ウィルフリド・セラーズ——所与の神話と理由の空間

はじめに——哲学者たちの哲学者

ウィルフリド・セラーズ(Wilfrid Sellars, 1912-1989)は、しばしば「哲学者たちの哲学者(philosopher's philosopher)」と呼ばれる。一般向けの著作を書かず、文章は難解をきわめ、独自の術語を惜しみなく導入し、生前に広い読者を得たとは言いがたい。にもかかわらず、20世紀後半の英語圏哲学において、彼ほど深いところで議論の地形を変えた人物は多くない。変えたのは個々の学説ではなく、認識論と心の哲学が立てる問いの形そのものであった。

その中心にあるのが、1956年の論文「経験論と心の哲学(Empiricism and the Philosophy of Mind)」における「所与の神話(the Myth of the Given)」批判である。感覚経験が、いっさいの概念的能力を前提とせずに、それ自体で知識の基礎を与えてくれる——この想定を、セラーズは経験論の伝統に取り憑いた神話として解体した。以後、「所与の神話」という語は、たとえセラーズ自身の議論を細部まで追わない者にとっても、避けて通れない標識となる。

もう一つの柱が、1962年の論文「哲学と人間の科学的イメージ」で提示された「顕在的イメージ」と「科学的イメージ」の対比である。人格と意図と色に満ちた日常の世界像と、素粒子と場からなる科学の世界像。この二つをどう関係づけるかという問いは、心の哲学と科学哲学を横断する現代的問題設定の原型となった。

セラーズは経験論者であると同時にカント主義者であり、徹底した科学的実在論者であると同時に規範の還元不可能性を主張する哲学者であった。この一見矛盾した組み合わせをどう成立させるかが、彼の生涯の課題であり、後継者たちが分岐していく地点でもある。

生涯——父ロイ・ウッド・セラーズからピッツバーグへ

セラーズは1912年、ミシガン州アナーバーに生まれた。父は同地のミシガン大学で長く教えた哲学者ロイ・ウッド・セラーズ(Roy Wood Sellars, 1880-1973)である。父ロイは「批判的実在論」の代表的論者の一人であり、『進化的自然主義』(1922)などで、心的なものを自然の進化的秩序のうちに位置づける唯物論的な立場を展開した。1933年の「ヒューマニスト宣言」の起草に関与した人物でもある。

哲学が家の空気であったという事実は、息子の思考の輪郭を決定的に規定した。ウィルフリドは生涯にわたって自らを父の自然主義の継承者と考え、心的なものを世界の物理的秩序と両立させるという課題を、いわば家業として引き受けている。もっとも彼は、父の実在論を分析哲学の言語論的な道具立てによって作り直したのであり、単なる後継者ではなかった。

少年期には、父の在外研究に伴ってフランスとドイツで教育を受けた時期がある。パリのリセに学んだ経験は、彼に大陸の哲学的教養——とりわけカントとドイツ観念論の伝統への感度——を早くから与えた。ミシガン大学とバッファロー大学に学んだのち、1934年にローズ奨学生としてオックスフォード大学オリオル・コレッジに進み、H・H・プライスらのもとで学位論文に着手するが、これを完成させることはなかった。1937年にハーヴァード大学へ移り、翌年からアイオワ大学で教職に就く。彼は結局、博士号を持たない哲学教授であり続けた。

第二次世界大戦中は米海軍に従軍し、戦後の1946年にミネソタ大学へ移る。ミネソタ時代は彼の形成期として決定的である。論理実証主義をアメリカに移植したヘルベルト・ファイグルとともに、1949年にアンソロジー『哲学的分析読本』を編み、1950年には今日にいたるまで分析哲学の主要誌である『フィロソフィカル・スタディーズ』を創刊した。同大学の科学哲学研究所の活動を通じて、彼は論理実証主義の遺産を内側から批判的に継承する位置に立つ。

1958年にイェール大学へ移ったのち、1963年にピッツバーグ大学へ招かれる。当時のピッツバーグ大学は哲学科の大規模な再建を進めており、セラーズの着任はその中核をなす人事であった。ニコラス・レッシャー、カート・ベイヤーらとともに、彼はピッツバーグを英語圏哲学の一大拠点へと押し上げる。1965年から66年にかけてオックスフォードでジョン・ロック講義を担当し、その成果が『科学と形而上学——カント的主題の変奏』(1968)である。以後、1989年に没するまでピッツバーグにとどまり、そこで育った学生と同僚たちが後に「ピッツバーグ学派」と呼ばれる系譜を形づくることになる。なお彼の主要著作は論文集の形をとり、「経験論と心の哲学」と「哲学と人間の科学的イメージ」の双方を収めた『科学・知覚・実在』(1963)が事実上の主著である。

「経験論と心の哲学」(1956)——所与の神話への宣戦布告

「経験論と心の哲学」は、1956年3月にロンドン大学で行われた三回の連続講義を基にしている。講義の題は「所与の神話——経験論と心の哲学についての三講義」であった。同年、ミネソタ大学科学哲学研究叢書の第一巻に収録され、以後、20世紀後半の認識論において最も頻繁に参照されるテクストの一つとなる。1997年にはリチャード・ローティの序文とロバート・ブランダムの読解ガイドを付して単行本として復刊され、この復刊自体がセラーズ受容の第二の波を象徴する出来事となった。

論文は十六の部からなる。感覚与件説の批判に始まり、「〜のように見える」という語法の分析、経験的知識の非基礎づけ主義的な擁護を経て、最後に「ジョーンズの神話」という思考実験によって心的なものの位置づけを与える、という屈折した道筋をたどる。

彼が攻撃するのは経験論の特定のヴァージョンではない。ロックの単純観念、ヒュームの印象、20世紀初頭の感覚与件説にいたるまで、経験論の系譜を貫いて反復されてきた一つの構造である。すなわち、経験には、それ以上の正当化を必要とせず、それ自体で他の信念に正当化を与える最下層の要素があるという想定。この最下層こそが「所与」と呼ばれるものだ。

注意すべきは、セラーズが経験論そのものを捨てるのではない点である。彼は経験が知識にとって不可欠であることを疑わない。疑うのは、経験が概念の外部から、いわば無償で知識を供給できるという想定である。狙いは経験論の破壊ではなく、経験論を「所与」への依存から解き放つことにあった。ローティが後に述べたように、この論文の企図は分析哲学をヒューム的段階からカント的段階へと押し進めることであった。

所与の神話とは何か——基礎づけ主義への批判

所与の神話の構造を、セラーズは論文の初めのほうで一つの整合不可能な三つ組として明示する。感覚与件説は、次の三つの命題を同時に主張したがるが、任意の二つは残る一つの否定を含意する、というのである。

第一に、「Sが赤い感覚内容sを感覚する」ことは、「Sがsは赤いと非推論的に知る」ことを含意する。第二に、感覚内容を感覚する能力は習得されたものではない。第三に、「xはφである」という形の事実を知る能力は習得されたものである。第一と第二を認めれば第三が否定され、第一と第三を認めれば第二が否定される。感覚与件が知識の基礎たりうるのは、それが生得的な受容能力の産物でありながら同時に認識的な内容を持つ場合だけだが、この組み合わせは成り立たない。

この診断の核心は、「感覚すること(sensing)」と「知ること(knowing)」の混同にある。感覚与件説は、刺激に対して感覚状態が生じるという非認識的な事実と、何かが赤いと知るという認識的な事実とを、一つの語り方のうちに折り重ねてしまう。感覚が非認識的であるなら、それは何も正当化しない。逆に感覚が認識的であるなら、それはすでに概念を含み、習得された能力を前提しているのだから「所与」ではない。

セラーズはさらに、「〜のように見える(looks)」という語法の分析によって、この結論を補強する。感覚与件説は、「このネクタイは赤く見える」という現われの報告のほうが、「このネクタイは赤い」という事実の主張よりも認識的に安全であり、それゆえ前者が後者の基礎になると考える。セラーズはこの順序を逆転させる。「赤く見える」と語ることができるためには、すでに「赤い」という概念を習得していなければならない。しかも「見える」という語法は、単なる内的印象の記述ではなく、事実の主張を差し控えつつ行われる報告である。現われの言語は事実の言語に寄生しており、それに先立つことはできない。

観察報告についても同様の議論が働く。「これは緑だ」という報告が、単なる反応ではなく知識の表明であるためには、報告者は自分のその種の発話が緑の対象の存在の信頼できる指標であることを知っていなければならない。つまり観察知識は、それ自体、多くの一般的知識を背景として要求する。したがって「非推論的だから正当化を要しない」という基礎づけ主義の前提は崩れる。

ここから帰結するのは、知識の全体論的な像である。セラーズはこう書いた。経験的知識は、その洗練された延長である科学と同様に、基礎を持つがゆえに合理的なのではない。それが自己修正的な営みであり、いかなる主張をも——ただし一度にすべてではないが——危険にさらしうるがゆえに合理的なのである、と。ノイラートの船を思わせるこの定式は、基礎づけ主義に代わる知識像の簡潔な表明である。

理由の論理空間——知識の規範性

所与の神話批判の背後にあるのは、知識についての一つの根本的なテーゼである。セラーズはそれを、しばしば引用される次の一節で述べている。あるエピソードや状態を知識として特徴づけるとき、私たちはそのエピソードや状態を経験的に記述しているのではない。私たちはそれを、理由の論理空間、すなわち正当化し、自分の言うことを正当化しうるという空間のうちに位置づけているのだ、と。

この一文の含意は大きい。「知っている」という述語は、心的状態が持つ自然的な性質を指すのではない。何かを知っていると言うことは、その人がある主張に責任を負い、それを支える理由を提示する資格を持ち、他者の問いに応答する義務を引き受けている、と認定することである。知識の概念は記述的概念ではなく規範的概念なのだ。

ここでセラーズは明確にカントの側に立っている。認識は受容性だけでは成立せず、判断という自発的な働きを要する。概念なき直観は盲目である。彼はこのカント的洞察を、意識の分析ではなく言語的実践の分析として作り直した。理由の空間とは、心の内部にある構造ではなく、主張し、根拠を求め、根拠を与えるという社会的実践の構造なのである。

この規範性のテーゼは、自然主義との緊張を生む。セラーズは徹底した自然主義者であり、世界に存在するのは究極的には科学が記述する事物だと考えている。にもかかわらず、知識を語る言語は自然の記述に還元されない。彼はこの緊張を否定せず、二つの語り方の相違として引き受けた。理由の空間に位置づけるという営みは事実の記述とは別種の営みであり、それゆえ自然科学の語彙への翻訳を受け付けない。この論点は後に、マクダウェルにおける「理由の空間」と「自然の領域」の対比として引き継がれる。

ただし彼が提示するのは基礎づけ主義の否定であって、無条件の整合説ではない。観察報告は背景的知識を前提するとしても、なお知識の生成において特別な役割を果たす。拒まれるのは「独立した基礎」という観念であり、経験の役割そのものではない。

ジョーンズの神話——思考と感覚印象の理論的導入

「経験論と心の哲学」の最終部に置かれた思考実験は、セラーズの哲学的想像力が最もよく現れた箇所である。彼はそれを「ジョーンズの神話」あるいは「ライル的祖先の神話」と呼ぶ。

想像してみよう。ある共同体の言語は、公共的な事物と、人々の外的にふるまう行動だけを語ることができる。彼らは物について語り、互いの発話について語るが、思考や感覚といった「内的なもの」の語彙をいっさい持たない。ギルバート・ライルが『心の概念』で描いた行動主義的な世界に近いという意味で、セラーズは彼らを「ライル的祖先」と呼ぶ。

ここに天才ジョーンズが現れる。彼は、人々が言葉に出さずに問題を解決し、のちに答えを口にするという事実に注目し、外に現れる発話に類比的な内的エピソードが存在するという理論を立てる。この理論的エピソードが「思考」と名づけられる。重要なのは、思考が公然たる発話をモデルとして導入され、その同定が内観による出会いではなく理論的役割によってなされる点である。

ジョーンズはさらに第二の理論を立てる。人々は、対象が実際には赤くない場合にも「赤く見える」と語る。これを説明するために、彼は知覚に伴う内的状態——「感覚印象(sense impression)」——を仮定する。感覚印象もまた公共的な対象の性質との類比によって特徴づけられる。赤い対象を見るときに生じる印象は「赤の印象」と呼ばれるが、その印象自体が赤いのではない。赤い対象によって通常引き起こされるという役割によって同定される状態なのである。

物語の最後の転回が決定的である。ジョーンズの弟子たちは、やがて自分自身の思考や印象について、他人の行動から推論するのではなく直接に報告することを学ぶ。理論的に導入された概念が、非推論的な自己報告の役割を獲得するのだ。ここでセラーズは、内観の権威を否定するのではなくその由来を説明している。自分の心についての直接的な知識は、認識の出発点ではなく、間主観的な言語実践の内部で獲得された到達点なのである。

この神話が語っているのは、心的なものの理論的地位である。思考も感覚印象も実在するが、それらは私たちが最初に出会うものではない。認識の順序において先立つのは公共的な世界であり、私的な内面はそこから理論的に構成される。デカルト以来の順序は、まるごと逆転される。

心理的名辞論と機能主義の先駆

セラーズが自らの立場に与えた名は「心理的名辞論(psychological nominalism)」である。彼はそれを次のように定式化する。種類、類似性、事実といったものについての意識、要するに抽象的存在者についてのあらゆる意識、いや個物についての意識さえもが、言語的な事柄である、と。

このテーゼの帰結は徹底している。何かを「赤いもの」として意識することは、赤という普遍を心の目で捉えることでも、赤い感覚を所有することでもない。それは「赤」という語の使用規則を習得し、その語を適切な場面で用いうるという能力の行使である。概念の獲得は、抽象という心的操作ではなく言語共同体への参入なのだ。

この見方は、意味についての独自な理論に結びつく。セラーズによれば、「ドイツ語の rot は赤を意味する」という文は、rot という語と赤という存在者との関係を述べているのではない。ドイツ語の rot が、私たちの言語における「赤」と同じ機能的役割を果たしている、と述べる分類の文なのである。意味の言明は関係の記述ではなく機能による分類だ。彼はこの分類を明示するために「ドット引用」という記法まで導入した。

言語の使用を規定する規則を、彼は三種に分ける。知覚状況において観察文を発する「言語参入」、推論によってある文から別の文へ進む「言語内移動」、意図の表明から行為へ進む「言語退出」である。ある表現の意味とは、これら三種の移行のネットワークにおけるその位置にほかならない。

この構想が現代の心の哲学において占める位置は明白である。心的状態を、その内在的な性質によってではなく、入力・他の状態・出力との関係のうちで果たす役割によって同定する——これはまさに機能主義の中心思想である。ヒラリー・パトナムらによる機能主義の定式化に先立って、セラーズは心的概念が理論的・機能的に導入されるという構図をすでに描いていた。また推論的役割によって意味を捉える発想は、後にブランダムの推論主義的意味論として全面展開される。

「哲学と人間の科学的イメージ」——顕在的イメージと科学的イメージ

1962年に発表された「哲学と人間の科学的イメージ」は、セラーズのもう一つの代表作である。冒頭の一文はしばしば引かれる。哲学の目的とは、抽象的に定式化するならば、最も広い意味における事物が、最も広い意味においていかに連関しているかを理解することである、と。この定式は、専門分化した哲学に対する彼の抵抗を端的に示している。

彼が「人間の世界内存在についての二つのイメージ」と呼ぶものを、順に見よう。「顕在的イメージ(manifest image)」とは、人間が自分自身を人間として自覚するにいたった枠組みである。それは日常的な世界観であるが、単なる素朴な思い込みではない。セラーズによれば、それはさらに古い「原初的イメージ」——あらゆる事物が人格として捉えられる汎心論的な枠組み——を洗練し、非人格的な事物を人格から差し引くことで得られた、高度に彫琢された像である。ギリシア哲学以来の伝統的形而上学の大半は、このイメージの内部での作業だったと彼は言う。

顕在的イメージの中心にあるのは人格、すなわち意図を持ち、規範に従い、行為の理由を問われ、共同体の成員として互いに責任を負う存在者である。テーブルは色を持った連続的な固体であり、人は行為の主体である。その洗練の方法は「相関的帰納」——観察されうる事物のあいだの規則性を見いだすこと——であって、観察されない存在者を仮定することではない。

これに対して「科学的イメージ(scientific image)」を特徴づけるのは、まさにその仮定の方法である。理論的科学は、知覚されえない存在者——分子、原子、素粒子、場——を措定し、それによって知覚されうる事物のふるまいを説明する。この方法によって描かれる人間は、色も連続性も持たない微粒子の複合体である。

セラーズが強調するのは、この二つが単に粗い像と精密な像の関係にはないという点だ。両者は互いに競合する完結した世界像であり、その対立は精度の差ではなく存在論の差なのである。

両イメージの統合という課題

では二つのイメージはどう関係づけられるべきか。セラーズの答えは両義的に見えるが、彼自身の意図においては一貫している。

第一に、事物が何であるかを記述し説明するという次元においては、科学的イメージが優位に立つ。彼はこれを、プロタゴラスの命題をもじった有名な定式で述べる。記述し説明するという次元においては、科学が万物の尺度である。あるものについてはそれがあることの、ないものについてはそれがないことの尺度である、と。ラテン語で「スキエンティア・メンスーラ(scientia mensura)」と呼ばれるこの一節は、セラーズの科学的実在論の宣言である。顕在的イメージの対象は、記述的な意味では、最終的には実在しないものとして退けられる。

しかし第二に、顕在的イメージには科学が置き換えることのできない次元がある。それが人格と規範の次元である。意図、義務、理由、共同体といった概念は、事物を記述する語彙ではなく、私たちが互いに何を要求し何を認めるかを表現する語彙である。科学的イメージがどれほど完全になろうと、この次元が消えるわけではない。なぜなら、科学それ自体が理由を交わす実践として遂行されており、その実践を記述的に解消することはできないからである。

そこでセラーズが提案するのが、二つのイメージの「立体視的(stereoscopic)」な統合である。二つの目が捉えるわずかに異なる像が単一の奥行きある視覚を生むように、二つのイメージも一つの像へと融合されねばならない。その方法として彼が示すのは、顕在的イメージの記述的部分を科学的イメージへ吸収させたうえで、そこに「共同体と個人の意図の言語」を加えるという道である。統合は、規範を記述に還元するのではなく、記述の枠組みに規範の語彙を接ぎ木することによって果たされる。

この構想が成功しているかは、今日にいたるまで論争の的である。規範の語彙を「加える」とはいかなる操作なのか。それは還元なき共存にすぎないのではないか。この困難こそが、彼が後継者たちに残した最も生産的な遺産となった。

科学的実在論と規範性の両立

セラーズが直面した難問を、彼自身の例で見ておこう。「きめの問題(the grain problem)」と呼ばれるものである。ピンク色の氷の塊を見るとき、私はピンク色の均質な広がりを経験する。この経験の内容は、どこまで分割しても色を失わないという意味で「究極的に均質」である。ところが科学的イメージによれば、氷の塊は不連続な粒子の集まりであり、そこに均質な色の広がりは存在しない。ではその広がりはどこにあるのか。感覚経験の側にあると言うなら、感覚経験を担う脳もまた粒子の集まりなのだから、同じ問題が繰り返される。

セラーズはこの問題を軽視しなかった。彼の応答は、感覚的なもの(sensa)を、粒子的な存在者とは異なる「絶対的過程」として完成した科学的存在論のうちに組み入れるべきだ、という大胆なものである。感覚経験を消去するのでも非物理的なものとして分離するのでもなく、将来の科学の存在論そのものが改訂されるべきだと考えたのだ。この提案は多くの支持を得ていないが、彼が実在論をいかに真剣に受け取っていたかを示している。

規範性の側についても同じ姿勢が見られる。「べき」や「理由」の語彙が記述に還元されないことは、そこに非自然的な事実が存在することを意味しない。「私たちは……すべきである」という言明は、事実の記述ではなく、共同体の成員として共有された意図の表明なのだと彼は分析する。この立場は、後にブランダムやアラン・ギバードの表出主義的な議論に受け継がれた。こうしてセラーズの体系は二重の主張の上に立つ。存在するものについては科学が最終的な発言権を持つが、何を主張し何を認めるかという実践については科学の語彙は語りえない。この二重性を「矛盾」と見るか「洞察」と見るかによって、彼の後継者たちは分かれていく。

影響——ローティ、ブランダム、マクダウェルとピッツバーグ学派

セラーズの影響が可視化されたのは、彼の晩年からである。その最初の契機がリチャード・ローティの『哲学と自然の鏡』(1979)であった。ローティは、セラーズの所与の神話批判とクワインの分析/総合の区別の批判とを、認識論的基礎づけ主義を解体する二つの梃子として結合し、心を世界の鏡と見る近代哲学の像を「理由の空間」の議論によって突き崩す。ただし彼はセラーズの科学的実在論には従わず、規範的・実践的な側面だけを引き継いだ。

ローティはまた、セラーズ主義者を「左派」と「右派」に分ける分類を提案した。左派は所与の神話批判と知識の規範性という主題を重視して科学主義的な部分を切り離し、右派は科学こそ万物の尺度であるという主張を中核と見て心的なものの自然化を推し進める。ポール・チャーチランドの消去的唯物論——常識心理学は誤った理論であり神経科学に置き換えられるべきだとする立場——は、ピッツバーグでセラーズに学んだ者による右派的展開の代表例である。ルース・ミリカンやジェイ・ローゼンバーグの仕事もこの系譜に数えられる。

左派の側で最も体系的な展開を示したのがロバート・ブランダムである。『明示化すること』(1994)で彼が構築した推論主義は、意味を推論的役割によって規定し、言語実践を「主張し、根拠を求め、根拠を与える」ゲームとして——「理由を与え求めるゲーム」として——分析する。これはセラーズの言語規則論と理由の空間の主題を、規範的語用論として全面的に展開したものである。ブランダムは「経験論と心の哲学」の読解ガイドを著し、『経験論から表出主義へ』(2015)でセラーズ解釈を集成した。

ジョン・マクダウェルの『心と世界』(1994)は、別の角度からセラーズを継承する。彼は所与の神話批判を全面的に受け入れたうえで、経験が概念的でなければ知識を正当化できないという結論を徹底し、知覚経験そのものがすでに概念的内容を持つと主張した。他方でセラーズの科学主義を批判し、「理由の空間」に対置される「自然」を、法則的自然に限らない「第二の自然」として捉え直すことを提案する。『世界を視野に収める』(2009)は彼のセラーズ論を集めた書物である。

ブランダム、マクダウェル、ジョン・ホーグランドらがピッツバーグ大学に集ったことで、この系譜は「ピッツバーグ学派」あるいは「ピッツバーグのヘーゲル主義者たち」と呼ばれるようになった。カント的・ヘーゲル的な主題を分析哲学の道具によって扱うこの潮流は、20世紀末以降、大陸哲学との対話を可能にする回路ともなった。

結論

セラーズの哲学は、二つの否定と二つの肯定から成り立っている。否定されるのは、経験が概念の外部から知識の基礎を与えるという所与の神話と、内面が認識の出発点であるというデカルト的な順序である。肯定されるのは、知識が理由を与え求める規範的実践のうちに位置づけられることと、記述と説明の次元においては科学が最終的な尺度であることだ。

この四つを同時に主張しうるかは、なお開かれた問いである。左派の後継者たちは規範性を、右派の後継者たちは科学的実在論を強調し、その緊張は解消されていない。だがセラーズ自身にとって、両者は同じ一つの企図の両面であった。人間を自然の一部として理解し、しかも理由に応答する存在として理解すること。この二つを同時に果たすことが、彼の言う「事物がいかに連関しているか」を理解するという課題の内実だったのである。

彼が残した語彙——所与の神話、理由の論理空間、顕在的イメージと科学的イメージ——は、いまや専門用語というより、現代哲学が問題を立てるときの共通の座標軸となった。難解な文体ゆえに読者を選び続けてきたが、その問いは読者を選ばない。私たちはどのようにして概念を持つにいたるのか。科学が描く世界のなかに、人格の居場所はあるのか。半世紀以上前に立てられたこれらの問いは、今日なお現役である。

彼の議論の前提となる認識論の枠組みについては認識論入門を、彼が属した20世紀英語圏哲学の展開全体については分析哲学入門を、そして機能主義や心的表象をめぐる論点については心の哲学入門を参照されたい。