ベルクソン:純粋持続とエラン・ヴィタールの哲学

はじめに:時間の哲学者ベルクソン

アンリ・ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)は、十九世紀末から二十世紀前半にかけて、フランス思想界のみならずヨーロッパ全体の知的世界に絶大な影響を与えた哲学者である。彼の名は、しばしば「持続」(durée)の哲学者として知られる。ベルクソンは、時間を空間的に均質な単位の連なりとして捉える科学的・日常的な時間観を批判し、時間の本質を、質的に異質な諸瞬間が互いに浸透し合いながら流れゆく「純粋持続」として捉え直した。

ベルクソンの哲学は、当時支配的であった実証主義や機械論的自然観に対する、根本的な異議申し立てとしての性格を持つ。彼は、知性による分析的な把握では捉えきれない実在の側面があると考え、これを捉えるための独自の方法として「直観」(intuition)の哲学を展開した。またベルクソンは、生命進化の過程を機械論にも目的論にも還元されない独自の力動——「エラン・ヴィタール」(élan vital、生の飛躍)——によって説明しようと試みた。

本稿では、ベルクソンの生涯とノーベル文学賞受賞に触れたうえで、純粋持続の概念、直観の哲学、『物質と記憶』における記憶と物質の理論、『創造的進化』とエラン・ヴィタール、『笑い』における滑稽の理論、アインシュタインとの時間論争、そして二十世紀思想への広範な影響について検討する。

生涯とノーベル文学賞

ベルクソンは1859年、パリに生まれた。父は音楽家、母はイギリス系の家系に連なる人物であり、幼少期から国際的な文化環境のなかで育った。エコール・ノルマル・シュペリウールで哲学を学んだベルクソンは、当初は科学的合理主義と実証主義の強い影響のもとにあったが、次第にこれらの立場、とりわけ時間や意識を空間的・量的なものとして扱う傾向に対して、根本的な違和感を抱くようになる。

1889年、学位論文をもとにした『意識に直接与えられたものについての試論』(邦訳では『時間と自由』としても知られる)を発表し、純粋持続の概念を初めて体系的に提示した。続いて1896年に『物質と記憶』、1900年に『笑い』、そして1907年には主著とされる『創造的進化』を発表した。『創造的進化』は、専門的な哲学書でありながら広範な読者を獲得し、ベルクソンはヨーロッパ中で講演を行う思想界の名士となった。コレージュ・ド・フランスでの講義には、聴講のために長い行列ができたと伝えられている。

1927年、ベルクソンはノーベル文学賞を受賞した。これは、彼の哲学的著作が、その思想内容だけでなく、文体上の卓越性——明晰でありながら詩的な表現力——においても高く評価されたことを示している。選考にあたっては、ベルクソンの著作が単なる専門的な学術書ではなく、広範な一般読者にも訴えかける文学的な達成であると評価された点が重視されたとされる。実際、ベルクソンは比喩や具体的なイメージを効果的に用いることで、抽象的な哲学的議論を生き生きとした文章として展開する独特の文体で知られており、この文体そのものが、直観によって捉えられた実在を、硬直した専門用語ではなく、生きた言葉で伝えようとする彼の哲学的方法論と不可分に結びついていた。

晩年のベルクソンは、1932年に『道徳と宗教の二つの源泉』を発表し、社会と道徳、閉じた社会と開かれた社会という主題に取り組んだ。ここでベルクソンは、集団の存続のために閉鎖的な規範を課す「閉じた道徳」と、人類全体へと開かれた普遍的な愛を志向する「開かれた道徳」とを区別し、後者の淵源を、神秘家たちの宗教的経験のうちに見出そうとした。ユダヤ系の家系に生まれたベルクソンは、カトリックへの改宗を考えていたとも伝えられるが、第二次世界大戦下のナチス占領期においては、ユダヤ人への迫害に抗議する意味を込めて、あえて公職からの特権的な除外を拒否したという逸話が残っている。すでに高齢で病をおして、ユダヤ人としての登録のために長時間並んだと伝えられており、これはベルクソンの倫理的な誠実さを物語る逸話として今日でも語り継がれている。ベルクソンは1941年、パリで没した。

純粋持続——時間の本質をめぐる問い

ベルクソン哲学の出発点にあるのが、「純粋持続」(durée pure)の概念である。ベルクソンは、我々が日常的にも科学的にも用いている時間の観念——時計の目盛りのように等質な単位に分割され、空間上の点のように並べられる時間——が、実は時間そのものではなく、時間を空間的なイメージに翻訳したものにすぎないと批判する。

ベルクソンによれば、真の時間、すなわち意識が内側から経験する時間は、このように均質な単位に分割できるものではない。純粋持続においては、過去の諸瞬間は消え去るのではなく、現在のうちに浸透し、蓄積され、質的に融合しながら流れてゆく。ちょうど、旋律を構成する音符が、単に順番に並んだ独立の点としてではなく、互いに浸透し合いながら一つの全体として経験されるように、意識の時間もまた、相互浸透する諸瞬間の質的な多様体として経験される。

この区別を明確にするため、ベルクソンは「量的多様体」と「質的多様体」という二つの多様体の概念を対比させる。量的多様体とは、空間のように、均質な単位に分割し、数え上げることができる多様性である。これに対し質的多様体とは、純粋持続のように、要素同士が互いに浸透し合い、明確な境界によって分割することができない多様性である。ベルクソンにとって、自由意志の問題や、心理的因果性をめぐる伝統的な論争の多くは、本来質的多様体に属する意識の実在を、量的多様体である空間的なイメージによって誤って捉えることから生じた、擬似問題にほかならない。

『意識に直接与えられたものについての試論』においてベルクソンは、この観点から自由意志の問題を再検討する。伝統的な自由意志論争は、しばしば、行為に先立つ意識状態を、あたかも空間上に並んだ選択肢の系列として表象し、そのなかから一つを選び取る過程として自由を説明しようとする。しかしベルクソンによれば、このような表象そのものが、時間を空間化する誤りを犯している。真に自由な行為とは、あらかじめ与えられた選択肢のなかから機械的に一つを選ぶことではなく、人格そのものが持続のうちで成熟し、その全体性から一つの行為として滲み出るように生成することである。ベルクソンはこれを「根本的自由」と呼び、決定論者と自由意志論者の双方が共有してしまっている、時間の空間化という前提そのものを問い直そうとした。

直観の哲学——知性の限界を超えて

純粋持続という実在の本質的な側面を捉えるためには、日常的・科学的な認識能力とは異なる能力が必要になる、とベルクソンは考える。ここで中心的な役割を果たすのが「直観」(intuition)の概念である。

ベルクソンにおいて、人間の知性(intelligence)は、本来、物質を操作し、道具を製作し、実践的な行動のために外界を分析・分割する能力として進化してきた。知性は、対象を固定した部分に切り分け、空間化し、静止した状態として把握することに長けている。しかし、この知性の働き方は、生命や意識のように、絶えず生成し変化し続ける実在を捉えようとするとき、根本的な限界に突き当たる。知性は運動を、静止した位置の連続的な系列として、いわば映画のコマ送りのように再構成することしかできず、運動そのものの生きた連続性を取り逃してしまう。

これに対し直観とは、対象の内部に共感的に入り込み、対象が持つ独自性、他のいかなるものとも一致しない持続そのものを、内側から捉えようとする認識の様式である。直観は、知性のように対象を外側から分析し、既存の概念の枠組みに当てはめるのではなく、対象そのものの生成する運動に、いわば同調しながら捉えようとする。

ベルクソンは、直観が知性に対立するだけの非合理的な能力ではないことを強調する。直観によって得られた洞察は、その後、知性による分析や概念化によって、伝達可能な形式へと展開されなければならない。ベルクソンの哲学的方法とは、直観によって実在の生きた核心に触れ、そのうえで知性を用いてこの洞察を精緻化していくという、両者の協働の過程として理解されるべきものである。

記憶と物質——心身関係の再構成

1896年の『物質と記憶』において、ベルクソンは心身問題、すなわち精神と物質、記憶と脳の関係という伝統的な哲学的難問に取り組んだ。ベルクソンは、当時の心理学・生理学における主流の立場——記憶が脳のうちに物質的な痕跡として蓄積されるという立場——を批判し、独自の記憶理論を展開する。

ベルクソンは記憶を二つの異なる種類に区別する。第一は「習慣記憶」であり、これは身体的な反復によって獲得される、運動的な記憶である。自転車の乗り方やタイピングの技能のように、身体に刻み込まれ、意識的な想起を経ずに自動的に働く記憶である。第二は「純粋記憶」あるいは「イメージ記憶」であり、これは特定の過去の出来事についての、日付を持った個別的な想起である。

ベルクソンにとって、純粋記憶そのものは物質的な脳のうちに蓄積されるのではなく、精神的な実在として、いわば潜在的な形で保存され続ける。脳の役割は、記憶を貯蔵することではなく、むしろ、行動に必要な記憶だけを選択的に現在の知覚と結びつけ、身体的な行動へと差し向けるための「濾過器」ないし「中継点」として機能することにある。この理論により、ベルクソンは、脳の損傷が記憶の想起を妨げる現象を、記憶そのものの破壊としてではなく、記憶を身体的行動へと繋げる回路の障害として説明しようとした。

この記憶理論は、物質と精神という二元論的な区別を単純に前提とするのではなく、両者を、持続の緊張の度合いが異なる、連続的なスペクトルの両極として捉え直そうとする試みでもある。物質は持続がほとんど弛緩し、瞬間の反復に近づいた極であり、純粋記憶は持続が最大限に凝縮された極である。

『創造的進化』とエラン・ヴィタール

1907年に発表された『創造的進化』は、ベルクソンの哲学のなかでも最も広く読まれた著作であり、生命進化の哲学的解釈を主題とする。ベルクソンはこの著作において、当時の進化論をめぐる二つの主要な説明様式——機械論と目的論——のいずれもが、生命進化の実相を十分に捉えていないと論じる。

機械論的な説明は、進化を、外的な環境要因への機械的な適応の連鎖として説明しようとするが、これでは、目や神経系のような、独立の系統において類似した複雑な器官が並行的に進化する「収斂進化」の現象を十分に説明できない、とベルクソンは指摘する。他方、目的論的な説明は、進化があらかじめ定められた最終目標に向かって展開すると想定するが、これは進化の過程に見られる予測不可能性や偶発性、そして進化が複数の分岐した方向へと展開していく事実と整合しない。

ベルクソンはこれに代わる説明原理として、「エラン・ヴィタール」(élan vital、生の飛躍)という概念を提示する。エラン・ヴィタールとは、生命進化の根底にある、持続的で創造的な力動である。それは、あらかじめ定まった青写真に従って展開する機械的過程でもなければ、既定の目標に到達しようとする目的論的過程でもない。むしろそれは、絶えず新しい形態を創造しながら、予見不可能な仕方で分岐し展開していく、根源的に創造的な運動である。

ベルクソンは、この生の飛躍が、物質の抵抗——エントロピーの増大に向かう物質の傾向——との緊張関係のなかで、様々な系統へと分岐しながら展開してきたと論じる。植物、動物における本能、そして人間における知性は、いずれもこの生の飛躍が、物質との相互作用のなかで生み出した、異なる方向への解決策として理解される。ベルクソンにとって進化とは、既存の可能性の実現ではなく、真に新しいものを絶えず生み出し続ける、時間の創造的な本質そのものの現れなのである。

笑いの理論

1900年に発表された『笑い』は、ベルクソンの著作のなかでは比較的短く、軽妙な文体で書かれた作品であるが、そこには彼の哲学の基本的な構図が明確に反映されている。ベルクソンは、なぜ人は特定の状況において滑稽さを感じ、笑うのかという問いを、彼の生命と機械の対比という枠組みのもとで分析する。

ベルクソンの基本的な洞察は、滑稽さが、生きた柔軟性を本質とすべき人間の振る舞いのうちに、機械的な硬直性や反復性が現れるときに生じる、というものである。人が階段でつまずいて転ぶとき、その動作が滑稽に見えるのは、本来なら状況に応じて柔軟に対応すべき身体の動きが、あたかも慣性法則に従う機械のように、硬直した仕方で反復されてしまうからである。同様に、習慣や機械的な反復に囚われた性格、社会的な儀礼を融通の利かない仕方で墨守する人物なども、滑稽さの典型的な対象となる。

ベルクソンはさらに、笑いが本質的に社会的な機能を持つことを強調する。笑いは、集団のうちで共有される反応であり、社会生活に必要な柔軟性や適応力を欠いた振る舞いに対する、一種の矯正的な制裁として機能する。笑われることへの恐れが、人々を過度の硬直性から遠ざけ、社会的な柔軟性を維持する方向へと促すのである。この笑いの理論は、生命の本質を絶えざる創造的変化のうちに見るベルクソンの哲学全体と、緊密に結びついている。

アインシュタインとの時間論争

ベルクソンの時間論は、二十世紀初頭の物理学における最大の革命、すなわちアインシュタインの相対性理論とも、直接に交錯することになった。1922年、パリでベルクソンとアインシュタインは公開の場で対話を行い、時間の本性をめぐって鋭く対立した。同年、ベルクソンは『持続と同時性』を発表し、相対性理論が提起する時間概念に対する哲学的な検討を行った。

ベルクソンの立場は、相対性理論の物理学的な計算そのものを否定するものではなかった。しかしベルクソンは、相対性理論における「時間の遅れ」などの効果が、意識によって直接経験される持続とは異なる、測定と記号化を経た抽象的構築物であることを強調しようとした。ベルクソンにとって、物理学的な時間は、実在する複数の持続——観測者たちがそれぞれ生きる具体的な時間経験——を、数学的な記号操作によって関係づけたものであり、この記号的操作それ自体が、実在する複数の持続を消し去ってしまうわけではない、という論点を提示しようとしたのである。

しかしこの論争において、物理学界の反応は概してアインシュタインを支持するものであり、ベルクソンの議論は、相対性理論の内容を十分に理解していないという批判を受けることになった。1922年のノーベル物理学賞の授与に際しては、相対性理論をめぐる論争が続いていることを理由の一つとして、選考委員会があえて相対性理論そのものを受賞理由から外したという経緯も伝えられており、ベルクソンとの論争がこの時期の科学界における相対性理論の受容に一定の影を落としたとする見方も存在する。この論争は、ベルクソンの哲学的権威に少なからぬ打撃を与えたとされ、後年、ベルクソン自身も『持続と同時性』の再版を控えるようになったと伝えられている。

とはいえ、この論争は、物理学的な時間と、意識によって生きられる時間経験との関係という問題——今日の時間論や科学哲学においても継続して論じられている問題——を、早い時期に鋭く提起したものとして、再評価される余地を持っている。物理学が扱う時間は、観測と測定の手続きを通じて構成された、いわば記号的に操作可能な時間であるのに対し、我々が日々の生活のなかで経験する時間は、それに還元し尽くされない質的な厚みを持つ、という論点そのものは、物理学的世界像と人間的経験との関係を問う現代の科学哲学においても、依然として重要な論点であり続けている。

二十世紀思想への影響

ベルクソンの哲学は、二十世紀の思想史に広範な影響を及ぼした。現象学の創始者エトムント・フッサールの内的時間意識の分析は、ベルクソンの純粋持続の概念と重要な共鳴関係にあり、両者はしばしば比較対照されてきた。また、モーリス・メルロ゠ポンティをはじめとするフランス現象学の系譜も、身体と知覚の理論において、ベルクソンの遺産から少なからぬ着想を得ている。

実存主義の分野でも、ベルクソンの時間論や自由の概念は、後続の思想家たちに参照され続けた。さらに二十世紀後半には、ジル・ドゥルーズが、著書『ベルクソンの哲学』(1966年)などを通じて、ベルクソンの哲学、とりわけ持続・多様体・潜在性といった概念を精緻に読み直し、これを自身の差異の哲学の重要な源泉の一つとして位置づけた。ドゥルーズによるこの再評価は、二十世紀後半から二十一世紀にかけてのベルクソン研究の復興において、決定的な役割を果たしている。

文学の領域においても、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』における記憶と時間の探求は、しばしばベルクソン哲学との親近性のもとで論じられてきた。プルーストとベルクソンは姻戚関係にもあり、非意志的記憶によって過去がまざまざと蘇るという小説の中心的な主題は、習慣記憶と純粋記憶を区別するベルクソンの記憶理論と、しばしば重ね合わせて論じられる。また、生命科学の哲学、複雑系の科学、創発性をめぐる現代の議論においても、機械論にも目的論にも還元されない創造的過程というベルクソンの発想は、しばしば参照点として引き合いに出されている。

さらに、アメリカのプラグマティズムを代表するウィリアム・ジェイムズは、ベルクソンと個人的な交流を持ち、意識の流れ(stream of consciousness)という自身の心理学的概念と、ベルクソンの持続概念との近さを認めていた。二人の思想的交流は、大西洋の両岸における反主知主義的・経験論的な思考の潮流が、二十世紀初頭において互いに共鳴し合っていたことを示す一例である。

結論

ベルクソンの哲学は、時間、記憶、生命、そして笑いといった、一見すると互いに独立した主題を扱いながらも、その根底には、実在を静止した空間的なイメージによってではなく、絶えず生成し変化し続ける持続として捉えようとする、一貫した哲学的態度が流れている。純粋持続の概念は、知性による空間化された時間理解を批判し、意識が内側から経験する時間の質的な独自性を回復しようとする試みであった。

直観の哲学、『物質と記憶』における記憶理論、『創造的進化』におけるエラン・ヴィタールの概念、そして『笑い』における生命と機械の対比は、いずれもこの一貫した哲学的態度の、異なる領域における展開として理解することができる。アインシュタインとの時間論争は、ベルクソンの哲学的権威に一時的な打撃を与えたものの、物理学的時間と生きられる時間経験との関係という、今日でもなお論じられ続けている問題を先駆的に提起するものであった。

ノーベル文学賞に象徴されるように、ベルクソンの哲学は、その内容の独創性のみならず、明晰かつ詩的な文体によっても、同時代および後世の読者を魅了し続けてきた。現象学、実存主義、そしてドゥルーズを経由した二十一世紀の思想的展開にまで及ぶその影響力は、ベルクソンが提起した持続・生命・創造の問題群が、二十世紀哲学の核心的な主題の一つであり続けたことを、雄弁に物語っている。