はじめに:哲学の「終わり」から始めた哲学者
リチャード・ローティ(Richard Rorty, 1931-2007)ほど、20世紀後半の哲学界を挑発し、二分した哲学者は少ない。分析哲学の中枢プリンストン大学の教授でありながら、その内部から「認識論を中心とする哲学は終わった」と宣言し、プラトン以来の伝統——心が実在を正確に映し出す「自然の鏡」であり、哲学はその映りの良さを判定する特権的学問であるという構図——そのものを解体しようとしたからである。分析哲学者たちは彼を裏切り者と呼び、大陸系や文学研究の読者たちは彼を解放者として迎えた。
しかしローティの企ては、単なる哲学破壊ではない。彼は、ジェイムズとデューイのプラグマティズムを、クワイン、セラーズ、デイヴィドソン、後期ウィトゲンシュタインの言語哲学と接合し、「ネオプラグマティズム」と呼ばれる潮流を作り出した。真理とは実在の模写ではなく、私たちの実践の中でうまく働く記述である。哲学の課題は、永遠の基礎を発見することではなく、より残酷さの少ない社会と、より豊かな自己創造の語彙を作り出すことに貢献することである——これがローティの一貫した主張であった。
本稿では、ローティの生涯をたどったうえで、主著『哲学と自然の鏡』における表象主義批判、認識論中心の哲学の解体、真理の対応説批判とプラグマティズムの継承、『偶然性・アイロニー・連帯』のリベラル・アイロニスト論、公私の区別、残酷さの回避と連帯、そして文化政治としての哲学とアメリカ左派論までを順に検討し、最後に彼をめぐる批判と論争を概観する。
生涯——分析哲学のエリートから「裏切り者」へ
ローティは1931年、ニューヨークの左翼知識人の家庭に生まれた。父ジェイムズ・ローティと母ウィニフレッド・ラウシェンブッシュは、ともにトロツキーに共感する反スターリン主義左派の文筆家であり、母方の祖父は社会的福音運動の神学者ウォルター・ラウシェンブッシュである。少年ローティは、社会正義への献身と、野生の蘭の採集という私的で審美的な情熱との間で引き裂かれていた。後年の自伝的エッセイ「トロツキーと野生の蘭」で彼は、この二つを単一の哲学的視座で統合しようとした青年期の野心と、その統合は不要であり不可能だという後年の結論を語っている。公共的な正義と私的な完成は別の営みでよい——この洞察は、後の公私区別論の実存的な種子となった。
15歳でシカゴ大学に入学した早熟な秀才は、ハーツホーンの指導でホワイトヘッドに関する修士論文を書き、イェール大学で1956年に博士号を取得した。兵役を経て、ウェルズリー大学を経由し、1961年に分析哲学の牙城プリンストン大学に着任する。1967年には論文集『言語論的転回』を編纂し、その序文で分析哲学の方法論を内在的に吟味してみせた。この時期のローティは、心の哲学における消去的唯物論の先駆的論文を書くなど、第一線の分析哲学者として着実な経歴を積んでいた。
転機は1979年の『哲学と自然の鏡』である。分析哲学の成果を用いて分析哲学の自己理解を掘り崩すこの書物は激しい論争を巻き起こし、同年の米国哲学会東部部会長講演「プラグマティズム・相対主義・非合理主義」は、会場を騒然とさせたことで語り草となった。1982年、ローティは哲学科を離れ、ヴァージニア大学の人文学教授(講座名は「人文学」であって「哲学」ではない)に移り、1998年からはスタンフォード大学の比較文学教授となった。哲学科からの二度の離脱は、彼の思想の軌跡そのものの象徴である。1989年の『偶然性・アイロニー・連帯』、1998年の『アメリカ 未完のプロジェクト』など、後期の著作は哲学の専門的読者を超えて広く読まれた。2007年、膵臓癌のため死去。
『哲学と自然の鏡』——表象主義批判
『哲学と自然の鏡』の標的は、個々の哲学説ではなく、近代哲学全体を支えてきた一つのイメージである。すなわち、心とは自然を映す鏡のごときものであり、知識とは鏡面上の正確な表象であり、哲学とは表象の正確さを判定する規準を提供する特権的な学問である、というイメージだ。ローティによれば、このイメージは人間の認識の本性に関する発見ではなく、特定の歴史的経緯の産物である。デカルトが内的表象の劇場としての「心」を発明し、ロックが知識の正当化の問題を心的過程の因果的記述と混同し、カントが哲学を諸文化の主張を裁く法廷として制度化した。認識論を中心とする哲学は、この三段階の歴史的構築物にすぎない。
ローティがこの構築物の解体に動員するのは、ほかならぬ分析哲学の内部で達成された三つの成果である。第一に、セラーズの「所与の神話」批判。正当化は信念と信念の間の論理的関係であって、非概念的な感覚的所与が信念を正当化することはできない。第二に、クワインの分析・総合の区別への批判。経験から独立に真であるような命題の特権的階級は存在せず、したがって哲学が独占的に扱う「概念的真理」の領域も存在しない。第三に、後にデイヴィドソンから引き出される、枠組みと内容の二元論への批判である。ローティは、これらの批判を徹底すれば、知識を表象の正確さとして捉える構図そのものが崩れると論じた。
表象主義が崩れたあとに残るのは、知識についての別の見方——ローティが「認識論的行動主義」と呼ぶ、知識とは社会的な正当化の実践であるという見方だ。ある信念が知識であるかどうかは、心と実在の間の神秘的な一致関係によってではなく、その信念を仲間に対して正当化できるかどうかによって決まる。正当化は「社会的現象であって、『知る主体』と『実在』との間の取引ではない」。この会話モデルへの転換こそ、本書の核心である。
認識論中心の哲学の解体——鏡のメタファーを捨てる
「鏡としての心」のメタファーを捨てるとき、何が変わるのか。ローティの答えは大胆である。認識論という学問分野そのものが、その存在理由を失う。認識論は、あらゆる知識主張が共約可能となる中立的な規準の体系を求める企てであった。しかし、そのような規準が文化のあらゆる領域に先立って存在するという想定こそ、鏡のメタファーの産物である。哲学者は、科学者や詩人や政治家の語ることの「認識的地位」を判定する裁判官ではありえない。
ローティはここで、認識論に代わるものとして「解釈学」を提案する。ただしそれは、認識論と同じ仕事をより上手くやる後継学問ではない。解釈学とは、共約不可能な語彙の間で交わされる会話に参入し、聞き慣れない語り方を学び、自らの語彙を変容させていく営みの名である。認識論が正常な(規準の合意がある)言説を扱うとすれば、解釈学は異常な(規準の合意がない)言説と付き合う技法である。哲学の役割は、真理の法廷であることをやめ、諸言説の間の「会話の仲介者」となることだ。
同書の結末でローティは、哲学史を「体系的哲学者」と「啓発的哲学者」の系譜に二分する。前者——デカルト、カント、フッサール、ラッセル——は哲学を永遠の基礎の上に据えようとし、後者——キルケゴール、ニーチェ、そして20世紀の三巨人としてのウィトゲンシュタイン、ハイデガー、デューイ——は、その企ての空虚さを暴露し、会話を続けることそのものに価値を見出した。ローティが自らを位置づけるのは、言うまでもなく後者の系譜である。哲学の目的は真理の獲得ではなく「会話の継続」であるという同書最終章の宣言は、以後のローティの全著作の綱領となった。
真理の対応説批判とプラグマティズムの継承
ローティの反表象主義は、真理論においては対応説批判として現れる。真理の対応説は、真なる信念とは実在をあるがままに映す信念だと考える。しかしローティによれば、「実在をあるがままに映す」という観念は、検証も使用もできない空虚な賛辞である。私たちは自分の信念と「裸の実在」を突き合わせることはできず、信念と信念を突き合わせることができるだけだ。『偶然性・アイロニー・連帯』の定式を借りれば、世界は私たちの外にあるが、世界についての記述は外にない。真理は文の性質であり、文は語彙に依存し、語彙は人間が作るものである以上、「人間の心から独立した真理そのもの」という観念は仕事をしていない。
この立場は、ジェイムズとデューイの再評価と結びついている。ローティは1982年の論文集『プラグマティズムの帰結』で、分析哲学が「乗り越えた」とみなしてきた古典的プラグマティストたちこそ、分析哲学が半世紀かけてようやく到達しつつある地点——所与の神話の放棄、真理の対応説の放棄、哲学と科学の連続性——を先取りしていたと論じた。ジェイムズの「真理とは信念にとって善いもの」という定式、デューイの、知識を環境との相互作用の道具とみなす道具主義は、嘲笑の対象ではなく、表象主義以後の哲学の出発点である。とりわけデューイは、哲学を文化批評として、民主主義の深化に奉仕する営みとして実践した点で、ローティにとって20世紀最大の哲学者であった。
ただしローティの継承は選択的である。彼は、デューイの「経験」の形而上学やパースの収束的真理観——探究の理想的終局における合意としての真理——を、表象主義への未練として切り捨てる。真理を「正当化」から区別された目標とみなす必要はなく、私たちにできるのは、現在の聴衆に対する正当化をより良くしていくことだけだ。自由を大切にすれば、真理は自分で自分の面倒を見る——このデューイ的な楽観こそ、ローティ版プラグマティズムの標語である。この徹底化が古典的プラグマティズムの歪曲か正統な発展かをめぐっては、今日まで論争が続いている。
『偶然性・アイロニー・連帯』——三重の偶然性
1989年の『偶然性・アイロニー・連帯』は、『哲学と自然の鏡』の批判的作業を、積極的な文化的ヴィジョンへと展開した書物である。第一部が論じるのは三重の偶然性、すなわち言語の偶然性、自己の偶然性、共同体の偶然性である。言語の偶然性とは、いかなる語彙も「自然そのものの言語」ではなく、歴史の偶然が生み出した道具だということである。ローティはデイヴィドソンの隠喩論に依拠しつつ、知的・道徳的進歩を、真理への漸進的接近としてではなく、ガリレオやニュートンやフロイトが新しい隠喩を投げ込み、それが定着して字義通りの語彙となっていく過程として描く。
自己の偶然性は、ニーチェとフロイトを導きの糸とする。自己は発見されるべき本質ではなく、偶然的な刻印の網の目であり、自己認識とは自己創造、すなわち自らの偶然を自らの言葉で記述し直す営みである。詩人こそ、この自己創造の模範である。共同体の偶然性は、リベラルな民主主義社会の制度と語彙もまた、歴史的偶然の産物であって、普遍的理性や人間本性による基礎づけを持たないし、必要ともしないという主張である。重要なのは基礎づけではなく、この社会をより良くしていくための具体的な希望と制度である。
ここで鍵となるのが「終極の語彙(final vocabulary)」という概念である。誰もが、自らの行為と信念と人生を正当化するために用いる、それ以上遡れない言葉の集合——「善」「正義」「美」「革命」「教会」など——を持っている。この語彙が偶然の産物であることを直視するとき、人はアイロニストへの入口に立つ。
リベラル・アイロニストという理想
本書が提示する理想の人間像が「リベラル・アイロニスト」である。アイロニストとは、第一に、自分の現在の終極の語彙に対して根底的で継続的な疑いを抱く者、第二に、その疑いが現在の語彙の内部では解消できないと知る者、第三に、自分の語彙が他の語彙より実在に近いとは考えない者である。アイロニストは、自らの最も深い信念や欲求すら時と偶然の産物であることを直視し、それでもなおその信念に基づいて生きる。基礎づけなしに献身する能力——それがアイロニーの核心である。
他方「リベラル」の定義を、ローティは政治思想家ジュディス・シュクラーから借りる。リベラルとは、残酷さこそ私たちがなしうる最悪のことだと考える人々である。したがってリベラル・アイロニストとは、自らの語彙の偶然性を自覚しつつ、残酷さの軽減という希望を手放さない人間である。この組み合わせは一見不安定に見える。自分の価値が偶然の産物なら、なぜそれのために闘えるのか。ローティの答えは、基礎づけと献身の結びつきこそ切断すべき哲学的偏見だ、というものである。「自分の信念が相対的に偶然的だと認めながら、なおそのために躊躇なく立つ」——彼がシュンペーターとバーリンから引くこの態度こそ、文明人の証である。
注意すべきは、ローティがアイロニーを公共的な徳としては勧めていないことである。アイロニーは本質的に私的な事柄であり、公共の場で必要なのは、残酷さへの感受性と民主的制度への忠誠で足りる。哲学的な基礎づけを求める公共文化よりも、基礎づけの問いを手放した「脱形而上学的」文化の方が、リベラルな希望にとってむしろ強靭だ、というのがローティの賭けであった。
公私の区別——ニーチェとハイデガーの私事化
『偶然性・アイロニー・連帯』の最も論争的な提案が、公と私の峻別である。西洋哲学は、プラトン以来、自己完成への欲求と正義への欲求を単一の理論で統合しようとしてきた。私にとって善いことと万人にとって善いことは究極的に一致する、と。ローティはこの統合の企てを放棄せよと言う。自己創造の語彙と正義の語彙は、どちらも手放す必要はないが、単一の視座に統合される必要もない。両者は、絵筆とバールのように、異なる目的のための異なる道具である。
この区別の実践的帰結が、ニーチェ、ハイデガー、デリダといった思想家たちの「私事化」である。彼らは自己創造の天才であり、西洋の語彙全体を相手取ってそれを記述し直すその手つきは、私的完成の道具として比類なく有益である。しかし彼らを公共的な政治の教師として読むこと——ニーチェの貴族主義やハイデガーのナチス加担から政治的教訓を引き出すこと、あるいは逆に彼らの政治的過誤ゆえにその著作を焚書にすること——は、カテゴリーの取り違えである。ニーチェは私的な完成の教師として読まれるべきであり、公共的正義についてはミルやデューイやロールズに聞けばよい。同様にローティは、デリダ的な脱構築を政治的実践とみなすアカデミック左派の傾向を、私的な愉しみと公共的な責任の混同として批判した。
もちろんこの区別には批判が絶えない。フェミニズムが示したように「個人的なことは政治的なこと」であり、公私の境界線そのものが政治的争点ではないのか。ナンシー・フレイザーらはこの点を鋭く突いた。ローティの応答は、公私の区別は領域の区別ではなく用途の区別だ、というものである。同じテクストが私的に読まれも公共的に読まれもする。区別されるべきは書物や生活の領域ではなく、自己創造という目的と残酷さの軽減という目的なのである。
残酷さの回避と連帯——哲学から文学へ
では、残酷さへの感受性と連帯は、哲学的基礎づけなしにどのように育まれるのか。ローティの答えは、理論から物語へ、哲学から文学への重心移動である。人が他者の苦痛に敏感になるのは、「人間の尊厳」の演繹によってではなく、具体的な他者の苦しみの詳細な記述に触れることによってである。この点で、民族誌、ジャーナリズム、そして何より小説は、道徳哲学の論文よりも道徳的進歩に寄与してきた。ストウ夫人の小説が奴隷制廃止運動に果たした役割を、カントの定言命法の注釈が果たしたことがあるだろうか。
『偶然性・アイロニー・連帯』の後半でローティは、二人の小説家を詳細に読む。ナボコフは、審美的至福の追求者が身近な他者の苦痛に気づかないという残酷さ——『ロリータ』のハンバートの無関心——を内側から描き、オーウェルの『1984年』は、他者を辱め、その世界記述を破壊することの残酷さを、オブライエンという人物において示した。文学は、私たち自身が残酷でありうる仕方を教える鏡であり、また、これまで「彼ら」でしかなかった人々の苦痛を「私たち」の苦痛として感じさせる装置である。
ここからローティ独自の連帯論が導かれる。連帯とは、あらゆる人間に共通する本質——理性、神の似姿、人間性そのもの——の認識ではない。そのような中核の存在こそ、彼が疑う形而上学的想定である。連帯とは、宗教・種族・習俗といった伝統的な差異を、苦痛と辱めの前では重要でない差異とみなしていく能力であり、「私たち」の範囲を想像力によって拡張していく歴史的達成である。連帯は発見されるのではなく、創られる。道徳的進歩とは、より多くの他者を「私たちの一員」として記述できるようになることなのだ。
文化政治としての哲学——『アメリカ 未完のプロジェクト』と左派批判
後期ローティは、哲学を「文化政治」として、すなわち、どのような語彙で社会的希望を語るべきかをめぐる提案の営みとして実践した。その代表作が1998年の『アメリカ 未完のプロジェクト』(原題は「我らの国を達成する」)である。ホイットマンとデューイを導き手に、ローティは、アメリカを完成した理念の体現としてではなく、市民が誇りをもって作り続けるべき未完のプロジェクトとして描く。国への誇りは、個人の自尊心と同様、より良くなろうとする努力の条件であり、恥の記憶だけでは政治的行為は生まれない。
同書の中心は、20世紀アメリカ左派の内部批判である。ローティは、労働運動と結んで具体的な立法と再分配のために闘った世紀前半の「改良主義的左派」と、ベトナム戦争以後に大学へ撤退し、経済的不平等よりも文化とアイデンティティの理論的分析に注力するようになった「文化左派」を対比する。文化左派は、偏見と排除への感受性を高めるという実質的な貢献をなしたが、システムの全体的批判に耽って具体的な政策を語らず、「傍観者の左派」になったというのが彼の診断である。グローバル化が生む経済的没落と文化左派への疎外感が放置されれば、労働者はやがて既存の政治への幻滅から扇動的な強権的指導者を求めるようになるだろう——同書のこの一節は、2016年のトランプ当選後に「予言」として世界中で再発見され、ローティの名を再び時事的な文脈に浮上させた。
ローティ自身の政治的立場は、革命ではなく漸進的改良を、理論ではなく具体的提案を重んじる、あくまで古典的な社会民主主義であった。哲学的には過激なアイロニストが、政治的には穏健な改良主義者である——この組み合わせは矛盾ではなく、まさに公私区別論の実践であった。ポストモダンの理論家という世評とは裏腹に、晩年の彼が繰り返し説いたのは、組合、累進課税、医療保険といった散文的な希望だったのである。
批判と論争——相対主義という亡霊
ローティほど多方面から批判された哲学者も珍しい。最大の論点は相対主義である。真理が対応ではなく正当化の問題なら、ナチスの語彙とリベラルの語彙の優劣を語る足場はあるのか。長年の対話者ヒラリー・パトナムは、内在的実在論の立場から、ローティが正当化を「現在の仲間内の合意」に切り詰めることで、正当化がもつ規範性——私たちは合意を超えて正しくも間違ってもいる——を説明できなくしていると批判した。ハーバーマスもまた、ローティを近代の自己理解を掘り崩す「暴露の批判」の系譜に位置づけつつ、妥当性要求は各々の文脈を超え出る普遍性への志向を含むと論じ、真理を正当化に還元することはコミュニケーション的理性の脱力化だと批判した。
ローティの応答は一貫している。第一に、相対主義——あらゆる見解は等しく良いという説——を主張した哲学者は実際には存在せず、この語は表象主義者が反表象主義者に貼る藁人形のレッテルである。第二に、私たちは自分たちの語彙の外に立てない以上、あらゆる正当化が自文化中心的であることは認めるべきだが、それは自文化への批判と改良を妨げない。リベラルな文化は、自らを絶えず拡張し、他者の声を取り込むことを美徳とする、いわば「自文化中心主義を恥じる自文化」である。第三に、ナチスを論駁する中立的な規準がないことは、ナチスと闘えないことを意味しない。基礎づけの不在は実践の不能ではない、と。
このほか、分析系からはローティのクワイン、セラーズ、デイヴィドソン解釈の強引さが(デイヴィドソン自身、ローティによる「同盟者」認定にしばしば留保をつけた)、プラグマティズム研究者からはジェイムズ、デューイ解釈の選択性が、政治哲学からは公私区別の実行不可能性が、それぞれ批判されてきた。しかし特筆すべきは、パトナムやハーバーマスとの論争が生涯にわたる相互敬意に貫かれていたことである。規準の共有なしにも会話は続けられるというローティの主張を、彼自身の論争実践ほどよく例証するものはない。
結論
ローティの哲学を貫くのは、保証なしに希望を語る態度である。心は自然の鏡ではなく、真理は実在の模写ではなく、自己と言語と共同体はどこまでも偶然の産物である。しかしこの偶然性の承認は、ニヒリズムではなく、むしろ責任の引き受けへと通じる。私たちの語彙と制度が偶然の産物であるならば、それをより残酷さの少ないものへと作り変える責任は、神にも理性にも歴史にも転嫁できず、私たち自身にあるからだ。基礎づけの喪失を嘆くのではなく、基礎づけなしでやっていく成熟——デューイから受け継いだこの実験主義的な希望こそ、ローティがネオプラグマティズムという名で提案したものである。
その挑発は今も哲学を規定している。ブランダムやマクダウェルの規範性の哲学は、ローティが開いた表象主義以後の空間での応答であり、真理と正当化をめぐる論争、哲学と文学の関係、リベラリズムの基礎づけ問題、そして民主主義における知識人の役割をめぐる議論において、ローティは賛否いずれの側からも避けて通れない参照点であり続けている。哲学の「終わり」を語った哲学者が、これほど豊かな哲学的会話を生み出したことは、会話の継続こそ哲学の目的だという彼の主張の、何よりの証明かもしれない。
ローティが復興させたプラグマティズムの系譜については、ウィリアム・ジェイムズ、デューイの各回を、運動全体の見取り図についてはプラグマティズム入門を参照されたい。