことにほかならない。ここから有名な定式が生まれる。「真理とは観念に起こる出来事である。観念は真理に成る。出来事によって真とされるのである」。真理は所有物ではなく過程であり、検証の歴史なのだ。

「真であるとは有用であることだ」という彼の簡潔な表現は、しばしば「都合のよいことは何でも真だ」という主観主義として批判されてきた。ラッセルやムーアの批判はその典型である。しかしジェイムズの意図はより慎重である。彼は、観念の有用性が長期的・全体的な経験の中で試されることを強調しており、個々の願望充足がただちに真理を構成するとは主張していない。真なる観念とは、経験の他の部分と首尾よく結合し、検証に耐え、将来の経験を導くことに成功し続ける観念である。それは対応説の否定というより、「対応」が実際に何を意味するかのプラグマティックな解明なのである。

とはいえ、ジェイムズの真理論が検証や満足という主観の側の契機を真理の構成要素とみなす点で、実在による制約を強調するパースの収束説と異なることは確かである。パースが探究者共同体の長期的合意という理想に真理を定位したのに対し、ジェイムズは個人の経験過程における「うまくいくこと」に定位する。この相違は、二人のプラグマティズムの根本的な性格の違いを示している。

パースとの相違——二つのプラグマティズム

ジェイムズとパースの関係は、思想史上まれに見る友情と緊張の物語である。ジェイムズは生涯を通じてパースの天才を認め、経済的に困窮したパースを支援し続けた。ハーヴァードでの連続講義の機会を作ったのもジェイムズである。パースの側も感謝を忘れず、晩年の著作で自らの名を「サンティアゴ(聖ジェイムズ)」と署名したほどである。しかし思想的には、二人は同じ「プラグマティズム」の名の下で異なる哲学を展開した。

相違の第一は適用範囲である。パースにとってプラグマティズムの格率は科学的探究における概念の意味を明晰化する論理学的規則であり、知的概念にのみ適用される。ジェイムズはこれを個人の生の問題——宗教、道徳、人生の意味——にまで拡張した。第二は真理観である。パースの真理は探究の理想的終局における共同体の合意であり、個人を超えた規範性を持つ。ジェイムズの真理は個人の経験過程における検証と満足に内在する。第三は気質である。論理学者パースは厳密な体系と実在論的形而上学を志向し、心理学者ジェイムズは個別具体的な経験の記述と多元論を好んだ。

1905年、パースが自らの立場を「プラグマティシズム」と改名して袂を分かったことは前稿で述べた。この分岐は単なる用語上の事件ではなく、プラグマティズムという運動が本質的に多様であることの象徴である。以後、プラグマティズムはジェイムズ的な人間主義的系譜(シラー、後のローティ)と、パース的な論理学的・実在論的系譜(デューイの道具主義を経て、パトナムやハーバーマスの再評価へ)という二つの潮流として展開していくことになる。

信じる意志——証拠なき信念の権利

1896年の講演「信じる意志」は、ジェイムズの思想の中で最も誤解されやすく、また最も実存的な色彩の濃いテクストである。標的は、クリフォードの証拠主義——「不十分な証拠に基づいて何かを信じることは、いつでも、どこでも、誰にとっても不正である」——であった。ジェイムズはこの一見高潔な原則が、ある種の重要な問題においては不合理な帰結をもたらすと論じる。

ジェイムズによれば、証拠によって決着のつかない選択が「生きた・強制された・重大な」選択肢である場合——すなわち、両方の仮説が現実的な選択肢であり、選択の回避自体が一方の選択と同じ結果をもたらし、しかもその決定が人生にとって重大である場合——、情熱的本性が信念を決定する権利を持つ。宗教的信念はその典型である。神の存在は証拠によって決定できないが、判断を無期限に保留することは、宗教が真である場合に得られる善を確実に失うという点で、不信仰を選ぶことと実質的に変わらない。ならば、信じる側に賭ける権利は擁護されうる。

さらにジェイムズは、ある種の真理は信念に先立って存在するのではなく、信念によって創造されると指摘する。登山者が裂け目を跳び越えられると信じることが跳躍を成功させ、人々が互いを信頼することが協力という事実を生み出すように、信念が事実の成立に寄与する場合がある。この「自己成就的信念」の分析は、証拠主義の静的な認識論に対する重要な批判であり、後の宗教哲学における反証拠主義(改革派認識論など)の先駆となった。もっとも、願望充足的思考への扉を開くという批判も絶えず、ジェイムズ自身、この講演は「信じる権利」と題すべきだったと後に述べている。

『宗教的経験の諸相』——回心・神秘主義・聖徳

1901年から1902年にかけてエディンバラ大学で行われたギフォード講義をもとにした『宗教的経験の諸相』は、宗教を教義や制度からではなく、個人の経験から研究するという方法論的転回を成し遂げた記念碑的著作である。ジェイムズは宗教を「個々の人間が孤独の中で、神的なものと考えるものとの関係において持つ感情・行為・経験」と定義し、回心、聖徳、神秘主義といった経験の諸類型を、豊富な事例記録を用いて記述した。

本書の方法論的原則は明快である。宗教的経験の価値は、その起源(神経症的素因など)によってではなく、その果実——経験が生にもたらす帰結——によって判定されるべきである。「病める魂」が回心を経て統一された自己に至る過程、聖者に見られる禁欲・力・清浄・慈愛、そして言い表しえず、認識的性質を持ち、受動的で一時的な神秘的経験。ジェイムズはこれらを心理学的に記述しながら、それらが人生に実際にもたらす変化を宗教の実在性の証拠として扱う。ここでもプラグマティズムの方法——帰結による判定——が貫かれている。

結論部でジェイムズは、宗教的経験の核心には「より大きなもの」との接触の意識があり、その「より大きなもの」の近位は個人の潜在意識的自己であると示唆した。潜在意識の扉を通じて、通常の意識を超えた救済的な力が流れ込むという仮説である。この慎重な超自然主義は、科学的心理学と宗教的実在論の間の綱渡りであり、宗教心理学、宗教社会学、そして今日の神秘主義研究にいたるまで、宗教研究の経験的伝統の出発点となった。

根本的経験論と純粋経験

晩年のジェイムズは、プラグマティズムと並行して「根本的経験論(radical empiricism)」と名づけた形而上学を構想した。1904年の論文「『意識』は存在するか」は、その最も大胆な表明である。ジェイムズはここで、意識という実体の存在を否定する。存在するのは「純粋経験(pure experience)」——主観と客観に分化する以前の、ただそれだけの経験の流れ——のみであり、意識と物質は純粋経験が異なる文脈に置かれたときの機能的名称にすぎない。同じ一つの経験が、経験の系列の中で「部屋の知覚」として数えられれば心的であり、「部屋そのもの」として数えられれば物的なのである。

根本的経験論が「根本的」であるのは、伝統的経験論が見落としてきた「関係」の経験を経験の内に取り戻す点にある。ヒューム的経験論は、経験を個別の印象へと解体し、印象間の結合を心の習慣に帰した。ジェイムズは反対に、「と」「ならば」「ゆえに」といった接続的関係もまた、事物と同様に直接経験されると主張する。経験は最初から連続と移行を含む流れであり、関係は外から付加されるのではない。この洞察は、意識の流れの心理学を存在論へと昇華させたものと言える。

純粋経験の一元論——正確には、心でも物でもない中性的なものを根本に置く「中性的一元論」——は、ラッセルとマッハに継承されて20世紀の心の哲学の一潮流となり、また主客未分の直接経験から出発する構想は、西田幾多郎の『善の研究』における純粋経験概念に決定的な影響を与えた。フッサール現象学との平行性も早くから指摘されており、ジェイムズの晩年の思索は、20世紀哲学の複数の潮流の源泉として今日再評価が進んでいる。

多元的宇宙——ブロック宇宙への反逆

ジェイムズの形而上学的気質を最もよく示すのが、一元論への生涯にわたる反逆である。彼の眼前には、ロイスやブラッドリーら絶対的観念論者たちの「ブロック宇宙」——すべてが絶対者の中で永遠に完結し、あらゆる部分が必然的に結びついた宇宙——が立ちはだかっていた。ジェイムズにとってこの宇宙像は、悪の現実性を説明できず、自由と新しさの余地を残さず、何より私たちの経験の断片性・未完結性と一致しない。

『多元的宇宙』(1909)でジェイムズが対置するのは、部分が「外的関係」によって緩やかに結びつき、統一が完成事実ではなく生成途上にある宇宙である。世界は「多」から出発して統一を作りつつあるのであって、「一」から出発するのではない。この宇宙では偶然と新しさが実在し、悪は絶対者の計画の一部として正当化されるのではなく、除去されるべき現実の敵であり、人間の努力は宇宙の完成に実際に寄与する。ジェイムズはこの見方を「改善論(meliorism)」と呼んだ。世界の救済は保証されてもいなければ不可能でもなく、私たちの行為にかかっているのである。

この多元論・改善論は、有限の神という大胆な仮説とも結びついている。全知全能の絶対者ではなく、悪と闘い、人間の協力を必要とする有限な神。この構想は正統神学から見れば異端だが、悪の問題への一つの誠実な応答であり、後のプロセス神学(ホワイトヘッド、ハーツホーン)に流れ込む発想である。ベルクソンの創造的進化への共鳴、デューイの改善論的社会哲学への継承も含め、ジェイムズの多元的宇宙論は、開かれた未来という20世紀的世界像の哲学的表現であった。

現代への影響——心理学・宗教学・現象学・ネオプラグマティズム

ジェイムズの影響は、哲学の一学派に収まらない広がりを持つ。心理学においては、機能主義の祖として行動主義以前のアメリカ心理学を方向づけ、情動のジェイムズ=ランゲ説は、身体的フィードバックを重視する現代の情動理論(ダマシオのソマティック・マーカー仮説など)の先駆として再評価されている。習慣についての分析は、今日の習慣形成研究や行動経済学にまで反響しており、『心理学原理』は今なお読まれる古典であり続けている。

宗教研究においては、『宗教的経験の諸相』が確立した経験中心のアプローチが一つの研究伝統となり、神秘主義研究、回心研究、そして近年の瞑想・変性意識状態の科学的研究にまで系譜が伸びている。哲学においては、純粋経験論がラッセルの中性的一元論と西田幾多郎の純粋経験に結実し、意識の流れの記述はフッサールの内的時間意識の現象学と共鳴した。実存的な信念論は、宗教的信念の合理性をめぐる現代の議論において繰り返し参照される。

そして20世紀後半、ローティによるプラグマティズム復興の中で、ジェイムズは再び哲学の中心に戻ってきた。真理を実践から切り離された鏡像関係ではなく、探究の営みに内在するものとして捉える発想、哲学を人間の生の改善に奉仕する活動とみなす姿勢は、ローティ、パトナム以後のネオプラグマティズムの基調である。分析系の真理論や徳認識論に至るまで、ジェイムズが開いた問題圏は現代哲学の随所で生き続けている。

結論

ウィリアム・ジェイムズの哲学を貫くのは、生きられた経験への忠実さである。意識の流れの心理学は、抽象化以前の経験の質感を記述しようとする試みであり、プラグマティズムは、観念を生の実践という文脈に置き戻して評価する方法であり、信じる意志は、理論的証拠が尽きる地点で生が要求する決断の権利の擁護であり、純粋経験の形而上学は、主客の分裂以前の経験そのものから世界を再構成する企てであった。体系よりも経験の豊かさを、完結よりも生成を、必然よりも自由を選ぶこと——それがジェイムズの一貫した哲学的選択である。

パースの論理学的厳密さと比べれば、ジェイムズの思想は曖昧さを残す。真理論への批判、信じる意志への批判は、今日でも決着したとは言い難い。しかし、哲学を専門家の技術的問題から人間の生の問題へと連れ戻し、宗教と科学、理論と実践、厳密さと人間性の間に対話の場を開いたその功績は、批判によって減じるものではない。「哲学とは、明瞭に考えようとする異常なまでに執拗な試みである」と彼は言った。その試みを、ジェイムズは実験室と講壇と病める魂の記録のただ中で、生涯にわたって続けたのである。

プラグマティズムの系譜は、ジェイムズからデューイへと受け継がれ、20世紀アメリカの教育と民主主義の思想へと展開していく。デューイについては第204回を、創始者パースについては第206回を、プラグマティズム全体の見取り図についてはプラグマティズム入門を参照されたい。