ドナルド・デイヴィドソン——真理条件意味論と非法則的一元論

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はじめに——ばらばらの問題を一つの体系へ

ドナルド・デイヴィドソン(Donald Herbert Davidson, 1917-2003)は、20世紀後半の英語圏哲学において、体系を構築した稀有な思想家である。稀有だというのは、この時期の分析哲学が、体系の構築よりも個別問題の精密な分析を美徳としていたからだ。デイヴィドソン自身も、生涯を通じて一冊の体系的な著書を書かなかった。彼が残したのは論文である。二十ページ前後の、しばしば難解で、しばしば省略の多い論文が数十本。その論文群が集められて『行為と出来事』(1980)、『真理と解釈』(1984)、『主観的、間主観的、客観的』(2001)といった論集となった。

にもかかわらず、彼の仕事が体系的だというのは、これらの論文が一つの構想のもとに書かれているからである。その構想とはこうだ。人間の言語、思考、行為は、それぞれ別々の主題ではない。他人の発話を理解することと、他人の行為を説明することと、他人に信念や欲求を帰属させることは、原理的に一つの営みである。そしてこの営みの構造を明らかにすることこそが、意味とは何か、心とは何か、行為とは何かという問いに答える道なのだ。

この構想のもとで、デイヴィドソンは通常なら別々の分野に属する主題を横断していく。言語哲学では、意味の理論を真理の理論として構成するという提案(真理条件意味論)。心の哲学では、心的なものと物的なものの関係についての新しい立場(非法則的一元論)。行為論では、理由が行為の原因であるという主張(行為の因果説)。形而上学では、出来事を基本的な存在者として認める存在論。認識論では、大部分の信念が真であらざるをえないという反懐疑論。これらはすべて、「他者を解釈するとはどういうことか」という単一の問いから派生してくる。

本稿では、この構想の中心にある真理条件意味論と根源的解釈から出発し、行為論と心の哲学へ、そして晩年の三角測量論へと、デイヴィドソン哲学の全体をたどる。難解さで知られる哲学者だが、その難解さの多くは、一つ一つの主張が他の主張に支えられているという体系性から来ている。全体を見渡せば、個々の議論の位置も見えてくるはずである。

生涯——古典学から決定理論、そしてクワインとの出会い

デイヴィドソンは1917年3月6日、マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれた。幼少期の一時期を家族とともにフィリピンで過ごし、その後ニューイングランドで育っている。1935年にハーヴァード大学に入学するが、当初の関心は哲学ではなく古典文学であった。英文学と比較文学を学び、大学院に進んでからは古典哲学に転じる。

第二次世界大戦が彼の学業を中断させた。デイヴィドソンはアメリカ海軍に志願し、地中海戦域で敵機識別の訓練教官として従軍する。シチリア、サレルノ、アンツィオの上陸作戦に関わり、戦後にハーヴァードへ戻った。1949年、プラトンの『ピレボス』についての学位論文で博士号を取得している(この論文は四十年後の1990年になって公刊された)。古典学の訓練は、彼の哲学的散文の簡潔さと、論証の一手一手を惜しむような密度に痕跡を残している。

学業と並行して、彼の人生には哲学者らしからぬ幅があった。滑空機の操縦、ピアノ、登山、サーフィン——さまざまな技能に手を出し、それぞれをかなりの水準までこなしたと伝えられる。哲学者としての彼の関心が、抽象的な理論よりもつねに「人間が実際に何をしているか」に向かっていたことと、この生活態度は無縁ではないかもしれない。

決定的だったのは、ハーヴァードでのW・V・O・クワインとの出会いである。デイヴィドソンは後年、クワインこそが自分を本気で哲学へ向かわせた人物だと繰り返し述べている。クワインの徹底した経験主義批判、意味の不確定性、全体論——これらはデイヴィドソンの思考の出発点となった。ただし彼はクワインの忠実な弟子ではない。むしろ彼の主要な仕事の多くは、クワインの前提のうち保持すべきものと捨てるべきものを選り分ける作業として理解できる。師の枠組みを内側から改造していく弟子であった。

1951年、デイヴィドソンはスタンフォード大学に職を得る。ここでの十数年間、彼の主たる仕事は言語哲学でも心の哲学でもなく、決定理論であった。心理学者・哲学者のパトリック・サッピーズ、シドニー・シーゲルとの共同で、人間の選好と主観的確率を実験的に測定する研究に従事し、その成果は『意思決定——実験的アプローチ』(1957)にまとめられている。この経験は決定的な意味を持った。ある人物の選好を実験から取り出そうとすると、その人物が選択肢をどう理解しているかを同時に仮定しなければならない。選好と信念は同時にしか決定できない——この「同時決定」の構造こそが、後の根源的解釈論の骨格となる。

1960年代に入って、デイヴィドソンは立て続けに画期的な論文を発表しはじめる。「行為・理由・原因」(1963)、「真理と意味」(1967)、「行為文の論理形式」(1967)、「心的出来事」(1970)、「概念枠という考えそのものについて」(1974)。これらはすべて、四十代後半から五十代にかけての十年ほどのうちに書かれている。職歴のほうも移動が多く、スタンフォードからプリンストン大学(1967-70)、ロックフェラー大学(1970-76)、シカゴ大学(1976-81)を経て、1981年にカリフォルニア大学バークレー校の教授に就任した。バークレーには没するまで在職し、晩年まで精力的に執筆と講演を続けている。2003年8月30日、膝の手術後の心停止によりバークレーで死去した。八十六歳であった。

「真理と意味」——タルスキのT文を意味論へ

1967年の論文「真理と意味」(Truth and Meaning)は、デイヴィドソンの言語哲学の出発点である。彼はここで一つの提案を行う。ある言語についての意味の理論とは、その言語についての真理の理論にほかならない、という提案である。

なぜそんな迂回が必要なのか。出発点にあるのは、「意味」という概念を実体的に扱おうとする試みが繰り返し失敗してきたという認識である。語の意味とは何か。それは心の中の観念だろうか、抽象的な存在者だろうか、それとも指示対象だろうか。いずれの答えも困難を抱えている。とりわけ、「意味」なるものを個々の語に割り当てても、文の意味がどう構成されるかは説明されない。デイヴィドソンはここで方向転換を提案する。意味という存在者を探すのをやめ、「文Sは……を意味する」という形式の文が体系的に導出されるような理論を構成すればよいのだ、と。

もう一つの制約は、有限性である。人間の話者は有限の学習能力しか持たないのに、事実上無限の文を理解できる。したがって意味の理論は、有限個の公理から無限個の文についての帰結を導出できるものでなければならない。すなわち構成的(compositional)でなければならない。この学習可能性の議論は、デイヴィドソンが繰り返し用いる論拠である。

この二つの要求を同時に満たす形式的な道具を、彼はアルフレト・タルスキの真理論に見出した。タルスキは1930年代に、形式言語における「真である」の定義を与えるための方法を示していた。その中心にあるのが、いわゆる「規約T」であり、真理述語の適切性の基準として、次の形式の文がすべて理論から導出されることを要求する。

「雪は白い」は真である、ちょうど雪が白いとき、かつそのときにかぎり。

左辺は言語の文の名前であり、右辺はその文が真であるための条件を述べる。この形式の文が「T文」である。タルスキの技法の核心は、この無限個のT文を、有限個の公理——個々の語についての充足条件の規定と、それらを組み合わせる再帰的規則——から導出する仕組みを与えたことにあった。

デイヴィドソンの着想は、この装置の使い方を逆転させることである。タルスキは、翻訳の概念、すなわち左辺の文と右辺の文が同じことを言っているという前提を利用して、真理を定義した。デイヴィドソンは逆に、真理を原始的な(定義されない)概念として受け取り、その理論から意味を照らし出す。ある言語について経験的に正しいT文の総体を導出する理論が構成できたなら、その理論はその言語の話者が各文で何を意味しているかを示している。文の意味を知ることは、その文の真理条件を知ることである。これが「真理条件意味論」と呼ばれる立場である。

もちろん困難もある。T文は「〜であるとき、かつそのときにかぎり」という真理関数的な結合で作られているから、両辺が偶然にも同じ真理値を持つだけの文でも成り立ってしまう。「『雪は白い』は真である、ちょうど草が緑であるとき、かつそのときにかぎり」も、事実として正しい。この外延性の問題は、ジョン・フォスターらによって「フォスター問題」として定式化され、デイヴィドソン理論の最大の技術的難点となった。デイヴィドソンの応答は、個々のT文を孤立して評価してはならない、というものである。理論は言語の全体について経験的な制約のもとで構成されるのであり、その制約とは、話者を解釈するという実践から来る。ここで彼の議論は、言語の形式的理論から解釈の理論へと移っていく。

根源的解釈と寛容の原理

「根源的解釈」(radical interpretation)は、1973年の同名論文を中心に展開された、デイヴィドソン哲学の要となる思考実験である。クワインの「根源的翻訳」(radical translation)を継承しつつ、決定的な点で変形したものだ。

設定はこうである。まったく未知の言語を話す人々の共同体に、解釈者が到着する。辞書もなく、通訳もいない。解釈者が利用できるのは、話者が何をしているか、どんな状況でどんな音を発しているかという、公共的に観察可能な事実だけである。この状況から出発して、話者たちの発話の意味を理解する理論を構成できるか。もし可能ならば、そのために必要なものは何か。

この問いが重要なのは、それが単なる人類学的な問題ではないからだ。デイヴィドソンによれば、根源的解釈者が利用できる証拠だけが、意味についての事実を決定する。言語理解の本質は、この極限的な状況にすでに含まれている。私たちが日常、隣人の言葉を理解するときにも、原理的には同じことをしている。話者の頭の中を覗くことはできないし、意味という私秘的な存在者にアクセスすることもできない。

クワインとの違いはここにある。クワインの根源的翻訳者は、話者の感覚刺激と発話との相関を手がかりとした。デイヴィドソンはこの経験主義的な基盤を捨て、より粗い、しかしより公共的な証拠に置き換える。すなわち「話者が文を真とみなしている(holding true)」という態度である。ある話者が、目の前を兎が通ったときに「ガヴァガイ」と発話し、その発話を真とみなしている——解釈者が観察できるのはこの水準の事実だ。この態度は、その文の意味と、話者の信念という二つの要因の合成物である。話者がその文を真とみなすのは、その文がある事柄を意味しており、かつ話者がその事柄が成り立っていると信じているからだ。

ここに解釈の根本問題がある。観察できるのは合成物だけであり、二つの未知数——意味と信念——を同時に解かなければならない。話者が「あそこに兎がいる」と信じており、その文が兎の存在を意味するのか。それとも話者は別のことを信じており、文も別のことを意味するのか。証拠だけでは決まらない。

この循環を断ち切る原理として導入されるのが、「寛容の原理」(principle of charity)である。この語自体はニール・ウィルソンに由来し、クワインも用いていたが、それを解釈理論の構成原理にまで高めたのはデイヴィドソンである。原理の内容はこうだ。解釈者は、話者を可能なかぎり正しい者、そして可能なかぎり整合的な者として解釈しなければならない。話者の信念の大部分が真であり、その信念体系が概ね整合的であると仮定してはじめて、解釈の作業は始動する。

注意すべきは、これが方法上の便宜ではないという点である。デイヴィドソンにとって寛容は、選択の余地のない構成的制約だ。話者を大幅に誤っていると解釈する理論は、その話者に何を意味させているのかを特定する根拠を失う。誤りの帰属は、大量の一致を背景にしてはじめて可能なのである。誰かが「猫」で犬を意味していると言えるのは、その人の他の大部分の語の用法が私たちと一致しているからだ。すべてが食い違っているなら、それは誤りではなく、そもそも解釈不可能ということになる。

デイヴィドソンは後年、寛容の原理を二つの側面に分けて定式化するようになった。話者の信念体系が内的に整合していると想定する「整合性の原理」と、話者の信念が、その話者が置かれた環境の事実によって——すなわち解釈者から見た世界の事実によって——概ね正しいと想定する「対応の原理」である。

寛容の原理からは、強力な認識論的帰結が引き出される。1983年の論文「真理と知識の整合説」で、デイヴィドソンは反懐疑論の議論を展開した。もし解釈可能であるためには信念の大部分が真でなければならないとすれば、私たちの信念が全体として偽である可能性——デカルト的懐疑が想定する状況——は、そもそも整合的に描けないことになる。彼はここで「全知の解釈者」という装置を使う。すべてを知る解釈者が私たちを解釈するとしても、彼はやはり寛容の原理に従わざるをえず、したがって私たちの信念の大部分を真と認めるほかない。信念は本性上、真であることへ傾いている。この議論は多くの批判を招き、デイヴィドソン自身も後に「整合説」という名称を撤回したが、その狙い——認識論の問いを解釈の理論から扱いなおすという方向——は変わらなかった。

概念枠という「第三のドグマ」

1974年、アメリカ哲学会太平洋支部の会長講演として行われた「概念枠という考えそのものについて」(On the Very Idea of a Conceptual Scheme)は、デイヴィドソンの論文のなかで最も広く読まれたものの一つである。標的は概念相対主義、すなわち、人々は互いに翻訳不可能な複数の概念枠のうちに生き、それぞれの枠のうちでのみ世界を捉えているという考え方であった。

このような考えは、当時さまざまな形で流通していた。言語が思考を規定するというサピア=ウォーフ的な発想。科学史における通約不可能性を語るトマス・クーンやポール・ファイヤアーベント。文化ごとに異なる世界を語る人類学的な相対主義。デイヴィドソンはこれらを一括して検討し、そもそもこの考えが有意味に述べられるのかを問う。

彼の分析は、概念枠という発想が「枠と内容の二元論」に依拠していると指摘する点から始まる。一方に、組織化し、体系化し、分節する枠組みがある。他方に、組織化される何か——感覚経験、感覚与件、世界そのもの——がある。同一の内容が異なる枠によって異なる仕方で組織される。だから複数の世界像が可能になる。この構図がなければ、概念枠の複数性という主張は成り立たない。

デイヴィドソンはこの二元論を「経験主義の第三のドグマ」と呼んだ。クワインは「経験主義の二つのドグマ」(1951)で、分析/総合の区別と還元主義という二つの教義を批判した。しかしデイヴィドソンによれば、クワイン自身の立場——理論という枠組みが感覚刺激という所与を組織するという構図——のうちに、第三のドグマが生き残っている。そしてこの第三のドグマを捨てたとき、経験主義に固有のものとして何が残るのかは明らかでない。師に対する、静かだが根本的な批判である。

批判の具体的な進め方は、翻訳不可能性という概念の検討である。概念枠の差異は、翻訳不可能性によって示されるはずだ。では完全な翻訳不可能性を考えてみよう。ある共同体の発する音声が、私たちの言語にまったく翻訳できないとする。だがそのとき、私たちにはその音声が言語であることを認める根拠がない。それが言語であり、話者が信念を持ち、何かを主張しているという判断そのものが、解釈可能性を前提としている。解釈できないものを「私たちには理解できない概念枠だ」と記述することはできない。それは単に、言語として同定できない何かである。

部分的な翻訳不可能性はどうか。これは日常的に起こることだが、部分的な食い違いを食い違いとして認定できるのは、大部分において一致しているからにほかならない。ここで寛容の原理が効いてくる。翻訳の失敗を診断するには、成功した翻訳という背景が必要なのだ。したがって、大規模な概念的差異という考えは、それを述べようとするたびに自壊する。

結論は、概念枠と経験的内容という二元論を放棄することである。それは相対主義の否定であるが、同時にその反対物——唯一絶対の枠組みがあるという主張——の擁護でもない。枠という比喩そのものを手放すのだ。デイヴィドソンによれば、この二元論を捨てることは、真理や客観性を捨てることを意味しない。むしろ逆に、私たちが慣れ親しんだ対象と媒介なしに接触していることが回復される。真とされるのは私たちの文であり、その文を真にするのは世界の側の事柄である。この論文は、リチャード・ローティをはじめとする多くの読者に強い影響を与え、20世紀後半の相対主義論争の基準点となった。

行為の因果説——「行為・理由・原因」(1963)

言語哲学と並行して、デイヴィドソンは行為の哲学において決定的な介入を行っていた。1963年の論文「行為・理由・原因」(Actions, Reasons, and Causes)である。

当時の英語圏で優勢だったのは、行為の理由による説明と、出来事の原因による説明とはまったく別種のものだという見方であった。ギルバート・ライル、G・E・M・アンスコム、A・I・メルデン、ピーター・ウィンチらに共通するこの立場は、大枠でウィトゲンシュタイン的である。行為を「なぜ」と問い、理由によって答えるとき、私たちは行為を理解可能なものとして提示している。それは自然科学が出来事を法則のもとに包摂するのとは異なる営みだ、というのである。

この見方を支える中心的な論拠が、「論理的結合論法」(logical connection argument)であった。ヒューム以来、原因と結果は「別個の存在」でなければならないとされる。原因の記述から結果の記述が論理的に導かれるようなら、それは因果関係ではない。ところが理由と行為の関係は論理的な結合である。「合図をしたいという欲求」は「合図をする」という行為への言及なしには記述できない。両者は概念的に絡み合っており、したがって因果関係ではありえない。

デイヴィドソンはこの論法を退ける。因果関係は出来事のあいだに成り立つ関係であり、記述のあいだの関係ではない。ある出来事とある出来事が因果的に関係しているかどうかは、それらをどう記述するかに依存しない。「この火事の原因となった出来事がこの火事を引き起こした」という文は分析的に真だが、そのことは当の因果関係が実在しないことを意味しない。記述の水準での論理的結合は、出来事の水準での因果関係を排除しないのである。

これは消極的な反論にすぎない。デイヴィドソンは積極的な議論も提示する。それは、彼の議論のなかで最も広く受け入れられているものだ。ある人物が、ある行為をなす理由を複数持っているとしよう。私が窓を開けたのは、換気をしたかったからでもありうるし、外の音を聞きたかったからでもありうる。両方の欲求を実際に持っており、両方がその行為を合理化するとする。だが実際に私を動かしたのは前者だけだった、ということがありうる。この場合、私は「換気のために」開けたのであって、「音を聞くために」開けたのではない。

では、この区別は何によってつけられるのか。二つの理由はどちらも行為を合理的に説明する。合理化する力においては違いがない。それでもなお一方だけが「その理由で行為した」と言える。デイヴィドソンの答えは明快である。その理由が行為を引き起こしたからだ。理由による説明が単なる合理化ではなく、実際になされた行為の説明であるためには、理由が原因でなければならない。合理化は因果的説明の一種なのである。

理由の構造についても、彼は定式化を与えている。行為の「第一次的理由」(primary reason)は、二つの要素からなる。ある種類の行為に向かう肯定的態度(pro-attitude)——欲求、価値づけ、義務感など——と、当の行為がその種類に属するという信念である。「窓を開けることは換気になる」という信念と、「換気を望ましいと思う」という態度。この対が、窓を開けるという行為の第一次的理由をなす。

この論文は行為論の風向きを一変させた。以後数十年、因果説は行為の哲学における標準的立場となる。ただし困難がないわけではない。最大の難問は「逸脱因果連鎖」(deviant causal chains)である。デイヴィドソン自身が1973年の「行為の自由」で挙げた例が有名だ。登山者が、ロープで別の人物を支えている。その重みと危険から解放されたいと願い、手を放せばそうできると信じる。ところがその欲求と信念が彼を動揺させ、その動揺のせいで手が滑ってしまう。ここでは理由が行為を引き起こしている——因果的に。しかし彼はロープを放すことを意図的に行ったのではない。理由が「正しい仕方で」原因になっていなければならないが、その「正しい仕方」を非循環的に規定することは難しい。デイヴィドソンはこの問題が解決できるかどうかについて、悲観的な態度を示している。

出来事の存在論とデイヴィドソン的論理形式

行為が理由によって引き起こされると言うためには、行為が出来事という個別的な存在者でなければならない。デイヴィドソンの形而上学の中心には、この出来事(events)の存在論がある。彼はこれを、意味論的な考察から擁護した。すなわち、日常言語の文が持つ論理的な振る舞いを説明するには、出来事を量化の対象として認めるほかない、という論法である。

1967年の「行為文の論理形式」(The Logical Form of Action Sentences)が、この議論の古典である。出発点は素朴な観察だ。次の文を考えよう。

「ジョーンズは真夜中に浴室でナイフを使ってトーストにバターを塗った。」

この文は、「ジョーンズは浴室でトーストにバターを塗った」を含意する。さらに「ジョーンズはトーストにバターを塗った」も含意する。副詞的な修飾語は自由に落とすことができ、落とすたびに弱い文が導かれる。この含意関係は明白なのに、標準的な述語論理でこれを表現しようとすると困難に陥る。「バターを塗る」を四項述語(塗る人、塗られる物、時、場所、道具で五項)として扱うなら、修飾語を落とした文は別の述語——項数の異なる述語——を含むことになり、両者のあいだの含意は論理形式からは出てこない。修飾語の数だけ別々の述語を用意しなければならず、含意関係はそのつど別個の意味公準で保証するほかない。

デイヴィドソンの解決は、文が隠れた出来事変項を含んでいると考えることである。上の文の論理形式は、およそ次のように分析される。「ある出来事eが存在し、eはジョーンズによるトーストへのバター塗りであり、eは浴室で起こり、eは真夜中に起こり、eはナイフを用いてなされた。」

つまり、行為文は出来事についての存在量化文なのだ。副詞句は、動詞を修飾する何かではなく、出来事を項とする述語である。この分析のもとでは、含意関係は連言の除去にすぎない。連言のうち一つを落とせば弱い文が得られる。論理形式そのものが含意を説明してくれる。

この分析はきわめて大きな成功を収めた。今日、自然言語意味論において「出来事意味論」は標準的な枠組みであり、テレンス・パーソンズらによる「新デイヴィドソン的」(neo-Davidsonian)分析——動作主や対象までも出来事に対する関係として扱う——へと発展している。言語学の内部で、これほど広く採用された哲学者の提案は珍しい。

もし出来事が存在者であるなら、その同一性の基準が問われる。二つの出来事の記述が与えられたとき、それらが同一の出来事を指しているかどうかは何によって決まるのか。デイヴィドソンは1969年の「出来事の個別化」で、原因と結果による基準を提示した。二つの出来事が同一であるのは、それらがまったく同じ原因と同じ結果を持つとき、かつそのときにかぎる。この基準は循環しているという批判をクワインから受け、デイヴィドソンは後に撤回して、時空的位置による基準——同じ時空領域を占める出来事は同一である——を採用するにいたった。

出来事の存在論は、行為論とも直結する。一つの行為は、複数の記述のもとに立つ一つの出来事である。腕を動かすこと、スイッチを入れること、部屋を明るくすること、泥棒に警告を与えること——これらは四つの行為ではなく、四つの記述のもとにある一つの出来事だ。この「記述のもとで」という発想はアンスコムから受け継いだものだが、デイヴィドソンはそれを出来事の存在論と結びつけることで、行為の個別化についての明確な立場(単一化説)を打ち出した。そしてこの立場は、次に見る心の哲学の議論の前提となる。

非法則的一元論——心的なものの法則不在

1970年の論文「心的出来事」(Mental Events)で提示された「非法則的一元論」(anomalous monism)は、20世紀後半の心の哲学において最も議論された立場の一つである。「一元論」とは、存在するのは物的なものだけだという主張。「非法則的」とは、心的なものが厳密な法則のもとに入らないという主張。この二つを両立させるのが、デイヴィドソンの狙いであった。

議論は、一見して両立しがたい三つの原理から出発する。

第一は「因果的相互作用の原理」である。少なくとも一部の心的出来事は、物的出来事と因果的に相互作用する。私が水を飲みたいと思ったことは、私がコップに手を伸ばすという物的な出来事を引き起こす。逆に、私の網膜に光が当たったことは、私が何かを見るという心的出来事を引き起こす。この原理は、行為の因果説からの帰結でもある。

第二は「因果性の法則的性格の原理」である。因果的に関係する出来事のあいだには、厳密な決定論的法則が成り立つ。これはヒューム以来の伝統的な因果観であり、デイヴィドソンはこれを受け入れる。ただし重要な限定がある。法則が成り立つのは出来事のあいだであって、その出来事がどう記述されているかとは独立だ。ある因果関係を法則のもとに包摂できるとしても、その法則が用いる語彙は、私たちがその出来事を記述するのに使った語彙とは違うかもしれない。

第三は「心的なものの非法則性の原理」(anomalism of the mental)である。心的出来事を心的なものとして予測し説明する厳密な決定論的法則は存在しない。これがデイヴィドソン独自の主張であり、この論文の核心である。

三つを並べると矛盾しているように見える。心的なものは物的なものと因果的に相互作用する(第一)。因果関係には厳密な法則が必要である(第二)。だが心的なものについての厳密な法則はない(第三)。

デイヴィドソンの解決は、出来事と記述の区別に依拠する。因果関係は出来事同士の関係であり、記述に依存しない。法則は記述——より正確には、出来事を記述する述語——のあいだに成り立つ。したがって、ある出来事が心的記述と物的記述の両方を持ち、法則的に包摂されるのは物的記述のもとにおいてのみだ、ということがありうる。私の欲求が私の腕の動きを引き起こすとき、この因果関係は物理的な語彙による厳密な法則によって包摂されている。しかしその法則は、心的な語彙——「欲求」「信念」——を含んでいない。

ここから導かれるのが、トークン同一説である。すべての個別的な心的出来事は、何らかの個別的な物的出来事と同一である。しかし心的な種類(タイプ)と物的な種類とは同一ではない。「痛み」という心的タイプが「C繊維の発火」という物的タイプと同一だという古典的な同一説(タイプ同一説)は退けられる。心的タイプを物的タイプへ還元する橋渡し法則が存在しないからだ。

では、なぜ心的なものには法則がないのか。デイヴィドソンの理由は、還元不可能性についての通常の議論——多重実現可能性など——とは異なる。彼が挙げるのは「合理性の構成的理念」(constitutive ideal of rationality)である。信念や欲求を人に帰属させる作業は、その人を合理的な存在として捉えることと切り離せない。ある人に信念を帰属させるには、その信念が他の信念や欲求や行為と整合するかを見なければならない。そして整合性の要求は、いくらでも新しい証拠に応じて調整を求める、終わりのない要求である。心的なものの帰属は、物理的記述とはまったく異なる規範的な原理——寛容の原理、整合性の要求——に支配されている。

異質な二つの体系のあいだに、厳密な法則が成り立つことはない。物理学は、閉じた体系のうちで例外なき一般化を目指す。心理学的な記述は、合理性という規範的理想のもとで解釈を行う。両者は目的も制約も異なるのだから、心的述語と物的述語を結ぶ厳密な法則が成立することは原理的に期待できない。ここで、心の哲学の議論が解釈の理論に基礎づけられていることが見てとれる。非法則的一元論は、根源的解釈論の帰結なのである。

スーパーヴィーニエンス(付随性)概念の導入

非法則的一元論には、直ちに疑問が向けられる。心的タイプが物的タイプへ還元されず、心的なものについての法則もないのなら、心的なものと物的なものはまったく無関係なのか。心的な差異は物的な差異と何の対応も持たないのか。それでは、一元論と言いながら実質的には二つの領域を切り離しているのではないか。

デイヴィドソンはこの疑問に、「スーパーヴィーニエンス」(supervenience、付随性)という概念で応じた。「心的出来事」のなかの短い一節で導入されたこの概念は、その後の心の哲学において中心的な術語となる。

彼の定式化はこうである。心的な特徴は物的な特徴に付随する。すなわち、二つの出来事がすべての物的な点で似ているならば、それらは心的な点で異なることはありえない。あるいは、ある対象が物的な点で何一つ変化することなく心的な点で変化するということはありえない。

この関係は、還元を含意しない。付随性が言うのは、物的なものが決まれば心的なものも決まるということだけであり、心的述語を物的述語へ翻訳できるとか、両者を結ぶ法則があるとかいうことではない。物的な変化なしに心的な変化はないが、それがどの物的変化に対応するかを一般的な形で述べる方法はない。デイヴィドソンはこの概念を、R・M・ヘアが倫理学で用いていた用法から借りている。ヘアは、道徳的性質が自然的性質に付随すると論じていた。二つの行為が自然的にまったく同じであれば、一方が善く他方が悪いということはありえない。しかし善さを自然的な性質へ定義的に還元することはできない。

デイヴィドソンにとって、付随性は非法則的一元論の物理主義的側面を支えるものであった。心的なものは、物的なものによって決定されているという意味で物的世界に依存している。だが、その依存は法則的な結びつきの形をとらない。この構図によって、彼は還元主義でも二元論でもない中間の立場を確保しようとした。

この概念は、デイヴィドソン自身が意図した以上の展開を見せる。1980年代以降、キム・ジェグォン(金在權)をはじめとする哲学者たちが付随性関係の形式的分析に取り組み、「弱い付随性」「強い付随性」「大域的付随性」といった区別が精緻化された。心の哲学における非還元的物理主義の標準的な定式化は、ほぼすべて付随性の語彙を用いるようになる。皮肉なことに、キムはこの分析を通じて、付随性だけでは非還元的物理主義を支えるに足りないと論じることになった。付随性は依存関係の記述であって、その依存を説明するものではない。付随性を主張するだけでは、心的なものがなぜ物的なものに依存するのかは未解明のまま残される、というのである。

隠喩と「墓碑銘のすばらしい乱れ」——言語慣習への懐疑

デイヴィドソンの言語哲学には、体系的な意味理論の構想と一見矛盾するように見える、もう一つの側面がある。言語の慣習性に対する徹底した懐疑である。

1978年の論文「隠喩は何を意味するか」(What Metaphors Mean)で、彼は挑発的なテーゼを提出した。隠喩には、字義通りの意味以外の意味はない。「隠喩的意味」なるものは存在しない、というのである。

伝統的な隠喩論は、隠喩に二重の意味を認めてきた。字義通りの意味と、それとは別の隠喩的な意味。「ジュリエットは太陽だ」という文は、字義通りには偽だが、隠喩的には何らかの真理を伝えている。それを解読することが隠喩の理解だ、と。デイヴィドソンはこれを否定する。この文の意味は、字義通りの意味以外にない。それは端的に偽である。

では隠喩は何をしているのか。彼の答えは、意味の水準ではなく使用の水準にある。隠喩は、言葉の字義通りの意味を用いて、私たちに何かを気づかせる。二つのものの類似を見るように仕向け、注意を向けさせ、ものの見方を変えさせる。それは伝達される命題ではなく、引き起こされる効果である。隠喩は言葉が私たちにさせることであって、言葉が意味することではない。ゆえに隠喩の「解釈」を完全に言い換えることはできない。冗談の説明が冗談の代わりにならないのと同じである。ジョン・サールらの発話行為論的な隠喩理論との論争は、ここから生まれた。

もう一つ、より根本的な論文が1986年の「墓碑銘のすばらしい乱れ」(A Nice Derangement of Epitaphs)である。この奇妙な題名自体が主題を体現している。これはシェリダンの喜劇『恋がたき』に登場するマラプロップ夫人の言い間違いであり、本来は「形容辞のみごとな配列」(a nice arrangement of epithets)と言うべきところが「墓碑銘のすばらしい乱れ」になっている。にもかかわらず、私たちは彼女が何を言おうとしたかを理解できる。

この現象——マラプロピズム、言い間違い、新造語、方言、なまり——を、デイヴィドソンは言語理解の周辺的な例外ではなく、その本質を露呈させる事例として扱う。話者が慣習的でない仕方で語を用いるとき、聞き手はしばしばそれを難なく理解する。理解が成立しているのに、共有された慣習は破られている。したがって、理解を可能にしているのは慣習の共有ではない。

彼は「先行理論」(prior theory)と「その場理論」(passing theory)という区別を導入する。解釈者は、会話に入る前に、相手がどのように語を用いるかについての理論をあらかじめ持っている(先行理論)。だが実際に相手の発話を解釈するときに用いられるのは、その場その場で修正され調整される理論である(その場理論)。相手が「墓碑銘」と言ったとき、解釈者はその場でそれを「形容辞」に対応させる理論を作る。コミュニケーションが成功するのは、話者と聞き手のその場理論が一致するときであり、先行理論が一致している必要はない。

論文の結論部で、デイヴィドソンは驚くべき主張を述べる。哲学者や言語学者が想定してきたようなものとしての「言語」など存在しない、と。言語を、話者が習得し共有し慣習として遵守する規則の体系と考えるなら、そのようなものは言語的コミュニケーションの説明に不要である。必要なのは、話者が何を意味しているかを理解しようとする、その場ごとの解釈の能力だけである。

この主張は激しい反発を招いた。マイケル・ダメットは、デイヴィドソンが言語の社会的性格を見落としていると批判した。イアン・ハッキングやその他の論者も、コミュニケーションの成立には慣習が不可欠だと論じた。デイヴィドソン自身の体系のなかでも、この論文の位置は微妙である。真理条件意味論は言語の体系性を前提としているように見えるのに、ここでは体系としての言語が否定されている。ただし彼の意図は、意味論的体系性を捨てることではなく、その体系性の担い手を「共同体の慣習」から「その場の解釈」へ移すことにあったと理解できる。真理理論はなお必要であり、ただそれは特定の場面で特定の話者に適用される理論なのだ。

三角測量と客観性の起源

晩年のデイヴィドソンが繰り返し立ち返ったのが、「三角測量」(triangulation)という比喩である。1982年の「合理的動物」以降、「三種類の知識」(1991)、「第二人称」(1992)などの論文で展開されたこの構想は、思考と客観性がどのようにして可能になるかを問うものである。

問いはこうだ。ある生物が世界の対象に反応するとき、その反応は何に向けられているのか。犬が骨に反応する。だが「骨に反応している」と言えるためには、反応を引き起こしている原因を特定しなければならない。網膜像か、鼻先の分子か、骨そのものか、それとも骨を含むより広い状況か。刺激と反応の関係だけを見ているかぎり、原因を一意に定めることはできない。これは意味の不確定性という問題の、より根本的な版である。

デイヴィドソンの答えは、二者の相互作用を導入することである。二人の生物が、同じ対象に反応し、かつ互いの反応にも反応するとき、はじめて何に反応しているのかが定まる。私があなたを見て、あなたが対象を見て、私も対象を見る。三つの点が三角形を作る。この三角形の第三の頂点——共有された対象——こそが、反応の内容を決定する。地理的な三角測量が、二つの観測点から一つの対象の位置を定めるように。

この構想からデイヴィドソンが引き出す帰結は大きい。第一に、客観性の概念、すなわち「そう思われること」と「そうであること」の区別は、他者との相互作用なしには成立しない。私が誤りうるという観念を持つのは、私の反応と他者の反応が食い違いうるからだ。誤りの可能性を含まない反応は、思考ではない。第二に、思考は本質的に社会的である。孤立した個体が概念を持つことはできない。第三に、言語を持たない生物には、厳密な意味での信念はない。デイヴィドソンは動物の思考についてかなり厳しい立場をとり、これは多くの批判を招いた。

三角測量論は、彼の三種類の知識——自己の心についての知識、他者の心についての知識、外的世界についての知識——の相互依存というテーゼへ結実する。伝統的な認識論は、この三つを階層的に扱ってきた。デカルトなら、自己知が確実な出発点であり、そこから外界と他者へ進む。デイヴィドソンはこの順序を拒む。三つは同時に成立するのであり、どれか一つを他の二つの基礎とすることはできない。三角測量の三つの頂点は、同時にしか存在しないのである。

関連して、1987年の「自分の心を知ること」で導入された「沼男」(Swampman)の思考実験も有名である。沼に落雷があり、偶然の物理的過程によって、デイヴィドソンと分子レベルまで完全に同一の存在が生成する。この沼男はデイヴィドソンとまったく同じように振る舞い、同じように話す。だがデイヴィドソンによれば、沼男は何ものについても思考していない。その発話に意味はなく、その状態は信念ではない。なぜなら、内容を決定するのは因果的な歴史——過去に何と相互作用してきたか、どのような学習の経緯があるか——だからである。物理的な複製が思考を持たないというこの主張は、内容の外在主義の最も強い形の一つであり、賛否の分かれる論点となった。

批判と影響

デイヴィドソンの各論点は、それぞれに強力な批判を受けてきた。

真理条件意味論に対しては、まずマイケル・ダメットの根本的な異議がある。ダメットによれば、意味の理論は話者が言語を理解しているとはどういうことかを説明しなければならない。だが真理条件を与えるだけでは不十分だ。私たちが検証も反証もできない文についても真理条件は与えられるが、そのような文の理解が何に存するのかは説明されていない。ダメットは検証主義的な意味理論を対置し、両者の論争は1970年代から80年代の言語哲学の主要な軸となった。ジョン・フォスターの提起した外延性の問題も、決定的な解決を見ていない。

意味の全体論に対しては、ジェリー・フォーダーとアーネスト・ルポアが『全体論——買い物ガイド』(1992)で集中的な批判を加えた。もし語の意味が言語全体における位置によって決まるなら、信念を一つ変えるたびにすべての語の意味が変わることになり、二人の人間が同じ意味で語を使うことも、同一人物が時間を通じて同じ意味を保つこともできなくなる。

非法則的一元論に対する最も執拗な批判は、随伴現象説の告発である。テッド・ホンデリック、ジェグォン・キム、ブライアン・マクローリンらが提起したこの批判はこうだ。デイヴィドソンによれば、因果関係が成立するのは厳密な法則のもとであり、その法則は物理的な語彙で書かれている。とすると、ある出来事が原因として働くのは、それが物理的性質を持つがゆえであって、心的性質を持つがゆえではない。心的性質は因果的に無力ということになる。心的出来事が原因であるという主張は形式的には保たれても、心的なものが心的であることによって何かを引き起こすとは言えない。デイヴィドソンはこれに対し、因果性は出来事のあいだの関係であって性質のあいだの関係ではないという原則を繰り返し、性質の因果的関与という問い立て自体に抵抗した。だがこの応答が十分かどうかについては、なお議論が続いている。キムによる因果的排除論法は、この論点を一般化したものである。

批判にもかかわらず、デイヴィドソンの影響は広範である。出来事意味論は言語学の標準的な道具となった。行為の因果説は数十年にわたり行為論の既定路線であり続けた(近年ではアンスコム的な非因果説の巻き返しがあるが、その議論はデイヴィドソンの定式を前提として進む)。付随性は心の哲学の共通語彙となった。非還元的物理主義という立場の空間そのものが、彼の仕事によって開かれたと言ってよい。

哲学者への直接の影響も大きい。リチャード・ローティは「概念枠という考えそのものについて」を、表象主義的な認識論の終焉を告げるものとして読み、自らのネオプラグマティズムの支柱とした。ジョン・マクダウェルは『心と世界』(1994)で、枠と内容の二元論に対するデイヴィドソンの批判を受け継ぎつつ、彼が経験の役割を切り詰めすぎたと批判した。ロバート・ブランダムは、解釈と規範性の結びつきという主題を推論主義の方向へ展開している。バークレーおよびそれ以前の教え場所での彼の教育は、多くの研究者を育てた。

日本語圏でも、『真理と解釈』『行為と出来事』をはじめとする主要論集が訳出され、言語哲学と心の哲学の双方で継続的に研究されている。

結論

デイヴィドソンの哲学は、一つの問いから広がった同心円として理解できる。その問いとは、まったく未知の言語を話す他者を理解することはいかにして可能か、という問いである。

この問いに答えようとすると、意味の理論が必要になる。意味を実体として扱えないなら、真理条件の理論として構成するほかない。真理条件の理論を経験的に検証しようとすると、話者の信念と意味を同時に決定しなければならず、そのためには寛容の原理が要る。寛容の原理を認めるなら、話者の信念の大部分は真でなければならず、私たちと根本的に異なる概念枠という考えは崩れる。同じ原理は、他者に信念や欲求を帰属させる作業を規範的な営みにし、そのことから心的なものが厳密な物理法則のもとに入らないという帰結が出る。しかし他方で、行為を説明するには理由が原因でなければならず、因果関係には法則が要る。この緊張を解くために、出来事と記述の区別が導入され、トークン同一説と付随性という装置が組み立てられる。そして最後に、そもそも解釈という営みが可能であるためには、二人の主体と共有された世界という三角形が要る。

一つの問いから、言語哲学、認識論、心の哲学、行為論、形而上学が順に導かれる。デイヴィドソンの体系性とはこのことであり、また彼の議論の難しさの原因でもある。どの論点も、他の論点との関係のうちに置かれてはじめて意味を持つからだ。

彼の主張のうち、そのまま受け入れられているものは多くない。真理条件意味論は形式的困難を抱え、非法則的一元論は随伴現象説の疑いを晴らしていない。「言語など存在しない」というテーゼは少数意見にとどまり、沼男の直観を共有しない哲学者も多い。だが、デイヴィドソンが変えたのは個々の答えよりも、問いの立て方である。意味とは何かを問うかわりに、解釈はいかにして可能かを問うこと。心と身体の関係を問うかわりに、心的記述と物理的記述がどのような論理的関係にあるかを問うこと。行為と身体運動の違いを問うかわりに、行為文の論理形式を問うこと。この転換は、彼の結論に同意しない者にも共有されている。20世紀後半の分析哲学の地形は、この転換のあとに形作られたのである。

20世紀後半の言語哲学全体の展開については現代の言語哲学を、非法則的一元論が置かれた文脈については心の哲学入門を、そして彼の出発点となった師の思想についてはクワインを参照されたい。