ポール・リクール——解釈学と物語的自己の哲学

はじめに:20世紀フランス哲学のもう一つの系譜

20世紀フランス哲学と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、サルトルの実存主義、レヴィ=ストロースの構造主義、フーコーやデリダのポスト構造主義であろう。華々しい流行の交代劇として描かれるこの見取り図の傍らに、もう一つの系譜が静かに流れ続けていた。現象学の遺産を解釈学へと接ぎ木し、構造主義とも精神分析とも分析哲学とも粘り強く対話し続けた哲学者——ポール・リクール(Paul Ricoeur, 1913-2005)である。

リクールの哲学は一つのスローガンには還元できない。意志の現象学から出発し、悪の象徴論、フロイト論、隠喩論、物語論、自己論、記憶論へと、その関心は生涯にわたって移動し続けた。この多様な行程を貫くのは、人間の自己理解は直接的な自己直観によっては達成されず、文化が生み出した記号・象徴・テクストという「迂回路」を経由しなければならないという確信である。デカルト以来のコギトの直接的明証性に対して、リクールは解釈という長い回り道を対置した。自己は与えられるのではなく、解釈を通じて獲得されるのである。

この「長い迂回路」の哲学は、対立する立場を性急に裁断せず、それぞれの正当な射程を見定めたうえで媒介するという、リクール特有の思考のスタイルを生んだ。現象学と構造主義、説明と理解、同一性と他性——リクールはこれらの対立項のあいだに立ち、その葛藤そのものを思考の生産的な場として引き受けた。本稿では、この媒介の哲学者の生涯と思想を、初期の意志の哲学から晩年の記憶と赦しの思索まで順にたどる。

生涯——捕虜収容所からシカゴまで

ポール・リクールは1913年、南フランスのヴァランスに生まれた。生後まもなく母を失い、父も1915年に第一次世界大戦で戦死したため、リクールは戦争孤児としてレンヌの祖父母と叔母のもとで育てられた。敬虔なプロテスタントの家庭環境は、カトリックが多数を占めるフランスにおいて彼に一種の少数派意識を与えるとともに、生涯にわたる聖書テクストへの関心を育んだ。レンヌ大学で哲学を学んだ後、パリで哲学教授資格(アグレガシオン)を取得し、この時期にガブリエル・マルセルの金曜の集いに参加して実存的思索の手ほどきを受け、フッサールの現象学に出会っている。

1939年、第二次世界大戦の勃発とともに将校として動員されたリクールは、1940年のフランス敗北に際して捕虜となり、以後5年間をポメラニアの捕虜収容所で過ごした。この収容所生活は、しかし知的不毛の時間ではなかった。収容所には多くの知識人が集められており、リクールはミケル・デュフレンヌらと読書と講義の共同体を組織し、フッサールの『イデーン』第1巻の余白にドイツ語からの翻訳を書き込んでいった。この翻訳は1950年に出版され、フランスにおけるフッサール受容の基礎文献となる。極限的な受動性の経験のただなかで現象学の精密な読解に没頭した歳月は、有限性と受苦を主題とする彼の哲学の実存的背景をなしている。

戦後のリクールは、ストラスブール大学教授(1948年)を経て、1956年にソルボンヌの教授となった。しかし大教室での一方向的な講義を強いる制度に飽き足らず、1966年、教員と学生の対話を重視する新設のナンテール大学(パリ第10大学)へ自ら移籍する。1969年には同大学の学長に選出されたが、これは苦難の始まりであった。五月革命以後も続く学生運動の混乱のなかで、対話による大学改革を目指した彼の努力は左右双方から挟撃され、1970年、キャンパスへの警察力の導入を余儀なくされた末に学長職を辞任する。ゴミ箱を頭にかぶせられる屈辱的な事件まで経験したこの時期は、生涯で最も苦い挫折であった。

失意のリクールを迎えたのは外国の大学であった。ルーヴァン大学を経て、1970年からはシカゴ大学で、かつてパウル・ティリッヒが占めていた哲学的神学の講座を引き継ぎ、以後20年以上フランスとアメリカを往復する研究生活を送る。この米仏往復は英米分析哲学との対話という成果を生み、『時間と物語』や『他者のような自己自身』にその痕跡が深く刻まれている。長く構造主義の流行の陰で不遇であったが、1980年代以降その仕事は再評価され、晩年には20世紀を代表する哲学者の一人としての名声を確立した。2005年、死去。最晩年まで執筆を続けた生涯であった。

意志の哲学から出発——現象学的側面

リクールの学問的出発点は、意志の現象学である。1950年の国家博士論文『意志的なものと非意志的なもの』は、フッサールの記述的方法を、知覚や判断といった理論的意識から意志という実践的次元へと拡張する試みであった。リクールはここで、決意し、行動し、同意するという意志の三つの契機を記述しながら、意志的なものが常に非意志的なもの——動機となる欲求、身体の能力、性格・無意識・生命という必然——と絡み合っていることを示す。純粋に自律的な意志は抽象であり、具体的な人間の意志は、自ら選んだのではない身体と状況に「受肉」した意志なのである。

この分析の到達点は「同意」の概念にある。性格、無意識、生まれという非意志的な必然は、私が選んだものではないが、それを拒絶して生きることもできない。自由は必然を消去することによってではなく、必然を引き受け、それに同意することによってのみ人間的な自由でありうる。ここには、サルトルの絶対的自由の哲学に対する明確な対抗が読み取れる。リクールにとって人間の自由とは、有限性に条件づけられた「ただ人間的なだけの自由」なのである。

続編として1960年に刊行された『有限性と有罪性』において、リクールは方法上の重要な転回を遂げる。第1部『過ちやすき人間』は、人間が悪を犯しうることの構造的条件——有限と無限のあいだの不均衡としての人間——を反省哲学の手法で分析した。しかし、可能性としての「過ちやすさ」から現実の「悪」への移行そのものは、概念的分析では捉えられない。悪の現実は、それを告白してきた人類の言語、すなわち象徴と神話のうちにしか与えられていない。かくして第2部『悪のシンボリズム』において、リクールの哲学は象徴の解釈学へと踏み出す。純粋記述としての現象学から解釈学へのこの転回こそ、全行程を決定づけた一歩であった。

悪の象徴論——象徴は思考を与える

『悪のシンボリズム』が扱うのは、悪の経験を語り伝えてきた原初的な言語である。リクールによれば、悪の告白は最初から象徴的な言語で行われてきた。染みや汚れとしての「穢れ」、神との関係の破れとしての「罪」、内面化された重荷としての「咎(とが)」。これらの第一次象徴の上に、アダム神話、悲劇神話、混沌からの創造神話、追放された魂の神話といった第二次の象徴としての神話が築かれ、悪の起源と終末についての物語的な了解が形成されてきた。哲学が悪について思考しようとするなら、この象徴の遺産を迂回しなければならない。悪は直接的な概念化を拒む経験であり、象徴によってしか語られてこなかったからである。

ここで象徴とは、第一次的・文字通りの意味を通じて、それによってしか与えられない第二次的な意味を指し示す二重意味の表現である。「穢れ」という物理的な染みの表象は、それを通じて、罪責という捉えがたい実存的経験を意味する。象徴は恣意的な記号ではなく、意味の余剰を蔵した言語であり、だからこそ解釈を要求し、また解釈に汲み尽くされない。

この書物の結論に置かれた格率「象徴は思考を与える(le symbole donne à penser)」は、リクール解釈学の綱領となった。この定式は二重の主張を含む。一方で、象徴は思考に先立って意味を「与える」。哲学は無前提に自己自身から始めることはできず、言語と文化のうちにすでに沈殿している意味の贈与から出発するほかない。しかし他方で、象徴が与えるのは「思考すべきもの」である。哲学は象徴の反復に留まってはならず、象徴から出発して概念的な思考を展開しなければならない。素朴な直接的信念が批判によって失われた近代以後、私たちはもはや象徴を最初の素朴さで生きることはできない。しかし解釈を通じて、批判を経由した「第二の素朴さ」において、象徴が指し示すものを再び聴き取ることはできる。「批判の砂漠を越えて、私たちは再び呼びかけられることを望む」——この言葉は、批判と信の緊張を生き抜こうとするリクールの哲学的姿勢を凝縮している。

疑いの解釈学——マルクス・ニーチェ・フロイト

象徴の解釈学は、しかし重大な挑戦に直面する。意識が象徴のうちに読み取る意味は、そもそも信用できるのか。1965年の大著『解釈について——フロイト試論』において、リクールはこの問いを正面から引き受け、解釈学の内部に走る根本的な亀裂を定式化した。すなわち、意味の回復を目指す解釈学と、意味の還元・脱神秘化を目指す解釈学の対立である。前者は、宗教現象学のように、象徴に託された聖なるものからの呼びかけを信頼し、それを聴き取ろうとする。後者は、意識の直接的な意味了解をまず欺瞞として疑い、その背後に隠された真の生成過程を暴こうとする。

この後者の系譜をリクールは「疑いの学派」と呼び、マルクス、ニーチェ、フロイトをその三人の巨匠として挙げた。共通するのは、意識を虚偽意識とみなす方法的決断である。マルクスにとって意識の表象はイデオロギーであり、真実は経済的な生産関係にある。ニーチェにとって道徳的価値の背後には力への意志の系譜が隠れている。フロイトにとって意識の語る意味は無意識の欲望の偽装である。三者はいずれもデカルト的な明証性への信頼を打ち砕き、意味の解読を、偽装のメカニズムを逆にたどる「暗号解読」として遂行した。この三者を並べて論じた「疑いの解釈学」という概念は、その後の思想史記述の定番となり、リクールの用語のなかで最も広く流通したものとなっている。

重要なのは、リクールが疑いの解釈学を敵として退けるのではなく、自己理解の不可欠の契機として受け入れたことである。精神分析は意識のコギトに対する「傷」であるが、この傷は治癒されるべき誤謬ではなく、通過されるべき試練である。直接的な自己意識は幻想でありうるからこそ、真の自己理解は、意識の背後にある欲望の経済についての「考古学」を経由しなければならない。しかしリクールは同時に、フロイトの考古学に対して、意味が前方の目標に向かって形成されていく「目的論」——ヘーゲル『精神現象学』が範例となる——を対置し、意味形成は起源への退行的分析と目標への前進的総合の両方を要求すると論じた。象徴とは、この考古学と目的論が交差する場所である。信頼の解釈学と疑いの解釈学は、自己理解という同じ課題の二つの局面として統合されるのである。

『解釈の葛藤』——構造主義との対話

1960年代のフランス思想界を席巻したのは構造主義であった。レヴィ=ストロースの構造人類学は、神話を主体の意味経験からではなく、要素間の差異と変換の無時間的な体系として分析し、「意味とは何か」ではなく「意味はいかに機能するか」を問うた。主体の哲学の伝統に立つ者の多くが構造主義を全面拒否し、あるいは逆に構造主義が哲学的主体の死を宣告するなかで、リクールの取った態度は独特である。1969年の論文集『解釈の葛藤』に収められた諸論考、とりわけ「構造と解釈学」において、彼は構造主義の科学的成果を正当に承認したうえで、その哲学的一般化を批判するという道を選んだ。

リクールの議論の要点はこうである。言語を差異の閉じた体系として扱う構造分析は、記号学のレベルでは完全に正当であり、強力な「説明」の装置である。しかし言語の本質は体系そのものにはなく、誰かが誰かに何ごとかについて語るという「言述(ディスクール)」の出来事にある。ソシュールのラング/パロールの区別で言えば、構造主義はラングの科学であるが、意味が現実へと向かい、世界を指し示すのはパロールの次元、文のレベルにおいてである。構造分析は意味の理解を深める不可欠の客観的な媒介であるが、それ自身で完結するのではなく、テクストが開く意味の世界を我がものとする解釈の運動のうちに位置づけられなければならない。「説明」と「理解」は、ディルタイが考えたような二者択一ではなく、解釈という一つの弧の二つの局面なのである——説明を多く経由するほど、理解は深まる。

『解釈の葛藤』という書名自体が、リクールの方法を象徴している。現象学、精神分析、構造主義、宗教哲学——それぞれの解釈の様式は固有の正当性を持ちながら互いに衝突する。リクールはこの葛藤を解消する上位の体系を性急に構築するのではなく、諸解釈をその妥当領域において承認し対話させ、緊張のなかから自己理解の豊かさを引き出そうとする。またこの時期に彼は、解釈学の対象を象徴から「テクスト」一般へと拡大した。書かれたテクストは、著者の意図からも最初の聴き手からも指示の直接的状況からも自律する。解釈の課題は、テクストの背後の著者の心理を復元することではなく、テクストの「前方」に開かれる世界、テクストが提案する存在の可能性を展開することにある。この「テクストの世界」の概念は、ガダマーの地平融合の思想と呼応しつつ、後の物語論への橋渡しとなった。

生きた隠喩——隠喩の意味創造

1975年の『生きた隠喩』は、リクールの言語哲学の頂点をなす著作である。伝統的な修辞学において、隠喩は一つの語を類似性に基づいて別の語で置き換える「転義」、すなわち装飾的な逸脱として扱われてきた。この代置理論によれば、隠喩は常に本来の表現に翻訳可能であり、新しい情報は何ももたらさない。リクールはこの語のレベルの隠喩理解に対して、アリストテレス『詩学』の再読解と、リチャーズ、マックス・ブラックら英米の相互作用理論を援用しながら、隠喩の単位は語ではなく文であると論じる。隠喩とは、通常は結びつかない主語と述語の「奇妙な述定」であり、字義通りに読めば意味論的な不適合=カテゴリー錯誤にしかならない言明が、まさにその衝突を通じて新しい意味を出現させる出来事なのである。

「老年は一日の夕暮れである」という隠喩は、既存の類似性を報告しているのではなく、字義的な意味の破壊のうえに、それまで存在しなかった類似性を創設している。この意味論的革新の能力ゆえに、生きた隠喩は辞書に登録済みの死んだ隠喩と区別される。さらにリクールは、隠喩が指示のレベルでも創造的であると主張する。詩的言語は日常的な直接的指示を宙吊りにするが、この第一次指示の破壊は、より深い第二次指示——現実の新しい相貌の開示——の条件である。隠喩は現実を「〜として見る」ことを可能にし、その意味で「隠喩的真理」を語りうる。言語の詩的機能は現実の模写ではなく、現実の再記述なのだ。

この隠喩論の射程は修辞学に留まらない。隠喩が文のレベルで遂行する意味の革新を、物語はテクスト全体のレベルで遂行する——ばらばらの出来事を筋によって統合し、行為の世界を新たに分節し直すのである。『生きた隠喩』と『時間と物語』は、リクール自身が述べるように、意味論的革新という一つの問題系に属する双子の著作である。

『時間と物語』——アウグスティヌスとアリストテレスの交差

1983年から1985年にかけて全3巻で刊行された『時間と物語』は、リクールの最大の主著である。その出発点に置かれるのは、時間をめぐる二つの古典の対質である。一方にアウグスティヌス『告白』第11巻。「時間とは何か。誰も私に問わなければ、私は知っている。問われて説明しようとすると、知らないのである」。アウグスティヌスは、過去はもはやなく、未来はいまだなく、現在は延長を持たないという時間の存在をめぐるアポリアと格闘し、時間を「魂の伸張(distentio animi)」——期待と記憶と注意への精神の引き裂かれ——として捉えた。しかしこの思弁は時間のアポリアを解決するのではなく、むしろ深める。他方にアリストテレス『詩学』。悲劇の核心はミュートス(筋立て)、すなわち「行為の組み立て」にあり、筋はばらばらの出来事を、始めと中間と終わりを持つ一つの全体へと統合する。

リクールの中心テーゼは、この二つの古典の交差にある。時間の思弁が解決できないアポリアに対して、物語は詩学的な応答を与える。時間は物語的に分節されるにつれて人間的な時間となり、物語は時間的実存を描き出すときにその十全な意味に達する。人間は時間を概念によって解明できないが、物語ることによって時間を生きうるものへと形象化するのである。

この媒介の過程をリクールは三重のミメーシスとして分析した。ミメーシスIは先形象化、すなわち日常の行為の世界がすでに持つ意味構造・象徴性・時間性であり、物語はこの前物語的な了解を素材とする。ミメーシスIIは統合形象化、すなわち筋立てによる総合であり、雑多な出来事・人物・偶然を「不協和を含んだ協和」へと統合する創造的な操作である。ミメーシスIIIは再形象化、すなわち読書においてテクストの世界と読者の世界が交差し、読者の時間経験そのものが組み替えられる局面である。物語の意味は読者の生へと還流して初めて完成する。この円環は行為の世界から出発し行為の世界へ帰還する解釈学的循環であり、リクールはそれが悪循環ではなく螺旋であると論じた。

『時間と物語』はさらに二つの主題系を展開する。第一に、歴史記述の認識論。年鑑学派の構造史のように物語から遠ざかったかに見える現代の歴史学も、説明の深層では物語的な了解に依拠しており、歴史の時間は、暦・世代の継起・痕跡といった「連結器」を通じて、生きられた時間と宇宙的時間を媒介する。第二に、フィクションの時間経験。ウルフ『ダロウェイ夫人』、マン『魔の山』、プルースト『失われた時を求めて』の分析を通じて、フィクションが思弁の及ばぬ時間の変様を想像的に探究しうることが示される。歴史とフィクションという二つの物語様式は、人間的時間の形象化という共通の課題において交差するのである。

物語的自己同一性——イデムとイプセ

『時間と物語』の結論部で提起され、その後のリクール思想の中心概念となったのが「物語的自己同一性(identité narrative)」である。その理論的な核心には、同一性という概念そのものの二義性の分析がある。リクールによれば、ラテン語のidemに由来する「同一性」——同じもの・不変のもの・時間を通じた恒常性としての同一性——と、ipseに由来する「自己性」——それが誰であるかという問いに応える自己性——は、概念的に区別されなければならない。イデム的同一性のモデルは、遺伝子コードや指紋のような不変の基体である。しかし「私は誰か」という問いは、「私は何か」という問いには還元されない。自己性は、実体の不変性とは別の仕方で、時間を通じて自己を保持することがありうるのである。

リクールがイプセ的自己性の範例として挙げるのは「約束」である。約束を守るとは、性格や欲求や状況がどれほど変化しようとも、「私は守る」と言った自己であり続けることである。ここでの自己維持は、変化しない性質の持続(イデム)ではなく、他者に対する言葉への忠実という倫理的な自己保持(イプセ)である。逆に「性格」は、獲得された習慣と同一化の沈殿として、イプセがイデムとほとんど重なり合う極を示す。人格の同一性は、この二つの極のあいだに張られている。

物語的自己同一性とは、この両極を媒介するものである。人格の同一性は、物語の登場人物のそれのように、筋立てによって構成される。私が誰であるかは、私についての、また私が語る物語——変転と偶然を筋へと統合した生の物語——によってしか答えられない。物語は「不協和を含んだ協和」として、変化と偶然を同一性の内部に取り込むことを可能にする。自己とは、生の物語の読者であり書き手である限りでの自己なのである。しかも私たちは自分の物語の唯一の作者ではない。私の物語は他者たちの物語と絡み合っており、私は自分が始めなかった物語のなかに生まれ落ちる。物語的自己は、その成り立ちからして間主観的・社会的な自己である。

『他者のような自己自身』——倫理の小論

1990年の『他者のような自己自身』は、自己の解釈学の集大成であり、同時に倫理学の主著である。1986年のギフォード講義に基づくこの書物は、誰が語り、行為し、自らを物語り、責任を負うのかという四つの問いに沿って、自己の解釈学を段階的に展開する。書名が示すのは本書の根本テーゼ、すなわち自己性(イプセ)は他性を排除するのではなく、他性によって構成的に貫かれているということである。デカルトの高揚したコギトとニーチェによる粉砕されたコギトの双方から等距離にある「傷ついたコギト」、謙抑な自己証示(アテスタシオン)——それがリクールの自己である。

本書の第7〜9研究をなす「小倫理学(petite éthique)」は、20世紀の倫理学への最も重要な貢献の一つに数えられる。リクールはその目標を一つの定式に凝縮した。「正義にかなった制度において、他者とともに、他者のために、善き生を目指すこと(la visée de la vie bonne, avec et pour autrui, dans des institutions justes)」。この定式は三項構造を持つ。第一に、アリストテレス的な目的論の次元——善き生への希求。倫理の根底には、義務以前に、充実した生への志向がある。第二に、他者との関係——配慮(sollicitude)。善き生は独我論的には達成されず、かけがえのない他者との友愛と相互性を内含する。第三に、制度の次元——正義。倫理は対面的な関係に閉じず、決して顔を合わせることのない「各人」への分配的正義、制度の媒介を要求する。

このアリストテレス的な倫理(エチカ)に対して、リクールはカント的な道徳(モラル)——義務と規範による吟味——を対置する。善き生への希求は、暴力と悪の現実があるがゆえに、義務の普遍性テストを経なければならない。しかし規範の形式主義は、アンティゴネーのように正当な要求同士が衝突する悲劇的状況において限界に突き当たる。そこで要請されるのが「実践的知恵」であり、それは規範を裏切ることなく目的論的な源泉に立ち返りつつ、状況におけるその都度の最も適切な決定を探る。目的論・義務論・実践知の三段階の往還は、規範倫理学の諸立場を対立させず接合する、リクールらしい媒介の構築である。

記憶・歴史・忘却、そして赦し

87歳のリクールが2000年に刊行した『記憶・歴史・忘却』は、集大成的な大著である。ショアー、全体主義、植民地支配という20世紀の暴力の記憶をめぐり、記念の過剰と抑圧・否認という「記憶の濫用」が公共空間を引き裂くなかで、リクールは「過去の表象の適切さ」という問いを、記憶の現象学、歴史の認識論、忘却の解釈学という三部構成で展開した。

記憶の現象学において、リクールは記憶を想像から区別するものとしての「以前」への指示、すなわち記憶の真理要求を擁護する。私たちは過去について、記憶よりほかの資源を究極的には持たない。この記憶が個人的であると同時に集団的な次元を持つこと、そして権力によって操作され、動員され、阻止されうることの分析は、記憶の政治学として今日ますます重要性を増している。歴史の認識論においては、証言から文書化、説明・理解、歴史家の叙述へと至る歴史記述の行程が分析され、歴史は記憶の批判的検証であるとともに、記憶は歴史の母胎であり続けるという両者の関係が精緻に論じられる。

本書の最も感動的な部分は、エピローグ「困難な赦し」である。赦しは、過失の深さと赦しの高さのあいだの垂直の隔たりゆえに、制度化も規範化もできない「困難」なものであり、恩赦や時効が組織する「命令された忘却」は赦しではない。赦しが可能だとすれば、それは行為者をその行為から切り離し、過ちを犯した者のうちに回復されうる能力の核を認めることにおいてである。それは交換の経済に属さない贈与であり、負い目の重荷を負った記憶に対して「幸福な記憶」への地平を開く——体系的な解決としてではなく、希望の調べとして。晩年のリクールはさらに『承認の行程』(2004)で承認概念の哲学史を描き、闘争としての承認の果てに、相互性の「平和状態」としての贈与の交換を望見している。最後の言葉群が赦し・承認・贈与という和解のモチーフに捧げられていたことは、その全行程の到達点として象徴的である。

結論

ポール・リクールの哲学的行程は、意志の現象学から始まり、悪の象徴、フロイトの精神分析、構造主義記号学、隠喩、物語、自己と他者、記憶と赦しへと、半世紀以上にわたって展開された。この驚くべき多様性を貫くのは、自己理解は記号・象徴・テクストの解釈という長い迂回路を必要とするという解釈学的な確信であり、対立する立場の葛藤を性急に解消せず、媒介の労苦を引き受けるという思考のエートスである。デカルトのコギトの直接性とニーチェ的な主体の解体の双方を退け、解釈を通じて証示される「傷ついたコギト」の哲学を築いたこと、時間・物語・自己同一性・倫理を一つの問題系として結び合わせたこと、そして歴史の暴力の記憶に対して赦しの思索で応えたこと——これらはいずれも、20世紀哲学の恒久的な財産である。

リクールの影響は広範囲に及ぶ。物語的自己同一性の概念は、マッキンタイアやテイラーの物語論的倫理学と共鳴しながら、医療人文学、ナラティヴ・セラピー、教育学、法学にまで浸透した。歴史の認識論と記憶論は、記憶研究や移行期正義の議論の基本文献であり続けている。晩年に助手を務めた一人が後の大統領エマニュエル・マクロンであったことも、しばしば語られる逸話である。流行から距離を置き、対話と媒介に徹したこの哲学者の仕事は、思想の分断が深まる今日、かえってその真価を増していると言えよう。

リクールの解釈学は、ハイデガーからガダマーへと続く存在論的解釈学の系譜と、ディルタイ以来の方法論的解釈学の系譜を統合する位置にある。地平融合と伝統の解釈学についてはガダマーを、リクールの出発点となったフッサール以後の現象学の広がりについては現象学運動の展開を、マルセルやメルロ=ポンティらフランスにおける現象学の実存的展開については実存的現象学を参照されたい。