ヒラリー・パトナム——意味の外在主義と実在論の変遷

はじめに:立場を変え続けた哲学者という美徳

ヒラリー・パトナム(Hilary Putnam, 1926-2016)ほど、自らの過去の立場を公然と批判し続けた哲学者は珍しい。心の哲学における機能主義を創始しながら後にそれを放棄し、科学的実在論の旗手でありながら形而上学的実在論を批判に転じ、その批判の帰結である内在的実在論すら晩年には修正した。この変遷は、しばしば「パトナムは数年ごとに立場を変える」という揶揄の対象となった。しかし本人は、より良い論証に出会ったときに考えを改めることこそ知的誠実さの証であるとして、この批判を意に介さなかった。

実際、パトナムの「転向」はいずれも気まぐれではなく、自らが打ち立てた理論の最も鋭い批判者が自分自身であったことの帰結である。機能主義への反論には、彼自身が開発した意味の外在主義が用いられ、形而上学的実在論への反論には、彼が精通する数理論理学のモデル理論が用いられた。自分の理論の弱点を誰よりも深く理解していたからこそ、彼は誰よりも早くそれを乗り越えようとしたのである。哲学を完成した体系ではなく終わりなき探究とみなすこの姿勢は、彼が晩年に傾倒したプラグマティズムの精神そのものであった。

本稿では、パトナムの生涯をたどったうえで、機能主義の創始と自己批判、双子地球の思考実験と意味の外在主義、形而上学的実在論から内在的実在論への転回、「水槽の中の脳」論証、事実と価値の二分法批判、そして晩年の思想と数学の哲学への貢献を順に検討する。20世紀後半の分析哲学のほぼすべての主要分野を横断したその足跡は、そのまま現代哲学の見取り図となるはずである。

生涯——数理論理学から政治活動、そしてユダヤ思想へ

パトナムは1926年、シカゴに生まれた。父サミュエル・パトナムはロマンス語文学の翻訳家・著述家であり、共産主義に共鳴する世俗的ユダヤ人であった。一家は幼少期をフランスで過ごした後、フィラデルフィアに移り、ヒラリーはペンシルヴェニア大学で数学と哲学を学んだ。ハーヴァード大学院を経てカリフォルニア大学ロサンゼルス校に移り、1951年、論理経験主義の大物ハンス・ライヘンバッハの指導のもと、確率概念に関する論文で博士号を取得した。師の論理経験主義をやがて批判することになるとはいえ、科学と論理学への徹底した習熟という出発点は、生涯にわたり彼の哲学の骨格をなした。

ノースウェスタン大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学で教えた後、1965年にハーヴァード大学に移り、以後退職までこの地で教鞭を執った。数学者としての業績も第一級であり、マーティン・デイヴィスらと共同で開発した充足可能性判定の手続きは今日「DPLLアルゴリズム」の名で計算機科学の基礎となっており、またヒルベルトの第10問題の否定的解決(ディオファントス方程式の可解性を判定する一般的算法は存在しないという証明)に至る研究に、デイヴィス、ジュリア・ロビンソンとともに決定的な貢献をなした。

1960年代後半のパトナムは、ヴェトナム戦争への反対運動に深く関与し、一時は急進的な政治組織で活動する闘士でもあった。1970年代にこの立場から離れた後は、政治的関心を保ちつつも学問に軸足を戻す。晩年には世俗的な家庭に育った自らのユダヤ教的伝統に回帰し、宗教的実践を再開するとともに、ローゼンツヴァイク、ブーバー、レヴィナスらのユダヤ思想を哲学的に論じた。哲学者ルース・アンナ・パトナムは公私にわたる伴侶であり、プラグマティズム研究における共同作業者でもあった。2016年、89歳で死去。死の直前まで、ブログや論文で現役の哲学者として発言し続けた。

心の哲学における機能主義の創始

1960年前後のパトナムが心の哲学に導入した機能主義は、20世紀後半の心の哲学と認知科学の標準的枠組みとなった学説である。当時の有力な立場は、心的状態を脳の物理的状態と同一視する心脳同一説であった。痛みとはC繊維の発火である、というように、心的状態のタイプを神経状態のタイプと同一視するこの学説に対し、パトナムは「心的状態と機械状態」(1960)に始まる一連の論文で別の描像を提示する。心的状態の本質は、それがどんな素材で実現されているかではなく、それが入力・出力・他の内的状態との間で果たす機能的役割にある、という描像である。チューリング機械の状態が、真空管でもトランジスタでも実現されうるのと同じように、心もまたその「ハードウェア」から独立に、機能的組織のレベルで記述されうるのではないか。

この立場の決定的な論拠が、「心理学的述語」(1967、後に「心的状態の本性」と改題)で定式化された多重実現可能性の論証である。痛みを感じるのは人間だけではない。タコのような、人間とはまったく異なる神経構造を持つ生物も痛みを感じると考えるのが自然である。もし痛みが特定の脳状態と同一なら、人間とタコに共通の脳状態がなければならないが、そのような状態が見つかる見込みは薄い。したがって、痛みというタイプは特定の物理的タイプとは同一視できず、多様な物理的基盤の上に「多重に実現」される機能的状態と考えるべきである。この論証は心脳同一説に対する最も強力な反論として受け入れられ、機能主義は、心を一種の計算システムとみなす認知科学の哲学的基盤となった。

機能主義の自己批判

しかし、機能主義の創始者は、やがてその最も手強い批判者となる。『表象と実在』(1988)においてパトナムは、心的状態を計算状態と同一視する自らのかつての立場——計算主義的機能主義——を正面から批判した。その論拠の一つは、皮肉なことに、彼自身が同一説を批判するために用いた多重実現可能性の論証の応用である。同じ信念や欲求といった内容を持つ心的状態は、無数に異なる計算状態によって実現されうるし、逆に同じ計算状態が文脈に応じて異なる内容を担いうる。命題的態度は計算的にも多重実現されるのであり、それゆえ心的状態のタイプを計算状態のタイプと同一視することはできない。

もう一つの論拠は、次節以降で見る意味の外在主義である。心的内容が頭の外の環境や言語共同体に依存するのであれば、頭の中の計算的組織だけを見ても内容は確定しない。脳というコンピュータの内部状態をどれほど精密に記述しても、その状態が何についての思考であるかは決まらないのである。自らの二つの偉大な発明——機能主義と外在主義——が衝突したとき、パトナムは前者を手放した。この自己批判は、機能主義が今日なお心の哲学の有力な選択肢であり続けているだけに、創始者自身による内在的批判として重い意味を持っている。

双子地球の思考実験——「意味は頭の中にはない」

パトナムの名を最も広く知らしめたのは、論文「『意味』の意味」(1975)で提示された双子地球の思考実験である。地球とあらゆる点でそっくりな惑星「双子地球」を想像しよう。ただ一点、双子地球で「水」と呼ばれ、川や海を満たし、無色透明で喉の渇きを癒すあの液体は、H2Oではなく、まったく異なる化学組成XYZを持つとする。1750年、つまり化学が水の組成を解明する以前の時点で、地球のオスカーと双子地球の双子オスカーは、分子構造まで含めて同じ状態にあり、「水」についてまったく同じ信念を持ち、心理状態は完全に一致している。それでも、オスカーの「水」という語はH2Oを指示し、双子オスカーの「水」はXYZを指示する。二人の語の意味(外延)は異なるのである。

この思考実験が示すのは、話者の心理状態が語の外延を決定しないということである。伝統的な意味論は、語の意味を把握することは一種の心理状態であり、かつ意味が外延を決定する、という二つの前提を置いてきた。双子地球はこの二つが両立しないことを示す。パトナムの結論は簡潔な標語に凝縮されている——「意味はまさに頭の中にはないのだ(meanings just ain't in the head)」。「水」のような自然種名辞の外延は、話者の内的状態によってではなく、話者を取り巻く環境そのもの——実際にその液体が何であるか——によって部分的に決定されるのである。

パトナムはさらに、意味の社会的次元を「言語的分業」として定式化した。彼自身の挙げる例によれば、彼は「ニレ」と「ブナ」を見分けることができず、両者について同じ概念しか持っていない。それでも彼の「ニレ」という語はニレを、「ブナ」という語はブナを正しく指示する。それが可能なのは、言語共同体の中に両者を識別できる専門家がおり、一般話者の語の指示が専門家の判別能力に依存する形で社会的に支えられているからである。意味は個人の頭の中ではなく、環境と社会に広がる関係の網の目の中にある——これが意味の外在主義の核心である。

意味の外在主義と指示の因果説

双子地球の議論は、同時期にソール・クリプキが『名指しと必然性』で展開した反記述説的な指示の理論と合流し、しばしば「クリプキ=パトナムの指示の因果説」と総称される潮流を形成した。伝統的な記述説では、語はそれに結びついた記述の束を満たすものを指示する。これに対し因果説では、名前や自然種名辞は、最初の命名の場面でサンプルに付けられ、その後の使用の因果的連鎖を通じて受け継がれることで指示を保つ。「水」という語は、「無色透明で喉の渇きを癒す液体」という記述によってではなく、現実の水のサンプルとの因果的・歴史的つながりによって水を指示するのである。

この理論から重要な帰結が導かれる。「水はH2Oである」という命題は、経験的探究によって発見されたものでありながら、いったん真であるとわかれば必然的に真である。水であるとはH2Oであることにほかならないから、XYZは、どれほど水に似ていても水ではない。ここに「アポステリオリな必然的真理」という、カント以来の哲学の常識——必然的真理はアプリオリに知られる——を覆すカテゴリーが確立された。自然種の本質は実験室で発見される、という科学的本質主義の描像である。

意味の外在主義はまた、心の哲学に深遠な帰結をもたらした。思考の内容が語の意味と同様に環境依存的であるなら、心そのものが「頭の中」に閉じていないことになる。この洞察は、タイラー・バージによる社会的外在主義への拡張を経て、心的内容をめぐる現代の論争——広い内容と狭い内容、自己知識と外在主義の両立可能性、さらには「拡張された心」の仮説——の出発点となった。20世紀哲学において、一つの思考実験がこれほど広範な影響を及ぼした例は少ない。

形而上学的実在論とその放棄

1960年代から70年代前半のパトナムは、科学的実在論の代表的擁護者であった。成熟した科学の理論が近似的に真であり、その理論的用語が実在を指示していると考えなければ、科学の成功は奇跡になってしまう——この「奇跡なし論法」は、今日でも科学的実在論の標準的な論拠として教科書に引かれる。指示の因果説も、理論が変化しても用語の指示は保たれるとすることで、科学の連続性と実在論を支える装置であった。

しかし1976年、アメリカ哲学会東部部会の会長講演「実在論と理性」において、パトナムは聴衆を驚かせる転回を宣言する。彼が放棄したのは、彼自身が「形而上学的実在論」と呼ぶ立場——世界は心から独立した対象の確定した総体からなり、世界のあり方についてはただ一つの真で完全な記述が存在し、真理とは言葉と外的事物との対応である、という三位一体の描像——であった。この描像は、世界を外から眺める「神の眼の視点」を前提するが、そのような視点は誰のものでもありえない、というのが批判の核心である。

この転回を支える技術的な柱が、「モデルと実在」(1980)などで展開されたモデル論的論証である。数理論理学の定理によれば、理論がどれほど理想的に整備され、観察的制約と理論的制約をすべて満たしたとしても、その理論を真にする解釈(モデル)は一通りには定まらず、互いに異質な無数の解釈が存在しうる。つまり、理論の側のいかなる条件も、言葉と世界の対応関係を一意に固定できない。それでも「意図された対応」がただ一つ定まっていると主張するなら、言葉と対象を魔法のように結びつける力を想定するほかないが、それは指示についてのオカルト的理論である。ゆえに、心から独立した世界との一意的な対応として真理を捉える形而上学的実在論は破綻する、とパトナムは論じた。この論証の妥当性をめぐっては、ルイスやデイヴィッドソンらを巻き込む大論争が起こり、その評価は今日なお定まっていない。

内在的実在論への転回

形而上学的実在論を放棄したパトナムが『理性・真理・歴史』(1981)で提示した代替の立場が、内在的実在論である。この立場によれば、「世界はどんな対象からなるか」という問いは、特定の概念枠組みの内部でのみ意味をなす。パトナムの好んだ例を挙げよう。三つの個体x1、x2、x3がある世界に、対象はいくつあるか。常識的な数え方なら三つだが、任意の部分の和も対象と認めるメレオロジーの枠組みなら七つである。どちらが「本当の」対象の数かという問いに、枠組みから独立した答えはない。これが「概念相対性」の主張である。ただしこれは、何でも言い放題の相対主義ではない。枠組みを選んだ後で何が真であるかは、私たちの都合では決まらない。実在論的な制約は枠組みの内部で厳然と働くのである。

真理についても、パトナムは対応説に代えて、認識的な真理観を提示した。真理とは、理想化された認識条件のもとでの合理的受容可能性である——つまり、認識的に十分よい条件で正当化されるであろうことと真理は切り離せない、という見方である。これは、真理を現実の多数派の意見や現在の検証に還元するものではなく(その点で素朴な検証主義とは異なる)、しかし真理を人間の認識能力といかなる関係も持たない超越的な性質とみなすことも拒む。パトナム自身、この立場をカントの経験的実在論の継承として位置づけ、内在的実在論とは「人間の顔をした実在論」であると述べている。

もっとも、内在的実在論もまた、彼の最終的な立場とはならなかった。理想的な認識条件という概念の不明瞭さ、検証主義への接近が招く困難を自ら認め、1990年代のパトナムはこの立場をも修正していくことになる。その行方は後述する。

「水槽の中の脳」論証

『理性・真理・歴史』の冒頭を飾るのが、現代哲学で最も有名な思考実験の一つ、「水槽の中の脳」である。あなたの脳が邪悪な科学者によって身体から取り出され、培養液の水槽に浮かべられ、スーパーコンピュータに接続されて、通常の生活とまったく区別のつかない経験を電気刺激によって与えられているとしよう。あなたには、自分がこの状況にないことを知りえないように思われる。これはデカルトの欺く霊の現代版であり、外界についての知識全般を脅かす懐疑論のシナリオである。

パトナムの独創は、このシナリオを認識論の道具としてではなく、意味論によって自壊させる標的として扱った点にある。論証の鍵は意味の外在主義である。語が何かを指示するためには、指示対象との適切な因果的接触が必要である。生まれてからずっと水槽の中にいる脳が使う「水槽」という語は、本物の水槽と適切な因果関係を持たず、せいぜい電気刺激が生み出すイメージとしての水槽、あるいはその刺激のパターンを指示するにすぎない。すると、水槽の中の脳が「私は水槽の中の脳である」と考えるとき、その文が意味するのは「私はイメージの中の水槽の中の脳である」といったことであり、これは偽である(脳は本物の水槽の中にいるのであって、イメージの中の水槽にいるのではない)。他方、水槽の外にいる者がこの文を考えるなら、それは端的に偽である。したがって、「私は水槽の中の脳である」という想定は、誰が考えても偽になる自己論駁的な想定なのである。

この論証が懐疑論を最終的に論駁できているかについては、膨大な議論がある。懐疑論者は、最近水槽に入れられたばかりの脳というシナリオに退避できるかもしれないし、論証が示すのは「その文を真として考えることができない」ことだけで、「その状況にないこと」ではないという批判もある。しかし、この論証の眼目は、懐疑論のシナリオが前提する「心と世界の完全な分離」そのものが、意味の成立条件と両立しないことを示す点にある。意味が世界との接触に依存するなら、世界から完全に切り離された思考というデカルト的な想定は、そもそも首尾一貫して語りえないのである。

事実と価値の二分法の崩壊

パトナムの批判精神は、分析哲学が長く自明視してきた事実と価値の二分法にも向けられた。論理実証主義は、検証可能な事実の言明と、検証不可能な価値の表出とを峻別し、後者を認識的内容を欠くものとみなした。この構図は哲学の外にも浸透し、「事実については科学が語り、価値については各人の主観が決める」という通俗的な世界観を形づくっている。『事実/価値二分法の崩壊』(2002)に集成された議論において、パトナムはこの二分法が哲学的に維持不可能であることを論じた。

第一の論拠は、「厚い倫理的概念」の存在である。「残酷」「勇敢」「無神経」といった概念は、記述と評価が分かちがたく絡み合っており、ある行為を「残酷」と記述することは、事実を述べることであると同時に評価を下すことでもある。この概念を、純粋に記述的な成分と純粋に評価的な成分とに分解しようとする試みは成功しない。評価的な観点を共有しない者には、「残酷」という概念をどんな新しい事例に適用すべきかすら判別できないからである。事実と価値は、言語の根本のレベルで「絡み合って」いるのである。

第二の論拠は、科学そのものが価値を前提するという指摘である。理論の選択は、整合性、単純性、説明力といった認識的価値に導かれており、これらの価値なしには「事実」の確定そのものが不可能である。事実の探究が価値から自由でありえない以上、価値判断一般を非認識的として排除する二分法は、科学の実践によってすでに裏切られている。この議論は、規範倫理学の復権と呼応しつつ、アマルティア・センの厚生経済学批判にも影響を与えた。パトナムにとってこれは、倫理的判断が客観性を持ちうること、そして客観性は「神の眼の視点」を要求しないことの、もう一つの証明であった。

晩年——自然な実在論・プラグマティズム・ユダヤ思想

1994年のデューイ講義「感覚と非感覚を伴う心」において、パトナムは内在的実在論からのさらなる転回を表明した。晩年の彼が「自然な実在論」あるいは常識的実在論と呼ぶ立場である。『三重の紐——心・身体・世界』(1999)で展開されたこの立場の核心は、知覚の理解の転換にある。内在的実在論を含む近代認識論は、心が世界と直接触れ合うことはなく、感覚与件やそれに類する内的な「インターフェース」を介してのみ世界に関わる、という描像を暗黙に前提してきた。パトナムはこの前提こそが、実在論と反実在論が果てしなく振動する近代哲学の病の根源であるとみなし、知覚とは内的表象の受容ではなく、世界そのものとの直接的な交渉であるとする素朴実在論の復権を説いた。ウィリアム・ジェイムズの自然な実在論、そしてウィトゲンシュタインとオースティンの診断的方法が、この転回の導きの糸であった。

この時期のパトナムの哲学的支柱となったのがプラグマティズムである。妻ルース・アンナとの共同研究を通じて、彼はジェイムズとデューイの再読を進め、可謬主義と実在論の両立、探究における価値の遍在、哲学と生の結びつきといったプラグマティズムの遺産を、分析哲学の中に取り戻そうとした。真理を探究から切り離された対応とみなす形而上学と、真理概念そのものを放棄するローティ流の相対主義との間に第三の道を求める晩年の歩みは、パースからジェイムズ、デューイへと続く系譜の現代における継承であった。

さらに晩年のパトナムは、自らのユダヤ的伝統への回帰を哲学的省察として結実させた。『導きとしてのユダヤ哲学』(2008)では、ローゼンツヴァイク、ブーバー、レヴィナス、そしてウィトゲンシュタインを論じながら、宗教的な生の形式が持つ意味を、教義の真偽の問題に還元することなく考察している。論理学から出発した分析哲学者が、宗教的実存の問いに正面から向き合うに至ったこの軌跡は、哲学を生き方として捉える彼の一貫した姿勢の帰結と言えるだろう。

数学の哲学への貢献——不可欠性論法

パトナムは数学の哲学においても、今日の論争の枠組みを規定する貢献を残した。その代表が、クワインとともに定式化したとされる不可欠性論法である。『論理の哲学』(1971)などで示されたこの論法の骨子はこうである。数学は、物理学をはじめとする最良の科学理論の定式化にとって不可欠である。私たちは最良の科学理論が量化する対象の存在を受け入れるべきである(存在論的コミットメントについてのクワインの基準)。ゆえに、数や集合や関数といった数学的対象の存在を受け入れるべきである。数学的対象という抽象的存在者を、神秘的な直観によってではなく、科学の実践への貢献によって正当化するこの論法は、現代のプラトニズム(数学的実在論)の最も有力な論拠となり、フィールドの唯名論的応答をはじめとする膨大な批判と防御の文献を生み出した。

もっともパトナム自身の数学的実在論は、対象の存在よりも数学的真理の客観性に力点を置くものであり、後には、数学は対象の存在にコミットしない様相的な言い換えが可能であるとする「様相構造主義」的な見方を示すなど、ここでも彼の思索は一つの定式に安住しなかった。また「哲学者としてではなく数学者として」の業績——DPLLアルゴリズムとヒルベルト第10問題への貢献——が、数学の哲学における彼の発言に比類ない実質を与えていたことも忘れてはならない。数学の実践を知り抜いた者として、彼は数学を検証主義的に矮小化することにも、素朴なプラトニズムで神秘化することにも、等しく抵抗したのである。

結論

パトナムの哲学的遍歴を貫くものは何か。それは、一切の「神の眼の視点」の拒否と、それでもなお客観性と実在論を手放さないという二重の決意である。意味の外在主義は、意味と心が世界に開かれていることを示し、内在的実在論と概念相対性は、客観性が絶対的視点を要求しないことを示し、事実と価値の絡み合いは、価値の領域にも客観性が及ぶことを示し、晩年の自然な実在論は、心と世界の間にインターフェースを立てる近代認識論の前提そのものを解体した。立場は変われど、人間的な視点の内部で実在との接触を確保するという課題は、終始一貫していたのである。

その意味で、パトナムの度重なる転向は弱さではなく方法であった。哲学の進歩は、一人の哲学者が体系を完成させることによってではなく、探究の共同体が誤りを見つけては修正する終わりなき過程によって達成される——この可謬主義の信念を、彼は自らの知的生涯そのものによって演じてみせた。機能主義、双子地球、モデル論的論証、水槽の中の脳、不可欠性論法。彼が生み出した道具立てのほとんどが、彼自身の手を離れて現代哲学の共有財産となり、今日も論争の中心にあり続けていることが、その探究の豊かさを何よりも雄弁に物語っている。

パトナムの思想は、論理実証主義批判と全体論において師と仰いだクワイン、指示の因果説をともに切り開いたソール・クリプキと深く交差している。分析哲学全体の中での位置づけについては分析哲学入門を参照されたい。