ガダマー——解釈学と地平の融合

はじめに:理解とは何をしていることなのか

私たちは日々、他人の言葉を理解し、本を読み、過去の出来事に意味を見いだしている。この「理解する」という営みは、あまりに日常的であるがゆえに、その構造が問われることは少ない。ハンス=ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer, 1900-2002)の哲学的解釈学は、この問いを哲学の中心に据えた。彼が問うたのは「どうすれば正しく理解できるか」という方法の問題ではない。「理解が起こるとき、そこでは何が起こっているのか」という、理解の存在論的構造の問題である。

主著『真理と方法』(Wahrheit und Methode, 1960)の副題は「哲学的解釈学の要綱」である。この副題が示すとおり、ガダマーは解釈学を、聖書学や文献学が磨いてきたテクスト解読の技術から、人間の世界内存在そのものの解明へと転換した。理解は人間が時折おこなう特殊な認識行為ではなく、歴史のうちに投げ込まれた有限な存在者が、その存在を遂行する仕方そのものである——これがガダマーの根本テーゼである。

本稿では、ガダマーの生涯を確認したうえで、『真理と方法』の企図、芸術経験と遊び、作用史的意識、先入見の復権、地平の融合、対話と問いの優位、言語の普遍性という主要概念を順にたどる。さらにハーバーマスとの論争、デリダとの不成立に終わった対話を検討し、現代への影響を概観する。

生涯——ハイデガーの弟子から一世紀の証人へ

ガダマーは1900年、マールブルクに生まれた。父は薬学化学の教授で、まもなく一家はブレスラウ(現ヴロツワフ)に移る。自然科学者である父は息子が人文学に向かうことを最後まで喜ばなかったが、ガダマーは文学と哲学への傾斜を変えなかった。ブレスラウ大学からマールブルク大学に移り、1922年、新カント派マールブルク学派の重鎮パウル・ナトルプのもとで学位を取得する。同じ年に小児麻痺に罹患し、長い療養を強いられたが、この病は結果として彼を後の兵役から遠ざけた。

決定的な出会いは1923年に訪れる。若きマルティン・ハイデガーがマールブルクに着任したのである。ガダマーはハイデガーの講義に強烈な衝撃を受け、その最も近い学生の一人となった。ハイデガーが『存在と時間』(1927)で展開した「事実性の解釈学」——現存在は自らの存在を理解しつつ存在するという洞察——は、ガダマーの思考の出発点となる。師は苛烈で、ガダマーは長く自信を持てずにいたが、1929年、ハイデガーのもとで『プラトンの弁証法的倫理学』により教授資格を取得した。古代ギリシア哲学、とりわけプラトンとアリストテレスの研究は、以後生涯にわたる彼の第二の主題となる。

ナチス期のガダマーは、党員となることなく、しかし国内にとどまって研究を続けた。1938年にライプツィヒ大学教授となり、戦後の1946年には同大学の学長に選出される。この時期の彼の身の処し方については、体制への消極的な適応として批判的に検討されてもきた。1947年にフランクフルト、1949年にはハイデルベルクでカール・ヤスパースの後任となり、以後この地を離れなかった。『真理と方法』の刊行は1960年、六十歳のときである。1968年に定年を迎えた後もガダマーは驚くべき生産性を保ち、プラトン研究、パウル・ツェランの詩の解釈、健康と医学をめぐる哲学的考察を発表し続けた。2002年、百二歳で没する。二十世紀をほぼそのまま生き抜いた哲学者であった。

『真理と方法』の企図——方法に還元されない真理

書名の「真理と方法」は、二つを並置しているのではない。むしろ両者のあいだの緊張を告発する題である。近代科学は、方法の統制によってのみ真理に到達できると考えてきた。手続きを標準化し、主観の関与を排除し、反復可能な検証にかける——この方法理念は自然科学の巨大な成功を支えた。十九世紀の精神科学(Geisteswissenschaften)は、この成功に圧倒され、自らも方法的厳密性を備えることで科学たろうとした。ディルタイの企図はその代表である。

ガダマーの問いは、この自己理解そのものに向けられる。人間が芸術作品に打たれ、歴史を通じて自己を知り、他者の言葉に説得されるとき、そこにはたしかに真理の経験がある。だがそれは方法の適用によって得られたものではない。むしろ方法的態度をとることによって取り逃がされてしまう種類の真理である。『真理と方法』は、方法を超えた真理経験——芸術・歴史・言語における真理——の権利を回復しようとする試みなのだ。

ここで注意すべきは、ガダマーが方法を否定しているのでも、解釈のための新しい方法を提案しているのでもない、という点である。彼は自らの仕事を規範的な方法論ではなく記述的な存在論と位置づけた。「私は何をなすべきかを言おうとしているのではない。私たちの意志と行為を超えて、私たちに何が起こっているのかを言おうとしているのである」。この非規範性こそが、後にエミリオ・ベッティやE・D・ハーシュから「解釈の妥当性を判定する基準を放棄した」と批判される点となった。

芸術経験と遊び——主観に還元されない出来事

『真理と方法』第一部は、意外にも芸術論から始まる。これは戦略的な選択である。近代美学は、カントの趣味判断論を出発点として、美的経験を主観の側の心的状態へと切り縮めていった。ガダマーはこれを「美的意識の主観化」と呼び、さらにシラー以後、芸術作品が生活世界から切り離されて純粋に美的な対象として鑑賞されるようになったことを「美的区別(ästhetische Unterscheidung)」として批判する。この区別のもとで、芸術は真理を語る資格を失った。

これに対しガダマーが持ち出すのが「遊び(Spiel)」の概念である。遊びの本質は、遊ぶ主体の主観的態度にあるのではない。遊びにおいては、遊ぶ者は遊びに巻き込まれ、遊びそのものが自らを演じる。「遊びの本来の主体は遊ぶ者ではなく、遊びそのものである」。私たちは遊びを支配するのではなく、遊びに支配される。この構造を芸術に移すと、芸術作品は鑑賞者の主観が構成する対象ではなく、鑑賞者がそこに引き入れられる出来事となる。

さらにガダマーは「形象への変容(Verwandlung ins Gebilde)」という概念を導入する。上演される劇において、俳優と観客が織りなす一回的な出来事は、単なる模倣ではなく、事柄そのものがそこで初めて完成する場である。祝祭が毎年繰り返されながらそのつど一回的であるように、芸術作品は同一でありつつ、そのつどの上演・解釈において新たに存在する。作品を理解するとは、それについての情報を得ることではなく、その出来事に参与し、それによって自らが変えられることなのだ。「芸術の経験において問題となっているのは、真理の経験なのである」。

歴史的作用意識——歴史は私たちを規定している

ガダマーの解釈学の中核概念の一つが「歴史的作用意識」あるいは「作用史的意識」(wirkungsgeschichtliches Bewußtsein)である。あるテクストや出来事は、それ自体として孤立して存在するのではなく、その受容と解釈の歴史——作用史——とともに存在する。私たちがプラトンを読むとき、私たちはすでに二千年以上にわたるプラトン解釈の伝統を通してプラトンを見ている。この伝統を括弧に入れて「テクストそのもの」に到達することはできない。

歴史主義の理想は、解釈者が自らの時代の制約を脱ぎ捨て、過去をその過去自身の文脈において客観的に再構成することであった。ガダマーはこれを幻想と呼ぶ。歴史を対象として観察する意識それ自体が、歴史によって規定されている。「歴史が私たちに属するのではなく、私たちが歴史に属するのである」。この非対称性を忘れた歴史意識は、自らの被規定性に対して盲目であるという点で、かえって歴史から自由でない。

したがって作用史的意識とは、自らが歴史に規定されていることを自覚した意識である。ただし、この自覚が規定からの解放をもたらすわけではない。ガダマーはむしろ、この意識が本質的に「経験の意識」であり、人間の有限性の自覚であることを強調する。真の経験とは、期待が裏切られ、それまでの自己理解が破られる経験である。経験を積んだ人間とは多くを知る人間ではなく、自らの知の限界を知り、新たな経験に開かれている人間なのだ。ここにアイスキュロス以来の「苦しみを通じて学ぶ」という洞察が響いている。

先入見の復権——理解を可能にする条件として

ガダマーの主張のなかで最も挑発的なのが、「先入見(Vorurteil)」の復権である。啓蒙主義は、伝統と権威に由来するあらゆる先入見を理性の名において払拭することを課題とした。ガダマーはここに「先入見に対する先入見」という自己矛盾を見いだす。あらゆる前提を排して認識を始めることができるという想定こそ、啓蒙という時代が抱いた歴史的に特殊な先入見にほかならない。

Vorurteilという語は、本来「事態の全側面が吟味される以前に下される判断」を意味する。それが「根拠のない誤った判断」という否定的含意を帯びたのは啓蒙以後のことだ、とガダマーは語源に遡って指摘する。理解はつねに、事柄について何ごとかをあらかじめ予期することから始まる。ハイデガーが理解の「先行構造」——先行的所有、先行的視野、先行的把握——として分析したのはこの事態である。理解の循環は克服すべき悪循環ではなく、正しく身を置くべき生産的な構造なのである。

とはいえ、これは一切の先入見が等しく正当だという主張ではない。ガダマーは、理解を可能にする「生産的な先入見」と、理解を歪める「誤った先入見」を区別する必要を認めている。両者を分かつのは何か。彼が挙げるのが「時間的隔たり(Zeitenabstand)」である。同時代の作品については、私たちは自分の先入見に気づけない。時間が経過して初めて、当時は自明であった前提が前提として浮かび上がる。時間は、理解を妨げる深淵ではなく、生産的なフィルターとして働く。同じく、ガダマーは「権威」と「伝統」の復権も試みる。真の権威は盲目的服従に基づくのではなく、相手が自分より優れた洞察を持つという承認に基づく。この承認は理性の行為であって、その放棄ではない。

地平の融合——理解における現在と過去の生成

「地平(Horizont)」とは、ある地点から見渡せる視界の全体である。解釈者には現在の地平があり、テクストには過去の地平がある。素朴な客観主義は、解釈者が自分の地平を捨てて過去の地平に移入すべきだと考える。素朴な現在主義は、過去を現在の関心から一方的に読み替える。ガダマーはそのいずれでもない第三の道を示す。理解とは「地平の融合(Horizontverschmelzung)」である。

重要なのは、地平が閉じた壁ではなく、動くものだということである。歩けば地平は移動する。他者や過去のテクストに出会うことは、自分の地平の限界に触れることであり、そのことによって地平は拡張され、変容する。融合において、解釈者の地平は解消されるのでもなく温存されるのでもなく、より広い地平へと生成する。過去を理解することは、過去に自己を移し入れることではない。それは自分の地平を賭けて過去と交渉し、その結果として新しい地平を獲得することである。

ガダマーはさらに、この融合が「適用(Applikation)」の契機を不可分に含むと論じる。ここでのモデルは法解釈学と神学的解釈学である。裁判官は法文を「一般的に理解し」、しかるのちに事件に「当てはめる」のではない。目の前の事件に照らしてこそ、法文の意味が具体的に定まる。説教者も同様である。伝統的解釈学が理解・解釈・適用という三つの下位技法を区別したのに対し、ガダマーは適用が理解に外から付け加わるのではなく、理解の内的契機であると主張する。ここで召喚されるのがアリストテレスの「フロネーシス(実践知)」である。それは普遍的規則の機械的適用ではなく、普遍と個別を同時に見る判断の能力にほかならない。

対話と問いの優位——問いの解釈学的先行性

ガダマーにとって理解のモデルは、二人の人間のあいだの生きた対話である。真の対話において、参加者は自分の見解を押し通すのではなく、事柄そのもの(die Sache selbst)に導かれる。誰もあらかじめ結論を握っていないからこそ、対話は結論を生む。「対話において何ごとかが明らかになるとき、それは対話者のいずれかの功績ではない」。プラトンの対話篇こそ、ガダマーが生涯離れなかった範型である。

この対話の構造を論理的に定式化したのが「問いと答えの論理」である。ガダマーはこの発想をイギリスの歴史哲学者R・G・コリングウッドから受け取った。あらゆる言明は、それが答えとなっている問いを前提としている。したがってテクストを理解するとは、そのテクストがどのような問いに対する答えであるのかを再構成することである。答えだけを取り出して命題として受け取るなら、それはすでに理解の失敗である。

ここから「問いの解釈学的先行性」というテーゼが導かれる。理解の困難は答えを見つけることではなく、正しい問いを立てることにある。そして問うことができるためには、自分が知らないということを知っていなければならない。ソクラテスの無知の知は、認識論的な謙譲の徳ではなく、理解が生起するための構造的条件なのだ。テクストに問いかけるとき、テクストもまた私たちに問い返す。真に理解された伝統は、私たちの自明性を揺るがす。この相互性を欠いた読解は、自己の投影にとどまる。

言語——「理解されうる存在は言語である」

『真理と方法』第三部で、ガダマーは解釈学の存在論的転回を言語の問題として遂行する。その到達点が有名な一文である。「理解されうる存在は言語である(Sein, das verstanden werden kann, ist Sprache)」。この文はしばしば「すべては言語である」という言語観念論として誤読されてきた。ガダマー自身の意図はより慎重である。存在が言語に還元されるのではない。存在が私たちに開示され、理解される限りにおいて、それは言語という媒体においてである、という主張である。

ここでガダマーが退けるのは、言語を思考の道具とみなす記号道具説である。私たちはまず思考し、しかるのちにそれを言語に翻訳するのではない。言語は世界を写す記号の集合ではなく、世界がそこにおいて私たちに現れる場である。フンボルト以来のドイツ言語哲学を継承しつつ、ガダマーは人間だけが「世界(Welt)」を持ち、動物は「環境(Umwelt)」しか持たないと述べる。世界を持つとは、目前の刺激から距離をとり、事柄そのものを主題化しうるということであり、それを可能にするのが言語である。

母語という制約は世界への閉鎖を意味しない。むしろ、言語を持つことによって私たちは自らの言語を超え出て、他の言語・他の世界了解に開かれる。翻訳の可能性、外国語習得の可能性、異文化理解の可能性は、この開放性の証拠である。ガダマーはこの言語の運動を「思弁的(spekulativ)」と呼ぶ。語られた言葉はつねに語られなかったものの地平を背負っており、言い尽くされることがない。アウグスティヌスの「内なる言葉(verbum interius)」——発語に先立ち、いかなる個別言語にも尽くされない言葉——への言及は、この言語の無尽蔵性を指し示すための参照点であった。

ハーバーマスとの論争——伝統と批判

1967年から1971年にかけて、ガダマーはユルゲン・ハーバーマスと重要な論争を交わした。ハーバーマスの批判の要点はこうである。ガダマーは伝統を、理解を可能にする地盤として肯定的に評価する。しかし伝統はしばしば支配と暴力の産物であり、そこで流通する合意は、権力によって歪められた「体系的に歪曲されたコミュニケーション」でありうる。伝統への帰属を強調するだけでは、この歪曲を見抜くことができない。必要なのは伝統の内部での対話ではなく、伝統を外から照射するイデオロギー批判である。ハーバーマスは精神分析をモデルとする「深層解釈学」を構想し、患者の自己了解を批判的に突破する分析家の営みに、社会批判の範型を見た。

ガダマーの応答は原理的である。イデオロギー批判はどこから語るのか。批判者自身もまた歴史のうちに立ち、言語を用い、伝統によって形成された概念で語る。伝統の外部に立つアルキメデスの点は存在しない。しかも精神分析モデルの社会への転用は危うい。分析家と患者の非対称な関係を社会全体に一般化すれば、批判者は他者の自己理解を頭越しに解釈する権威を僭称することになる。むしろ啓蒙も批判も、それ自体一つの伝統——理性的対話の伝統——のうちで営まれるのであり、伝統は保守の同義語ではない。

この論争に決着はついていない。だが双方が得たものは大きかった。ハーバーマスは後年、規範的基準を超越論的仮象に頼らず言語使用の内在的前提から取り出す「普遍語用論」へと向かうが、そこには言語を対話の遂行として捉えるガダマー的な視点が働いている。他方でガダマーの側も、支配関係が対話を歪めうるという指摘の重みを認めた。この論争は、解釈学と批判理論という二十世紀ドイツ哲学の二大潮流が、たがいの死角を照らし合った稀有な事例として記憶されている。

デリダとの対話の不成立

1981年4月、パリのゲーテ・インスティトゥートで、ガダマーとジャック・デリダが同席する討論が企画された。解釈学と脱構築という、テクストをめぐる二つの巨大な思考が出会う場として期待されたこの催しは、しかし「起こらなかった出会い」として哲学史に記録されることになる。

ガダマーは「テクストと解釈」と題する講演を行い、理解には「理解しようとする善意志(guter Wille zum Verstehen)」が前提されると述べた。相手の言い分を最も強い形で受け取ろうとする構えなしには、対話は成立しない、と。これに対しデリダは、ガダマーの議論を正面から論駁するのではなく、三つの短い問いを投げ返した。とりわけ核心的だったのが、「善意志」への問いである。意志への訴えは、それ自体カント以来の、そしてニーチェが暴いた「意志の形而上学」に属するのではないか。理解への意志は、他者を自己の了解可能性の圏内に回収する暴力を潜在させてはいないか。ガダマーは戸惑いを隠さなかった。彼にとって、対話の前提を問うこの身振りこそ、対話の拒否に見えたのである。

この不成立には、二つの思考の根本的な相違が凝縮されている。ガダマーにとって、差異は対話を通じて融合へと向かう契機であり、了解は達成されうる。デリダにとって、テクストの意味は決定不能であり、了解の達成という理念そのものが差異を抹消する運動である。もっとも、両者の関係はこの一度で終わったわけではない。1993年のハイデルベルクでの再会をはじめ交流は続き、ガダマーの死の翌年、デリダは追悼講演「雄羊」において、ツェランの一行「世界は去った、私はおまえを担わねばならない」をめぐって、亡き対話相手への遅れてきた応答を試みた。中断された対話が、なお続く対話でありうるということ——それ自体がきわめて解釈学的な出来事であった。

現代への影響——哲学・応用倫理・翻訳論

ガダマーの影響は哲学の外部にまで広く及んでいる。文学理論では、コンスタンツ学派のハンス・ロベルト・ヤウスとヴォルフガング・イーザーが受容美学を展開し、作品の意味をその受容の歴史のうちに位置づける方法を確立した。歴史学では、史料を客観的事実の容器としてではなく、解釈を要求する語りとして読む姿勢が浸透した。神学、法学、社会科学の方法論争にも、ガダマーの問題提起は繰り返し呼び出されてきた。

哲学の内部では、ポール・リクールがガダマーの伝統への信頼と、マルクス・ニーチェ・フロイトに由来する「懐疑の解釈学」とを媒介しようと試みた。北米では、リチャード・ローティが『哲学と自然の鏡』において、認識論に代わる哲学のあり方として「教化(edification)」を語る際にガダマーのBildung概念に依拠し、リチャード・バーンスタインは『客観主義と相対主義を超えて』で、ガダマーを二者択一からの出口として提示した。チャールズ・テイラーの人間理解の哲学、ジャンニ・ヴァッティモの「弱い思考」も、その系譜に連なる。

応用倫理の領域では、フロネーシス概念の復権が具体的な果実をもたらしている。生命倫理において、原理をそのつどの事例に演繹的に適用する立場の限界が明らかになるにつれ、個別状況の特殊性を尊重する事例中心的・物語的アプローチが力を得た。臨床倫理カンファレンスや医師患者関係の理論に、ガダマー的発想は今日も浸透している。晩年のガダマー自身、『健康の謎』において、健康とは測定される数値ではなく、意識されないことによって成り立つ均衡であると論じ、医療技術の時代における身体の自己了解を問うた。

翻訳論への影響も見逃せない。翻訳とは意味内容を等価な記号に置き換える作業ではなく、二つの言語的世界了解のあいだで行われる解釈の実践である——このガダマー的洞察は、翻訳研究が言語学的等価概念から文化的媒介の理論へと移行するうえで大きな支えとなった。異文化理解、対話的教育論、多文化社会における公共討議の理論に至るまで、ガダマーが定式化した「他者が正しいかもしれないという可能性への開かれ」は、方法である以前に倫理的態度として受け取られている。

結論

ガダマーの哲学的解釈学が私たちに突きつけるのは、認識論的な謙虚さの要求である。私たちは、自らの立ち位置を離れて世界を眺めることはできない。歴史に規定され、言語に浸され、伝統から受け取った先入見のうちで、そのつど有限な理解を遂行するほかない。しかしこの有限性は欠陥ではない。それは理解が可能であるための条件そのものである。無前提の観察者という理想を手放すことによってこそ、私たちは他者との出会いが自分を変えうるという、理解の本来の出来事に開かれる。

もちろん批判は残る。地平の融合という比喩は、実際に何が起きているのかを十分に説明しているのか。伝統の肯定は、支配的な伝統に沈黙させられてきた声を見えなくしないか。妥当な解釈と恣意的な解釈を分かつ基準はどこにあるのか。ハーバーマスの問いも、ベッティやハーシュの問いも、完全に答えられたとは言い難い。ガダマー自身、体系的な解答を用意することを一貫して拒んだ。彼が示したのは規則ではなく、理解という出来事の記述だからである。

だからこそ、ガダマーの遺した一句は今日いっそう重い。「他者が正しいかもしれない、という可能性を認めること。これが解釈学の魂である」。異なる伝統、異なる語彙、異なる歴史を背負った者たちが同じ公共空間で言葉を交わさねばならない時代において、これは楽観的な標語ではなく、困難な実践の要求である。理解は方法によって保証されない。それは、自分が変えられることを引き受けたときに、はじめて起こるのである。

ガダマーの出発点となった師の思想についてはハイデガーを、彼と論争を交わした批判理論の後継者についてはハーバーマスを、そして解釈学が根を下ろした二十世紀哲学の土壌については現象学入門を参照されたい。