はじめに——思想家としての空海
空海(774-835)は、日本思想史が生んだ最初の本格的な体系的思想家である。弘法大師の諡号で知られる空海は、書の達人として、伝説的な聖者として、また四国遍路で慕われる「お大師さま」として、日本文化のあらゆる層に浸透している。しかし信仰と伝説の膨大な堆積の下には、強靭な知的骨格を持つ哲学者の姿がある。空海は唐から真言密教を将来しただけでなく、それを『即身成仏義』『声字実相義』『十住心論』などの著作群によって独自の思想体系へと鍛え上げた。身体による成仏の理論、宇宙を仏の説法として読む言語論、諸思想を階梯として包摂する精神の発達論——その射程は宗派の教学を超えて、身体論・言語論・記号論といった現代哲学の主題にまで触れている。
同時代の最澄が天台教学の導入と教団の制度的基礎づけに力を注いだのに対し、空海は密教という新しい思想枠組みそのものを理論化した。古代日本において、これほどの分量と体系性を備えた哲学的原典を自ら書き残した人物は他にいない。本稿では、空海の生涯をたどったうえで、密教と顕教の区別、大日如来と法身説法、即身成仏、三密加持、十住心の体系、声字実相の言語哲学、曼荼羅の思想を順に検討し、教育・社会事業の実践と後世への影響を概観する。伝説の空海ではなく、思想家としての空海の全体像を描くことが本稿の課題である。
生涯——讃岐から高野山へ
空海は宝亀5年(774)、讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)に、地方豪族佐伯氏の子として生まれた。幼名を真魚と伝えるが、これは後世の伝記による。延暦7年(788)ごろ上京し、母方の叔父で学者の阿刀大足について漢籍を学び、延暦10年(791)、18歳で官吏養成機関である大学寮に入った。そこで学ばれる儒学は立身出世への王道であったが、空海はほどなく大学を去り、山林修行者の群れに身を投じる。『三教指帰』の序によれば、一人の沙門から虚空蔵求聞持法という記憶力増進の修法を授かり、阿波の大滝岳や土佐の室戸岬で修行した。室戸で明星が口に飛び込んだという有名な逸話は後世の伝承に属するが、都の学問を捨てて山岳修行を選んだという進路の転換自体は、本人の証言に基づく史実である。
延暦16年(797)、24歳の空海は『聾瞽指帰』(後に改訂されて『三教指帰』になったとされる)を著した。戯曲仕立てで儒教・道教・仏教それぞれの代弁者に思想を語らせ、仏教の優位を論証するこの若書きは、日本最初の比較思想論であり、放蕩青年を教化するという設定のうちに、世俗的栄達を拒む自らの出家宣言を織り込んでいる。その後の約7年間の消息はほとんど分かっていない。この「空白の七年」の間に空海は『大日経』と出会い、その疑問を解くために入唐を決意したと推測されている。
延暦23年(804)、空海は遣唐使船で唐に渡った。同じ船団の別の船には最澄が乗っていた。長安に入った空海は、翌805年、青龍寺の恵果和尚を訪ねる。インド伝来の胎蔵と金剛界という二系統の密教を一身に受け継いでいた恵果は、初対面の空海を待ち望んでいたかのように迎えたと『御請来目録』は伝え、わずか数ヶ月のうちに胎蔵・金剛界の灌頂と伝法阿闍梨位の灌頂を授けた。遍照金剛の灌頂名を得た空海は、恵果の入寂(同年12月)を見届け、20年の留学予定を2年で切り上げて大同元年(806)に帰国した。持ち帰った経典・法具の目録である『御請来目録』は、密教の体系的将来を朝廷に告げる報告書であった。
帰国後の空海は、大同4年(809)に入京して高雄山寺(現在の神護寺)に住し、嵯峨天皇との親交のもとで活動の基盤を築いた。弘仁3年(812)には高雄山寺で最澄らに灌頂を授けたが、経典の借覧や弟子の去就をめぐって二人はやがて決裂する。弘仁7年(816)、空海は修禅の道場として高野山の下賜を請い、勅許を得て金剛峯寺の開創に着手した。弘仁14年(823)には京の東寺を賜り、鎮護国家の密教道場とした。この間の空海は、宗教者であると同時に当代随一の文人でもあった。嵯峨天皇・橘逸勢とともに「三筆」と称されるその書は、最澄に宛てた書状「風信帖」(国宝)に代表され、詩文論『文鏡秘府論』は唐代文学理論の集成として文学史上の価値を持つ。承和2年(835)3月21日、高野山で入寂。62歳であった。空海が禅定に入ったまま今も生きて衆生を救い続けるという入定信仰は10世紀以降に形成された伝承であり、延喜21年(921)に醍醐天皇から贈られた弘法大師号とともに、大師信仰の核となっていく。
密教とは何か——顕教との対比
空海の思想的独自性は、仏教全体を「顕教」と「密教」に二分し、密教の固有性を理論化した点にある。『弁顕密二教論』によれば、顕教とは、歴史上の釈迦のような応身・化身の仏が、衆生の能力(機根)に応じて説いた教えである。それは相手に合わせた方便の教説であり、悟りの内実そのものは言語を絶したものとして語りえない領域にとどまる。これに対して密教とは、法身大日如来が自らの悟りの境地(自内証)を、方便を交えずそのまま説いた教えである。顕教が「果分不可説」——悟りの境地そのものは説きえない——とするところを、密教は「果分可説」とする。ここに空海の宗教哲学の核心的な主張がある。究極的なものは沈黙の彼方に隠れているのではなく、真言という言語において自らを開示しているのである。
「密教」の「秘密」という語についても、空海は独自の解釈を与えている。秘密には二種がある。如来がことさらに教えを隠す「如来秘密」ではなく、真理はつねに開示されているのに衆生の側の迷いの眼がそれを見えなくしている「衆生秘密」こそが、密教の「密」の本義である。つまり秘密とは、隠す者の側にではなく、見る者の側にある。この転回は空海の思想全体の性格をよく示している。世界は謎めいた暗号として封印されているのではなく、つねにすでに語り続けており、必要なのは封印を解く鍵ではなく、聞く耳と見る眼を開く実践なのである。
密教はインド大乗仏教の最終段階に現れた潮流であり、『大日経』と『金剛頂経』という二大経典に基づく。中国では善無畏・金剛智・不空らによって伝えられ、恵果において両経典の系統が統合された。空海の功績は、この密教を単なる呪術的実践の集成としてではなく、独自の成仏論・言語論・宇宙論を備えた一個の哲学体系として理論化したことにある。三劫という無限の時間を要するとされた成仏を現在の生において可能とする実践的主張と、後述する壮大な形而上学とが、空海においては不可分に結びついている。
大日如来と法身説法
伝統的な仏身論では、法身——真理そのものとしての仏——は色も形もなく、説法することはないとされてきた。説法するのは歴史的な応身や報身である。空海はこの通念を覆し、「法身説法」を主張した。密教の教主である大日如来(摩訶毘盧遮那如来)は、法身でありながら説法する。しかもその説法は、特定の聴衆に向けた教化である以前に、法身が自らの悟りの内容をみずから味わい楽しむ「自受法楽」の活動である。宇宙は、大日如来が自己自身に語りかける永遠の説法の場なのである。
大日如来は、宇宙の外に立つ創造神ではない。空海において大日如来は、地・水・火・風・空・識の六大を体とする宇宙そのものであり、あらゆる現象はその身体の顕現である。この構図はしばしば汎神論と形容されるが、より正確には、宇宙のすべての存在と活動を仏の自己表現として読み解く解釈学的な世界観と言うべきだろう。風の音も水の流れも、見えるもの聞こえるもののすべてが法身の説法である——この直観は、後述する『声字実相義』の言語哲学において理論化されることになる。
即身成仏——身体による成仏の哲学
顕教の通説では、成仏には三大阿僧祇劫という天文学的な時間の修行が必要とされる。空海はこれに対し「即身成仏」——この身このままで、現在の生において仏となること——を主張した。その理論的根拠を示すのが『即身成仏義』である。空海はそこで「六大無礙にして常に瑜伽なり、四種曼荼各々離れず、三密加持すれば速疾に顕わる、重重帝網なるを即身と名づく」という頌を掲げ、これを注釈する形で議論を展開する。
第一句の六大とは、地・水・火・風・空の物質的五大に識(精神)を加えた六つの構成要素であり、宇宙万有の「体」である。重要なのは、空海が物質と精神を二元的に分けず、六大が「無礙」——互いに妨げ合うことなく融通し合う——とした点である。仏を構成する六大と衆生を構成する六大は同一であり、両者は本来的に「瑜伽」(結合)の関係にある。第二句の四種曼荼羅は万有の「相」を、第三句の三密は万有の「用」(はたらき)を示す。そして第四句の「重重帝網」は、インドラの網の結び目の宝珠が互いを映し合うように、一切の存在が相互に映発し合う縁起の構造を「身」の名とするものである。「即身」の身とは、孤立した個体ではなく、宇宙大の相互反映の網の目としての身体なのである。
即身成仏の哲学は、成仏を意識の変容としてだけでなく身体の実践として捉える点で、仏教思想史のうえでも際立っている。悟りは身体を離れた彼方にあるのではなく、印を結び真言を唱える身体そのものにおいて実現する。この身体性の強調は、心身二元論を前提としてきた近代哲学への対案として、湯浅泰雄らの身体論において再評価されてきた。なお、後世の真言宗教学では即身成仏を、一切衆生が本来的に成仏の理を具えているという「理具成仏」、三密の行によって仏と行者が感応する「加持成仏」、その成果が現実に顕現する「顕得成仏」の三段階に整理して理解する伝統が形成された。これは空海自身の用語法そのままではないが、本来性と実践と成就という三契機の区別として、即身成仏の思想の内的構造をよく示している。
三密加持——身・口・意の実践
即身成仏を実現する実践の体系が三密加持である。三密とは身密・口密・意密、すなわち仏の身体的・言語的・精神的活動である。行者の側から言えば、手に印契を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、心を三摩地に住して本尊を観想する(意密)ことである。衆生の三業(身・口・意のはたらき)は本来、大日如来の三密と同体である。行者が三密の行を修するとき、仏の三密と衆生の三業とが響き合い、成仏が「速疾に顕わる」。
この響き合いを表す概念が「加持」である。空海は『即身成仏義』において、加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す言葉であり、仏日の光が衆生の心の水面に映ることを「加」といい、行者の心水がその仏日をよく感じとることを「持」と名づける、と定義した。成仏は、仏からの一方的な救済でもなければ、行者の自力のみによる達成でもなく、仏と衆生の感応・呼応において成立する出来事である。ここには、恩寵と修行、他力と自力という宗教哲学の古典的対立を、共鳴のモデルによって乗り越える構想を読み取ることができる。
『十住心論』——思想の階梯的総合
天長7年(830)ごろ、淳和天皇の勅に応じて諸宗が教義書を撰進した際、空海が提出したのが『秘密曼荼羅十住心論』10巻であり、その要約が『秘蔵宝鑰』である。この書で空海は、人間の心のあり方を十の段階(住心)として序列化し、そこに当時知られていたあらゆる思想・宗教を位置づけた。
第一の異生羝羊心は、本能的欲望のままに生きる心である。第二の愚童持斎心は倫理的自覚の芽生えた心であり、儒教がここに当たる。第三の嬰童無畏心は天上の安楽を求める宗教心であり、道教やインドの諸宗教がここに置かれる。第四の唯蘊無我心(声聞)と第五の抜業因種心(縁覚)は部派仏教、第六の他縁大乗心は法相宗(唯識)、第七の覚心不生心は三論宗(中観)、第八の一道無為心は天台宗、第九の極無自性心は華厳宗に対応する。そして第十の秘密荘厳心が真言密教である。前九住心は顕教、第十のみが密教であるとする「九顕一密」の構図がここに成立する。もっとも真言教学には、前九住心もまた秘密荘厳心の展開の諸相にほかならないとする「九顕十密」の読みが併存しており、この両義性は、密教が諸教の頂点であると同時に諸教すべてを貫く深層でもあるという、空海の体系の二重の性格を反映している。
『秘蔵宝鑰』の序で空海は「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」と、無明の中で生死を繰り返す人間の実存を詠っている。十住心とは、この闇からの精神の上昇の物語である。注目すべきは、この体系が下位の思想を単に切り捨てるのではなく、それぞれを心の発達の必然的な一段階として包摂する点である。儒教も道教も諸宗の仏教も、それぞれの位置において真理の部分的な開顕とされる。この階梯的総合の方法は、しばしばヘーゲルの『精神現象学』と比較されてきた。教相判釈という仏教の伝統的ジャンルを精神の発達論・比較思想論へと拡張した『十住心論』は、日本における最初の哲学史的企てと評しうる。
声字実相義——言語の形而上学
空海の思想の中で、現代の哲学的関心を最も引きつけてきたのが『声字実相義』の言語論である。空海はこの書で「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」という頌を掲げる。地・水・火・風・空の五大はすべて響き(声)を発しており、地獄から仏界にいたる十界のすべてに言語があり、色・声・香・味・触・法という感覚の全対象(六塵)はことごとく文字である——すなわち、宇宙そのものが法身の語る巨大なテクストである、というのがその主張である。
この言語観は、言葉を事物に貼られた恣意的なラベルとみなす通念と鋭く対立する。空海において、声と文字と実相(存在の真のあり方)は連続している。名は事物の外から付加された記号ではなく法身の自己表現の一部であり、とりわけ真言(マントラ)は、実在そのものが発する根源的な言語である。だからこそ真言を唱えることは、単なる意味の伝達ではなく、実在の活動への参入となる。言語を存在論の中心に据えるこの構想は、20世紀の言語哲学や記号論との対話可能性を秘めており、リュウイチ・アベの英文研究『The Weaving of Mantra』(1999)以降、空海を「言説の思想家」として読み直す研究が国際的に進んでいる。
『声字実相義』は、『即身成仏義』『吽字義』とともに、空海の理論的主著群をなす(後世これらは合わせて重視され、真言教学の根本典籍とされてきた)。『吽字義』は「吽」という一音節の真言を字相と字義の二層で分析し、一つの音の内に無限の意味の宇宙が畳み込まれていることを示す書であり、声字実相の言語論を一文字において実演したものと言える。また『般若心経秘鍵』では、顕教の経典として読まれてきた『般若心経』を密教的に読み替え、同一のテクストが読みの深さに応じて異なる真理を開示することを示した。テクストの意味はひとつの平面に尽きず、読者の心の深度に応じて幾層にも開かれる——この解釈学的な洞察もまた、空海の言語哲学の重要な一部である。
曼荼羅の思想——金剛界と胎蔵界
密教は言語だけでなく、図像によっても思想を語る。その中心が両部曼荼羅、すなわち金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅である。『金剛頂経』に基づく金剛界曼荼羅は、九つの区画(九会)によって大日如来の智の展開を示し、金剛のように堅固な悟りの智慧の構造を表す。『大日経』に基づく胎蔵曼荼羅は、中台八葉院の大日如来を中心に、母胎が子を育むような大悲の展開を同心円状に描く。智の金剛界と理(大悲)の胎蔵界は二にして不二であり、恵果から空海へ伝えられた密教の核心は、この両部の統合にあった。
なお『即身成仏義』では、曼荼羅は四種に分類されている。尊像の姿で描かれる大曼荼羅、諸尊を剣や蓮華などの象徴物で表す三昧耶曼荼羅、種子と呼ばれる梵字で表す法曼荼羅、諸尊の活動と立体的造形として表す羯磨曼荼羅である。同一の実在が、図像・象徴・文字・行為という四つの表現様式で顕現するというこの分類は、世界のあらゆる形象を仏の表現として読む空海の記号論的世界観の要約でもある。
曼荼羅は単なる礼拝の対象ではない。それは宇宙の構造図であると同時に心の構造図であり、観想の行において行者が自らの内に再構成すべき悟りの見取り図である。灌頂の儀礼では、受者は目隠しをして曼荼羅の上に花を投じ、花の落ちた場所の尊格と縁を結ぶ(投華得仏)。ここでは図像が、教義の説明ではなく、仏との関係の成立そのものを媒介している。空海自身、『御請来目録』において、密教の奥深い教えは文章だけでは尽くせず図画を借りてはじめて開示されると述べ、経典とともに曼荼羅図像の将来を重視した。概念的言語に尽くされない真理を視覚的配置と儀礼的な身体行為によって伝えるという曼荼羅の方法は、空海の思想における非言説的認識の位置を示している。
教育と社会事業——綜芸種智院と満濃池
空海の思想は書斎の哲学に終わらなかった。天長5年(828)、空海は京に私立学校「綜芸種智院」を設立した。当時の大学寮が事実上貴族の子弟に限られ、地方の国学も郡司の子弟を主な対象としたのに対し、綜芸種智院は身分を問わず庶民に門戸を開き、仏教のみならず儒教・道教を含む諸学芸(綜芸)を総合的に教えることを掲げた。設立趣意書である『綜芸種智院式并序』で空海は「物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定んで道に在り」と述べ、人を育てることこそ社会の根本であるという理念を示している。学校自体は空海の没後まもなく廃絶したが、万人に開かれた総合教育という構想は、日本教育史における先駆的事件であった。
弘仁12年(821)には、決壊して修築が難航していた讃岐の満濃池(日本最大級の灌漑用ため池)の修築のために築池別当として起用され、工事を短期間で完成に導いたと伝えられる。故郷の人々が空海を慕って工事に集まったという逸話や、唐で学んだ土木技術を駆使したという説明には伝承的色彩が濃いが、朝廷が空海を起用し修築が完成した経緯は史料にうかがえる。このほか架橋や井戸掘り、温泉開発など全国に無数の「大師伝説」が残るものの、その大部分は後世の大師信仰が生み出したものであり、史実とは区別しなければならない。とはいえ伝説がこれほど膨張したこと自体が、衆生の利益を現世において実現しようとする密教の精神と、空海という人格の吸引力を物語っている。
日本思想史への影響と現代の空海研究
空海が将来した密教は、平安仏教の基調となった。天台宗もまた円仁・円珍以降に密教化を深め(台密)、空海の系統の東密と並んで、密教は平安時代の宗教・文化・政治を貫く枠組みとなる。神仏習合の理論や修験道、加持祈祷の文化は密教を母体として展開し、中世には覚鑁が高野山で教学を刷新して新義真言宗の源流をなした。他方、民間では弘法大師信仰が広がり、四国八十八ヶ所を巡る遍路の習俗が後世に成立する。いろは歌をはじめ数多くの事物が空海作と伝えられてきたが、その多くは後世の仮託である。しかし仮託が集中すること自体、空海が日本文化における比類ない「文化英雄」となったことの証左である。
学問的遺産も大きい。『文鏡秘府論』は中国六朝・唐代の詩論を集成し、散逸した中国文献を今に伝える資料的価値を持つ。『篆隷万象名義』は日本人の手になる現存最古の辞書である。近代以降の空海研究は、宗門の教学研究を基盤としつつ、戦後は宮坂宥勝や松長有慶らの文献学的・思想史的研究によって深化した。思想界では梅原猛が空海を独創的思想家として広く紹介し、司馬遼太郎の『空海の風景』(1975)は、知識人としての空海像を一般に定着させた。哲学の側からの読解も重ねられてきた。イスラーム思想研究で知られる井筒俊彦は、晩年に「意味分節理論と空海」と題する論考を著し、声字実相の言語論を、言語による世界の分節と存在の顕現をめぐる東洋哲学の共時的構造の中に位置づけて論じた。世界を意味の生成の場として捉える空海の視座は、比較哲学の格好の題材であり続けている。近年では、前述のアベによる言語論的・言説論的再評価に加え、身体論や記号論の視角からの読解、東アジア密教研究というグローバルな文脈への位置づけなど、空海研究は宗学の枠を越えて広がり続けており、真言宗の宗祖という枠組みに収まらない思想家・空海の姿が、いっそう鮮明になりつつある。
結論
空海の哲学は、三つの柱によって支えられている。第一に、身体の哲学としての即身成仏論。悟りは無限の未来にあるのではなく、印を結び真言を唱えるこの身体において実現する。第二に、言語の形而上学としての声字実相義。宇宙は法身大日如来の説法であり、あらゆる現象は読まれるべき文字である。第三に、精神の階梯的総合としての十住心論。あらゆる思想は切り捨てられるのではなく、秘密荘厳心にいたる心の上昇の途上に位置づけられる。これらを貫くのは、究極的真理は隠れて沈黙しているのではなく、身体と言語と図像のすべてを通じて自らを表現し続けている、という根本直観である。
この直観のゆえに、空海の思想は徹底して世界肯定的である。現象世界は仮象でも堕落でもなく法身の自己表現の舞台であり、だからこそ教育も土木も書も、そのすべてが仏道の実践となりえた。思想と実践、哲学と芸術、聖と俗を一身において統合したこの巨人は、日本思想史の出発点近くに立つと同時に、身体・言語・イメージという現代思想の主題を1200年前に先取りした存在として、今なお読み直されるに値する。
空海を含む中世日本思想の展開については中世日本の思想を、日本哲学全体の中での空海の位置づけについては日本哲学の全体像を、アジアの思想伝統という広い文脈については東洋哲学の全体像を参照されたい。