クワイン——自然主義と存在論的コミットメント

はじめに:一つの論文が変えた地形

1951年、『フィロソフィカル・レビュー』誌に「経験主義の二つのドグマ」と題する二十数頁の論文が掲載された。著者ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(Willard Van Orman Quine, 1908-2000)は、当時ハーバード大学の若い論理学者であり、論理実証主義の内部で育った人物である。この論文が標的にしたのは、彼自身が学んだ運動の根本前提そのものだった。分析的真理と総合的真理のあいだに原理的な区別があるという想定、そして有意味な言明はすべて感覚経験についての言明に還元できるという想定——この二つを、クワインは経験主義が経験的根拠なしに保持してきた「ドグマ」と呼んだ。

この論文以後、英語圏の哲学の地形は書き換わった。哲学が経験科学から独立した先験的な学であるという自己理解は動揺し、意味・必然性・分析性といった概念は自明の道具でなくなった。同時に、クワインが積極的に提示したもの——知識を周縁で経験に接する信念の網の目として捉える像、「あるとは変項の値であること」という存在論的コミットメントの基準、認識論を心理学の一章として捉え直す自然主義——は、その後半世紀の議論の共通の出発点となった。

もっとも、クワインは勝利した哲学者ではない。彼の主張の多くは激しい反論を招き、いくつかは今日では退けられたと考える論者も多い。それでもなお彼が二十世紀後半の最も重要な哲学者の一人であることは疑いない。彼が問いを立て直した仕方が、賛成派と反対派の双方の議論の枠組みになったからである。本稿では、生涯を確認したうえで、二つのドグマ批判、全体論、存在論、翻訳の不確定性、自然化された認識論を順にたどる。

生涯——ハーバード、ウィーン学団、カルナップ

クワインは1908年、オハイオ州アクロンに生まれた。オーバリン大学で数学を専攻し、そこでラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』を知る。1930年にハーバード大学院に進み、ホワイトヘッドの指導のもと、わずか二年で学位を得た。学位論文は『プリンキピア』の論理体系の一般化を試みるものであり、以後の彼の哲学が一貫して論理学の技術的作業と結びついていたことを示している。

1932年から翌年にかけて、旅行奨学金を得た彼はヨーロッパを巡る。ウィーンではシュリックのサークルに出入りし、プラハではルドルフ・カルナップのもとで数か月を過ごした。カルナップの妻イナが『言語の論理的構文論』の原稿をタイプするのを、クワインは横で一頁ずつ読んだという。ワルシャワではレシニェフスキ、ウカシェヴィッチ、そしてタルスキと交わった。この一年が彼の哲学を決定づけた。とりわけカルナップについて彼は、「私の最大の教師」であり知的な父であったと繰り返し語っている。『ことばと対象』はカルナップに捧げられている。

しかし師弟の関係は、早い時期から理論的対立を孕んでいた。1934年、ハーバードでカルナップ哲学を紹介する連続講義を行った直後から、クワインは論理的真理を言語的約束によって説明する立場に疑いを抱く。1936年の論文「約束による真理」で、彼は決定的な難点を指摘した。約束から論理的真理を導出するには、導出のための論理がすでに前提されていなければならない。約束を無限に列挙することはできないから、一般的な約束から個別の帰結を引き出す推論が必要であり、その推論こそ論理なのだ。ここから約束説は無限後退に陥る。

その後の経歴は安定している。1936年からハーバードの教員となり、第二次大戦中は海軍情報部でドイツ潜水艦の暗号解読に従事、1956年からエドガー・ピアス哲学教授、1978年に退官した。主著は『数理論理学』(1940)、『論理的観点から』(1953)、『ことばと対象』(1960)、『存在論的相対性』(1969)など。カルナップとの往復書簡は生涯続き、両者の対立は二十世紀分析哲学における最も生産的な論争の一つとなった。

「経験主義の二つのドグマ」——分析/総合の区別への批判

第一のドグマは、分析的真理と総合的真理のあいだに根本的な断絶があるという信念である。分析的真理とは、意味だけによって真となる文——「独身者はみな未婚である」——であり、総合的真理とは、世界のありようによって真偽が決まる文である。この区別は、論理実証主義にとって死活的だった。数学と論理学を分析的真理として経験から切り離すことで、経験主義でありながら数学の必然性を認めることができたからである。

クワインの攻撃は、分析性という概念そのものが明晰に規定できるかという点に向かう。彼は分析的とされる文を二種に分ける。第一は論理的真理——「結婚していない男はみな結婚していない」のように、論理語以外をどう置き換えても真であり続ける文。これは問題がない。問題は第二の種類である。「独身者はみな未婚である」が分析的であるとされるのは、「独身者」を同義語「未婚の男」で置き換えると第一の種類に変わるからだ。したがってここでは「同義性」の概念が説明を担っている。

では同義性とは何か。「定義による」と答えるなら、辞書編纂者は既存の同義性を報告しているにすぎず、説明は循環する。「真理値を変えずに相互置換可能であること」と答えるなら、外延が偶然一致する語(心臓を持つ生物と腎臓を持つ生物)を排除できない。それを排除するために「必然的に」という副詞を導入すれば、必然性の概念が分析性を前提するのだから、また循環に戻る。人工言語の「意味規則」に訴える道もあるが、規則が指定するのは「言語Lにおいて分析的」であって、分析性一般が何であるかは説明されない。分析性、同義性、定義、必然性、意味規則——これらは互いに寄りかかり合う閉じた円環をなしており、そのどこにも経験的な足場がない。

この批判の力を評価するには、クワインが何を要求しているかを見る必要がある。彼は分析性という語に用法がないと言っているのではない。それが行動的・経験的な基準によって特定できないと言っているのである。「経験と無関係に真である文」を実際の言語使用のうちに探しても、話者が「何があろうと放棄しない」と言う文の集合が得られるだけで、それは程度の問題にすぎない。

還元主義批判と確証の全体論

第二のドグマは還元主義である。すなわち、有意味な言明はすべて、直接経験を指示する語からの論理的構成に翻訳できるという信念。これは検証主義の意味理論の裏面である。文の意味とはその検証方法であるとするなら、各文には固有の検証条件がなければならない。

クワインは、この計画が挫折した歴史を指摘する。カルナップの『世界の論理的構築』(1928)は最も真剣な試みだったが、物理的世界の記述を感覚与件の言語へ翻訳する作業は途中で頓挫した。カルナップ自身、「性質qが時空点x,y,z,tにある」という結合を規約的に扱わざるをえなくなり、厳密な翻訳の理念を放棄している。クワインの診断はさらに深い。翻訳が技術的に難しいのではない。個々の文が固有の経験的内容を持つという前提自体が誤っているのである。

ここで登場するのが確証の全体論である。「外的世界についてのわれわれの言明は、個別にではなく、ただ一つの集団としてのみ、感覚経験の法廷に立つ」。ある予測が外れたとき、どの仮説が誤っていたのかは、その予測を導いた仮説の集合を見ても決まらない。理論的仮説は単独では観察を含意せず、補助仮説、観測機器の理論、初期条件、そして論理と数学とともに初めて予測を生む。反証されるのはこの全体であり、どこを修正するかは論理が決めるのではない。

この洞察の先駆はピエール・デュエムにある。『物理理論』(1906)で彼は、物理学の実験は孤立した仮説を断罪することはできず、理論的な一群全体を審判にかけるのだと論じた。両者を合わせて「デュエム=クワイン・テーゼ」と呼ばれる。ただし重要な違いがある。デュエムはこれを高度に数学化された物理学に限定し、生理学のような分野を明示的に除外した。クワインはこれを科学全体に、さらには論理と数学にまで拡張した。「経験的有意味性の単位は科学全体である」。この極端な定式について、クワイン自身が後年「必要以上に強かった」と認め、理論の一定のまとまりに関する「穏健な全体論」に後退している。

知識の網の目モデル

「二つのドグマ」の結論部で、クワインは有名な比喩を提示する。「われわれのいわゆる知識ないし信念の総体は、最も偶然的な地理と歴史の事柄から、原子物理学や純粋数学や論理学の最も深い法則に至るまで、周縁においてのみ経験と接する人工の構築物である」。知識は網、あるいは力の場(field of force)である。

この網の内部には序列がある。周縁に近いのは個別的な観察に関する信念であり、中心に近いのは論理法則や数学の定理である。だがこの序列は種類の違いではなく、修正への抵抗の度合いの違いである。周縁で経験との衝突が起これば、網の内部で再調整が行われる。どこを調整するかを決めるのは、経験ではなく、実用的な考慮——保守性(既存の信念体系への変更を最小にする)と単純性——である。

ここから二つの帰結が導かれる。第一に、「いかなる言明も、体系の他の部分に十分に思い切った調整を加えるならば、何があっても真であり続けさせることができる」。周縁的な観察報告さえ、幻覚として処理すれば救える。第二に、逆に「いかなる言明も改訂を免れない」。排中律の改訂が量子力学の単純化の手段として提案されてきたことを、クワインは例に挙げる。論理も数学も原理的には可謬なのだ。

この像がもたらす最大の帰結は、哲学と科学の境界の消失である。分析/総合の区別が崩れれば、経験に依存しない領域としての哲学を切り出す根拠がなくなる。「思弁的形而上学と自然科学のあいだに想定されてきた境界は、ぼやける」。存在論的な問い——数は存在するか、物理的対象は存在するか——も、科学理論の選択と同じ土俵で、実用的な理由に基づいて決着させられる。クワインが「物理的対象は認識論的にはホメロスの神々に比べられる措定物であり、両者の違いは程度の差であって種類の差ではない」と書いたのは、この意味においてである。ただし彼は続けて、物理的対象の措定のほうが「経験の流れの扱いやすい構造を作り出す装置として優れている」ことを認めており、この一節は相対主義の表明ではない。

存在論的コミットメント——「あるとは変項の値であること」

1948年の論文「なにがあるのか」(On What There Is)は、存在論の問いに新しい形を与えた。クワインはまず、存在をめぐる論争が陥る奇妙さを指摘する。「ペガサスは存在しない」と言うためには、存在しないと言われる当のものが何らかの意味で「ある」のでなければならない——プラトンの髭と呼ばれるこの難問は、存在しない対象に亜種の存在を認める立場を生んできた。

クワインの解決はラッセルの記述理論を用いる。「ペガサスは存在しない」を、「ペガサス化する何ものかが存在する、ということはない」と書き換える。固有名を確定記述に、確定記述を量化文に還元すれば、存在を否定するために対象を措定する必要はなくなる。この操作を一般化すると、存在論的なコミットメントの所在が明確になる。

ここから有名な基準が出てくる。「あるとされることは、まったく単純に、変項の値とされることである(To be is to be the value of a variable)」。ある理論がどのような存在者を認めているかは、その理論を一階述語論理の正準的記法に整えたとき、その言明が真であるために束縛変項の変域に何が入っていなければならないか、を見ればわかる。名前の使用ではなく、量化がコミットメントを担う。クワインは同時に、同一性の基準を持たない対象を認めることを拒んだ——「同一性なきところに存在者なし」。

この基準は、存在論の問いを「何があるか」から「われわれの最良の理論は何があると言っているか」へと移す。そして重要な帰結が続く。科学は数学を不可欠に用い、数学は集合や数への量化を含む。したがって最良の科学理論を受け入れる者は、抽象的対象へのコミットメントも受け入れざるをえない。これがクワイン=パトナムの不可欠性論証である。クワインは気質としては唯名論者であり、1947年にネルソン・グッドマンと唯名論的な構築を試みたが、失敗を認め、集合についてはやむをえない実在論者となった。この論証には、数学抜きの物理学を構築しようとしたハートリー・フィールドの『数のない科学』(1980)など多くの応答がある。

存在論的相対性

存在論的コミットメントの基準は、何が存在するかを決定するものではない。それは、理論が何にコミットしているかを読み取る手続きにすぎない。1968年のデューイ講義「存在論的相対性」で、クワインはこの点をさらに徹底させ、驚くべき結論に到達する。

彼が用いるのは「代理関数(proxy function)」の議論である。ある理論の対象領域の各要素に、別の対象を一対一で対応させる関数を考える。たとえば各対象をその単集合に、あるいは各物体をそれが占める時空領域に対応させる。そのうえで理論のすべての述語を、この対応に応じて再解釈する。すると、理論のすべての文の真理値は保存され、観察との結びつきも一切変わらない。外から見て何も違いは生じないのに、理論が語っている対象はまったく別のものになっている。

この結果が示すのは、理論の指示対象が、その理論の内部からは決定されないということである。では何によって決まるのか。クワインの答えは「背景理論に相対的にのみ」である。ある理論の存在論について語ることは、それを別の理論の言語に翻訳することを意味し、その別の理論の存在論についてもまた同じ問いが立つ。位置の絶対性が意味を持たず、座標系に相対的にのみ意味を持つのと同様である。

無限後退はどこで止まるのか。クワインは、実践的には「母語に安住し、その語をそのまま額面どおりに受け取る」ところで止まると述べる。これは根拠づけではなく、後退の停止点の指定である。この立場を懐疑論や相対主義と読むのは誤りだ、と彼は繰り返し注意した。彼は物理的対象が実在することを一貫して主張している。相対的なのは、われわれの理論がどの対象について語っているのかという問いのほうであり、世界の存在ではない。

翻訳の不確定性——ギャヴァガイ問題

『ことばと対象』(1960)第二章で展開される「根本的翻訳(radical translation)」の思考実験は、二十世紀哲学で最もよく知られた議論の一つである。設定はこうだ。言語学者が、既知のいかなる言語とも縁のない未知の共同体を訪れ、通訳も辞書もなしに、住民の発話と観察可能な環境と行動だけを手がかりに翻訳マニュアルを作る。

兎が走り抜けたとき、原住民が「ギャヴァガイ」と発声する。言語学者は「兎」と訳す。だがこの訳は正しいのか。同じ場面で真となる語は他にもある。「切り離されていない兎の部分」「兎の時間的段階」「兎性の顕現」「すべての兎の融合の一部」。これらの候補は、どれも兎が現れるときにかぎって適用され、兎がいないときには適用されない。刺激の側からは区別がつかない。

言語学者はこの差を検証しようとして、指さしながら「これはあれと同じギャヴァガイか」と問うことを思いつく。だがそのためには、原住民の言語における「同じ」「これ」「部分」といった個体化の装置を、すでに訳せていなければならない。そしてそれらの装置の訳こそが、いま問われているものなのである。クワインはこの種の対応づけを「分析仮説」と呼ぶ。分析仮説は、発話行動に関するすべての証拠と両立しながら、互いに相容れない複数の体系として立てられうる。

ここから翻訳の不確定性テーゼが出る。「複数の翻訳マニュアルを作ることができ、そのすべてが言語傾向性の総体と両立しながら、たがいに両立しない」。決定的に重要なのは、クワインがこれを認識論的な限界としてではなく、存在論的な主張として立てている点である。証拠が不足しているために正しい訳がわからないのではない。「事実の問題そのものが存在しない」。もしそうなら、話者の心のうちに「本当の意味」があるという発想自体が放棄されねばならない。フレーゲ以来の命題や意味という存在者への疑いは、ここで頂点に達する。

指示の不可測性

クワインは後年、二つの不確定性を明確に区別するようになった。文全体の翻訳に関わる「翻訳の不確定性」と、語のレベルでの「指示の不可測性(inscrutability of reference)」である。ギャヴァガイの例が直接に示すのは後者である。

指示の不可測性は、代理関数の議論と直結している。「兎」を「兎の時空領域」に読み替え、それに応じて述語を系統的に調整すれば、文の真理値は変わらない。外部からの検証はすべて文の真理値を通じて行われるのだから、語がどの対象を指しているかは、行動的な証拠によって原理的に決まらない。しかも、この論点は異言語の翻訳に限られない。同じ英語話者どうしについても、相手の「兎」が何を指しているかは同じ理由で決まらない。クワインは、指示の不可測性が自分自身にも適用されることを認め、これを「家庭内翻訳」の問題と呼んだ。

こう聞くと、日常のコミュニケーションが不可能になるように思われる。クワインの答えは明快である。指示が決まらなくても、文と文の関係、そして文と観察の関係は決まる。翻訳マニュアルが異なっても、観察文の対応は保存される。コミュニケーションに必要なのは、内的な意味の一致ではなく、行動的な適合なのだ。ここには、意味を心的実体としてではなく公共的な言語運用として捉える彼の一貫した姿勢がある。

なお、翻訳の不確定性と理論の経験的決定不全(underdetermination)の区別は重要だ。後者は、同じ観察証拠と両立する複数の物理理論がありうるという主張であり、クワインも認める。だが物理理論の場合、少なくとも「どちらが真か」という問いは意味を持つ。翻訳の場合、彼によれば、その問いすら意味を持たない。この非対称性が正当化できるかどうかは、彼の議論の最も争われた点である。

自然化された認識論

1969年の論文「自然化された認識論」で、クワインは認識論のプログラムそのものを組み替える。彼はまず、伝統的認識論が二つの課題を抱えてきたことを整理する。概念的課題——物体についての語りを感覚経験の語りへと定義によって還元すること。教義的課題——自然についてのわれわれの知識を感覚的証拠から演繹的に正当化すること。前者はカルナップの『世界の論理的構築』で、後者はヒュームの帰納の問題で、それぞれ挫折した。「ヒュームの窮境は人間の窮境である」。

では認識論は放棄されるのか。クワインの答えは、その位置を変えることである。「認識論、あるいはそれに類するものは、心理学の一章として、したがって自然科学の一章として、そのまま収まる」。研究すべき問いはこうなる——人間には貧しい入力しか与えられていない。感覚受容器への一定のパターンの照射。それにもかかわらず出力は豊かである。三次元の世界とその歴史についての理論。この入力と出力の関係を、実際の科学的方法で調べればよい。

この提案には明白な循環の疑いがつきまとう。知識を正当化するために科学を用いるなら、その科学の正当性は誰が保証するのか。クワインの応答は、その問いは基礎づけ主義の残滓だというものである。彼は「第一哲学」——科学に先立ちそれを基礎づける哲学——の可能性そのものを否定する。ノイラートの舟の比喩がここで使われる。われわれは航海しながら舟を修理する船乗りに似ており、乾ドックに引き上げて一から作り直すことはできない。

最も強い批判は、規範性の消去に向けられた。ジェグォン・キムは1988年の論文で、認識論とは何が信じるに値するかを扱う規範的な学であり、信念形成の因果的過程を記述する心理学に置き換えれば、それはもはや認識論ではないと論じた。クワインの応答は、規範性は消えず「真理探究の技術学」として残る、というものである。予測の成功という目的を所与とすれば、その目的に対する手段の良し悪しは経験的に評価できる。「規範的認識論は工学の一分野になる」。この応答が十分かどうかについては、今日も議論が続いている。

刺激意味と行動主義的意味論への批判

クワインの意味論は徹底して行動主義的である。「言語は社会的技術である。言語を習得するにあたって、われわれは他人の目に見える振る舞いのもとで見える状況において何を言うかということ以外、何ものにも頼ることができない」。ここから彼は、意味の代替物として「刺激意味(stimulus meaning)」という概念を組み立てる。ある文の肯定的刺激意味とは、話者にその文への同意を促すような感覚刺激の類である。

この装置は、観察文と場合文・恒常文の区別を可能にする。観察文とは、その刺激意味が共同体の話者のあいだでほぼ一致する文である。「兎だ」「雨だ」といった文がこれにあたる。観察文は理論負荷が最も少なく、根本的翻訳の足がかりとなり、科学的証拠の基盤ともなる。逆に「電子は質量を持つ」のような理論文の刺激意味は、話者の理論的背景に大きく依存する。クワインの経験主義は、この観察文の層においてのみ経験と接触する。

行動主義への批判は激しかった。ノーム・チョムスキーは1968年の論文で、クワインの議論には二つの問題があると論じた。第一に、翻訳の不確定性と称するものは、あらゆる経験科学に共通する理論の決定不全にすぎず、意味論に特有の事態ではない。第二に、意味についての証拠がすべて行動的でなければならないという前提には根拠がない。心的能力に関する内的な構造を仮定することは、他の科学と同様に正当である。両者の対立の背後には、言語能力を生得的な文法から説明するチョムスキーの立場と、条件づけと類似性判断から説明しようとするクワインの立場の根本的な相違がある。

クワイン自身、純粋な行動主義に完全にとどまったわけではない。彼は言語習得を説明するために、刺激どうしの類似性を判断する生得的な「質の空間」を認めざるをえないと述べている。この譲歩は、経験主義の内部にどこまで生得的構造を持ち込めるかという問題を残した。晩年の『刺激から科学へ』(1995)でも、刺激概念を神経受容器の活性化として物理的に規定し直すなど、枠組みの再調整が続けられている。

現代への影響——デイヴィドソン、パトナム、そして反論者たち

クワインの影響を最も深く受け継いだのはドナルド・デイヴィドソンである。彼は根本的翻訳を「根本的解釈」へと組み替え、他者の発話を解釈する営みが、信念の帰属と意味の付与を同時に行わざるをえないことを示した。そこで働くのが「寛容の原理」——相手をおおむね真なる信念を持つ者として解釈せざるをえないという制約である。デイヴィドソンはさらに、1974年の論文「概念枠という考えそのものについて」で、クワインが残した「第三のドグマ」を告発する。それは概念枠(枠組み)と経験的内容という二元論であり、これを捨てれば、比較不可能な概念枠という発想自体が成立しなくなる。師の全体論を、師の残余を削ぎ落とすことで徹底させた形である。

ヒラリー・パトナムは、初期にはクワインの不可欠性論証を共有しつつ、やがて袂を分かった。彼はクワインの行動主義的意味論を斥け、「意味は頭のなかにない」とする外在主義を展開する。後年には、事実と価値の二分法を批判する文脈でクワインの分析/総合批判を援用しながら、彼の自然主義それ自体には反対する立場をとった。

反論の系譜も重要である。ポール・グライスとP・F・ストローソンは「あるドグマの擁護」(1956)で、分析/総合の区別には確立した使用があり、哲学者たちが一貫して同じ事例を分類できる以上そこには何かがあるはずだと論じた。クワインが要求する非循環的な還元的定義は、他のいかなる哲学的概念にも与えられていないほど厳しい基準だ、と。ソール・クリプキの『名指しと必然性』(1980)は、必然性・アプリオリ性・分析性を切り分け、後天的必然と先天的偶然の事例を示すことで、クワインが一括して疑った様相概念を復権させた。彼が最後まで拒み続けた量化様相論理は、この後、可能世界意味論の整備とともに標準的な道具になる。意味の全体論に対しても、ジェリー・フォーダーとアーネスト・ルポアの『全体論——買い物ガイド』(1992)が体系的な批判を加えた。

それでも、クワインが設定した枠組みは生き延びている。ペネロピ・マディの「第二哲学」、ティモシー・ウィリアムソンによる論理学の非例外主義——論理法則もアブダクションによって選ばれるという主張——など、自然主義の系譜は現在も更新され続けている。分析性の擁護もまた洗練された形で復活しており、クワインの否定的結論は今日、定説というより、なお論駁を試みられ続けている強力な挑戦として位置づけられている。

結論

クワインの仕事を一言でまとめるなら、哲学を科学の外側から基礎づけようとする試みの解体、ということになるだろう。分析/総合の区別が崩れるとき、経験に依存しない先験的な真理の領域という哲学の避難所が失われる。還元主義が崩れるとき、個々の文が固有の経験的意味を持つという想定が失われる。認識論が自然化されるとき、科学を審査する第一哲学の座が失われる。残るのは、科学の内部で、科学の道具を使って、科学と同じ可謬性を引き受けて営まれる哲学である。

この立場は多くの困難を抱えている。翻訳の不確定性は「事実の問題がない」という強い形で立てられたが、その根拠となる行動主義的な意味観自体が争われている。全体論はクワイン自身が穏健化を認めた。存在論的相対性は、相対主義でないと言われながら、その否認の根拠が必ずしも明晰でない。自然化された認識論から規範性を救い出す試みも、成功したと広く認められてはいない。彼の主要テーゼのうち無傷のまま残っているものは多くない。

それでもクワインが決定的に重要なのは、彼が哲学の議論の仕方を変えたからである。彼以後、意味・必然性・分析性といった概念を無反省に使うことは難しくなった。存在論的な主張をするなら理論を正準的記法に整えてコミットメントを明示せよ、という要求は標準になった。哲学と科学の関係をどう考えるかは、立場の別を問わず避けて通れない問いとなった。哲学者は自らの舟を海上で修理する船乗りである——このノイラート的な自己理解は、クワインが遺した最も持続的な像である。彼を否定する者もまた、この海の上で議論しているのだ。

クワインの師でありながら最大の論争相手でもあった人物についてはカルナップを、彼の全体論を継承しつつ乗り越えようとした後継者についてはデイヴィドソンを、そして彼が活動した知的伝統の全体像については分析哲学入門を参照されたい。