G・E・M・アンスコム——行為の哲学と徳倫理学の再生

はじめに——20世紀最重要の女性哲学者

エリザベス・アンスコム(Gertrude Elizabeth Margaret Anscombe, 1919-2001)は、20世紀の英語圏哲学において独力で二つの研究分野を作り出したと言ってよい稀有な哲学者である。一つは「行為の哲学(philosophy of action)」、もう一つは20世紀後半に復興した「徳倫理学(virtue ethics)」である。前者は1957年の小著『インテンション』によって、後者は1958年の論文「現代道徳哲学」によって開かれた。一年をへだてて発表されたこの二つのテクストは、いずれもその後半世紀の議論の枠組みそのものを規定することになる。

アンスコムはまた、ウィトゲンシュタイン晩年の最も近しい弟子の一人であり、その遺稿管理者にして『哲学探究』の英訳者でもあった。今日、英語圏の読者が後期ウィトゲンシュタインに触れるとき、その言葉はほとんどの場合アンスコムの訳文を通してである。同時に彼女は、敬虔なカトリック信徒として、核兵器による無差別攻撃、避妊、中絶、安楽死といった問題について、学界の趨勢に真っ向から逆らう主張を臆せず公言し続けた人物でもあった。

専門的な行為論の厳密な分析と、公共の場での挑戦的な道徳的発言。この二つは彼女においては切り離されていない。人間の行為とは何かという問いに正確に答えることこそが、何をなしてよく何をなしてはならないかという問いに答える前提だからである。本稿では、生涯、『インテンション』の中心思想、「現代道徳哲学」の三つのテーゼ、そして徳倫理学の再生への道筋をたどる。

生涯——オックスフォード、カトリック、ウィトゲンシュタイン

アンスコムは1919年、イギリス軍将校であった父の任地アイルランドのリムリックに生まれた。まもなく一家はイングランドに戻り、彼女は1937年にオックスフォードのセント・ヒューズ・コレッジに進学して、古典学と古代哲学・古代史を学ぶ「グレイツ(Literae Humaniores)」の課程を修めた。プラトンとアリストテレスを原典で読み込んだこの古典的訓練は、後年の彼女の哲学的手法——概念の使用を丹念に追跡し、アリストテレスやアクィナスの議論を現代の問題に接続する手つき——の土台となっている。

学生時代の最も重要な出来事は、カトリックへの改宗であった。国教会の家庭に育った彼女は、十代の終わりに自らの読書と探究を通じてローマ・カトリックに入信する。この信仰は生涯にわたって彼女の思考の背景をなし続けた。オックスフォードでは同じく改宗者であった哲学者ピーター・ギーチと出会って1941年に結婚し、七人の子をもうけている。フレーゲの読解やアクィナスの解釈をめぐるギーチとの共同作業は、両者の哲学に深い相互影響を残した。

同じ1941年、アンスコムはケンブリッジのニューナム・コレッジの研究生となり、翌年からウィトゲンシュタインの講義に出席しはじめる。当初は懐疑的であったが、やがて彼女はウィトゲンシュタインが最も信頼した学生の一人となった。1946年にオックスフォードのサマヴィル・コレッジの研究フェローとなった後もケンブリッジに通って対話を続け、1950年にはウィーンに滞在してドイツ語を鍛え直した。翻訳という仕事を引き受ける準備である。

1951年にウィトゲンシュタインが没すると、彼はアンスコム、ラッシュ・リース、フォン・ウリクトの三名を遺稿管理者に指名した。アンスコムは『哲学探究』(1953)をはじめ『数学の基礎』『確実性について』『断片(ツェッテル)』など主要な遺稿の翻訳と編集にあたり、その普及に決定的な役割を果たす。1959年には『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」入門』を刊行した。彼女自身は長くオックスフォードで教え、1970年にはフォン・ウリクトの後任としてケンブリッジ大学哲学教授となり、1986年まで在職した。

生涯を通じて、アンスコムは学界の慣習にも社会の期待にも無頓着であった。その奇矯さは、道徳的問題に対する妥協のない真剣さと表裏一体である。それを最もよく示すのが1956年のトルーマン事件であった。オックスフォード大学が、前アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンに名誉学位を授与しようとしたとき、アンスコムは学内の評議会でこれに公然と反対した。理由は明快である。トルーマンは広島と長崎への原子爆弾投下を命じた人物であり、無辜の民間人を意図的に殺害することを決定した以上、彼は大量殺人者であって大学が名誉を与えるべき相手ではない、というのである。反対は圧倒的多数で否決され、学位は授与された。彼女はその主張を小冊子『トルーマン氏の学位』(1957)にまとめて刊行する。そこで展開されたのは、無辜の者を意図的に殺すことはいかなる善き帰結によっても正当化されえないという絶対的禁止の主張であり、これこそ翌年の「現代道徳哲学」における帰結主義批判の中核へと発展していく論点であった。

『インテンション』(1957)——行為の哲学の創始

『インテンション』は本文が百ページ足らずの薄い書物である。しかしドナルド・デイヴィドソンはこれを「アリストテレス以来、行為についての最も重要な取り扱い」と評した。この本以前、「行為(action)」は哲学の独立した主題ではなかった。倫理学は行為の評価を論じ、心の哲学は意志や動機を論じたが、そもそも行為とは何か、意図的な行為を単なる出来事から区別するものは何かという問いが体系的に立てられることはなかったのである。

彼女の出発点は、「意図」という語が日常の言語において少なくとも三つの異なる仕方で現れるという観察である。第一に、未来の行為についての意図の表明(「私は明日ロンドンに行くつもりだ」)。第二に、意図的になされる行為そのもの(「彼は意図的にドアを閉めた」)。第三に、ある行為がそれをもってなされるところの意図(「彼は換気のためにドアを開けた」)。伝統的な哲学は第一のものを基本と見なし、意図とは行為に先立って心の中に生じる内的状態や出来事だと考えがちであった。アンスコムはこの前提を退ける。

この拒否には、ウィトゲンシュタインの影響が濃厚に現れている。意図を行為の内的な原因として説明しようとすると、私たちはその出来事を内観によって同定しなければならない。だがそのような内的出来事を探しても見つからないし、仮に見つかったとしても、それが当の行為の意図であることを保証するものは何もない。アンスコムは、「意図的」という語がどのような問いとの関係で使われているかを記述する方向へ転じる。意図とは行為の背後に隠れた原因ではなく、行為がそのもとで理解可能になる形式なのである。そして三つの用法は、実践的推論の構造のもとにある行為という一つの中心概念の異なる現れとして統一される。

「なぜ」という問いが適用される行為

『インテンション』の最も有名な定式は、意図的行為を「ある特定の意味での『なぜ』という問いが適用される行為」として特徴づけるものである。ここで重要なのは、「なぜ」の答えが理由を与えるものであって原因の記述ではないという点だ。「なぜ腕を上げているのか」と問われて「合図をするためだ」と答えるとき、私たちは行為を理由の空間のうちに位置づけている。

では、どのような場合に問いが「適用されない」のか。「なぜ」に対して「知らなかった、そんなことをしているとは気づかなかった」と答えるとき、問いは拒絶されている。自分がしていることを知らずになされた出来事は意図的行為ではない。「不随意にそうなった」という答えも同様に問いを退ける。他方、「理由はない、ただそうしたかっただけだ」と答える場合、問いは拒絶されていない。この答えは理由を与えることを拒んでいるが、問いが適用可能であること自体は認めているからだ。この微妙な区別によって、アンスコムは意図的行為の輪郭を、内観にも因果的仮説にも訴えずに描き出す。

この分析から引き出される帰結は大きい。第一に、意図性は行為者の知識と本質的に結びつく。自分が何をしているかを知らずになされることは意図的ではありえない。第二に、理由による説明は因果的説明とは異なる論理を持つ。理由を挙げることは、行為者にとってその行為を望ましいものと見せていた事柄を示し、行為を理解可能にすること(making intelligible)である。第三に、この「なぜ」の連鎖には終わりがある。「なぜAを?」「Bのために」——この系列は、それ以上「何のために」と問うことが無意味になる地点、すなわち何らかの善の相のもとで欲求されるものに行き着く。

ここからアンスコムは、アリストテレスの「実践的三段論法」の理解にも訂正を加える。実践的推論の結論は命題ではなく行為であり、それは理論的推論の応用ではなく固有の論理を持つ思考の形式なのだ。

実践的知識——観察によらない知識

アンスコムのもう一つの中心的主張は、行為者が自分の行為について持つ知識の特異な性格に関わる。私は今、自分が何をしているかを知っている。だがその知識はどのようにして得られたのか。腕を上げるとき、私は腕が上がっていくのを見て「私は腕を上げているらしい」と推測するのではない。私は観察に先立ってそれを知っている。アンスコムはこれを「観察によらない知識(knowledge without observation)」と呼んだ。

この概念は、行為者の自己認識についての通常の像を覆す。認識といえば、私たちは対象を観察し、証拠を集め、判断を下すという過程を思い浮かべる。だが自分の意図的行為についての知識は、この図式に当てはまらない。証拠はなく、観察もなく、それでも知識である。しかも誤りうる知識でもある。

アンスコムはこの種の知識を「実践的知識(practical knowledge)」と呼び、アクィナスの定式を援用して「実践的知識はそれが理解するものの原因である」と述べる。理論的(観察的)知識は対象から派生する——世界がこうであるから、私はこう知る。実践的知識は逆である——私がこう知るから、世界がそうなる。知識が対象に従うのではなく、対象が知識に従うのだ。この転倒は行為の哲学における最も難解でありながら最も生産的な論点となった。実践的知識は誤りうるが、その誤りは知識の側の欠陥ではなく遂行の側の失敗として現れる。この非対称性を、アンスコムは次の有名な比喩によって説明している。

記述のもとでの行為——買い物リストと毒入りの水

『インテンション』第32節の買い物リストの比喩は、20世紀哲学で最も引用される思考実験の一つである。ある男が買い物リストを持って店に行き、リストに従って商品をかごに入れていく。その男を探偵が尾行し、男が実際に買ったものを記録していく。作業が終わったとき、男のリストと探偵の記録という二つの紙片が存在する。仮に両者が食い違い、リストには「バター」とあるのに男が実際に買ったのはマーガリンだったとしよう。

このとき、二つの紙片の誤りの所在はまったく異なる。探偵の記録が男の購入したものと食い違うなら、誤りは記録の側にあり、記録を訂正しなければならない。しかし男のリストが購入したものと食い違うなら、誤りはリストの側にあるのではなく、遂行の側にある。同じ言葉が書かれた二つの紙片が、まったく異なる働きをしている。探偵の記録は世界を写し取るものであり、男のリストは世界をそれに合わせるべきものなのだ。この区別は後にジョン・サールらによって「適合の方向(direction of fit)」という術語で定式化され、信念と欲求、言語行為の分類論にいたるまで広く用いられるようになった。

『インテンション』のもう一つの決定的な貢献が、「ある記述のもとで(under a description)」という概念である。一つの身体運動は、無数の異なる仕方で記述されうる。アンスコムの有名な例を見よう。ある男がポンプを操作して家の給水槽に水を送っている。その水にはひそかに毒が混入されており、住人はそれを飲んで死ぬことになる。このとき男は何をしているのか。腕を上下させている。ポンプを動かしている。給水槽を満たしている。住人に毒を盛っている。住人を殺している。これらはすべて同一の出来事の記述である。

アンスコムの主張は、意図性が記述に相対的だということである。同一の行為が、ある記述のもとでは意図的であり、別の記述のもとでは意図的ではない。男が毒の存在を知らなければ、「給水槽を満たす」という記述のもとでその行為は意図的だが、「住人に毒を盛る」という記述のもとではそうではない。行為そのものが二つあるのではなく、一つの行為が複数の記述のもとに立つのである。

この洞察は、行為の個別化をめぐる長い論争を生んだ(デイヴィドソン、ゴールドマンらの議論はここから始まる)。だがそれ以上に重要なのは倫理学的含意である。意図された帰結と単に予見された帰結との区別も、二重結果の原理も、「あなたは実際には何をしたのか」という責任の問いも、すべて「どの記述のもとで」という問いを経由しなければ答えられない。アンスコムの行為論は、はじめから倫理学的な問題意識に貫かれていたのである。

「現代道徳哲学」(1958)——三つのテーゼと道徳的「べき」

論文「現代道徳哲学」は、雑誌『フィロソフィー』に発表された二十数ページの論考でありながら、20世紀倫理学において最も影響力の大きいテクストの一つとなった。アンスコムは冒頭で三つのテーゼを宣言する。第一に、現時点で道徳哲学を行うことは有益ではなく、私たちが著しく欠いている心理学の哲学が整備されるまで、それは脇に置かれるべきである。第二に、「義務」「責務」「道徳的に正しい/間違っている」という概念、および「べき」の道徳的用法は、可能ならば捨て去られるべきである。それらは、もはや一般には残存していない古い倫理の構想の名残りであり、その構想を欠いた状態では有害でしかないからだ。第三に、シジウィック以降の著名な英国の道徳哲学者たちの間の相違は、ほとんど重要ではない。

三つのテーゼは互いに結びついている。第一のテーゼは、『インテンション』の仕事が何のためになされたかを説明する。行為とは何か、意図とは何か、欲求とは何か——こうした概念が明晰にされないまま正・不正・義務を論じても空回りするだけだというのである。ここで「心理学の哲学」と呼ばれているものは、後に「心の哲学」や「行為の哲学」として制度化される領域にほかならない。

第二のテーゼが最も挑発的である。アンスコムによれば、道徳的な「べき」という語が特別な強制力を帯びて響くのは、それがかつて「法としての倫理(law conception of ethics)」という枠組みのうちに置かれていたからである。ユダヤ・キリスト教の伝統において、道徳的義務は神という立法者の命令であった。何かをなすべきであるとは、神の法によってそれが命じられているということであり、罪とは法の違反であった。この枠組みのもとで「べき」は明確な意味を持つ。

ところが近代以降、多くの哲学者はこの神学的枠組みを放棄した。にもかかわらず「道徳的義務」「道徳的責務」という語彙だけは残り、あたかもそれ自体で特別な権威を持つかのように使われ続けている。アンスコムはこれを痛烈な比喩で表現する。刑法と法廷が廃止されたあとも「犯罪的」という語が生き残り、人々がその語に依然として特別な力があるかのように振る舞っている状況——それが現代の道徳的「べき」の状態である。それは内容を失って「催眠術的な力」だけを保った言葉なのだ。

したがって彼女の主張は次のようになる。法としての倫理を保持するなら立法者を認めなければならず、立法者を認めないなら法概念に由来する語彙は捨てるべきである。では「べき」を捨てたあと何が残るのか。アンスコムの答えはアリストテレス的な語彙である。「義務に反する」と言うかわりに「その人間は不正義である」「臆病である」「不節制である」と言えばよい。徳と悪徳の語彙は法の観念を必要とせず、人間という種の生き物にとって何が善く何が悪いかという事実に根ざしている。

「帰結主義」という語の創出とその批判

第三のテーゼ——シジウィック以降の英国道徳哲学者たちの相違は重要ではない——を論じる過程で、アンスコムは一つの新語を作った。「帰結主義(consequentialism)」である。今日、規範倫理学の三大立場の一つとして教科書に載るこの用語は、彼女が批判の対象を名指すために鋳造したものであり、その含意は最初から否定的であった。

アンスコムが標的としたのは、ヘンリー・シジウィックに始まり、ムーア、ロス、ヘアらにいたる系譜である。彼女によれば、シジウィックは決定的な一歩を踏み出した。すなわち、意図された帰結と単に予見された帰結との間に、行為者の責任に関わる区別を認めなかったのである。行為者は自分が予見しうるすべての帰結について等しく責任を負う。そうであるならば、行為の道徳的評価は、その行為を含む状況全体がもたらす帰結の総体によって決まる。アンスコムはこの立場を「帰結主義」と名づけた。

彼女の批判の核心は、功利主義を効用計算という点で批判することにはない。核心は、この立場においてはいかなる種類の行為も原理的に排除されえないという点にある。十分に大きな善が賭かっているならば、司法によって無実の人間を処刑することさえ検討の対象となりうる。アンスコムはここで妥協しない。もし誰かが、無実の者を裁判にかけて処刑することが検討の余地なく排除されるべきかどうかをあらかじめ未決の問題として扱うならば、その人物とは議論する気がない、その人は腐敗した精神を示している——彼女はそう書いた。

この激烈な言明は、当時の英語圏哲学の作法からすればきわめて異例のものであった。しかしそれはトルーマン事件の延長線上にある。広島と長崎への原爆投下を戦争終結という善き帰結によって正当化する論法は、まさに帰結主義的思考の実例であった。学界の穏やかな理論的立場と都市への無差別爆撃の正当化とは、彼女にとって同じ一つの思考様式の二つの現れだったのである。この批判は同時に、絶対的禁止(absolute prohibitions)という観念の擁護でもあった。

徳倫理学の再生への道

「現代道徳哲学」が徳倫理学の出発点とされるのは、この論文が徳倫理学の理論を提示したからではない。アンスコムはそこで「徳倫理学」という言葉を使っていないし、自分をその立場の主唱者と考えてもいなかった。彼女はカトリックのアリストテレス主義者であり、自然法の伝統に立つ思想家である。この論文が果たしたのは、義務論と帰結主義という二項対立が英語圏倫理学の全域を覆っているという状況を診断し、その外部があることを示した役割であった。

その外部を実際に切り拓いたのは、アンスコムの提起を受けた次の世代である。オックスフォードの同僚であったフィリッパ・フットは、道徳的判断が定言命法的な性格を持つという通念を問い直し、後年『自然の善さ』(2001)において、徳を人間という生物種にとっての善さの様式として位置づける自然主義的な徳理論を展開した。徳は恣意的な理想ではなく人間の生の形式に根ざす——この構想は、アンスコムが「心理学の哲学」の欠如として指摘した空白を埋める試みであった。

ジョン・マクダウェルは別の方向から応じた。彼にとって徳とは一種の知覚能力である。有徳な人は、状況のうちにある道徳的に重要な事柄を「見る」ことができる。それは規則の適用ではなく事情に応じた判断であり、規則によって余すところなく体系化することはできない。ここでウィトゲンシュタインの規則遵守の議論とアリストテレスのフロネーシス(実践知)が結び合わされる。アンスコムが両者の継承者であったことを思えば、この結合は自然な帰結である。

アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』(1981)は、アンスコムの診断を歴史的物語へと拡大した。近代の道徳的言説は、かつて意味を持っていた徳と目的(テロス)の枠組みが崩壊したあとに残された断片であり、私たちはその断片を用いて解決不可能な論争を続けている——「べき」を法概念の残滓とみなすアンスコムの議論を、啓蒙以降の道徳哲学史の全体に適用した診断である。さらにロザリンド・ハーストハウスらによって、徳倫理学は行為の正・不正についても答えを持つ体系的な規範理論として整備されていった。

因果性と決定論、そのほかの仕事

アンスコムの仕事は行為論と倫理学に尽きない。1971年、ケンブリッジ大学教授就任講演として行われた「因果性と決定」は、因果性の哲学への持続的な挑戦であった。ヒューム以来、因果関係は恒常的連接や法則的必然性と結びつけて理解されてきた。原因が与えられれば結果は必然的に生じる、というのである。アンスコムはこの前提を疑う。因果性の中核にあるのは必然性ではなく「由来(derivativeness)」であり、結果が原因から生じてくるということ、それが因果性の意味であって、そこに例外なき法則性が含まれている必要はない。

この主張の帰結は大きい。原因は結果を必然化しないのだから、非決定論的な因果関係——原因が結果を生じさせうるが必ず生じさせるとは限らない関係——が一貫して考えられる。量子力学が示唆する物理的非決定性は因果性の否定ではない。ただしアンスコムは、非決定論が自由を保証するとも考えない。それは自由の障害を取り除くだけであり、自由の実質は行為者が理由に基づいて行為するという事実のうちにある。

彼女は「一人称」(1975)という論文でも物議をかもした。代名詞「私」が指示表現であるならば指示に失敗する可能性がなければならないが、「私」の使用においてはそれが原理的にありえない。ゆえに「私」は指示表現ではなく、デカルト的自我の想定はこの文法的特異性の誤読から生じている、というのである。また「事実(ブルート・ファクト)について」(1958)は、制度的事実についてのサールの理論に着想を与えた。

古典研究者としても、彼女はパルメニデス、アリストテレス、アクィナス、ヒュームについて重要な論考を残し、夫ギーチとの共著『三人の哲学者』(1961)を刊行した。応用倫理の領域では、避妊、中絶、安楽死、正戦と二重結果の原理について、カトリック倫理の立場から精緻な議論を展開している(「避妊と貞潔」1972など)。リベラルな趨勢に真正面から抗するこれらの主張ゆえに彼女はしばしば孤立し、高齢になってからも中絶施設前の抗議行動に加わって逮捕された。1967年に英国学士院フェローに選出され、2001年、オックスフォードで没している。

現代への影響——行為論、心の哲学、応用倫理

アンスコムが行為の哲学に与えた影響は、その後の議論の全体を規定した。デイヴィドソンが1963年の論文「行為・理由・原因」で、理由は原因でありうると主張したとき、彼は明確にアンスコムを論敵としていた。以後の行為論は、この対立軸——理由は行為の原因なのか、それとも行為を理解可能にする別種の説明なのか——を中心に展開する。デイヴィドソン的な因果説が長く優勢であったが、近年ではアンスコム的な非因果説が力を回復しつつある。

「記述のもとで」という概念も、今日では行為論の標準語彙である。行為の個別化、集団行為、法における故意と過失の区別——これらの領域でアンスコムの区別は不可欠の道具となった。マイケル・トンプソンらの仕事を通じて「アンスコム的行為論」は現代の一大潮流を形成し、実践的知識をめぐる議論も、行為者の自己知という主題のもとで心の哲学の活発な研究領域となっている。

倫理学における影響は、徳倫理学の制度的確立という形をとった。今日、規範倫理学の教科書はほぼ例外なく義務論・帰結主義・徳倫理学の三分法を採用しており、この分類自体がアンスコムの論文に由来する。「帰結主義」という語は、皮肉なことに、批判者が付けた名を当の立場の擁護者たちが誇りをもって引き受けるという経過をたどった。応用倫理においても、意図と予見の区別や二重結果の原理をめぐる議論は、医療倫理(終末期の鎮静、安楽死)、戦争倫理(民間人の付随的被害)、そしてトロッコ問題を含む思考実験の分析において、いまなお中心的な役割を果たしている。

そして忘れてはならないのが、ウィトゲンシュタイン哲学の受容における彼女の位置である。翻訳者としての語彙の選択は、英語圏における後期ウィトゲンシュタイン理解の枠組みそのものを形作った。近年では、彼女が単なる伝達者ではなく、ウィトゲンシュタイン的方法をアリストテレス的問題に適用した独立の思想家であったという評価が定着しつつある。

結論

アンスコムの哲学を貫くのは、人間の行為をその行為者にとっての意味において理解しようとする一貫した姿勢である。行為を外側から観察される身体運動として扱うのでも、内側に隠された心的出来事の結果として扱うのでもなく、理由の秩序のうちに立つものとして、そして行為者自身が観察によらずに知っているものとして捉えること。この視点の転換が『インテンション』の核心にある。

そしてこの行為論は、そのまま倫理学の基礎となる。意図してなしたことと、予見しつつ意図しなかったこととは道徳的に同じではない。この区別を消去したとき、いかなる行為も帰結の計算に付されうるものとなり、絶対に許されないことなど何もないという結論が待っている。アンスコムが「腐敗した精神」という強い言葉で拒んだのは、この帰結であった。彼女が二つの分野を同時に開いたのは偶然ではない。行為の哲学と倫理学は、彼女にとって一つの探究の二つの側面だったのである。

その主張のすべてが受け入れられているわけではない。実践的知識の理論は難解であり、「私」が指示表現ではないという議論は少数意見にとどまり、宗教的前提に立つ応用倫理の立場は広い同意を得ていない。だが、彼女が立てた問いは生き続けている。意図的行為とは何か。行為者はなぜ自分の行為を知っているのか。道徳的「べき」はどこから権威を得ているのか。薄い一冊の本と二十数ページの論文が、20世紀後半の倫理学と行為論の地形を作り変えたのである。

彼女の背景をなすウィトゲンシュタインの哲学についてはウィトゲンシュタインを、倫理学の基本的な枠組みについては倫理学入門を、そして20世紀英語圏の倫理学の展開全体については分析倫理学を参照されたい。