シェリング:自然哲学と同一哲学の体系

シェリングの生涯と思想の発展

フリードリヒ・ウィルヘルム・ジョゼフ・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling, 1775-1854)は、ドイツ観念論において、最も多才で最も独創的な思想家の一人である。彼は、イェーナ大学で、フィヒテのもとで学び、やがて、フィヒテを補完し、発展させるような独自の思想体系を構想するようになったのである。

シェリングの人生は、激動のドイツの歴史と完全に一体化している。フランス革命後のドイツの混乱の時代から、ナポレオン戦争の時期、そしてドイツの国家統一の歴史へと、その人生は展開していく。シェリングは、複数の大学で哲学教授を務め、ドイツの知識界において、最も影響力のある存在の一人であった。

初期の思想:フィヒテからの出発

シェリングの初期の思想は、フィヒテの観念論の継承者としての立場から開始される。彼は、『超越的観念論の体系』という著作において、フィヒテの自我の哲学を、一部は継承しながらも、新しい方向へと展開させようと試みたのである。

しかし、シェリングが、フィヒテと根本的に異なる点は、彼が、自然に対して、より肯定的で創造的な役割を認めようとしたことである。フィヒテにとって、自然は、本質的には自我の活動の消極的な対象、つまり「非我」であったのに対して、シェリングは、自然そのものが、精神に並行した創造的な活動を展開していると考えたのである。

自然哲学の基本原理

自然の活動と有機的統一

シェリングの自然哲学の中心的主張は、自然が、単なる死物的な物質の集合ではなく、有機的で創造的な活動の体系であるということである。自然は、生命を有する存在であり、その内部には、普遍的な創造的力が活動しているのである。

シェリングは、自然界における様々な現象、例えば磁気、化学作用、成長、そして感覚といった現象を、すべて、自然の内部的な創造的活動の表現として理解しようと試みた。自然における生命と無生物の間の区別は、本質的ではなく、むしろ程度の差に過ぎないのである。

この見解は、デカルト的な物質と精神の絶対的二元論に対する、根本的な批判を含んでいるのである。

極性と相対立する力

シェリングは、自然の内部における活動を、相対立する力の相互作用として理解する。プラスとマイナス、引力と斥力、膨張と収縮といった対立する力が、相互に作用することによって、自然の様々な現象が産出されるのである。

これらの対立する力の相互作用は、機械的なメカニズムではなく、むしろ、有機的で動的な過程である。相対立する力の緊張と統一が、自然の様々な段階を産出していくのである。

同一哲学と自然-精神の同一性

自然と精神の根本的同一性

シェリングの思想発展における最も重要な転換は、『論理体系の本質について』という著作から『自然と理性の同一性について』へと至る過程において、成就されたのである。シェリングは、自然と精神(意識)が、本質的には同一のものであることを主張するようになったのである。

自然と精神は、二つの異なる実体ではなく、むしろ、同一の根本的原理の、二つの異なる表現であるというのが、シェリングの「同一哲学」(Identitätsphilosophie)の核心である。

自然は、無意識的な精神として理解される。精神は、意識的な自然として理解される。両者は、本質的には同じ創造的活動を、異なるレベルで表現しているのである。

絶対的なもの(Das Absolute)

シェリングの後期思想では、「絶対的なもの」(Das Absolute)という概念が、中心的な役割を占めるようになる。絶対的なものは、自然と精神の根本的な統一であり、すべての個別的現象の源泉なのである。

絶対的なものは、主観的でもなく、客観的でもなく、その両者が未分化の状態にあるものなのである。この絶対的なものから、やがて、自然と精神の分化が生じ、多様な個別的現象が展開されていくのである。

シェリングは、このプロセスを、神的な創造的活動として理解した。神は、最初、無制約で自由な創造主として存在し、その創造的活動を通じて、自然と精神の世界を産出するのである。

芸術哲学

芸術の最高の地位

シェリング哲学における最も独特で最も影響力のある部分は、彼の芸術哲学である。シェリングは、芸術を、単なる装飾的な表現様式ではなく、むしろ、自然と精神の同一性を表現する、最高の活動として位置づけたのである。

シェリングにとって、芸術的創造は、科学的知識と同じ程度の重要性と普遍性を持つのである。む むしろ、芸術こそが、自然と精神の深い統一を表現する、最も適切な手段なのである。

天才と無意識的活動

シェリングは、芸術家の創造活動を、特に「天才」(genius)の活動として理解する。天才とは、自然の創造的力を、自意識的には意図していないながらも、その活動を通じて表現する人間である。

芸術の創造において、意識的な目的と無意識的な自然的力が、統一されるのである。天才は、自らが何を創造しているのかを、完全には理解していない。むしろ、天才の活動は、自然の創造的力が、人間を媒介として表現される、一つの過程なのである。

この見解は、その後のロマン主義の美学に対して、極めて大きな影響を与えることになった。

神学的含意と歴史哲学

神と自然の関係

シェリングの思想は、極めて宗教的な側面を持っている。彼は、自然と精神の同一性を、神的創造の表現と理解したのである。自然界における創造的力は、神の創造的活動の表現なのである。

しかし、シェリングの神観は、従来のキリスト教的神観とは、かなり異なるものである。シェリングの神は、超越的な創造者というよりも、むしろ、自然と精神の内部に内在する創造的力として理解されるのである。この観念は、汎神論的に見えるかもしれない。しかし、シェリングは、汎神論という批判に対して、その思想が汎神論ではなく、むしろ「絶対的観念論」であることを主張したのである。

歴史の目的論的理解

シェリングは、人類の歴史を、目的論的な過程として理解した。歴史は、無意識的な自然的段階から、やがて、意識的な精神的段階へと上昇していく過程なのである。人類の発展は、自然と精神の統一を実現していく過程として理解されるのである。

シェリングにとって、現代のドイツの文化的・精神的発展は、このような歴史的上昇過程の最新段階を代表していたのである。ドイツ文化は、人類の精神的自由と自己意識の最高段階を実現しているものと理解されたのである。

シェリングとヘーゲルの関係

イェーナ時代の共存

シェリングとヘーゲルは、イェーナ大学において、同時期に教鞭を取り、互いに影響を与え合う存在であった。彼らは、ドイツ観念論の発展における、最も重要な二人の思想家として認識されるようになったのである。

しかし、彼らの思想の方向は、やがて分岐し始めた。ヘーゲルは、シェリングの直観的で詩的な思考様式を批判し、より論理的で体系的な弁証法的方法を発展させていった。

思想的対立

シェリングの同一哲学に対して、ヘーゲルは、「知的直観」(intellectual intuition)に基づいた哲学は、特殊な内的経験に依存しており、普遍的な論証を欠いていると批判したのである。ヘーゲルは、概念と判断の弁証法的発展を通じて、より厳密で より普遍的な哲学体系を構想しようとしたのである。

ヘーゲルがやがてプロイセン哲学の最高峰となり、シェリングは、次第に思想界から周辺化されていくという歴史的運命が、ここから始まるのである。

シェリングの後期思想:肯定的な哲学

存在論の新しい展開

シェリングの思想発展において、最後の段階は、彼の「肯定的な哲学」(positive Philosophie)と呼ばれるものである。この段階において、シェリングは、従来の観念論的方法を、いくぶん修正し、存在することの事実性(Faktizität)を、より重視するようになったのである。

従来の理性的哲学は、「可能性」(possibility)の領域で思考してきた。しかし、シェリングの肯定的哲学は、「現実性」(actuality)、すなわち、現に存在しているという事実に焦点を当てるのである。

神の自由と創造

シェリングの後期思想において、神の自由と創造という問題が、新たに中心的になってくる。シェリングは、神的創造を、絶対的な自由の行為として理解するようになったのである。神は、自らの本質から必然的に自然と精神を産出するのではなく、むしろ、完全に自由な決定によって、創造を行うのである。

この思想は、従来の観念論的決定論から、より個性化された現実認識へと、シェリングの思想を転換させたのである。

シェリングの影響

ロマン主義への影響

シェリングの自然哲学と芸術哲学は、ドイツロマン主義の思想と文学に対して、決定的な影響を与えた。ノーヴァーリスやジーガルト、そしてシェリングと親友であったヘルダーリンなど、ドイツのロマン主義詩人たちは、シェリングの思想から大きな啓発を受けたのである。

シェリングが強調した自然の有機的統一、天才的創造、そして詩的直観といった観念は、ロマン主義の中心的なモティーフとなったのである。

神秘主義思想への影響

シェリングの思想は、また、19世紀から20世紀にかけての、神秘主義的、スピリチュアルな思想運動に対しても、大きな影響を与えた。彼の「知的直観」、「絶対的なもの」、そして「神の内在性」という観念は、様々な神秘主義思想の発展に寄与したのである。

現代思想への影響

20世紀から21世紀の現代思想においても、シェリングの思想は、再び注目されるようになった。特に、自然環境とのより有機的な関係、そして人間と自然の統一という問題が、重要視されるようになるにつれて、シェリングの自然哲学が、現代的な意義を獲得するようになったのである。

批判と問題点

知的直観の曖昧性

シェリングの哲学に対して、最も繰り返し提出されてきた批判は、その「知的直観」の観念が、あまりに曖昧で、論証的厳密性に欠けるものであるということである。ヘーゲルの批判が示すように、シェリングの哲学は、特定の内的経験に依存しており、その経験を共有しない者にとっては、その主張の妥当性を確認することが困難であるのである。

目的論的歴史観の問題

シェリングの歴史哲学における目的論的性格、特に、ドイツ文化の精神的優越性を主張する傾向は、その後のドイツ民族主義思想と結びつき、責任あるすべてのこととは言えない帰結をもたらしたのである。歴史を目的論的に理解する危険性は、その後の歴史哲学においても、継続して議論されることになるのである。

結論:自然と精神の統合者

シェリングは、ドイツ観念論を、フィヒテの主観的観念論から、より包括的な客観的観念論へと拡張した思想家である。彼は、自然を単なる客体としてではなく、精神に並行した創造的活動を行う、独立した存在として認識したのである。

シェリングが示した、自然と精神の根本的統一、天才的創造、そして詩的直観といった観念は、その後のロマン主義思想から現代思想に至るまで、継続して影響を与え続けているのである。

シェリングは、純粋に論理的な厳密性という観点では、ヘーゲルに劣っているかもしれない。しかし、人間の経験における多様性と豊かさを、哲学の中に取り込もうとした、その知的な勇敢さと想像力において、彼は、西洋思想における最も創造的で最も刺激的な思想家の一人として、評価されるべきなのである。