ナーガールジュナ(龍樹)——空の哲学と中観派

はじめに——第二の釈迦、八宗の祖

ナーガールジュナ(Nāgārjuna、漢訳名は龍樹、およそ150-250年頃)は、大乗仏教が生んだ最大の哲学者である。ブッダの入滅からおよそ六百年後、部派仏教の精緻な教理体系が完成しつつあった時代に、彼は「空(くう、śūnyatā)」の思想を論理的に体系化し、大乗仏教に初めて確固たる哲学的基盤を与えた。その影響の大きさは、後世の仏教徒たちが彼に捧げた尊称に表れている。チベット仏教では「第二の釈迦」とも仰がれ、インド仏教の偉大な学匠を数える「六荘厳」の筆頭に置かれる。中国・日本の伝統では、彼の名は諸宗派の祖師系譜のほとんどに現れ、日本では華厳・天台・真言から浄土教にいたる諸宗がその教学的淵源を彼に求めたことから「八宗の祖」と称されてきた。

一人の思想家がこれほど広範な系譜の起点とされた例は、世界の思想史でも稀である。しかもナーガールジュナの思想は、仏教内部の教学にとどまらない射程を持つ。実体という概念そのものへの徹底した批判、言語と実在の関係をめぐる分析、相手の前提だけから矛盾を導く論法——これらは20世紀以降、ウィトゲンシュタインやデリダ、さらには分析哲学の議論と比較され、現代哲学の文脈で再発見されつつある。本稿では、伝承と史実の間にあるその生涯を確認したうえで、主著『中論』を中心に空の哲学の核心をたどり、中観派の展開と現代における対話までを概観する。

生涯と伝承——歴史と伝説のあいだ

ナーガールジュナの生涯について、確実に言えることは驚くほど少ない。同時代の記録は存在せず、まとまった伝記としては鳩摩羅什訳と伝えられる『龍樹菩薩伝』や、玄奘『大唐西域記』の記述、チベットに伝わる史書などがあるが、いずれも成立は本人の時代からかなり隔たっており、伝説的要素が濃い。それらの伝承によれば、彼は南インドのバラモンの家に生まれ、若くして諸学に通じ、出家後は当時入手しうる仏典を学び尽くしてなお飽き足らず、龍(ナーガ)の世界に赴いて人間界に伝わっていなかった大乗経典を持ち帰ったという。「龍樹」という名はこの伝説に由来すると説明される。

伝説を除いて残る比較的確からしい輪郭は、次の程度である。すなわち、活動年代はおよそ2世紀から3世紀にかけてであり、活動地域は南インド、とりわけサータヴァーハナ朝の勢力圏と考えられること。王に宛てた教誡の書『宝行王正論(ラトナーヴァリー)』や『勧誡王頌(スフリッレーカ)』が彼に帰されており、同王朝のいずれかの王と交流があった可能性が指摘されること。ただし、どの王であったかについては諸説あり確定していない。さらに厄介なのは「複数のナーガールジュナ」問題である。後代には密教の成就者や錬金術師としてのナーガールジュナも伝えられており、数世紀にわたる複数の人物の事績が一人の伝記に融合している可能性が高いと多くの研究者は見ている。帰属作品についても、『中論』『廻諍論』などの中核的著作は本人のものとみなす点でほぼ一致があるものの、漢訳のみが現存する『大智度論』などについては、著者への帰属を疑う見解が有力である。なお、南インドには彼の名を冠したナーガールジュナコンダ(龍樹の丘)と呼ばれる仏教遺跡があり、伝承は晩年の彼が南インドの僧院で活動したことを伝えるが、この地名と本人との歴史的関係についても確かなことは分かっていない。生涯の細部が霧の中にあるからこそ、彼の思想へのアプローチは、何よりもまず現存するテクストの読解に基づかざるをえないのである。

思想的文脈——アビダルマと般若経のあいだ

ナーガールジュナの思想は、二つの潮流の交差点に位置づけると理解しやすい。第一は、部派仏教のアビダルマ(阿毘達磨)である。ブッダの死後、教えを体系化する営みのなかで、諸部派は存在を構成する究極的要素「ダルマ(法)」の分析を精緻化していった。とりわけ有力部派であった説一切有部は、経験世界の事物(人や壺など)は諸要素の集合にすぎず実体ではないが、それを構成する基本的なダルマそのものは「自性(じしょう、svabhāva)」——他に依存せず、それ自体として成立する固有の本質——を持ち、過去・現在・未来の三世にわたって実在すると説いた。無常と無我を説く仏教でありながら、分析の果てに一種の実在論へと到達したのである。

第二は、紀元前後から編纂され始めた般若経典群である。『八千頌般若経』などの初期般若経は、ダルマを含む一切のものが「空」であり、固定的本質を欠くと繰り返し宣言した。しかし般若経のこの宣言は、宗教的直観の表明であって、論証を伴う哲学ではなかった。なぜ一切が空であるのか、空であるとすれば仏教の実践や教理はどうなるのか——これらの問いに答える理論が求められていた。ナーガールジュナが果たしたのは、まさにこの課題である。彼は般若経の空の思想を、アビダルマの用いる概念分析そのものを武器として論証し、しかもその空が虚無主義ではなく、ブッダ本来の縁起の教えの正確な帰結であることを示そうとした。彼の哲学は、仏教内部の教理論争への応答であると同時に、初期仏教の精神への回帰の企てでもあった。

『中論』というテクスト

主著『中論』(正式には『根本中頌(ムーラマディヤマカ・カーリカー)』)は、27章・約450の詩頌からなる韻文の哲学書である。生滅・運動・感官・五蘊・自性・業・我・時間・因果・涅槃など、アビダルマ哲学の主要概念が章ごとに俎上に載せられ、それらが自性を持つものとしては成立しえないことが次々と論証されていく。冒頭に置かれた帰敬偈は、「不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去」といういわゆる「八不」によって縁起を特徴づけ、戯論(けろん、概念的虚構)の寂滅を説くものとして、書全体の綱領の位置を占める。

詩頌という形式は極度に圧縮されているため、『中論』は古来、注釈とともに読まれてきた。青目(ピンガラ)の注釈を鳩摩羅什が漢訳した『中論』は東アジアの三論宗の根本典籍となり、インドでは仏護(ブッダパーリタ)、清弁(バーヴィヴェーカ)の『般若灯論』、月称(チャンドラキールティ)の『プラサンナパダー』などの注釈が著された。このうちサンスクリット原典が完全な形で現存するのは『プラサンナパダー』のみであり、『中論』の偈頌自体もこの注釈への引用という形で原文が伝わっている。関連作品としては、論敵の反論に答えて自らの方法を弁明した『廻諍論(ヴィグラハヴィヤーヴァルタニー)』が特に重要であり、ほかに『空七十論』『六十頌如理論』などが本人の作として広く認められている。

空——自性の否定

ナーガールジュナの空の思想を理解する鍵は、「空」が「何も存在しない」という意味ではないことを見定める点にある。空とは正確には「自性の欠如」である。自性とは、先に見たように、他のものに依存せず、作られたものでもなく、それ自体で成立する固有の本質を指す。説一切有部は基本的ダルマにこの自性を認めたが、ナーガールジュナは『中論』第15章などで、この概念そのものが縁起と両立しないことを突く。もし何かが自性を持つなら、それは他に依存せず成立しているのだから、生じることも滅することも変化することもありえない。しかし仏教の根本前提によれば、あらゆるものは条件に依存して生起する。ゆえに、縁起するものはすべて自性を欠く、すなわち空である。

重要なのは、この議論が存在の全面否定ではないことである。ナーガールジュナが否定するのは、事物が「それ自体として・独立に」存在するというあり方であって、事物が「依存的に・関係のなかで」現れることではない。机も人も苦しみも修行も、経験世界の現象としては機能している。ただ、それらのどこを探しても、依存関係から切り離して取り出せる固定的本質は見つからない——これが空の主張である。さらに彼は、空そのものの実体化にも警戒を怠らない。『中論』第13章では、空はあらゆる見解(ドリシュティ)から抜け出すための手段として説かれたのであり、空を今度は一つの見解として握りしめる者は救い難い、という趣旨が述べられる。空もまた空である。空は世界の背後にある究極の実在の名ではなく、実体視という病を治すための薬にたとえられるのである。

縁起と空の等置——中道の再定義

『中論』の哲学的核心を一頌に凝縮したものとして最も名高いのが、第24章第18頌である。そこでナーガールジュナは、縁起なるものを我々は空と呼ぶ、それは仮に設けられた名称(仮名)であり、それこそが中道である、という趣旨を述べる。縁起・空・仮名・中道という四つの概念がここで等置される。ブッダが説いた縁起——あらゆるものは条件に依存して生起するという教え——を徹底すれば、依存して生起するものは自性を欠くのだから、縁起はそのまま空を意味する。そして空なるものは、それでも言語によって「机」「人」と仮に名指されて世俗の生活を成り立たせている。この、実体としては無でありながら仮名としては有るというあり方こそ、「有る」(常住論)と「無い」(断滅論)の両極端を離れた中道である——。彼の学派が「中観派(マーディヤミカ)」と呼ばれるのは、この中道の立場に由来する。

この等置の巧みさは、論敵の批判を逆手に取る場面で発揮される。『中論』第24章の冒頭で、論敵は「一切が空ならば、生起も消滅もなく、四聖諦も修行も証悟も成り立たず、仏教そのものが崩壊する」と難詰する。ナーガールジュナの応答は鮮やかな切り返しである。事態はまったく逆であり、空であるからこそ——すなわち事物が固定的本質を持たないからこそ——変化が可能であり、苦の生起も消滅も、修行による転換も可能なのである。もし事物が自性を持つなら、苦は永遠に苦のままであり、迷いの者は永遠に迷いの者のままで、いかなる実践も意味を失う。空はあらゆる成立を破壊するどころか、あらゆる成立を可能にする条件である、と彼は主張するのである(第24章第14頌)。

二諦論——世俗諦と勝義諦

とはいえ、一切が空であるならば、「一切は空である」と語るその教え自体はどうなるのか。ブッダの説法は、四聖諦は、日常の言明は、すべて無効になるのではないか。この問いに答える装置が「二諦」の理論である。『中論』第24章第8頌から第10頌によれば、諸仏の説法は二つの真理(諦)に依拠する。世間の慣習的な真理である「世俗諦」と、究極的な真理である「勝義諦」である。そして、言語的慣習である世俗に依らなければ勝義は説き示されえず、勝義に到達しなければ涅槃は得られない、とされる。

この二諦論のポイントは、二つの真理が二つの世界を意味しないことである。世俗諦と勝義諦は、聖と俗、彼岸と此岸のような二領域ではなく、同じ一つの世界についての二つの位相と読むべきである。世俗のレベルでは、机は存在し、因果は働き、道徳的責任は成立する。勝義のレベルでは、それらのいずれにも自性は認められない。重要なのは、勝義が世俗を破壊しないことである。空の洞察は日常世界を消去するのではなく、日常世界を実体視なしに——執着の足場なしに——生きることを可能にする。しかも勝義諦は、言語を超えたものでありながら、言語という世俗の道具を通じてしか指し示されえない。ここには、語りえぬものを語るという哲学的緊張が自覚的に引き受けられている。なお、二諦の関係をどう精密化するかは後の中観派最大の論点となり、また「勝義諦とは究極的真理が存在しないという真理のことだ」と読む現代の解釈(後述のセマンティック解釈)まで、多様な読解が競合し続けている。

ナーガールジュナは同時に、空の理解の危うさにも自覚的であった。『中論』第24章第11頌では、誤って把握された空は、掴み方を誤った蛇や失敗した呪術のように、知恵の劣った者を破滅させるという趣旨の警告が発せられる。空を「何も存在しない」という断滅論として受け取れば、因果も道徳も実践も否定する虚無主義に転落する。逆に空を究極の実在として崇めれば、新たな執着の対象を作り出すだけである。空の教説は正しく用いられて初めて薬となる劇薬なのであり、この警告は、後世に繰り返されることになる「空=虚無主義」という誤解を、彼自身があらかじめ予見していたことを示している。

四句分別と帰謬法——否定の論理

ナーガールジュナの議論スタイルを特徴づけるのが、「四句分別(テトラレンマ、チャトゥシュコーティ)」の枠組みと帰謬法である。四句分別とは、ある問題について「である」「でない」「であり、かつ、でない」「であるのでもなく、ないのでもない」という論理的に可能な四つの立場を数え上げる、インド論理学の伝統的な枠組みである。『中論』はしばしばこの四句のすべてを吟味し、そのいずれもが自性を前提とする限り成立しないことを示す。肯定も否定もその複合も、すべての選択肢が実体視の上に立つ問いにおいては破綻する——四句の全面的否定は、問いそのものの前提を掘り崩す操作なのである。この枠組み自体は仏教に新しいものではない。ブッダはすでに、「如来は死後に存在するか」といった形而上学的問いに対して、四句のいずれをも肯定せず沈黙を守ったと伝えられる(無記)。ナーガールジュナの四句否定は、この沈黙の論理を明示的な哲学的方法へと鍛え上げたものと見ることができる。

その際に用いられるのが「プラサンガ(帰謬法)」と呼ばれる論法である。これは、自らの積極的主張を立てて論証するのではなく、相手の主張の前提だけを借りて、そこから相手自身も認められない不合理な帰結を導き出す方法である。ナーガールジュナは『廻諍論』において、「もし私に何らかの主張(プラティジュニャー)があれば、あなたの批判は当たるだろう。しかし私にはいかなる主張もない」という趣旨の有名な応答を行っている。この「無主張の宣言」は古来、論争の的である。それ自体が一つの主張ではないかという自己言及のパラドクスを指摘する者もいれば、彼が否定しているのは自性を前提とした主張のみであって、世俗のレベルの言明までは放棄していないと読む者もいる。いずれにせよ、この方法論の解釈の違いが、後に中観派を二分する争点となる。

運動・時間・因果の分析

『中論』の議論の実際の手触りを知るには、個別の分析を見るのがよい。名高いのは第2章の運動の分析である。ナーガールジュナは「歩む」という運動を検討し、すでに歩まれた場所(已去)には現在の歩む働きはなく、まだ歩まれていない場所(未去)にも歩む働きはない、と指摘する。では現に歩まれつつある場所(去時)はどうか。「歩まれつつある場所」は歩む働きによって初めて定義されるのだから、そこにさらに歩む働きが宿るとすれば、働きが二重に数えられてしまう。また「歩む者が歩む」と言えば、「歩む者」の定義にすでに含まれる歩みと、述語の歩みとが重複する。こうして、運動を自立した実体的な何かとして取り出そうとするあらゆる試みは破綻する。この議論は、運動の実在を否定したエレア派のゼノンのパラドクスとしばしば比較されるが、狙いは異なる。ゼノンが運動の否定によって不動の一者を擁護したのに対し、ナーガールジュナは、運動が「実体としては」成立しないことを示すことで、およそ実体の枠組みそのものを解体しようとしているのである。

同型の分析は時間にも因果にも及ぶ。第19章によれば、過去・現在・未来は相互に依存してしか定義できず、時間を事物から独立した実体として立てることはできない。因果については、第1章の冒頭で、いかなるものも、自らから生じるのでも、他から生じるのでも、その両方からでも、無原因からでもない、と宣言される。原因と結果が同一なら生起は無意味であり、完全に別ものなら任意のものから任意のものが生じてよいことになってしまう。生起を実体間の関係として説明するどの選択肢も破綻する——ここでも否定されているのは因果の働きそのものではなく、因果の実体論的解釈である。第25章では、この分析は涅槃にまで及び、輪廻と涅槃の間にはいかなる区別も存在しないという衝撃的な帰結が述べられる。涅槃さえも、実体として取り出され執着の対象となるならば、もはや涅槃ではないのである。

中観派の展開——インドからチベット・東アジアへ

ナーガールジュナの思想は、弟子アーリヤデーヴァ(提婆、『四百論』の著者)に受け継がれ、「中観派」としてインド大乗仏教の二大学派の一つ(今一つは唯識派)となった。学派の内部は一枚岩ではない。6世紀前後の注釈者ブッダパーリタ(仏護)は、ナーガールジュナに忠実に、帰謬法のみによって『中論』を注釈した。これに対しバーヴィヴェーカ(清弁)は、当時発達していたディグナーガの論理学を取り入れ、中観派もまた自立的な推論式を立てて空を論証すべきだと主張し、仏護を批判した。7世紀のチャンドラキールティ(月称)は『プラサンナパダー』において仏護を擁護し、自立的推論は論証の前提に自性の承認を忍び込ませると批判して、帰謬法の立場を再確立した。この対立は、後代のチベットで「自立論証派(スヴァータントリカ)」と「帰謬派(プラーサンギカ)」という学派区分として整理されることになる——ただしこの名称自体はチベットの教学史が与えた後代の分類であることに注意が必要である。

中観思想はその後、二つの経路で仏教世界に広がった。チベットへは8世紀、シャーンタラクシタとカマラシーラによって伝えられ、後にツォンカパが月称の帰謬派の立場を最高の教説と位置づけて以来、ゲルク派を中心にチベット仏教教学の中枢であり続けている。ナーガールジュナが「第二の釈迦」と仰がれるのは、とりわけこの伝統においてである。東アジアへは、5世紀初めに鳩摩羅什が『中論』『十二門論』『百論』を漢訳したことで伝わり、これら三論を所依とする三論宗が成立、隋の吉蔵によって大成された。学派としての三論宗はやがて衰えたが、空の思想そのものは天台・華厳・禅の教学に深く浸透し、東アジア仏教全体の思想的基盤の一部となった。日本で龍樹が「八宗の祖」と呼ばれる事情は、この広範な浸透の帰結である。

東アジアの受容には、もう一つの重要な水脈がある。鳩摩羅什が漢訳した『大智度論』と『十住毘婆沙論』である。前者は般若経の百科全書的な注釈として天台智顗をはじめとする東アジアの教学に絶大な影響を与え、後者に含まれる「易行品」は、仏の名を称える易行の道を説くものとして浄土教の重要な典拠となった。中国の曇鸞はこれを承けて自力の難行道と他力の易行道とを分かち、日本の親鸞は龍樹を浄土真宗の七高僧の第一に数えている。先述のとおりこれらの論書の帰属には現代の学問上の疑義があるものの、龍樹の名のもとに伝えられた文献群が、哲学的な中観思想とは別の回路からも東アジア仏教を形づくったことは疑いない。

西洋哲学との対話——ウィトゲンシュタイン、デリダ、分析哲学

ナーガールジュナの西洋における受容は、誤解から始まった。19世紀の初期の研究者たちは空の思想を「虚無主義(ニヒリズム)」と見なし、仏教を無を崇拝する宗教とする通俗的イメージの形成に与った。20世紀に入り、シチェルバツコイやムルティらがこの読解を退け、ムルティは『中論』の弁証法をカントの二律背反論と比較して、現象と物自体の区別に似た枠組みで中観を解釈した。もっとも、このカント的読解は勝義諦を一種の絶対者に仕立て上げてしまうとして、後の研究では批判の対象となっている。

20世紀後半には、言語哲学との比較が主流となった。後期ウィトゲンシュタインとの比較研究では、語の意味を固定した本質に求めず使用の文脈に求める発想や、哲学を理論構築ではなく病の治療とみなす姿勢が、自性の否定と空の薬喩に通じるとされた。デリダの脱構築との比較も、二項対立の解体や自己言及的な戦略の類似を焦点として盛んに論じられた。そして近年、最も生産的な対話の場となっているのが分析哲学である。ギャルフィールドによる『中論』の英訳と哲学的注釈、シデリッツによる「究極的真理とは、究極的真理は存在しないという真理である」と定式化されるセマンティック(意味論的)解釈、さらにギャルフィールドとグレアム・プリーストが共同で提示した、四句分別を「思考の限界における真なる矛盾」として矛盾許容論理の観点から読む解釈などが、活発な論争を呼んでいる。これらの読解のいずれが正しいかについて合意はない。しかし、二千年近く前のインドの仏教僧の議論が、現代の言語哲学や論理学の最前線と噛み合う論点を提供し続けているという事実自体が、その思索の射程を証している。なお日本でも、京都学派の西谷啓治が空の思想を現代のニヒリズム克服の手がかりとして哲学的に展開したほか、中村元、梶山雄一、三枝充悳らによる文献学的・哲学的研究の蓄積が、国際的な中観研究の水準を支えてきたことを付記しておきたい。

結論——執着の足場を解体する哲学

ナーガールジュナの哲学は、一言でいえば、実体という思考の習慣に対する徹底した批判である。我々は、事物にはそれ自体の本質があり、言葉はその本質を写し取ると素朴に信じて生きている。彼はこの信念こそが執着と苦の根であると見定め、アビダルマの精緻な概念装置を逆用しながら、自性なるものがどこにも成立しえないことを、運動・時間・因果・自我・涅槃にいたるまで、あらゆる領域で論証してみせた。しかもその否定は、世界の消去ではなく世界の回復として遂行される。空であるからこそ縁起の世界は成り立ち、変化と実践は可能になる。空を説く彼自身の言葉さえ実体化を拒む仮名であるという徹底ぶりにおいて、その思想は自己自身にまで批判を貫徹する稀有な哲学であった。

その遺産は巨大である。仏教内部では、中観派とその展開を通じて、チベットから東アジアまで大乗仏教の思想的骨格を形づくった。仏教の外では、虚無主義という誤解を乗り越えて、カント、ウィトゲンシュタイン、デリダ、そして現代の分析哲学と次々に照合され、そのたびに新しい顔を見せている。史実としての生涯がほとんど伝説の霧の中にあるにもかかわらず、テクストに残された思考の運動は、いまなお読む者に、自らが立つ足場そのものを問い直すことを迫ってやまない。「中道」とは、安全な中間地点のことではなく、有と無というあらゆる極端が崩れ落ちたあとに開ける、執着なき思考と生の可能性の名なのである。

ナーガールジュナが依って立つインド思想の広大な文脈についてはインド哲学の全体像を、ウパニシャッドから六派哲学にいたる流れについては古代インド哲学を、そして彼が回帰しようとした縁起と無我の源流についてはブッダを参照されたい。