はじめに——18歳の完全性定理
1959年、記号論理学の専門誌『ジャーナル・オブ・シンボリック・ロジック』に「様相論理における完全性定理」と題する論文が掲載された。様相論理に厳密な意味論を与えるという長年の難問に突破口を開いたこの論文の著者、ソール・クリプキ(Saul Kripke, 1940-2022)は、当時ネブラスカ州オマハの高校を出たばかりの18歳の青年——執筆時にはまだ高校生の17歳——であった。伝えられるところでは、この時期のクリプキのもとにはある大学の数学科から教員職への応募を勧める手紙が届き、彼は「母が、まず高校を卒業して大学に行くべきだと言っています」と返信したという。
この神童はその後、20世紀後半の分析哲学を最も深いところで変えた哲学者となる。1970年にプリンストン大学で原稿なしに行われた三回の連続講義——後に『名指しと必然性』として刊行される——は、フレーゲとラッセル以来の言語哲学の正統であった記述理論を覆し、論理実証主義とクワインによって信用を失っていた必然性・本質・形而上学を、分析哲学の中心に呼び戻した。さらに『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は意味の懐疑論という新しい問題圏を開き、1975年の真理論の論文は嘘つきパラドックス研究を一新した。刊行された著作の分量は驚くほど少ないにもかかわらず、その影響の大きさにおいてクリプキに比肩する同時代の哲学者はほとんどいない。
本稿では、クリプキの生涯を素描したのち、可能世界意味論、記述理論批判、固定指示子と因果説、必然的アポステリオリ、心身問題への応用、規則遵守のパラドックス、そして真理論を順にたどり、最後に分析哲学への影響を概観する。
生涯——オマハの神童からニューヨークの晩年まで
ソール・クリプキは1940年、ニューヨーク州ベイショアに生まれ、ネブラスカ州オマハで育った。父マイヤー・クリプキはオマハのユダヤ教会衆を率いるラビであり、母ドロシーはユダヤ教に関する児童書の著者であった。幼くしてヘブライ語を独習し、小学生のうちに代数や幾何、さらにはデカルトの哲学にまで独力で取り組んだと伝えられる。様相論理の研究を始めたのは高校時代であり、前述の完全性定理の論文はその成果である。ハーヴァード大学では数学を専攻し、在学中にマサチューセッツ工科大学で大学院水準の論理学の講義を担当したという逸話も残る。1962年に学士号を取得したが、博士号は生涯取得しなかった——その必要がなかったのである。
卒業後はハーヴァードのソサエティ・オブ・フェローズに選ばれ、ハーヴァードとロックフェラー大学で教えたのち、1977年にプリンストン大学教授に就任し、後にマッコッシュ記念講座教授となった。1970年の連続講義の記録『名指しと必然性』は1972年に論文集の一部として発表され、1980年に単行本化された。1982年には『ウィトゲンシュタインのパラドックス』が刊行される。2001年には論理学・哲学分野におけるノーベル賞に相当するとも評されるショック賞を受賞した。
1998年にプリンストンを退職した後、2003年からはニューヨーク市立大学大学院センターの特別教授として教壇に立ち続け、2007年には同センターに彼の膨大な未刊行の講義録・草稿を整理するソール・クリプキ・センターが設立された。完璧主義ゆえに公刊をためらう傾向は生涯変わらず、その思想の多くは録音テープと講義ノートの形で残されている。2011年には論文集『哲学的困惑』が刊行され、未刊行資料の編集は現在も続く。2022年9月、クリプキはニュージャージー州で死去した。81歳であった。
可能世界意味論——様相論理に足場を与える
クリプキの最初の偉大な業績は、様相論理——「必然的に」「可能的に」という様相概念を扱う論理——に厳密な意味論を与えたことである。様相論理の公理体系は1910年代以降C・I・ルイスらによって構築されていたが、それらは記号操作の規則の集まりにとどまり、記号が何を意味するのかを定める意味論を欠いていた。複数の体系(T、S4、S5など)のどれが「正しい」のかを判定する基準もなく、クワインのように様相論理そのものを哲学的混乱の産物とみなす論者さえいた。
クリプキの意味論の骨格は簡明である。モデルは可能世界の集合と、世界間の「到達可能性関係」、そして各世界における命題の真偽の割り当てからなる。「必然的にP」がある世界で真であるのは、その世界から到達可能なすべての世界でPが真であるときであり、「可能的にP」が真であるのは、Pが真であるような到達可能な世界が少なくとも一つあるときである。この枠組みの美点は、到達可能性関係の性質と公理体系との対応にある。関係が反射的であれば体系T、さらに推移的であればS4、同値関係であればS5が得られる。クリプキは主要な体系について完全性——公理から証明できることと、すべてのモデルで妥当であることの一致——を証明し、乱立していた諸体系を一望のもとに整序してみせた。
公平を期せば、可能世界による様相の分析という発想自体はライプニッツに遡り、カルナップ、カンガー、ヒンティッカ、モンタギューらも同時期に類似の着想を展開しており、先取権をめぐっては諸説がある。しかし、到達可能性関係を可変的なパラメータとして導入し、体系的な完全性証明を与えた点でクリプキの定式化は決定的であり、今日「クリプキ意味論」の名で標準となっている。この枠組みは様相論理にとどまらず、直観主義論理、時制論理、認識論理、義務論理へと拡張され、計算機科学におけるプログラム検証にまで応用されている。
『名指しと必然性』——記述理論批判
1970年1月、20代のクリプキがプリンストンで行った三回の講義は、言語哲学の歴史を二分する事件となった。標的は、フレーゲとラッセルに由来する固有名の記述理論である。この理論によれば、「アリストテレス」のような固有名の意味は、話し手がその名に結びつける記述——「アレクサンドロス大王の師」「『形而上学』の著者」など——によって与えられ、名はいわば省略された記述である。サールらは、単一の記述ではなく記述の「束」が名の意味を構成するという洗練版を唱えていた。記述理論は、同一性言明が情報を持つのはなぜか、指示対象を欠く名がなぜ有意味かといった難問を解く強力な理論であり、半世紀にわたり正統の地位を占めていた。
クリプキはこの正統に対して複数の反論を放った。第一は様相的反論である。もし「アリストテレス」が「アレクサンドロスの師」を意味するなら、「アリストテレスはアレクサンドロスの師である」は定義により必然的真理となるはずだ。しかし明らかにそうではない——アリストテレスは哲学を捨て、誰の師にもならなかったかもしれない。その反事実的状況で私たちが語っているのは、ほかならぬアリストテレスその人についてである。名と記述は様相的な振る舞いを異にする以上、前者は後者の省略ではありえない。第二は認識的反論である。記述理論が正しければ「アリストテレスはアレクサンドロスの師である」はアプリオリに知られるはずだが、実際にはこれは経験的な歴史的知識である。
第三の意味論的反論は、有名なゲーデルとシュミットの思考実験に示される。仮に算術の不完全性定理を実際に証明したのがシュミットという無名の人物であり、ゲーデルはその原稿を手に入れて自分の名で発表しただけだったとしよう。「ゲーデル」に「不完全性定理の証明者」という記述だけを結びつけている話し手が「ゲーデル」と言うとき、その名が指すのはシュミットになるのか。明らかに否——話し手は依然としてゲーデルについて(誤ったことを)語っている。さらに多くの話し手は「ファインマン」という名を、対象を一意に特定する記述を何ら持たずに使用して、現にファインマンを指示している。記述は名の意味を与えるものでも、一般に指示を決定するものでもないのである。
固定指示子と名指しの因果説
記述理論に代わってクリプキが提示した積極的な描像の中核が、固定指示子(rigid designator)の概念である。固定指示子とは、その対象が存在するすべての可能世界で同一の対象を指示する表現をいう。固有名は固定指示子である。「アリストテレス」は、現実と異なるいかなる反事実的状況を記述するときにも、同じ人物を指す。対して「アレクサンドロスの師」のような記述は、世界ごとに異なる人物を指しうる非固定的な指示子である。クリプキは、可能世界とは強力な望遠鏡で観察される遠方の惑星のようなものではなく、「アリストテレスがこうであったならば」と私たちが規約的に設定するものだと強調した。可能世界を質的な記述によって同定し直す必要はなく、名は初めから対象そのものに付いていくのである。
この概念から重要な帰結が導かれる。二つの固有名を結ぶ同一性言明は、真であれば必然的に真である。「ヘスペラス(宵の明星)はフォスフォラス(明けの明星)である」は天文学的発見によって知られた真理だが、両者がともに金星を固定的に指示する以上、金星が金星でない世界はありえず、この言明はすべての可能世界で真となる。ここに、後述する「必然的アポステリオリ」への扉が開かれる。
では、記述が指示を決定しないとすれば、名はいかにして対象と結びつくのか。クリプキの答えは因果的・歴史的な描像である。まず「命名の儀式」において、直示や記述によって対象に名が与えられる。その後、名は伝達の連鎖を通じて共同体に広がり、後続の使用者は、名を受け取った相手と同じ対象を指示しようという意図をもって名を使う。私がファインマンを一意に特定できなくとも、私の使用が物理学者本人に至る連鎖に連なっている限り、私の「ファインマン」はファインマンを指すのである。クリプキ自身は、これを反例を許さない厳密な「理論」ではなく、記述理論よりも「よりよい描像」として慎重に提示した。実際、連鎖の途中で指示が変化する事例(エヴァンズが挙げた「マダガスカル」——もとは大陸本土の一部を指したとされる——など)が指摘されており、描像の精緻化は現在も言語哲学の課題であり続けている。
アプリオリな偶然と必然的アポステリオリ
『名指しと必然性』の形而上学的な核心は、カント以来ほとんど自明視されてきた等式——必然的=アプリオリ、偶然的=アポステリオリ——の解体にある。クリプキによれば、必然性は形而上学の概念であり、事柄が別様でありえたかどうかに関わる。アプリオリ性は認識論の概念であり、経験によらずに知られうるかどうかに関わる。異なる問いに属する二つの概念が外延を共有すべき理由は、本来どこにもない。
まず、アプリオリな偶然的真理がありうる。パリのメートル原器によって「メートル」を定義する者は、「原器の長さは1メートルである」を経験に先立って知る。しかしこの真理は偶然的である——原器は熱せられて、別の長さでありえたからだ。定義者は記述(原器の長さ)によって「1メートル」の指示を固定するが、その記述は意味を与えるのではなく、固定指示子の指示対象を選び出すだけである。この「アプリオリな偶然」については、真にアプリオリな知識と言えるのかをめぐって今日まで異論もあるが、指示の固定と意味の付与の区別という洞察の価値は広く認められている。
逆に、必然的でありながらアポステリオリにしか知られない真理がある。「ヘスペラスはフォスフォラスである」がその典型であり、クリプキはこれを自然種の言明へ拡張した。「水はH2Oである」「金は原子番号79の元素である」は経験科学の発見だが、真である以上は必然的真理である——H2Oでない液体は、どれほど水に似ていても水ではない。さらにクリプキは、事物の起源の必然性という本質主義的テーゼを擁護した。この机が現に作られたのとは別の木材から作られていたなら、それはこの机ではない。エリザベス2世が現実と異なる両親から生まれていたなら、それは彼女ではない。クワインが無意味と断じた「対象そのものについての様相(デ・レ様相)」は、こうして復権された。本質主義の内実と根拠をめぐる論争は続いているが、それが真剣な哲学的主題でありうること自体を、クリプキは疑いえないものにしたのである。
心脳同一説批判——痛みとC繊維の発火
必然的アポステリオリの理論は、心の哲学に鋭い応用を持つ。1950年代以降、プレイスやスマートらの心脳同一説は、「痛みとはC繊維の発火である」といった心的状態と脳状態の同一性を、「水はH2Oである」と同様の経験的・偶然的な同一性として主張していた。痛みなしのC繊維発火が想像可能であることは、同一性が偶然的であることを示すにすぎず、理論の脅威ではない——そう考えられていたのである。
クリプキはこの逃げ道を塞いだ。「痛み」も「C繊維の発火」も固定指示子である以上、同一性が真であれば必然的でなければならない。すると同一説論者は、同一性が偶然的に見えるという現象を、錯覚として説明し去る義務を負う。「熱は分子運動である」の場合、この説明は可能である。熱なしの「熱らしき感覚」を引き起こす状況は想像でき、私たちが偶然性と取り違えているのはこの認識的状況の可能性である。しかし痛みの場合、この戦略は使えない。痛みの本質はまさに痛みとして感じられることにあり、「痛みらしく感じられるが痛みでない状態」は存在しないからである。したがって、C繊維発火なしの痛みが想像可能に思われるとき、それは見かけではなく真正の可能性であり、同一説は偽となる——これがクリプキの議論の骨子である。
この議論は物理主義への決定的反駁と受け取るべきか否かをめぐって、今日まで論争が続いている。物理主義者は、心理物理的同一性はアポステリオリな必然として維持できると応じ、他方でこの議論は、想像可能性から可能性を導くチャーマーズのゾンビ論法や二次元意味論の展開へと流れ込んだ。現代の意識の哲学における物理主義論争の基本的な布置は、『名指しと必然性』第三講義が設定したものだと言って過言ではない。
『ウィトゲンシュタインのパラドックス』——クワス算と意味の懐疑論
1982年に刊行された『ウィトゲンシュタインのパラドックス——規則・私的言語・他人の心』は、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』の規則遵守をめぐる考察から、驚くべき懐疑論的議論を取り出した書物である。クリプキ自身、これはウィトゲンシュタインの正確な注釈でも自分自身の見解でもなく、「クリプキの心を打った限りでのウィトゲンシュタイン」の再構成だと断っている。この微妙な位置づけゆえに、本書の立場は「クリプケンシュタイン」という渾名で呼ばれるようになった。
議論の中心にあるのが、有名な「クワス算」の思考実験である。私が「68+57」という、これまで一度も計算したことのない足し算に「125」と答えるとする。ここに懐疑論者が現れてこう問う——あなたが過去に「+」で意味していたのは、実は足し算(プラス)ではなく「クワス算」——両方の数が57未満なら足し算と同じ値を、それ以外なら5を返す関数——だったのではないか。もしそうなら、正しい答えは「5」である。この挑戦を退けるには、私が過去にクワスではなくプラスを意味していたという事実を示さねばならない。だが、私の過去の計算事例は有限個であり、有限の事例はプラスともクワスとも無数の別の関数とも整合する。
候補となる事実は次々と斥けられる。心に浮かんだ規則の表現やイメージは、それ自体がさまざまに解釈可能であり、規則を解釈で基礎づけようとすれば無限後退に陥る。「私は足し算をするよう傾向づけられていた」という傾向性への訴えも失敗する。傾向性は有限であり(十分大きな数の計算はそもそも遂行できない)、また計算間違いの傾向も含むため、私が何を意味していたか——私がどう答えるべきかという規範——を決定できない。かくして、私が「+」で何かを意味しているという事実はどこにも存在しない、という懐疑論的パラドックスが帰結する。クリプキはこれを「哲学がこれまで目にした中で最も急進的で独創的な懐疑論的問題」と評した。
懐疑論的解決とその批判
クリプキのウィトゲンシュタインは、このパラドックスに「懐疑論的解決」を与える。ヒュームが因果の必然的結合の実在を否定しつつ因果的言明の実践的正当性を救ったように、懐疑論的解決は、意味の事実の存在を否定する懐疑論者に譲歩したうえで、意味に関する言明の役割を別の仕方で救出する。意味の言明は、事実を記述して真になるのではなく、一定の条件のもとで主張することが正当化される——その主張可能性条件は、共同体の実践に存する。「彼は足し算を意味している」と言うことは、彼の反応が共同体の反応と一致しており、彼を計算の実践への参加者として受け入れてよい、と認めることなのである。ここから私的言語の不可能性が系として導かれる。共同体から孤立した個人には、規則に従っていることと従っていると思い込んでいることの区別が存在しえないからだ。
この解釈と解決の双方に、激しい批判が浴びせられた。解釈面では、ベイカーとハッカーらが、これはウィトゲンシュタイン自身の立場の重大な誤読だと論じた。『探究』201節はパラドックスの提示の直後に、規則の把握は解釈ではなく実践のうちに示されると述べており、ウィトゲンシュタインはパラドックスを受け入れたのではなく、それを生む前提——規則遵守を解釈の連鎖とみなす見方——を診断して退けたのだ、というのである。マクダウェルも同様の路線から、懐疑論的解決の必要そのものを否定した。
内容面でも、傾向説の擁護者たちは理想化や成功の生物学的機能に訴えて反論を試み、他方ボゴジアンは、意味についての非事実主義はあらゆる言明の内容へと波及して自壊するのではないかと指摘した。懐疑論的解決が結局は意味の実在を密輸入しているのか、それとも一貫した立場でありうるのかは、現在も決着していない。しかし確かなのは、意味の規範性、傾向性と規則、共同体と客観性という現代の意味の理論の中心的争点の多くが、この一冊によって設定されたということである。
クリプキの真理論——嘘つきパラドックスと接地
クリプキの技術的業績のうち哲学的に最も重要なものが、1975年の論文「真理の理論の概要」である。主題は古来の嘘つきパラドックス——「この文は偽である」という文が真なら偽、偽なら真になるという難問——である。タルスキの古典的な解決は、真理述語を対象言語から追放し、言語の階層——対象言語について語るメタ言語、それについて語るメタメタ言語……——を立てるものだった。しかし自然言語は現に自らの真理述語を含んでおり、階層説はこの事実を説明できない。さらにクリプキは、パラドックス性が文の形だけからは決まらないことを鮮やかに示した。「ウォーターゲイトについてのニクソンの発言はすべて偽だ」という一見無害な文も、当のニクソンの発言内容という経験的事実の巡り合わせ次第でパラドックスに陥りうるのである。
クリプキの積極的提案は、真理述語を部分的にしか定義されない述語として扱うことである。まず真理値の定まった、真理述語を含まない文から出発し、「Pは真である」という文にはPに真理値が与えられた段階で真理値を与える——この操作をクリーネの強三値論理のもとで繰り返す(超限回続ける)と、やがてそれ以上新しい文に真理値が付与されない「不動点」に到達する。最小不動点で真理値を持つ文は「接地している(grounded)」と呼ばれる。「この文は偽である」という嘘つき文は、いくら手続きを繰り返しても真理値の割り当てが到達しない接地していない文であり、真でも偽でもない真理値の間隙に落ちる。こうして、自らの真理述語を含む無矛盾な言語のモデルが構成できるのである。
もっともクリプキは、自らの理論の限界にも率直であった。「嘘つき文は真でない」という診断そのものは対象言語の内部では表現できず、メタ言語に登らざるをえない——彼自身の言葉では「タルスキの階層の亡霊」がなお付きまとう。強化された嘘つき文によるこの種の「復讐問題」は、グプタとベルナップの改訂理論、フィールドの理論など後続の諸理論を生む原動力となった。今日の形式的真理論は、賛否いずれの側からであれ、クリプキの不動点構成を出発点として展開されている。
分析哲学への影響——形而上学の復権
クリプキの影響として第一に挙げるべきは、分析哲学における形而上学の復権である。論理実証主義は形而上学を無意味として葬り、クワインは本質主義を論理的混乱として退けていた。クリプキは、必然性と可能性、本質と起源、種の本性といった伝統的主題が、厳密な道具立てのもとで探究可能であることを示した。ルイスの様相実在論、プランティンガやスタルネイカーの可能世界論、ファインの本質論など、1970年代以降に開花した分析形而上学は、クリプキが開いた空間の中で育ったのである。
言語哲学では、クリプキの反記述主義は、ドネランの確定記述論、カプランの指標詞の論理、パトナムの自然種論と合流して「指示の新理論」「直接指示論」と呼ばれる潮流を形成した。パトナムの双子地球の思考実験と「意味は頭の中にはない」という意味論的外在主義は、固有名についてのクリプキの洞察を心的内容の理論へと拡張したものであり、認識論や心の哲学の風景を塗り替えた。他方、記述理論の側にも洗練された再反論が現れ、二次元意味論のように必然的アポステリオリを再解釈する試みも展開されている——論争は終わっておらず、まさにそのことがクリプキの問題設定の生命力を示している。信念文をめぐる論文「信念についてのパズル」が提起したピエールの難問も、命題的態度の理論における基本文献であり続けている。
心の哲学における反物理主義論法、クリプケンシュタインをめぐる意味の理論、不動点構成をめぐる形式的真理論——クリプキが手を触れた領域のすべてで、彼の議論は後続の研究の座標系となった。哲学者を対象とする近年の調査で、クリプキはしばしば過去二世紀の最重要哲学者の一人に挙げられ、存命当時には「現存する最大の哲学者」と評されることも稀ではなかった。数百ページの刊行物でこれだけの変革を成し遂げた例は、哲学史上ほとんど類を見ない。
結論
クリプキの哲学を貫くのは、素朴な直観の擁護という一見逆説的な革新性である。名は対象をじかに指すという直観、世界は別様でありえたという直観、痛みは感じられる通りのものだという直観——クリプキは、洗練された理論がこれらの直観を説明し去ろうとするとき、理論の側を疑えと教えた。そしてその擁護は、素朴さへの居直りではなく、可能世界意味論と固定指示子という精密な道具によって遂行された。直観の深さと論理の厳密さの結合——それがクリプキのスタイルであり、以後の分析哲学の標準となったものである。
むろん、その遺産は完成された体系ではない。記述理論の復権を試みる論者、本質主義に懐疑的な論者、クリプケンシュタインを誤読と断じる注釈者は今も後を絶たない。しかし、彼らが戦いを挑むその戦場の地形そのものが、クリプキの設計になるものである。18歳の完全性定理から晩年の未刊行講義まで、クリプキが遺した問いは、言語・様相・心・真理をめぐる現代の探究の中で生き続けている。
クリプキが変革した言語哲学の伝統については、フレーゲからラッセルに至る言語哲学の古典と、クリプキ以後の展開を扱う現代の言語哲学を参照されたい。規則遵守論の源泉であるウィトゲンシュタイン、および分析哲学全体の見取り図を与える分析哲学入門もあわせて読まれたい。