本稿は、ソクラテスを主題とする全三篇のシリーズのうち、「思想と遺産」を扱う第三篇である。シリーズ全体の総論は「ソクラテス——西洋哲学の原点」を、彼の生涯と問答法については姉妹編「ソクラテスの生涯と問答法」を、裁判と死をめぐる物語については姉妹編「ソクラテスの裁判と死」を参照されたい。本篇では、ソクラテスの倫理思想の核心にある「徳は知識である」という命題、彼の思想を継承し発展させた弟子たち、歴史的ソクラテスをめぐる「ソクラテス問題」、そして2400年にわたる後世への影響について論じる。
ソクラテスの倫理思想——徳は知識である、「誰も自ら進んで悪をなさない」
ソクラテスの倫理思想の核心は、一つの簡潔で、しかし極めて深い命題に要約することができる:「徳は知識である」(virtue is knowledge)。この命題は、西洋倫理思想の歴史において、最も重要で、かつ最も議論の多い主張の一つである。それは、倫理と認識論との間に、直接的で、不可分の関係が存在することを示唆しており、道徳的善悪の問題を、本質的に、知識の問題へと還元するものである。しかし、この命題の真の意味と含意を理解することは、ソクラテスの倫理思想全体を理解するために、不可欠である。
この思想は、ソクラテスが生きた古代ギリシアの道徳的・知的環境の中で形成された。当時、人々の間には、「知識」と「美徳」が別々の事柄である可能性があるという見方が流布していた。つまり、人間が正しく行動するためには、単に知識を持つだけでなく、その知識に従おうとする意志の力も必要だという考え方である。しかし、ソクラテスはこのような見方に異を唱えた。彼にとって、真の知識と実践的な行為は、本質的に一体であるのである。もし人間が本当に善い行為が何であるかを知っているのであれば、その人間は、その知識に従って行動するはずだというのが、ソクラテスの確信であった。逆に言えば、人間が悪い行為をするのは、その行為が何であるかについて完全には知らないからなのである。
「徳は知識である」という命題を理解するためには、まず、ソクラテスが「徳」(アレテー)という語で何を意味しているのかを明確にする必要がある。古代ギリシアにおいて、アレテーは、単なる道徳的「善」を意味するのではなく、より一般的には、「卓越性」(excellence)「傑出」を意味していた。つまり、あるものが、その本来の機能や目的を完璧に果たす時、それはアレテーを備えていると言われたのである。例えば、刃物のアレテーは、鋭く切ることであり、医者のアレテーは、人々を治すことである。同様に、人間のアレテーは、人間が本来備えるべき卓越した性質を備えることである。そして、その卓越した性質は、何かが他のものより優れているかどうかを判断するための知識——つまり、正しい判断力と道徳的な知恵——に基礎付けられているというのが、ソクラテスの主張なのである。
このアレテーの概念は、古代ギリシア文明全体を貫く基本的な価値観であった。ギリシアの教育システムは、若者たちを、身体的にも知的にも卓越させることに焦点を当てていた。オリンピック競技は、人間の身体的卓越性を祭典として祝う営みであった。演劇や音楽は、人間の精神的・芸術的卓越性の表現であった。しかし、ソクラテスが新たに主張したのは、最も重要な人間の卓越性は、道徳的・知的な領域にあるということであり、さらに、この卓越性は、知識と不可分であるということであった。つまり、人間が真に卓越するためには、外部的な成功や名誉ではなく、自分たち自身の魂の状態と、その魂の知識が、最も重要であるということなのである。
ソクラテスのこの主張は、古代ギリシアにおいて、伝統的な価値観の根本的な再評価を意味していた。従来の考え方では、身体的な強さ、政治的な権力、経済的な豊かさといった外部的な事柄が、人間の卓越性の最も重要な指標であると考えられていた。しかし、ソクラテスは、これらの外部的な事柄は、本質的には、人間の幸福と関わりがないと主張したのである。真の幸福と人間の卓越性は、内部的な精神的状態、つまり魂の善さに基づいているのであり、その魂の善さは、理性的な知識によってのみ達成されるということなのである。このソクラテスの価値観の再評価は、後世の倫理思想に、計り知れない影響を与え続けているのである。
ソクラテスが「徳は知識である」と述べる時、彼が強調しているのは、道徳的な行為の源泉は、理性的な知識であるということである。正しい行為とは、何が善いかについての正しい知識に基づいて行われる行為である。逆に言えば、人が悪い行為をする時、それは悪いことについて知識がないからなのである。つまり、真に悪いことであると知っていれば、誰もそれをしないはずであるというのが、ソクラテスの信念なのである。
この主張の背後には、人間の理性能力に対する深い信頼がある。ソクラテスは、人間が理性的である限り、その理性は常に善へと導く、と信じていた。言い換えれば、道徳的な過ちは、本質的には、知的な過ちなのである。人間が何が真に善いかを知らないために、あるいは誤解しているために、人間は悪い行為をするのである。しかし、この見方は、決して人間を免責するものではない。むしろ、それは、人間に対して、自分たちの理性的能力をより一層発展させることの必要性を、より一層強く求めるものなのである。人間は、自分たちの無知と誤解を克服し、真の知識に到達する責任を負っているのである。そしてこの責任の受け入れこそが、人間が道徳的に成長する第一歩なのである。
この信念は、いわゆる「ソクラテスの逆説」(Socratic paradox)と呼ばれる立場に導く:「誰も自ら進んで悪をなさない」(no one errs willingly)。この命題は、一見、常識に反しているように思える。経験的事実として、人々は、悪いことであると知りながら、それをしることがあるではないか。例えば、人々は、アルコール依存症に陥ることが悪いと知りながら、酒を飲み続ける。人々は、浪費が自分たちの将来を損なうと知りながら、浪費する。これらの場合、人々は悪いことをしていることを知っているではないか。
しかし、より深く考察してみると、この「ソクラテスの逆説」の本来の意味が、より一層明らかになる。ソクラテスは、人々が知識に反して行動することはないと言っているのであり、これは単なる経験的な主張ではなく、人間の本質についての根本的な洞察なのである。つまり、人間は、本質的には、自分たちが真に善いと信じるものを求めるのであり、誰が意識的に自分たちの真の利益に反する行為をしようと意図することはないのである。人々が悪い行為をするのは、その行為が短期的には好ましい快楽をもたらすと信じているからであり、あるいは、その行為の長期的な害について、十分に理解していないからなのである。つまり、悪い行為は、常に、何らかの形での知識の不足に基礎付けられているのである。
この考えは、人間の道徳的改善への楽観的な可能性を示唆している。つまり、人間が道徳的に改善されるためには、教育を通じて、知識を増やし、理解を深めることで十分であるということなのである。人間は、本質的には、善い。人間が悪いのは、誤解や無知のためなのである。したがって、無知を除去し、正しい知識を獲得することで、人間は自動的に善い行為をするようになるはずであるというのが、ソクラテスの楽観的な見方なのである。ただし、この楽観性は、決して単純であり、幼稚なものではない。むしろ、それは、人間の理性的能力と善への傾向に対する深い信頼に基礎付けられているのであり、この信頼こそが、教育と哲学的啓蒙の意義を根拠付けるものなのである。
しかし、ソクラテスの立場から見ると、この解釈は誤っているのである。ソクラテスが言いたいのは、以下のようなことである:人々が悪い行為をする時、彼らは確かに、その行為が部分的には悪いことを知っているかもしれない。しかし、彼らは、より深く、より本質的には、その行為が自分たちの魂と幸福(エウダイモニア)に何をもたらすかについて、完全には知らないのである。つまり、彼らは、短期的な快楽や利益は知っているが、その行為が自分たちの真の幸福や魂の状態に与える損害については、認識していないのである。
例えば、人々は、浪費がその瞬間には快楽をもたらすことを知っているが、その同時に、浪費が長期的には自分たちを貧困化させ、自分たちの人生を損なうことについては、真には知ら(理解していな)いのである。より根本的には、人々は、自分たちの真の幸福が何であるかについて知らないのである。もし、人々が自分たちの真の幸福が何であるかを完全に知り、理解していれば、彼らはそれを損なうような行為をしないであろう。つまり、悪い行為は、常に、何らかの形での無知に基づいているのであり、完全な知識を持つ者は、必ず善い行為をするであろうということなのである。
この立場は、多くの議論を招いた。アリストテレスは、ソクラテスのこの見方に反対し、人間は自分たちの真の善を知っていても、その知識に反して行為することがあると主張した。アリストテレスは、その例として、節制の欠如(アクラシア)を挙げた。つまり、人間は、節度ある行動が善いことを知りながら、その欲望に従って、不節制に行動することがあるというのである。アリストテレスの見方は、多くの場合において、常識的に思える。というのは、経験的には、多くの人々が、何が善いかを知りながら、それに反して行動するように見えるからである。
しかし、ソクラテスの立場を、より一層精密に理解することが必要である。ソクラテスは、知識と不知の間に、単純な二項対立を仮定しているのではない。むしろ、彼は、知識の深さや完全性の問題を考えているのである。人間は、様々な段階の知識を持つことができる。表面的な、部分的な知識と、深い、完全な知識がある。ソクラテスが強調しているのは、真の知識——その対象についての完全で深い理解——を持つ者は、その知識に従って行動するであろうということなのである。多くの場合において、人間が悪い行為をするのは、そのような完全で深い知識を持っていないからなのである。
さらに重要なのは、ソクラテスの倫理思想において、「知識」とは、単なる理論的な、抽象的な知識ではなく、実践的な知識——自分たちの人生にとって何が本当に重要かについての理解、そして自分たちの行為がそれにどのように貢献するかについての自覚——を意味しているということである。つまり、ソクラテスの倫理思想は、理論と実践を結びつけるものであり、知識が単なる心理的な状態ではなく、実際の行為へと導くものであるということを前提としているのである。
この「徳は知識である」というテーゼから、ソクラテスは、様々な倫理的結論を導き出している。例えば、彼は、徳は教育を通じて獲得されうるという見方を支持した。なぜなら、知識は教育を通じて獲得されるからである。同時に、彼は、徳が単純に習慣によって獲得されるのではなく、理性的な理解を通じて獲得されると考えたのである。これは、後の道徳哲学において、特にアリストテレスの立場と対比される。アリストテレスは、徳は習慣を通じて形成される性向(ハビトゥス)であると考えたのに対して、ソクラテスは、徳は理性的な知識の問題であると考えたのである。
また、ソクラテスの倫理思想は、極めて個人主義的であり、同時に普遍主義的である。それは個人主義的である、なぜなら、各個人が自分たちの魂(プシューケー)の状態と修養について責任を負うからである。そして、それは普遍主義的である、なぜなら、真の知識は、すべての人間に対して同様に有効であり、真に善いことについての知識は、すべての人間にとって、最も高い価値を持つべきだからである。つまり、ソクラテスは、各個人が自分たちの理性的能力を発展させ、真の知識を追求することによって、道徳的に成長することが可能であり、またそうすべきであると信じたのである。
さらに、ソクラテスの倫理思想には、もう一つの重要な側面がある。それは、知識と幸福(エウダイモニア)との結びつきである。ソクラテスにとって、人間の最高の善は、幸福である。そして、その幸福は、外部の物質的な繁栄によってではなく、魂の善い状態、つまり徳によってのみ、達成されるのである。人間が真に幸福であるためには、彼らの魂が善い状態にあり、彼らが徳を備えていなければならない。そして、徳は、知識に基礎付けられているのである。つまり、真の幸福を求める人間は、自分たちの理性的能力を発展させ、何が本当に善いかについての知識を追求しなければならないのである。
このソクラテスの幸福論は、後世の多くの倫理学的思想に深い影響を与えた。特に、幸福を内部的な精神的達成に求めるという見方は、ストア派やエピクロス派によって発展させられ、その後のキリスト教倫理にも影響を与えた。ソクラテスが示した、物質的豊かさよりも精神的な卓越性を重視し、外部的な幸運よりも内部的な徳を重視するという考え方は、多くの異なる倫理的伝統によって共有され、受け継がれたのである。同時に、ソクラテスの倫理思想は、幸福と道徳的義務を分離しないものであり、むしろそれらを統合するものなのである。つまり、人間が道徳的に生きることは、同時に、その人間が真の幸福に到達することであり、逆に、真の幸福は、道徳的な生き方によってのみ達成されるということなのである。このような統合的な見方は、後世の多くの倫理思想に、根本的な影響を与え続けているのだ。
このソクラテスの倫理思想は、後世において、様々な形で発展させられ、批判されてきた。しかし、その根本的な洞察——道徳的生活は、理性的な自己理解と真理の追求に基礎付けられているべきであり、人間の最高の善は、外部的な物質的豊かさではなく、内部的な魂の卓越性にあるという洞察——は、西洋倫理思想において、最も根本的で普遍的な真理の一つとして認識され続けている。
ソクラテスの弟子たち——プラトン、クセノポン、アンティステネス、アリスティッポス
ソクラテスは、著作を残さなかったが、彼の思想と人格は、彼の多くの弟子たちによって、様々な形で伝承され、継続され、発展させられた。これらの弟子たちは、ソクラテスの教えを受け、その後、独自の哲学的立場を発展させていったのである。この弟子たちの多様性と、彼らが展開した哲学的方向性の多様性は、ソクラテスの思想がいかに豊かで、多くの異なる方向性へと発展する可能性を秘めていたかを示している。
最も重要な弟子は、疑いなく、プラトン(紀元前428年-348年)である。プラトンは、ソクラテスより約40歳年下の人物であり、彼はソクラテスの裁判と死に大きな影響を受けた。プラトンは、ソクラテスの弟子であることを公言し、彼の大部分の対話篇においてソクラテスを登場させ、彼を主人公とした。プラトンの最も有名な著作である『国家』『パイドン』『テアイテトス』『パルメニデス』といった対話篇は、いずれもソクラテスを中心人物としており、これらの著作を通じて、ソクラテスの思想が後世に伝わってきたのである。
しかし、重要な問題がここで生じる。プラトンの対話篇に表現されているソクラテスは、本当に歴史的なソクラテスなのか、それとも、プラトンがソクラテスの名前と人格を借りて、自分自身の哲学的思想を表現しているのか。この問題は、「ソクラテス問題」と呼ばれ、古代史と哲学の歴史において、最も重要な学問的問題の一つであり続けている。一般的には、プラトンの初期の対話篇(『アポロギア』『クリトン』『ユーテュプロン』『カルミデス』など)は、比較的歴史的なソクラテスの思想に近いと考えられており、一方、後期の対話篇(『ティマイオス』『クリティアス』など)は、プラトン自身の思想がより多く反映されていると考えられている。この問題については、後段で改めて詳しく論じる。
プラトンは、ソクラテスから、問答法と、哲学的な不知への強調を受け継いだ。しかし、プラトンは、さらに一歩進んで、ソクラテスが追求した「定義」の問題を、より高度な形而上学的な理論へと発展させた。つまり、プラトンは、ソクラテスが「正義とは何か」「勇敢さとは何か」と問うた時、その背後には、すべての個別的で相対的な現象を超える、不変で永遠的な存在——いわゆる「イデア」(形相)——があると主張したのである。プラトンの「イデア論」は、ソクラテスの「定義の追求」から発展したものであり、同時に、ソクラテスの思想を超える形而上学的システムへと発展させたものなのである。
プラトンの他に、ソクラテスの重要な弟子の一人としてクセノポン(紀元前430年頃-354年)がいる。クセノポンは、アテナイの将軍であり、同時に著作家でもあった。彼は『ソクラテスの思い出』(『ソクラティコイ・メモラビリア』)という著作を残しており、この著作の中で、ソクラテスの言葉と行為について、記録している。クセノポンの記述は、プラトンのものよりも、より実践的で、より日常的なソクラテスの像を呈示している。クセノポンのソクラテスは、政治的な知恵を教え、若者たちに道徳的な指導を行う、より実用的な教師としてのソクラテスなのである。一般的に、プラトンの対話篇よりも、クセノポンの著作の方が、歴史的なソクラテスにより近い可能性があると考える学者も多い。
アンティステネス(紀元前445年-365年)は、ソクラテスの弟子であり、後にキュニコス学派(犬儒学派)の創始者となった人物である。アンティステネスは、ソクラテスの禁欲的な生活態度と、徳の強調を引き継いだが、それを極端な形へと発展させた。キュニコス学派の哲学者たちは、物質的な必要を最小限に制限し、全ての社会的慣習と規範を相対化し、徳と個人的な自由を最高の価値とした。アンティステネスは、ソクラテスが示した禁欲的な生活様式を見習い、同時に、ソクラテスの「徳は知識である」という主張をさらに推し進めて、「徳は教えられ得る」「徳は行為である」と主張したのである。つまり、アンティステネスのキュニコス学派は、ソクラテスの倫理思想を、より厳格で、より実践的な方向へと発展させたのだ。
アリスティッポス(紀元前435年頃-366年)は、ソクラテスのもう一人の重要な弟子である。しかし、アリスティッポスは、アンティステネスとは異なる方向へと、ソクラテスの思想を発展させた。アリスティッポスは、後に快楽主義の立場を代表する哲学者となり、快楽が人間の最高の善であると主張した。一見すると、これはソクラテスの思想とは矛盾しているように思える。ソクラテスは、物質的な快楽よりも、魂の善さを重視したからである。しかし、アリスティッポスの見方によれば、自由や快楽を求めることもまた、ソクラテスが教えた自由への愛と自立の精神の一つの表現なのであり、ソクラテスが物質的な制度や社会的規範に縛られることに反対したのと同様に、人間は自分たちの欲望と快楽の追求から自分たちを制限する社会的な制約から自由になるべきであるというのである。
しかし、同時に注意すべきなのは、アリスティッポスの快楽主義も、完全に放縦な形ではなく、ある程度の理性的な節制を含んでいるという点である。アリスティッポスが主張していたのは、すべての快楽が等しく価値があるのではなく、賢い人間は、長期的な利益をもたらす快楽を選び、長期的な害をもたらす快楽を避けるべきであるということなのである。つまり、アリスティッポスもまた、理性的な判断が人間の行為を指導すべきであると考えていたのであり、この点において、ソクラテスの「知識と行為の関係」についての基本的な考え方を、独自の形で受け継いでいるのである。
これらの弟子たちの多様性は、古代ギリシアの哲学的議論の豊かさを示している。一人の思想家が、複数の異なる、時には相互に矛盾するように見える、哲学的方向性へと発展していく可能性があるのである。ソクラテスは、確定的な教義体系を確立しようとしたのではなく、問い続けることの態度を示したのであり、その態度は、様々な異なる形で、彼の弟子たちによって続けられたのである。プラトンは、より形而上学的・抽象的な方向へ、クセノポンは、より実用的・倫理的な方向へ、アンティステネスは、より禁欲的・批判的な方向へ、アリスティッポスは、より快楽主義的な方向へと、それぞれ、ソクラテスの遺産を発展させていったのである。
こうした弟子たちの多様性は、ソクラテスの思想の多面性と、その深さを示している。ソクラテスの基本的な哲学的立場——問答法、無知の知、徳の強調、個人の理性的能力への信頼——は、様々な異なる哲学的方向性へと発展させることが可能であったのである。プラトンは、それを形而上学的なイデア論へと発展させた。クセノポンは、それを実践的な道徳指導の体系へと発展させた。アンティステネスは、それを厳格な禁欲的倫理へと発展させた。アリスティッポスは、それを快楽主義の倫理へと発展させたのである。
これらの弟子たちの中でも、プラトンとアリストテレス(プラトンの弟子)が、西洋哲学の伝統において最も大きな影響を与えたことは疑いない。しかし、クセノポンやアンティステネスの貢献も、また極めて重要である。というのは、彼らは、異なる角度から、ソクラテスの思想を解釈し、伝承しており、これらの異なる解釈が、ソクラテス自身の思想の様々な側面を照らし出しているからである。したがって、ソクラテスの思想を完全に理解するためには、これらの弟子たちによる様々な解釈を、すべて検討する必要があるのである。
また、ソクラテスの影響が単なる哲学的な領域に留まらないことも重要である。彼の思想と人生は、宗教的な領域にも深い影響を与えた。ソクラテスの個人的な信念のための殉教的態度は、初期のキリスト教思想家たちに大きな刺激を与えた。彼らは、ソクラテスを、啓示を受ける前のキリスト教的真理の求道者として捉え、彼の生き方と死を、キリスト教的殉教の先駆けとして理解したのである。つまり、ソクラテスの遺産は、単なる哲学的遺産ではなく、宗教的・精神的遺産でもあるのであり、その意味で、西洋文明全体に深く根ざしているのである。
ソクラテスの影響と弟子たちの展開——思想の多元的解釈
ソクラテスが死後、彼の思想と影響は、多くの異なる方向へと展開されていった。プラトンやアリストテレスといった大哲学者たちだけでなく、ストア派、エピクロス派、スケプティシズム(懐疑主義)といった様々な哲学流派が、ソクラテスから何らかの影響を受けていたのである。例えば、ストア派の哲学者たちは、ソクラテスの「徳は最高の善である」という思想から影響を受け、同様に、徳だけが真に価値があると考え、外部的な物質的事柄は本質的には無関係だと主張したのである。一方、エピクロス派は、ソクラテスの禁欲的な生活様式に異議を唱えながらも、ソクラテスが示した「人生について深く考え、自分たちの信念に従って生きるべき」という基本的な姿勢には、共感していたのである。
さらに重要なのは、ソクラテスの影響がギリシア哲学の領域に留まらず、その後のすべての西洋文明に及ぶようになったということである。キリスト教の初期の思想家たちは、ソクラテスを「知られざる神に仕える者」として再解釈し、彼を前キリスト教的な真理探求者として捉えた。特に、アウグスティヌスやトマス・アクィナスといった中世の大神学者たちは、ソクラテスの哲学とキリスト教的な信仰を統合する際に、ソクラテスの知識論や道徳論を利用したのである。
中世から近代へかけても、ソクラテスの影響は続いた。デカルトは、彼の『方法序説』の中で、すべてを疑うという「方法的懐疑」を提示した時、ソクラテスの「無知の知」から影響を受けていたと考えられている。康徳的な理性主義の発展においても、ソクラテスの「理性的な自己反省」という思想が、重要な役割を果たしたのである。18世紀のドイツ観念論、特にヘーゲルは、ソクラテスを、自己意識の発展の重要な段階を代表する人物として捉えた。彼にとって、ソクラテスは、主観的な道徳性の発見者として、哲学史における重要な転換点を示す人物であった。
さらに、19世紀と20世紀においても、ソクラテスは、新たな形で解釈され、新たな影響を与え続けた。実存主義の思想家たちは、ソクラテスの個人の選択と自由についての強調に、共感を示した。キルケゴールは、ソクラテスの存在的なコミットメントと、個人として真理を生きることについての強調を、高く評価したのである。また、20世紀の社会哲学や政治哲学の領域でも、ソクラテスの市民的不服従についての思想が、社会的抑圧に対する個人の道徳的抵抗の理論的根拠として、繰り返し参照されてきたのである。つまり、各時代の思想家たちが、ソクラテスという歴史的人物に向き合う時、彼らは常に、自分たちの時代の問題に適切な形で、ソクラテスを再解釈してきたのであり、その結果として、ソクラテスは、決して過去の遺物ではなく、常に現代的な意義を持ち続けているのである。
ソクラテス問題——歴史的ソクラテスとプラトンのソクラテス
ソクラテスについて学ぶ者が直面する最初にして最も重要な問題は、「ソクラテス問題」(the Socratic problem)と呼ばれる困難である。このテーマは、古代史、哲学の歴史、そして認識論の領域における、最も根本的で、最も解決困難な問題の一つであり続けている。その問題の核心は、次のようなものである:われわれが「ソクラテス」について知っていると考えることのうち、実際に何が、歴史的なソクラテスの実像であり、何がプラトンやクセノポンといった後世の著述者の解釈や創造物なのか。
この問題が生じる理由は、ソクラテス自身が一冊の著作も残していないという単純な事実にある。われわれがソクラテスについて知るすべては、他者の著述、特にプラトンとクセノポンの著述を通じてのみ、知りうるのである。プラトンの『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』『パイドロス』などの対話篇、そしてクセノポンの『ソクラテスの思い出』『シンポジウム』といった著作が、ソクラテスについての主要な情報源である。しかし、これらの情報源は、同時に、複雑な解釈の問題をもたらすのである。
プラトンの対話篇を見ると、ソクラテスはしばしば、プラトンの自身の哲学的思想の代弁者として機能しているように見える。特に、プラトンの後期の対話篇においては、ソクラテスが述べることが、より複雑で、より形而上学的になり、プラトンのイデア論や、その他の哲学的理論の説明者となっているように見える。一方、クセノポンの著述は、より単純で、より実践的なソクラテスを呈示している。クセノポンのソクラテスは、政治的な知恵や、日常的な道徳的指導を行う教師として描かれている。
学者たちの間では、二つの主要な方向性が存在する。第一に、プラトン中心の立場では、プラトンの初期の対話篇(『アポロギア』『クリトン』『ユーテュプロン』『ラケス』『シャルミデス』など)は、比較的歴史的なソクラテスの思想を反映しており、特に「無知の知」や「問答法」「定義の追求」といった特徴は、歴史的なソクラテスに属するものと考える。第二に、クセノポン中心の立場では、クセノポンの著述がより実用的で実在的なソクラテスを呈示しており、プラトンはソクラテスの名前を借りて、自分自身の形而上学的な理論を展開したのだと主張する。
しかし、この問題のさらなる複雑性は、プラトンとクセノポンの著述の間に、かなりの差異が存在するという事実にある。例えば、プラトンのソクラテスは、「イデア」や「形相」についての高度な理論を説いているが、クセノポンのソクラテスはそのようなことを一度も述べない。プラトンのソクラテスは、幾何学や数学についての知識を重視しているが、クセノポンのソクラテスはそれほど重視していない。プラトンのソクラテスは、しばしば困惑(アポリア)に陥り、明確な結論に到達しないことが多いが、クセノポンのソクラテスは、より建設的で、より実用的な結論に到達することが多い。
これらの相違は、二つの可能性を示唆している。第一に、プラトンとクセノポンは、異なるソクラテスの側面を見ていたのだという可能性である。すなわち、ソクラテスが複数の側面を持つ人物であり、その異なる側面を異なる著述者が強調したのだということである。第二に、プラトンとクセノポンは、ソクラテスを異なる程度に変化させて、著述したのだという可能性である。すなわち、プラトンはソクラテスを形而上学的な方向へと理想化し、クセノポンはソクラテスをより現実的な日常的教師として描いたのだということである。
19世紀から20世紀にかけて、多くの学者たちが、この問題に取り組んできた。フリードレンダーやテイラーといった古代史家たちは、プラトンのテキストが、より信頼性が高いと考え、プラトンの初期対話篇をソクラテスの思想の最良の情報源として扱った。一方、アルテミーズやテイラーの後継者たちの中には、クセノポンをより信頼性が高いと考える者もいた。20世紀の後半から21世紀にかけて、さらに多くの複雑性が加わってきた。フィンガラレッティやペルティバル・グレゴリーらの学者たちは、古代の文献批評の方法を用いて、プラトンの対話篇の成層性(stratigraphy)を分析し、どの層が歴史的なソクラテスに最も近いのかを判定しようと試みた。
現在のコンセンサスは、次のようなものである:プラトンの初期対話篇は、比較的歴史的なソクラテスを反映していると考えられるが、完全に正確であるとは見なされない。プラトンは、確かにソクラテスから多くのことを学んだが、同時に、彼は自分自身の哲学的関心に従って、ソクラテスの人物と思想を変化させたのであろう。一方、クセノポンの著述は、より日常的で、より実践的なソクラテスを呈示していたが、クセノポン自身も、編集を通じて、ソクラテスの思想を自分の見方に従って、解釈したのであろう。したがって、歴史的なソクラテスの思想について、完全に正確な理解を得ることは、おそらく不可能なのである。
この困難性にもかかわらず、いくつかの特徴は、プラトンとクセノポンの両著述者によって、概ね一致して述べられており、したがって、より信頼できるとしてよいであろう。第一に、ソクラテスが問答法(対話による問い)を用いて、人々の信念に疑問を投げかけたこと。第二に、彼が「無知の知」を強調したこと。第三に、彼が徳と知識の関係について考えたこと。第四に、彼が若者たちと対話を行い、彼らの知的・道徳的成長に関心を持ったこと。第五に、彼が禁欲的な生活様式を送ったこと。これらの特徴は、われわれがソクラテスについて比較的に確実に言うことができる事柄なのである。
さらに、古代の他の著述者たち——アリストファネスのコメディ『雲』、プラトンとクセノポン以外の弟子たちの著述の断片など——も、また、ソクラテス問題の解決のための証拠を提供している。アリストファネスの『雲』は、ソクラテスを風刺的に描いており、確かに歴史的ソクラテスの側面を反映しているかもしれないが、それはあくまでも風刺であり、コメディの目的のために誇張されている可能性も高い。しかし、アリストファネスの描写が、ソクラテスが、自然学や宇宙論に関心があり、同時に若者たちの道徳的腐敗で告発されていたことを示唆していることは、注目に値する。
結論として、「ソクラテス問題」は、完全には解決されない問題である。われわれは、歴史的なソクラテスについて、完全で、疑いの余地のない知識を得ることはできない。しかし、さまざまな文献的証拠を相互参照し、複数の著述者による記述を比較することによって、ソクラテスの思想と人格についての、蓋然的で、合理的な理解に到達することは可能なのである。そして、その理解の中に含まれる不確実性も、また、ソクラテスの思想の本質的な側面なのである。つまり、ソクラテス自身が、人々に無知を自覚させることを重視したのと同様に、ソクラテスについてのわれわれの知識の限界を自覚することもまた、ソクラテスの精神を受け継ぐことなのだと言うことができるのである。
さらに、「ソクラテス問題」は、単なる学問的な問題ではなく、より広い哲学的意義を持っている。それは、次のような根本的な問いを提起しているのである:われわれは、歴史的人物の「本当の」思想や性格を、どの程度まで知ることができるのか。後世の著述者の解釈を通じてのみ、われわれが過去の人物にアクセスする時、われわれはどのようにして、事実と解釈を区別することができるのか。また、ある思想家が複数の異なる著述者によって、異なる方法で解釈される時、「本来の」思想とは何か——その著述者たちのうち、誰が最も正確に理解していたのか。これらの問いは、単にソクラテスに関するものではなく、すべての歴史的理解に関わるものなのである。
さらに、「ソクラテス問題」は、プラトンの著作の性質についての、より深い考察をも促す。プラトンが『ソクラテスの弁明』や『クリトン』といった初期対話篇を著述した時、彼は単なる歴史的記録者ではなく、創造的な著述家であった可能性が高い。彼は、ソクラテスの言葉と思想を、ある程度まで、文学的に再構成したのであろう。しかし、この創造的な再構成が、ソクラテスの本来の思想を損なうものであったのか、それとも、むしろそれを深化させるものであったのかという問いは、簡単には答えられない。実のところ、プラトンが創造的に再解釈したソクラテスは、単なる歴史的人物ソクラテスではなく、より高い理想的意味におけるソクラテス——実在したソクラテスと、後世の思想家たちが認識し、理想化したソクラテスの、両方の特性を合わせ持つ人物——なのである。そして、この理想化されたソクラテスこそが、2400年の歴史を通じて、西洋文明に最も大きな影響を与えてきたのであり、また、今後も与え続けるであろう。
以上に見てきたように、ソクラテスの遺産は、方法(問答法)、倫理(徳は知識である)、そして生き方(死の受容)という三つの層が分かちがたく結びついたものであり、それゆえに2400年を経てなお、教育・倫理学・政治哲学のあらゆる領域で新たに読み直され続けている。ソクラテスの生涯と問答法については姉妹編「ソクラテスの生涯と問答法」を、裁判と死の場面については姉妹編「ソクラテスの裁判と死」を、あわせて参照されたい。