はじめに——ロールズへの最強の対抗者
1971年、ジョン・ロールズの『正義論』が刊行され、長らく「死んだ」とさえ言われてきた規範的政治哲学は一挙に息を吹き返した。その3年後の1974年、ロールズと同じハーヴァード大学哲学科に籍を置く36歳の哲学者ロバート・ノージック(Robert Nozick, 1938-2002)が、『アナーキー・国家・ユートピア』を世に問う。その書き出しはあまりにも有名である。「個人は権利をもつ。そして、いかなる個人も集団も、(その権利を侵害することなしには)個人に対してなしえない事柄が存在する」。この一文から出発してノージックは、国家が正当になしうるのは暴力・盗み・詐欺からの保護と契約の履行強制のみであり、それを超える「拡張国家」——所得を再分配する福祉国家を含む——は個人の権利を侵害するがゆえに不正である、という挑発的な結論を導いた。
『正義論』が平等主義的リベラリズムの金字塔であるとすれば、『アナーキー・国家・ユートピア』はそれに対する最も強力な対抗の書である。同書は1975年の全米図書賞(哲学・宗教部門)を受賞し、それまで学界の周縁にあったリバタリアニズム(自由至上主義)に初めて第一級の哲学的定式化を与えた。以後、政治哲学の教室では「ロールズ対ノージック」が分配的正義をめぐる基本の対立軸として教えられることになる。
もっともノージック自身は政治運動家ではなく、機知に富んだ文体と大胆な思考実験を愛する生粋の理論家であった。本稿では、その生涯をたどったのち、『アナーキー・国家・ユートピア』の主要な議論——最小国家の正当化、権原理論、ウィルト・チェンバレン論証、ロールズ批判、経験機械、ユートピア論——を順に検討し、後年の思想的変化と、影響および批判までを概観する。
生涯——社会主義の青年からハーヴァードの哲学者へ
ロバート・ノージックは1938年、ニューヨークのブルックリンに、ロシアから移民したユダヤ系の小事業家の息子として生まれた。コロンビア大学で哲学を学び、シドニー・モーゲンベッサーの薫陶を受ける。注目すべきことに、学生時代のノージックは社会主義に共鳴する左派の青年であり、学生団体「産業民主主義学生連盟」のコロンビア支部設立にも関わっている。後年の急進的な自由市場の擁護者からは想像しがたい出発点である。
プリンストン大学大学院では、科学哲学者カール・ヘンペルの指導のもとで個人的選択の規範理論、すなわち決定理論に関する博士論文を書き、1963年に学位を取得した。転機はこの時期に訪れる。ハイエクやミーゼスらの自由主義経済学の著作に触れ、さらに個人主義的アナーキストのマレー・ロスバードとの議論を重ねるうちに、ノージックは資本主義に対する道徳的批判は成り立たないのではないかと考えはじめ、リバタリアニズムへと「転向」したのである。プリンストン、ハーヴァード、ロックフェラー大学で教えたのち、1969年、30歳の若さでハーヴァード大学の正教授に就任した。
ノージックは同じ講義を二度行わないことで知られ(例外は「人生における最良のもの」と題する講義だけだったと伝えられる)、毎年新しい主題を選んで学生とともに考えた。1981年の『哲学的説明』(邦訳『考えることを考える』)以降は政治哲学を離れ、知識論、人格の同一性、合理性、客観性へと関心を広げていく。1998年にはハーヴァードのユニヴァーシティ・プロフェッサー職に就き、アメリカ哲学会東部部会の会長も務めた。1994年に胃癌と診断されてからも執筆を続け、最後の著書『不変量』を完成させたのち、2002年1月23日、63歳で世を去った。
『アナーキー・国家・ユートピア』の背景
ノージックはもともと決定理論と知識論を専門としており、政治哲学者として出発したわけではない。しかし1960年代末から70年代初頭のアメリカでは、ヴェトナム戦争と公民権運動を背景に、国家の正当性そのものが知的争点となっていた。1971年にはマイケル・ウォルツァーとともに資本主義と社会主義をめぐる講義をハーヴァードで担当し、この論争的な授業が本書の母体の一つとなった。執筆の大部分は、1971年から72年にかけてのスタンフォードの行動科学高等研究センター滞在中になされている。
重要なのは、本書の出発点がロールズではなくアナーキズムだということである。ロスバードら個人主義的アナーキストは、国家とは本質的に強制と収奪の装置であり、どれほど小さな国家であっても不正だと論じていた。ノージックはこの挑戦を正面から受け止め、政治哲学の根本問題は「そもそも国家は存在すべきか」であるとした。かくして本書は三部構成をとる。第一部はアナーキストに抗して最小国家が正当化されうることを示し、第二部は福祉国家リベラルに抗して最小国家以上のいかなる国家も正当化されないことを論じ、第三部はその最小国家が魅力あるユートピアの枠組みでもあることを描く。
序文でノージック自身が認めるように、その結論は他者の苦境に冷淡なものと受け取られかねないものであり、彼はためらいなくそこに到達したわけではなかった。「最後の言葉以外の言葉にも、語られる余地はある」と彼は書く。結論を宣告するのではなく、読者とともに探究するこのスタイルこそ、本書が敵対者からも愛読される理由である。
自然権とロック的但し書き
ノージックの理論の土台は、ロック的な自然権の構想である。各人は生命・身体・自由、そして正当に獲得した財産に対する権利をもつ。ノージックの際立った特徴は、この権利を「side constraints」、すなわち行為への側面制約として解釈した点にある。権利は、最大化されるべき目標ではなく、他者を扱う際に決して越えてはならない道徳的な境界線である。たとえ権利侵害の総量を減らすためであっても、一人の権利を侵害することは許されない。この構想の背後にはカントの人格の定式——人格を単なる手段としてではなく目的として扱え——があり、さらに「人格の別個性」の強調がある。社会全体の利益のために一部の人を犠牲にすることは、実際には、犠牲を引き受ける社会的実体などどこにも存在しない以上、ある人々を他の人々のために利用することにほかならない。
この権利論の核心は自己所有権の観念である。各人は自分自身の身体と能力の所有者であり、それゆえ誰も、本人の同意なしにその労働や才能の成果を徴発することはできない。ではこの自己所有から、外的資源に対する所有権はどのように生じるのか。ノージックはロックの労働混合論——無主物に自らの労働を混合した者はそれを取得する——を批判的に検討しつつ、ロックが付した有名な条件、すなわち「他の人々にも十分な、同じだけ良いものが残されている」ことという「ロック的但し書き」を再定式化する。
ノージック版の但し書きによれば、取得が正当であるのは、それによって他の人々の状況が、その物が取得されなかった場合の基準線よりも悪化しない場合である。私的所有制度は生産性の向上を通じて非所有者にも利益を与えるから、通常この条件は満たされる。しかし但し書きは取得後も財の使用に影を落とし続ける。砂漠で唯一の水場を所有する者は、言い値で水を売りつけることはできない。この限定は、ノージックの体系に残されたわずかな、しかし理論的には重要な譲歩である。
最小国家の正当化——保護協会からの「見えざる手」的説明
第一部の課題は、国家の存在そのものを不正とみなすアナーキストへの応答である。ノージックの戦略は独創的だ。国家が、誰の権利も侵害することなく、しかも誰も国家の樹立を意図することなく、ロック的自然状態から自生的に生成しうることを示すのである。彼はこれを、アダム・スミスにちなんで「見えざる手」的説明と呼ぶ。
議論はこう進む。自然状態では各人が自らの権利を自力で執行しなければならないが、これは不便で危険である。そこで人々は相互保護のための団体を結成し、やがて保護サービスは分業化され、対価をとって権利執行を請け負う保護協会が生まれる。保護サービスの性質上、同一地域で競合する協会のうち最も強力なものに顧客が集中するため、一定の領域内に「支配的保護協会」が成立する。この協会が、加入していない独立人による危険で信頼できない私的な権利執行を、顧客の保護のために禁止するとき、実力の独占を備えた「超最小国家」が現れる。そして禁止によって不利益を被る独立人に対しては補償が必要であり、最も安価な補償は彼らに保護サービスを提供することであるから、協会は領域内の全員を保護する存在、すなわち「最小国家」へと移行する。
この一連の過程のどの段階でも、権利侵害は生じていない——これがノージックの主張である。国家は原罪なしに生まれうるのであり、アナーキストの根本的反論は退けられる。しかし正当化されるのはここまでである。夜警国家とも呼ばれるこの最小国家を超えて、国家が再分配や父権主義的介入のために強制力を行使するならば、それは個人の権利の侵害となる。第二部の主題は、まさにこの「それ以上の国家」の否認である。
権原理論——獲得・移転・匡正の三原理
分配的正義をめぐるノージックの積極的な理論が「権原理論」である。彼はまず「分配」という言葉自体に警戒を促す。社会には財を配り直す中央の分配者など存在せず、財は無数の個人の生産と交換を通じて、はじめから特定の人々の権原(エンタイトルメント)とともに世界に現れる。正義の問題は、望ましい配分パターンを設計することではなく、人々の保有が正当な経緯で成立したかを問うことなのである。
権原理論は三つの原理からなる。第一は「獲得における正義の原理」であり、無主物の当初の取得がいかなる場合に正当かを定める(前述のロック的但し書きがここで働く)。第二は「移転における正義の原理」であり、贈与・売買・交換など、自発的な移転によって保有が正当に移ることを定める。正義にかなう状態から正義にかなう手段によって生じた状態は、それ自体正義にかなう。第三は「不正の匡正の原理」であり、過去の獲得や移転が窃盗・詐欺・征服・奴隷化などの不正を含んでいた場合に、その帰結をどう是正すべきかを扱う。ノージックはこの理論を「各人からはその選ぶところに従って、各人へはその選ばれるところに従って」という標語に要約した。
権原理論の特徴は、それが「歴史的」原理だという点にある。分配の正しさは、現時点の配分の形状(誰がどれだけ持っているか)からは判定できず、そこに至る来歴によってのみ判定される。この点で権原理論は、平等や功績や必要といった型に従う「パターン化された」原理や、結果状態のみを見る「結果状態原理」と鋭く対立する。なお匡正の原理について、ノージックは注目すべき譲歩を行っている。過去の不正の連鎖を正確に追跡できない現実の社会では、大まかな経験則として、たとえば最も不遇な人々の状態を改善する政策が匡正の近似として正当化されうるかもしれない、というのである。アメリカ社会の歴史的不正を考えれば、この留保の射程は決して小さくない。
ウィルト・チェンバレン論証——パターン化された分配理論の批判
パターン化された正義論への批判として、ノージックは20世紀政治哲学で最も有名な思考実験の一つを提示する。ウィルト・チェンバレン論証である。仮に、あなたが最も正しいと考える分配パターン——たとえば完全な平等——が実現した状態D1から出発しよう。そこで名バスケットボール選手チェンバレンが、入場料のうち25セントを自分が受け取るという契約でプレーし、100万人のファンが喜んでそれを支払ったとする。シーズン終了後、彼は25万ドルを手にし、平等というパターンは崩れた状態D2が生じる。
ここで問おう。D2は不正なのか。D1は仮定により正義にかなっており、D1からD2への移行は、自分の正当な保有を自発的に手放した人々の行為のみからなる。正義にかなう状態から正義にかなうステップで生じた状態が不正でありうるだろうか。もしパターン理論家がD2を不正と言うなら、彼は人々が正当な持ち分を望み通りに用いることを禁じなければならない。ノージックの結論は簡潔である。「自由はパターンを覆す」。いかなる分配パターンも、人々の自由な取引によって絶えず攪乱されるため、パターンを維持しようとする社会は、絶えざる介入——再分配か、あるいは「同意する成人間の資本主義的行為」の禁止——を必要とするのである。
この論証は課税国家への根底的な批判に接続する。ノージックによれば「労働収益への課税は強制労働と同等である」。あなたの労働時間の一部の成果を、あなたの同意なく他者の目的のために徴収することは、その時間だけあなたを他者のために働かせることであり、他者にあなたに対する部分的な所有権を与えることに等しい。それは自己所有権の侵害なのだ。この一節はリバタリアニズムの最も先鋭なスローガンとなり、同時に最も激しい反発を招くことになった。
ロールズ批判——格差原理への反論
第二部の白眉はロールズ批判である。ノージックはまず最大限の敬意を表する。『正義論』は「政治哲学者はいまや、ロールズの理論の内部で仕事をするか、さもなければなぜそうしないのかを説明しなければならない」ほどの偉業である、と。しかしその上で、彼はロールズ理論の根本構造に異議を申し立てる。
第一の批判は、原初状態という装置そのものに向かう。無知のヴェールの背後の当事者たちは、社会的協働の産物をあたかも天から降ってきたマナのように扱い、その分け方だけを議論する。しかし現実の財は、特定の人々の労働と選択によって、すでに権原を帯びて生産されるものである。来歴を捨象する原初状態は、構造上、結果状態原理しか生み出しえない。つまりロールズの装置は、歴史的権原理論をはじめから排除しており、論点を先取りしているのである。
第二の批判は格差原理に向かう。ロールズは、生まれつきの才能の分布は道徳的観点から見て恣意的であり、才能ある者の利得は最も不遇な人々の利益に資する限りで許されるとし、自然的才能の分布を「共同の資産」とみなすことを提案した。ノージックはこれに強く反発する。人々の才能や努力の成果を社会の共有資源として扱うことは、人格をその属性から切り離し、人々を互いの目的のための手段とすることであり、ロールズ自身が依拠するカント的な人格の尊重と衝突する。才能が「値しない」ものだとしても、そこから権原が生じないことにはならない。私が自分の目をもつに値するかどうかにかかわらず、私の目は私のものであり、たとえ移植で盲人が救えるとしても、国家がそれを徴発することは許されないのと同じである。分配的正義をめぐるロールズとノージックの対立は、才能・運・応報をめぐる現代の議論の出発点であり続けている。
経験機械——快楽主義への反例
『アナーキー・国家・ユートピア』は政治哲学の書だが、そこには倫理学史に残る思考実験も含まれている。「経験機械」である。優秀な神経心理学者たちが、脳を刺激して望みのままの経験を与える機械を発明したとしよう。タンクに浮かんで電極につながれたあなたは、偉大な小説を書き、友情を結び、恋をする——そのすべてを、現実と区別のつかない経験として味わえる。人生のあらゆる経験をあらかじめプログラムできるとして、あなたはこの機械に生涯接続するだろうか。
ノージックの見立てでは、ほとんどの人は接続を拒む。そしてその理由を分析することで、快楽主義——善とは快い経験の総量であるという立場——の限界が明るみに出る。第一に、私たちは何かを「したい」のであって、したという経験だけが欲しいのではない。第二に、私たちは特定の種類の人間で「ありたい」。タンクに浮かぶ存在は勇敢でも誠実でもありえない、いわば不定形の塊にすぎない。第三に、私たちは人工的な現実ではなく、より深い実在との接触を求めている。快楽や満足の経験がどれほど豊かでも、それだけでは良き生は構成されない。私たちにとって、経験の内側の感じ以外の何かが重要なのである。
この論証は、功利主義の価値論的基礎に対する強力な反例として、幸福・福利をめぐる現代の哲学的議論で繰り返し参照されてきた。ノージックが同書で提示したもう一つの反功利主義的思考実験「功利の怪物」——他人の犠牲から途方もない快を引き出すがゆえに、功利計算上すべてを与えられるべき存在——とあわせて、彼の思考実験は、政治的立場の違いを超えて哲学の共有財産となっている。VR技術が現実味を帯びた今日、経験機械はむしろ切実さを増した問いだと言えよう。
ユートピアの枠組み
しばしば読み飛ばされる第三部で、ノージックは最小国家を別の角度から擁護する。最小国家は、権利論から強いられる痩せた必要悪であるだけでなく、心を高揚させるユートピアの「枠組み」でもある、というのである。議論の出発点は人間の多様性だ。ウィトゲンシュタインとエリザベス・テイラー、トマス・マートンとヨギ・ベラ——これほど異なる人々のすべてにとって最善であるような、唯一の生き方や共同体が存在するだろうか。存在しないとすれば、唯一の理想社会を万人に課すいかなる企ても、必然的に誰かの理想を踏みにじる。
ノージックの答えは「メタ・ユートピア」である。ユートピアとは一つの完成した社会ではなく、人々が自発的に多様な共同体を結成し、実験し、離脱できる環境そのものである。この枠組みの内部では、社会主義的コミューンも、宗教的共同体も、平等主義的な共同生活も自由に試みられてよい。リバタリアンの枠組みは、内部が非リバタリアン的な共同体を排除しない。決定的なのは、参加が自発的であり、離脱の自由が保障されていることだけである。そして、この枠組みの役割を果たすものこそ最小国家にほかならない。
かくして本書は、権利論から出発した第一部と第二部の議論が、ユートピア論という第三の柱と合流して閉じられる。最小国家は私たちを、侵しえない権利をもつ個人として、すなわち他者の手段や資源としてではなく尊厳ある人格として扱い、自らの生を自ら選ぶことを許す。国家や個人の集団が、どうしてそれ以上のことを——あるいはそれ以下のことを——あえてなしうるだろうか。これが本書を結ぶ問いかけである。
後年の思想的変化——政治哲学の彼方へ
意外なことに、ノージックはその後、政治哲学にほとんど戻らなかった。批判への応答に生涯を費やすこと——彼の言い方では「『アナーキー・国家・ユートピアの息子』を書き続けること」——を望まなかったのである。1981年の大著『哲学的説明』では、相手を論破し強制する「強制的な哲学」を退け、説明と理解を目指す哲学を提唱しつつ、真理追跡としての知識の理論(懐疑論への独創的応答)や、人格の同一性をめぐる「最近接継続者」理論を展開した。1993年の『合理性の本質』では、決定理論から出発した経歴に立ち返り、原理に従うことの機能や、行為の象徴的効用を組み込んだ合理的決定の理論を提示している。
政治的立場についても軽視できない変化があった。エッセイ集『生のなかの螺旋』(The Examined Life, 1989)でノージックは、「かつて私が唱えたリバタリアンの立場は、いまでは深刻に不十分なものに思われる」と述べ、人道的配慮や共同の協働的活動を理論の織物に十分織り込めていなかったと自己批判した。民主的な政治参加には、市民が互いの連帯を公的に表現するという象徴的意義があり、それをすべて権利侵害として切り捨てることはできない。相続についても、世代を超えて富の集中が連鎖することへの制限を示唆している。もっとも晩年の2001年のインタビューでは、自分がリバタリアニズムを捨てたという噂は誇張であり、以前ほど強硬でなくなっただけだと語っており、転向の幅については解釈が分かれる。
実際、死の前年に刊行された最後の著書『不変量』(2001)は、変換のもとでの不変性として客観性を定義する壮大な理論の中で、倫理の核心を相互利益のための自発的協働に置き、義務として強制しうるのはこの中核部分のみであって、より高次の倫理は各人の自発性に委ねられるべきだと論じている。強制の最小化という直観は、最後まで彼の思想の基調であり続けたのである。
影響と批判
『アナーキー・国家・ユートピア』の影響は学界の内外に及んだ。学問的には、リバタリアニズムを「まじめに反論すべき立場」へと引き上げ、分配的正義をめぐるあらゆる議論が権原理論との対決を避けられなくなった。政治的には、1980年代の市場志向への転回——レーガンとサッチャーの時代——の知的雰囲気の中で、ハイエクやフリードマンとともに小さな政府の思想的後ろ盾として読まれた。もっともノージック自身は政策論をほとんど書かず、保守派の看板として扱われることを嫌った。また彼の議論は、自己所有権の前提を受け入れつつ資源の平等な分配を主張する「左派リバタリアニズム」という対抗潮流をも生み出しており、その影響は右派に限られない。
批判もまた豊饒であった。トマス・ネーゲルは書評「基礎なきリバタリアニズム」で、ノージックが権利の絶対性をほとんど論証なしに前提していると突いた。実際、側面制約としての権利がなぜ財産権にまで及ぶのか、その基礎づけは本書の中で十分に展開されていない。最も体系的な批判は分析的マルクス主義者G・A・コーエンの『自己所有権・自由・平等』(1995)である。コーエンは、チェンバレン論証が第三者や将来世代に及ぼす効果を軽視していること、自己所有権から外的資源の私的所有権への移行に論理の飛躍があること、ロック的但し書きが弱すぎることを精緻に論じた。さらに、匡正の原理を真剣に適用すれば、征服と奴隷制の上に築かれた現実の所有秩序はおよそ正当化できず、権原理論はむしろ急進的な再分配を要求するのではないか、という内在的批判も繰り返されてきた。これらの批判の多くは説得力をもつが、批判者たちが一様に認めるように、批判に値する明晰さで立場を定式化したこと自体が、ノージックの功績なのである。
結論
ロバート・ノージックは、たった一冊の政治哲学書によって20世紀思想の地形を変えた。個人の権利を侵しえない側面制約として立て、国家の生成を「見えざる手」で説明し、分配的正義を来歴の正しさとして捉え直し、自由がいかなるパターンをも覆すことを示したその議論は、賛成する者にとっては解放の理論であり、反対する者にとっては、自らの立場を鍛え直すことを強いる最良の砥石であった。ロールズの平等主義とノージックのリバタリアニズムの対決は、正義と自由と運をめぐる現代のあらゆる議論の座標軸となっている。
同時にノージックは、一つの立場の完成に生涯を捧げることを拒んだ哲学者でもあった。「最後の言葉以外の言葉にも、語られる余地はある」。政治哲学から知識論へ、合理性から客観性へと軽やかに移動し、自らの過去の立場さえ修正をためらわなかったその知的誠実さは、体系の建設者とは別種の、探究者としての哲学者の姿を示している。経験機械が問うたように、大切なのは正しさの感触ではなく実在との接触である——ノージックの生涯は、この命題の哲学的実践であったと言えるだろう。
ノージックが生涯対決し続けたロールズの正義論、両者を含む20世紀の政治哲学の全体像、そして政治哲学の基本概念については政治哲学入門をあわせて参照されたい。