序論:分析哲学の巨人
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(1908-2000)は、20世紀の分析哲学の中で最も重要な人物の一人である。彼は、分析哲学の根本的な仮定に疑問を投じ、新しい哲学的方向を開拓した。彼の思想は、論理学、言語哲学、認識論、存在論にわたり、深い影響を与えた。
クワインの哲学の中心テーマは、自然主義である。哲学は、科学と連続している。哲学的な問題は、科学的方法によって、光が投じられるべきである。哲学は、科学を超越する領域ではなく、科学の延長である。このアプローチは、伝統的な哲学に対する急進的な転換である。
論理学への貢献と象徴論理
クワインは、象徴論理学と論理体系の開発に大きく貢献した。彼の著作「論理学の方法」は、象徴論理学の主要なテキストとなった。クワインは、フレーゲとラッセルの論理的伝統を継承し、それを発展させた。
論理学は、単なる形式的システムではなく、存在が何であるかについての洞察を提供する、とクワインは主張した。論理的体系が、特定のタイプの対象(クラス、プロパティなど)を参照する場合、その体系は、これらのオブジェクトの存在にコミットしている。したがって、論理学は、存在論的にも関連している。
クワインは、古典的な論理学に基づいて多くの論理的システムを検討した。彼は、異なるシステムが、異なる存在論的含意を持つことを示した。同じ現象を、異なる論理的システム内で説明することができるかもしれないが、それらのシステムは、存在について異なることを述べるかもしれない。この観察は、存在論の相対性についての重要な洞察である。
分析と総合の区別への疑問
クワイン最も有名な哲学的議論の一つは、分析命題と総合命題の間の区別が、基本的ではないという主張である。この区別は、カント以来、哲学を支配してきた。分析命題は、その述語が、その主語の概念に含まれる命題である(「独身男性は未婚である」)。総合命題は、述語が主語の概念に含まれない命題である(「独身男性は不幸である」)。
クワインは、この区別が、「必要真」と「偶然的真」の区別に依存していることを指摘した。しかし、何が「必要」で、何が「偶然的」であるかを決定する基準は、不明確である。クワインは、この区別は、相対的で、言語的な慣習に依存していると主張した。
これは、哲学的に根本的な含意を持つ。分析/総合の区別が基本的でないならば、哲学は、科学から完全に区別されない。哲学的真実は、科学的真実と同じように、経験的証拠によって改正される可能性がある。この観察は、クワインの自然主義的プログラムの中心である。
「経験的原子論への二つのドグマ」
クワインの著名な論文「経験主義の二つのドグマ」は、論理的経験主義に対する根本的な批判である。クワインは、経験主義の根底にある二つの仮説に疑問を投じた。
第一に、分析命題と総合命題の区別である(上で議論した)。第二に、経験的検証が、個々の命題に対して直接的に関連するという仮説である。論理的経験主義によれば、各命題は、経験的に検証可能または棄却可能である。
クワインは、検証は、個々の命題に対してではなく、命題のシステム全体に対して機能すると主張した。命題のシステムが、経験と矛盾する場合、システムのどの命題を棄却するかについて、複数の選択肢がある。科学者は、中心的な命題(論理法則、基本的な理論など)を棄却するのではなく、周辺的な命題を棄却することを選択するかもしれない。
この観察は、「全体論」の原則として知られている。それは、科学的知識が、相互に結びついた命題の全体的な体系であることを意味する。個々の命題は、その全体的な文脈の中でのみ、真偽を持つ。この見方は、科学的知識の性質についての深刻な含意を持つ。
存在論的相対主義
クワインの最も影響力のある貢献の一つは、存在論的相対主義の開発である。異なる理論的体系は、異なる存在論的コミットメントを持つかもしれない。例えば、プラトニズムは、抽象的な対象(数、性質)が存在すると述べる。唯名論は、これらの抽象的な対象が存在しないと述べる。
クワインは、これらの競合する存在論的位置が、実質的な方法で比較されることができると主張した。比較の基準は、簡潔性、説得力、科学的有用性などである。理論家は、その存在論的コミットメントに基づいて、理論を評価すべきである。
しかし、クワインは、同時に、存在論的相対主義を自分の立場として受け入れるわけではない。むしろ、彼は、科学が、特定の存在論的コミットメント(特に、抽象的な対象への)を必要とすると主張した。科学は、数、集合、その他の抽象的な対象を参照する数学を必要とする。したがって、科学的観点から、これらの抽象的な対象の存在を受け入れることは合理的である。
指示と意味
クワインは、言語哲学に重要な貢献をした。特に、彼は、指示と意味の問題についての新しい見方を提案した。伝統的なビューでは、名前は、オブジェクトに指示する。意味は、オブジェクトに依存する。
クワインは、指示が、単純な関係ではないことを示した。言語学的には、複数の方法で、同じオブジェクトを参照することができる。同時に、これらの異なる参照モードは、異なる認識論的役割を持つかもしれない(クリプキの「刚性指定」の観念につながった)。
クワインは、また、「意味」の概念に疑問を投じた。言語分析は、単語の「意味」を決定できるか。クワインは、意味が、相互関係的で、言語体系の文脈に依存していることを示唆した。言葉の意味は、その言語体系内での役割によって決定される。この見方は、意味の本質についての一層の謎をもたらす。
自然化認識論
クワイン自然化認識論の発展を提唱した。伝統的な認識論は、知識の条件を、先験的に決定しようとする。クワインは、この方法を棄却した。代わりに、彼は、認識論は、科学(特に、心理学と神経科学)によって通知されるべきだと主張した。
認識論的な問題は、経験的問題である。例えば、知識の本性の問題は、人間が、実際に、どのようにして、外部世界についての信念を形成するかについての科学的調査に依存している。心理学と神経科学は、我々が知識をどのように獲得するかについての洞察を提供する。
この「自然化認識論」のアプローチは、伝統的な認識論者から批評を招いた。彼らは、クワインが、規範的な問題(知識とは何であるべきか)を記述的な問題(知識はどのように獲得されるか)と混同していると主張した。クワインは、この区別が、哲学と科学の間の分割に基づいていると応答した。彼は、規範は、記述的な現実を無視すべきではないと主張した。
個体化と相対主義
クワインは、個体化に関する根本的な哲学的問題を提起した。オブジェクトは、何によって、区別される。例えば、二つの同一の素粒子は、区別されるのか。クワインは、オブジェクトの個体化の基準は、言語的と概念的であると主張した。
これは、存在論的相対主義へと導く。異なる言語とカテゴリー体系は、異なる方法で、オブジェクトを個体化する。これは、「何がオブジェクトであるか」についての「正しい」回答がないことを示唆している。むしろ、オブジェクト化は、我々が採択する概念スキームに依存している。
クワインは、この相対主義に反対する側面もあり、ある見地で支持した。彼は、何らかの言語的フレームワークを採択する必要があることを認めた。しかし、異なるフレームワークは、等しく有効であるかもしれない。哲学的選択は、理論的な利便性と単純性に基づいて、異なるスキーム間で行われるべきである。
クワインと論理学の修正
クワインは、古典的な論理学に対する挑戦に抵抗した。一部の哲学者は、古典的な論理法則(特に、矛盾律または排中律)は、修正される必要があると主張した。クワイン,は,これらの修正に反対した。
彼は、論理法則は、非常に基本的で、修正が可能であっても、周辺的な科学的命題を修正する方がはるかに簡単であることを主張した。クワインの全体論的見方によれば、論理法則は、私たちの知識体系の「中心」にあり、変更に最も抵抗力がある。しかし、原則的には、極端な状況では、それらも修正されるかもしれない。
結論:自然主義への遺産
クワインは、哲学に対する自然主義的アプローチを推進した。彼は、哲学は、科学と連続しており、科学的方法によって通知されるべきであることを示した。彼の著作は、認識論、言語哲学、論理学、存在論に変化をもたらした。
クワインの自然主義は、完全に受け入れられているわけではない。多くの哲学者は、哲学は、科学を超えた独自の方法と目標を持つべきだと主張している。しかし、クワインの影響は、否定できない。彼は、20世紀の最も重要な哲学者の一人である。彼の思想は、依然として、現代の哲学的議論を形作っている。