ヒューム時代背景と知的形成
デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)はスコットランドのエディンバラで生まれた、ブリテン諸島最高の哲学者の一人である。彼は、エディンバラ大学で法律を学んだが、やがて自分の天賦の才能がむしろ哲学的思考にあることを認識し、その後フランスへの亡命期を含む、極めて劇的な知識的発展過程を経験した。
1734年から1737年にかけて、ヒュームはフランスに滞在した。この滞在中に、彼は自らの最初の、そして最も重要な哲学的著作である『人間本性論』(A Treatise of Human Nature)の大部分を執筆している。わずか28歳の若さで完成されたこの著作は、人間の知識、感情、行為の全体を統一的な原理から説明しようとする、極めて野心的な試みであり、その深さと独創性においては、18世紀の最も重要な哲学的テキストの一つである。しかし、1739年から1740年にかけて出版された当初は、ほとんど注目を受けなかった。ヒューム自身は、この著作の出版について「死産」であったと述べている。
その不遇を受けて、ヒュームは『人間本性論』の思想をより簡潔で読みやすい形式に書き改める作業に取り組んだ。『人間知性研究』(An Enquiry Concerning Human Understanding, 1748)と『道徳原理についての研究』(An Enquiry Concerning the Principles of Morals, 1751)は、その成果であり、『人間本性論』の思想をより磨き上げ、より説得的に表現したものである。これらの著作は、より広い読者層に受け入れられ、ヒュームの哲学的評判を確立するのに貢献した。彼はまた、政治・経済・文学・美学について実用的で読みやすい議論を展開した『エッセイ集』(Essays Moral and Political)を発表し、さらに大部の『イングランド史』(History of England)を著して、当時のイギリスにおける代表的な歴史家としての地位も確立している。ヒュームは純粋な哲学的思考家であるにとどまらず、1763年にはフランス駐在大使館の秘書、1767年にはイギリス政府内務省の次官を務めるなど、実際の公的な活動にも携わった知識人であった。
イギリス経験論の伝統
ヒュームは、ロック、ニュートン、そしてバークリーといった、イギリスの経験論的伝統の中で、自らの思想を発展させた。彼は、ロックの感覚知覚に基づいた認識論を承継しながら、同時に、バークリーの観念論的懐疑をも吸収したのである。
ヒュームの独特な貢献は、この経験論的伝統を、より徹底的に推し進めることにあった。彼は、感覚経験だけが知識の基盤であると主張し、経験によって与えられることができない観念は、すべて、疑いの対象となるべきだと主張したのである。すべての意味のある思考は、最終的には感覚的印象に還元されなければならないという、この極めて厳格な原則こそが、ヒューム哲学全体を貫く方法論的な軸となっている。もし、ある概念が実際の感覚的経験に対応する印象を持たないなら、その概念は無意味であるか不明確である。例えば「神」や「実体」のような抽象的な概念は、それが対応する明確な感覚的印象に分解されるまで、厳密には明確ではない。
知覚と観念の区別
インプレッション(感覚)と観念(観念)
ヒュームの認識論は、二つの基本的観念の区別から開始される。インプレッション(印象)と観念である。インプレッションとは、感覚器官を通じて心の中に生じる直接的な知覚であり、色、音、痛みなど、あらゆる感覚的経験を含む。人間の心そのものが、様々な知覚——知識、感覚、感情、願望——の束(bundle)または集合に過ぎない、というのがヒュームの根本的な見方である。
これに対して、観念とは、インプレッションからの距離を置いた、心的表象である。例えば、赤色のインプレッションは、実際の赤色を知覚する時に生じるのに対して、赤色の観念は、その赤色を思い出す時に生じるのである。
ヒュームの見方によれば、インプレッションは、より生き生きとしており、より強力であり、より直接的である。観念は、より弱く、より不明確である。すべての観念は、対応するインプレッションから導き出される。つまり、私たちが何かについて考える時、その考えは、過去のインプレッションに基づいているのである。この区別は、ロックの単純な観念と複合的な観念の区別を、より精密化したものといえる。
単純観念と複合観念
ヒュームは、さらに、観念を単純観念と複合観念に区別した。単純観念は、対応する単純なインプレッションから直接導き出される。複合観念は、複数の単純な観念が心によって組み合わされて形成される。
例えば、「黄金」という観念は、黄色という観念、金属という観念、そして重さという観念が、心によって組み合わされて形成される複合観念である。しかし、ヒュームは重要な指摘をする。複合観念の全てが、実際のインプレッションに対応するわけではない。例えば、「ユニコーン」という観念は、実在しない生物の観念であるが、馬の観念と角の観念を組み合わせることによって、心によって形成されるのである。
因果関係の問題
因果性についての懐疑的分析
ヒュームが提起した最も重要で最も影響力のある問題は、因果関係に関するものである。物理学者や一般人は、世界における事象が、必然的な因果関係によって繋がっていると考えている。あるビリヤード球が別の球を衝突させる時、我々は、衝突した球の運動が、最初の球の運動によって「引き起こされた」と考える。科学的思考全体が、このような因果的推論に基づいている。
しかし、ヒュームは、このような因果的必然性について、徹底的に疑いを提出する。我々が実際に知覚できるのは何か。我々は、球Aが球Bに向かって運動し、接触すること、そしてその後、球Bが運動することを知覚することができる。しかし、我々は、球Aの運動が球Bの運動を「必然的に」引き起こすものを、知覚することができるのか。
ヒュームの答えは、否である。我々が知覚するのは、単に継続的な二つの事象の接近(contiguity)と継起(succession)である。我々は、「強制」や「必然性」を知覚しない。これらは、単に、我々の心が、二つの事象の常なる継起を経験することによって、導入する概念なのである。
習慣的期待と心理的必然性
ヒュームの重要な洞察は、因果的必然性は、物理的世界の客観的性質ではなく、むしろ、観察者の心理的状態であるということである。我々が、Aの後にはいつもBが続くという経験を何度も繰り返すと、やがて、Aを知覚する時に、自動的にBを期待するようになる。この期待は、習慣(habit, custom)によって生じるのである。
我々は、この習慣的期待に基づいて、「Aが必然的にBを引き起こす」と述べるのである。しかし、実際には、因果的必然性は、世界の中に客観的に存在するのではなく、むしろ、観察者の習慣的期待の中に存在するのである。
この見解は、極めて革新的である。それは、我々が「因果関係」と呼ぶものが、実は心理的プロセスの表現であることを示している。物理学が研究する因果関係は、単なる事象の常なる継起についての、定則的な観察の結果なのである。物理法則は、物質世界の本質的な性質を述べるのではなく、むしろ、観察された現象における規則性を述べているに過ぎないのである。
帰納法の問題
ヒュームの因果性批判と密接に関連しているのが、帰納法の問題である。帰納推論(inductive reasoning)とは、限定された数の事例から普遍的な結論を導く推論であり、例えば「太陽は昨日も上ったし、今日も上った。だから明日も上るだろう」という推論がこれにあたる。科学的知識全体が、このような帰納推論に依存している。
しかし、ヒュームは、帰納推論を正当化することは実は不可能であると主張した。帰納推論を正当化するためには、自然の一様性の原理(principle of the uniformity of nature)——過去に観察された自然の規則性が、将来においても同じように機能するという原理——が必要である。だが、この自然の一様性そのものを、どのようにして正当化できるのか。もし、この原理を帰納法によって正当化しようとすれば、帰納法そのものを正当化するために自然の一様性を仮定するという、循環的な論証に陥ってしまう。一方、自然の一様性の原理を、理性的な前提として演繹的に正当化しようとする試みもまた失敗する。なぜなら、自然の一様性は経験的な事柄であり、理性のみから導かれる原理ではないからである。
ヒュームの見方では、帰納推論の正当化は根本的に不可能である。われわれが帰納的に推論するのは、単に心理的な習慣と期待の力によってであり、その推論に哲学的な正当性があるわけではない。これは、因果性が習慣の産物にすぎないという先の分析と、まったく同じ構造を持つ問題である。
実体論への批判
自我と個別的実体
ヒュームの因果性に対する懐疑は、伝統的な実体論に対する、根本的な批判へと発展する。デカルトやロックは、実体を、属性の基盤となる、単純で統一的な存在と考えていた。物質的実体、そして精神的実体(自我)は、それぞれ独立した実体として存在すると考えられていたのである。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という命題も、一つの統一的で継続的な自我の存在を前提としている。
しかし、ヒュームは、このような実体の観念は、経験によって正当化されることができないと主張する。自我とは何か。我々が自分自身を観察する時、我々が見出すのは、特定の知覚、感情、思考である。しかし、我々は、これらの特定の知覚の背後に、統一的な「自我」という実体を知覚することはできないのである。
ヒュームは有名に述べている。「自分自身の内に、より深く入り込もうとするたび、私が常に出くわすのは、特定の知覚である。私は自分の自我を掴むことができない。」つまり、「自我」というのは、実は、継続する知覚と表象の束に過ぎないのである。自我は、実体的で単一の存在ではなく、多数の知覚が、時系列で現れる、単なる集合体なのである。
それでは、統一的で継続的な自我が存在しないとすれば、時間を通じた個人的同一性はいかにして説明されるのだろうか。ヒュームの回答は、個人的同一性とは、実は記憶と結びついた、相互に関連する知覚のシステムであるというものである。ある人が過去のある人物と同じ自我を持っていると言えるのは、その人が記憶を通じて、その過去の経験と結びついているからにほかならない。時間を通じた連続性は、実体としての自我によってではなく、記憶の連鎖によってもたらされるのである。
知識の種類と数学
関係的知識と事実的知識
ヒュームは、知識を二つの種類に区別した。「観念の関係に関する知識」(relations of ideas)と「事実に関する知識」(matters of fact)である。観念の関係に関する知識とは、数学や論理学のような、分析的真理である。例えば、「三角形の内角の和は180度である」というのは、三角形の観念の内部的な関係から、必然的に導き出される真理である。
これに対して、事実に関する知識とは、経験に基づいた、綜合的真理である。例えば、「太陽は明日も東から昇る」というのは、経験に基づいた主張であり、その反対が論理的に矛盾しているわけではない。
数学的知識の確実性と経験的知識の不確実性
ヒュームによれば、観念の関係に関する知識は、必然的であり、確実である。なぜなら、それらは分析的であり、矛盾を含まないからである。これに対して、事実に関する知識は、常に、ある程度の不確実性を含むのである。我々が、「太陽は明日も東から昇る」と期待するのは、習慣に基づいているのであって、論理的必然性に基づいているのではないのである。
この区別は、その後のカント哲学の発展に対して、極めて重要な影響を与えることになった。
宗教と神の存在
神の存在証明への批判
ヒュームは、従来の神学的議論、特に神の存在を証明しようとする論証に対して、徹底的な批判を加えた。『自然宗教の対話』という著作で、ヒュームは、様々な神学的論証を検討し、それらのいずれもが、論理的に満足のいくものではないことを示した。
特に、「設計論証」(デザイン論証)と呼ばれる、自然界の秩序と適応から神の存在を推論する論証に対して、ヒュームは詳細な批判を加えた。自然界に秩序が存在するのは事実である。しかし、この秩序から、完全で全能な創造者としての神の存在を推論することは、論理的に正当化されるのか。
ヒュームは、以下のように論じる。自然界における適応と秩序は、神の働きとして説明することもできるし、また、物質の性質そのものと、長期の時間スケールにおける自然選択的プロセスの結果として説明することもできる。一つの現象に対して、複数の説明が可能である限り、どの説明が「最善」であるかについて、論理的な確実性を持つことはできないのである。
ヒュームはさらに、『人間知性研究』の中で、「奇跡についての第十節」として知られる有名な議論を展開している。奇跡とは、自然法則の違反として定義される。自然法則は、最も広範な人間経験に基づいており、奇跡的イベントについての証言もまた、やはり人間の経験の一部にすぎない。しかし、人間の経験の全体は、奇跡的イベントが発生しないことをほぼ普遍的に示している。したがって、奇跡についての証言を受け入れることは、最もよく確立された経験に反する、弱い証言のほうを採用することにほかならない。ヒュームの結論は、いかなる証言も、それが報告する出来事の非日常性を覆すほどの強さを持つことは、実際にはほとんどありえないというものである。
信仰と理性の分離
ヒュームは、信仰と理性を明確に分離した。理性的知識は、分析的真理と経験的観察に基づいている。しかし、宗教的信仰は、理性的知識の領域の外に存在する。宗教的信仰は、論理的に証明可能なものではなく、むしろ感情、習慣、文化的影響に基づいているのである。
この見解は、啓蒙主義的理性主義に対する、根本的な批判を含んでいる。理性だけに基づいては、人間の宗教的信仰や道徳的信念を完全に説明することはできないのである。
道徳的判断とその基盤
道徳的感覚論
ヒュームは、道徳的判断は、理性的認識ではなく、感覚的反応(moral sentiment)に基づくと主張した。「正義」「勇気」「利己心」といった性質は、それらが好意的または不利な感情を引き起こすために、「美徳」または「悪徳」と呼ばれるのである。
ヒュームによれば、「理性は、欲望の奴隷であり、それ以上でもそれ以下でもあるべきだ。」つまり、理性は、我々の欲望や感情が達成可能な手段を発見するのに役立つが、我々が何を求めるべきか、何が正しいかを決定することはできないのである。道徳的正しさの判断は、究極的には、感覚と感情の領域に属しているのである。
情念(passion)とは、ヒュームにとって知覚の一種であり、印象にほかならない。情念は理性とは異なる心的な力である。理性は真と偽の関係を識別することでわれわれの信念を形成するが、行為を直接的に動機づけるのは情念のほうである。人間が実際に行為するとき、人間は理性的な計算にではなく、欲望や感情に従っているのである。
利己心と同情
にもかかわらず、ヒュームは、人間は純粋に利己的ではなく、他者に対する「同情」(sympathy)の能力を持つことを認める。同情とは、他者の状況に対する、感情的な同調である。
人間が、他者の苦しみを見る時、人間は、自動的に、他者の状況に共感し、自らもその苦しみを感じるようになる。この同情の能力が、人間の社会的本性の基盤であり、道徳的判断の心理的基礎なのである。われわれがある行為を道徳的に善いと判断するのは、その行為が人間の幸福を増進させるからであり、悪いと判断するのは、それが人間の幸福を減少させるからにほかならない。ヒュームのこの立場は、理性的な普遍的原理に基づく道徳判断という、それまで多くの道徳哲学者が仮定してきた立場に対する、根本的な異議申し立てであった。
美学における趣味の基準
ヒュームは、美学についても重要な思想を発展させた。彼の見方によれば、美とは、ある物体の客観的な性質ではなく、むしろ観察者の感情に依存している。「美は鑑賞者の心の中に存在する」というヒュームの有名な言葉は、この立場を端的に表現したものである。
しかし、ヒュームは単なる相対主義者にとどまらなかった。「趣味の標準について」(Of the Standard of Taste)というエッセイにおいて、彼は、一見すると相対的に見える美的判断に、どのようにして一定の客観性を与えることができるかという問題に取り組んでいる。異なった時代、文化、個人のあいだで、美についての判断は異なるかもしれない。しかし、より広い経験と、より繊細な知覚能力を持つ人々の美的判断は、より信頼できるものとして認められるべきである。真の趣味とは、広い経験、微妙な知覚、自由な思考、そして好悪の偏見からの解放によって得られるものであるとヒュームは考えた。相対主義と客観主義のあいだで微妙なバランスを取ろうとするこの姿勢は、後代の美学にも継続して影響を与えている。
政治思想と経済学
ヒュームは、政治思想と経済学についても重要な貢献をなしている。エッセイ「商業について」(Of Commerce)では、商業的交易が社会全体の幸福と安定に貢献することが論じられた。これは、当時の多くの思想家が商業活動を道徳的堕落の源泉と見なしていた時代にあって、極めて進歩的な見方であった。また、「貿易差額について」(Of the Balance of Trade)では、金銀の蓄積が必ずしも国家の繁栄をもたらすわけではなく、むしろ生産的な産業と商業活動こそが真の富をもたらすことが論証されている。この洞察は、後の古典派経済学の発展に影響を与えた。
政治的自由についても、ヒュームは独自の考察を行っている。共和制と君主制のいずれも、その運営のされ方次第で、等しく自由な社会にも専制的な社会にもなりうる。政治的自由は、特定の制度形式そのものよりも、統治者と被統治者のあいだの相互的な尊重と信頼によって実現される、というのが彼の見方であった。
因果性に関する後の発展
規則性の観念
ヒュームの因果性についての議論は、その後の19世紀から20世紀の科学哲学の発展に対して、極めて大きな影響を与えた。特に、J・S・ミルのような論理学者たちは、ヒュームの「規則性としての因果性」の観念を発展させた。
因果法則とは、普遍的な規則性であり、「Aの時はいつもBが続く」というような、包括的な規則性なのである。物理学が発見する法則は、このような規則性についての陳述なのである。
近代科学哲学への影響
ヒュームの因果性についての議論は、近代的な科学の理解に対しても、基本的な影響を与えた。科学は、対象となる現象の「本質的な性質」を発見するのではなく、むしろ、現象における規則性を発見し、その規則性を数学的に記述するのである。物理法則は、物理的事象の必然的な関係を述べるのではなく、観察可能な規則性を述べているに過ぎないのである。
ヒューム哲学の批判と遺産
習慣と懐疑の矛盾
ヒューム哲学に対して提起された最も古い批判は、習慣と懐疑の間の緊張関係に関するものである。ヒュームは、因果性の必然性は、実は習慣に基づくことを示した。しかし、ならば、なぜ我々は、習慣に従うべきなのか。習慣の正当性は何か。
ヒューム自身は、この問題の完全な解決を提供しなかった。彼は、人間は習慣に従わなければならないこと、そしてそれは人間の本性の一部であることを認めるのみである。しかし、この説明は、哲学的な意味での正当化ではなく、むしろ、人間の心理的事実についての記述なのである。この点は、ヒュームの哲学全体の性格をよく表している。彼は、理性の限界を鋭く指摘しながらも、人間が実際には哲学的な懐疑の帰結に苦しむことなく、日常的な信念——因果性、物体の存在、他者の意識——へと自然に立ち戻ることを、冷静に観察していた。理性的な正当化が不可能であるという事実は、その信念が無価値であることを意味しない。むしろそれは、人間の知識が、習慣・同情心・本性的信念といった、より根底的な心理的源泉に支えられていることを示しているのである。
後代への影響
ヒュームの思想は、その後のヨーロッパ哲学に計り知れない影響を与えた。最も有名な例は、カントに対する影響である。カントは「独断的な微睡みから、ヒュームが私を目覚めさせた」と明確に述べている。ヒュームの因果性批判と帰納法についての論証は、カントを批判哲学の構想へと導き、カントはヒュームの懐疑主義に応答するために超越論的観念論を展開した。
ヒュームの道徳感情論と同情心についての思想は、後代の功利主義倫理学にも直接的な影響を与えた。ベンサムとミルは、ヒュームの考えを、より体系的な倫理学理論へと発展させている。また、ヒュームの宗教批判——奇跡についての議論と自然神学への批判——は、その後の宗教懐疑主義の伝統に大きな影響を与えた。さらに、ヒュームの経験論的方法論とその厳密な適用は、20世紀の論理実証主義者たちにインスピレーションを与えた。彼らは、ヒュームの印象と観念の区別を更新し、ある命題が意味を持つのは、それが原理的に検証可能である場合のみであるとする「検証原理」(verification principle)を打ち立てたのである。
結論:懐疑的経験論の完成
ヒュームは、イギリス経験論の伝統を、その最も徹底的で最も懐疑的な形へと推し進めた。彼は、感覚経験のみが知識の基盤であることを主張し、その帰結として、因果性、実体、自我の観念に対して、徹底的な疑いを提出した。
ヒュームの因果性についての分析は、その後の科学哲学と認識論の発展に対して、極めて重要な影響を与えた。彼は、科学的知識の本質についての、新しい理解を可能にしたのである。ヒュームは、既成の形而上学的前提に対して、根本的な疑問を提起することによって、近代哲学をして、新しい方向へと進むよう促したのである。1776年にエディンバラで没したとき、ヒュームはすでにヨーロッパで最も尊敬される知識人の一人となっていた。彼の思想の完全な首尾一貫性については、今なお多くの議論があるが、理性と経験の関係についての根源的な問いを提起し、その後の哲学的思考の方向そのものを形づくったという点において、彼の功績は揺るがない。