マキャヴェッリの生涯と時代背景
ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469-1527)は、イタリア・フィレンツェで生まれた政治思想家、外交官、軍事理論家である。彼の人生は、ルネサンス期のイタリアの複雑な政治状況と深く結びついている。15世紀から16世紀のイタリアは、複数の都市国家が覇権を巡って争う分裂状態にあった。フィレンツェはメディチ家の支配下にあり、ヴェネツィア共和国、教皇領、ナポリ王国、ミラノ公国など、各地域の強力な勢力が互いに対抗していた。
マキャヴェッリの時代には、フランスやスペインなどの強大な統一国家がヨーロッパの政治舞台に登場し始めていた。これらの国家の台頭は、従来の都市国家中心の政治体制に終焉をもたらすことになる。マキャヴェッリは、こうした激動の時代の中で、現実的で実践的な政治思想の必要性を強く感じた。
フィレンツェでの活動
マキャヴェッリは、1498年からフィレンツェ共和国の行政官として活動を開始した。彼は外交官としてイタリア各地、さらにはフランスやドイツへの使節団に参加し、当時の権力の実際の動きを目の当たりにした。特に、ローマ教皇庁、ヴェネツィア、フランス、スペインなどの大国の間での複雑な外交関係を観察することで、彼の政治思想は鍛えられていった。
1512年、フィレンツェはスペイン軍の攻撃を受け、マキャヴェッリが仕えていたソデリーニ政権は崩壊した。メディチ家がフィレンツェへの支配を回復した後、マキャヴェッリは政治的な地位を失い、フィレンツェ近郊の小村アルビアーチに隠退することを余儀なくされた。この隠退の時期が、彼の最も重要な著作『君主論』の執筆へと至ったのである。
『君主論』の思想的革新性
著作の背景と目的
『君主論』(Il Principe)は、マキャヴェッリが1513年から1514年にかけて執筆した作品である。表面的には、イタリアを統一し、外国勢力から解放する君主に対する教育的な助言書として書かれた。しかし、この著作が提示する思想は、従来のヨーロッパの政治哲学の枠組みを根本的に転覆させるものであった。
中世ヨーロッパの政治思想は、トマス・アクィナスなどのスコラ学派の思想に基づいて、君主に対して道徳的で倫理的な統治を求めてきた。君主は神の代理人であり、神の法と自然法に従う義務があるとされていたのである。マキャヴェッリは、こうした観点を根本的に否定し、政治の現実を直視することの重要性を主張した。
『君主論』の核心は、「権力の維持のために必要であれば、道徳的に悪いとされることでも行わなければならない」という考え方にある。これは、政治を道徳や宗教的原理から解放し、純粋に権力と利益の問題として扱うアプローチを示している。マキャヴェッリは、君主の目的は国家の権力と安定性の維持であり、この目的を達成するために如何なる手段も正当化されうると考えた。
権力と道徳の分離
マキャヴェッリが展開した最も革新的な思想は、権力維持と道徳的振る舞いの分離である。彼は『君主論』の中で、君主は表面上は道徳的で宗教的であるように見えることが重要だと述べた。しかし同時に、権力を維持し国家を守るために必要であれば、隠蔽や欺瞞、暴力といった非道徳的な手段を躊躇なく用いるべきだと主張している。
この考え方は、マキャヴェッリの時代には極めて過激なものであった。彼は君主に対して、民衆に好意を持つことよりも恐怖心を抱かせることの方が統治には効果的であること、約束は都合が悪くなれば破棄してよいこと、さらには必要に応じて臣民を虐殺することも正当化されうることを述べている。
マキャヴェッリの視点では、君主の道徳的性格よりも、権力の維持に必要な実践的な能力(「ヴィルトゥー」)が重要なのである。この「ヴィルトゥー」という概念は、マキャヴェッリ以前のルネサンス思想家たちによって用いられた概念であったが、マキャヴェッリはこれを純粋に権力志向的な意味で使用している。
権力の二つの源泉:家系と武力
マキャヴェッリは『君主論』の中で、君主権の源泉として相続による世襲権と武力による獲得の二つを挙げた。彼の分析によれば、新たに権力を獲得した君主は、世襲君主よりもはるかに困難な課題に直面する。新しい権力体制を確立し、それを安定させるためには、より大きな決断力と実行力が必要とされるのである。
マキャヴェッリは、権力の獲得と維持に際して「フォルトゥーナ」(運命)と「ヴィルトゥー」(能力)という二つの要素を重視した。フォルトゥーナは、個人の努力ではコントロールできない外部要因、すなわち運命や機会を指す。一方、ヴィルトゥーは、これらの運命に対して賢明に対応し、機会を捉える君主の能力を示している。
マキャヴェッリは、優れた君主とは、フォルトゥーナとヴィルトゥーのバランスを上手く取ることができる人物であると考えた。彼は、ヴィルトゥーの有無が君主の成功と失敗を分ける重要な要因であり、この能力は個人の努力によって培うことができると主張している。
国家理性と近代国家の形成
国家の独立性と主権
マキャヴェッリの思想が近代政治哲学の創始となった最大の理由は、彼が国家を独立した行動主体として捉え、他の道徳的・宗教的権威から解放したからである。中世には、教会と世俗権力との間に複雑な関係が存在していた。教皇は精神的権威を、君主は世俗的権力を代表していたが、この二つの権力の関係は常に緊張したものであった。
マキャヴェッリは、国家の利益(レーゾン・デタ、国家理性)が最高の価値であり、この利益を追求するために国家は他の道徳的・宗教的制約から自由であるべきだと主張した。これは、国家の行動が国内法や国際法によって制約されるべき、という近代的な法の支配の観念とは異なるものである。むしろ、マキャヴェッリは国家を、自らの存続と拡大のためにあらゆる手段を用いることを正当化される主体として捉えたのである。
このマキャヴェッリの思想は、後のヨーロッパにおける国家の発展、特にスペイン、フランス、イギリス、プロイセンなどの絶対主義国家の理論的な支柱となった。これらの国家は、対外的には相互の主権を尊重しつつ、対内的には絶対的な権力を行使する国家として組織されるようになったのである。
新しい君主権の形態
マキャヴェッリの著作は、特に新しい君主権の形態に関する考察で注目すべきものがある。彼は、武力や詐欺によって新たに権力を獲得した君主が、どのようにしてその権力を安定させることができるかについて詳細に分析している。
マキャヴェッリによれば、新しい権力体制を確立するためには、いくつかの重要な戦略が必要である。まず第一に、前の権力体制の痕跡を完全に消し去ることの重要性が挙げられる。これは必要に応じて、旧体制の支持者や潜在的なライバルを排除することを含む。第二に、新しい権力体制の正当性を築き上げることが重要である。これは、宗教的権威や民衆の同意を活用することによって達成されうる。第三に、軍事力によってその権力を支え、外部の脅威から身を守ることが必要である。
マキャヴェッリのこうした分析は、後のヨーロッパの数多くの君主が権力掌握時に参考にしたとされている。特に、権力奪取後の権力の安定化に関する彼の実践的な助言は、政治指導者たちにとって重要な教訓となったのである。
『ディスコルシ』と共和政治の議論
『ローマ帝国の最初の十年についての考察』
マキャヴェッリの著作は『君主論』だけに止まらない。彼は『ディスコルシ』(Discorsi sopra la prima deca di Tito Livio)という作品も著した。この著作は『君主論』よりも後に執筆され、より完全な政治思想体系を示すものとして評価されている。『ディスコルシ』では、マキャヴェッリはローマ帝国の歴史を分析し、共和政治の優位性について論じている。
『ディスコルシ』は必ずしも『君主論』と矛盾するものではない。むしろ、マキャヴェッリは『ディスコルシ』の中で、一人の君主による支配よりも共和政治の方が、一般的には国家に安定性をもたらすと考えていた。ローマ共和政の歴史から、彼は貴族階級と平民階級の間の緊張関係が、実は国家の活力と安定をもたらしたと分析している。
この思想は、近代の民主主義思想の発展に大きな影響を与えることになった。マキャヴェッリは、社会内の異なる階級や利益集団の間の対立が、適切に調整されれば、国家全体の利益をもたらすと考えたのである。これは、後の自由民主主義思想における権力分立や相互抑制の観念へと発展していくことになる。
宗教と国家
『ディスコルシ』では、マキャヴェッリは宗教と国家の関係についても重要な議論を展開している。彼は、宗教は人民を支配し、道徳的規範を維持するための有用な手段であることを認めている。しかし同時に、君主が宗教的信仰によって自らの権力の行使を制限してはならないと主張している。
この考え方は、後の啓蒙思想における宗教批判と世俗化の展開に先駆けるものであったと言えよう。マキャヴェッリは、宗教を道具化し、その政治的有用性に基づいて評価するという、近代的な思考様式を導入したのである。これは、宗教に絶対的な真理と権威を認めていた中世の思想から、宗教を相対化し、政治目的の達成手段としてのみ評価する近代的な視点への転換を示している。
マキャヴェッリの遺産と評価の変遷
初期の反発と禁書
『君主論』が出版された直後、この著作は広くヨーロッパで読まれると同時に、激しい批判の対象となった。特にカトリック教会は、この著作が道徳と宗教を無視した権力志向的なテキストであるとして非難し、『君主論』は禁書リストに登録された。プロテスタント勢力からも同様の批判が寄せられた。
しかし、実際には『君主論』は当時の権力者たちに広く読まれ、参考にされた。イタリアの君主たちは言うまでもなく、スペイン、フランス、イングランドなどの絶対主義国家の指導者たちも、マキャヴェッリの思想を自らの権力掌握と維持に活用したと考えられている。マキャヴェッリの思想が宗教的権威によって否定されてはいたものの、政治的には広く受け入れられていたのである。
近代政治哲学への影響
マキャヴェッリは、西洋政治思想において幾つかの重要な転換を実現させた。まず第一に、政治を倫理学や神学から独立した領域として確立したこと。第二に、権力の現実的な動作様式を分析し、理想的な君主像よりも実際に機能する権力体制を描出したこと。第三に、国家を独立した行動主体として捉え、それが自らの利益を追求するために他の権威から自由であるべきだと主張したこと。
これらの点において、マキャヴェッリは近代政治哲学の開祖と言える。後のホッブズの『リヴァイアサン』、ボーダンの主権論、さらには19世紀の現実政治論など、ヨーロッパの政治思想は、マキャヴェッリが開いた問題領域の中で展開してきた。彼が確立した「国家理性」という概念は、近代国家の本質を理解するための鍵概念として、今日に至るまで政治学の中心にあり続けている。
マキャヴェッリズムという語彙
マキャヴェッリの名前から派生した「マキャヴェッリズム」という語彙は、権力追求のために非道徳的な手段をも正当化する政治的態度を指すようになった。これは、マキャヴェッリの思想の一つの側面を、特に強調したものと言える。しかし、マキャヴェッリ自身の思想は、単なる権力への無制限の追求ではなく、むしろ権力が国家の安定と繁栄のために必要であるという認識に基づいていたのである。
近現代の政治思想家たちは、マキャヴェッリの思想をさまざまな方法で解釈してきた。左翼の思想家たちの中には、マキャヴェッリを階級権力とその現実的な運用を理解する思想家として高く評価する者もいた。一方、自由主義の伝統の中では、マキャヴェッリの思想が権力分立や民主的制限に先駆けるものであると指摘する者もいたのである。
マキャヴェッリと同時代の思想潮流
ルネサンス人文主義との関係
マキャヴェッリは、ルネサンス期の人文主義的教養を深く身につけていた。彼は古典古代の著作、特にローマの歴史と政治思想に精通していた。『ディスコルシ』がリヴィウスのローマ史を詳細に分析しているのは、彼がルネサンスの古典主義的伝統を継承していたことを示している。
しかし、マキャヴェッリの古典主義は、人文主義者たちが古代から引き出そうとした普遍的な徳や理想とは異なるものであった。彼は、古代の政治的現実を、その厳然たる姿において分析しようとしたのである。この点で、マキャヴェッリは、古代の権力関係の現実的な動作様式に関心を持つ、新しい型の古典主義者であったと言える。
宗教改革との時代的前後関係
マキャヴェッリの著作の執筆時期と宗教改革の開始時期は、ほぼ同じ時代である。マキャヴェッリが『君主論』を執筆していた1513年から1514年の同じ時期に、ルターは彼の『95か条の論題』に基づいて宗教改革の議論を展開していた。
両者の思想には、ある種の親和性が存在していたと考えることができる。マキャヴェッリが宗教を権力維持の道具として相対化しようとしていた一方で、ルターは聖書への直接的なアクセスを主張し、教会の仲介を否定しようとしていた。どちらも、既存の権威構造に対する批判的な視点を提示していたのである。しかし、ルターが依然として宗教的真理を追求していたのに対し、マキャヴェッリはそもそも宗教的真理を権力論の外に置こうとしていたという、重要な相違も存在していた。
現代におけるマキャヴェッリ再評価
20世紀のマキャヴェッリ解釈
20世紀の政治思想において、マキャヴェッリは多様な方法で再評価されるようになった。イタリアのマルクス主義思想家グラムシは、マキャヴェッリの思想を重要な政治的知性として再評価し、彼の権力分析が階級権力の分析に貢献するものであると考えた。グラムシは『獄中ノート』の中で、マキャヴェッリの思想に関する詳細な論述を残している。
フランスの知識人たちも、マキャヴェッリに関心を寄せた。特に、20世紀後半の構造主義やポスト構造主義の思想家たちは、マキャヴェッリの権力論が、後のフーコーの権力分析の先駆けであると指摘している。マキャヴェッリが権力を本質的で固定的なものではなく、具体的な実践と関係の中で構成されるものと捉えていた点が、現代の権力理論と結びつくと考えられたのである。
現代民主主義理論との対話
現代の民主主義理論においても、マキャヴェッリの思想は重要な位置を占めるようになっている。特に、リベラル民主主義の限界や問題を指摘する理論家たちは、マキャヴェッリがもたらした現実的な権力分析の有用性を認識している。
マキャヴェッリは、権力が道徳的に中立的であり、その現実的な動作メカニズムを理解することが政治的知性の第一段階であることを示した。この洞察は、民主的な制度や法の支配の重要性を理解するために不可欠であると考えられている。民主的制度は、単なる倫理的理想に基づくのではなく、権力の現実的な作用様式を考慮に入れた上で、その権力を制限し制御するために設計されているからである。
マキャヴェッリの思想体系の内的矛盾と複雑性
秩序と安定性への志向
マキャヴェッリの思想をより深く理解するためには、彼がしばしば指摘される「道徳的無関心性」とは異なる関心を抱いていたことに注目する必要がある。マキャヴェッリは、権力を無限に拡大したり、恣意的に行使することを推奨していたのではない。むしろ、彼の関心は国家の秩序と安定性の維持にあった。
『ディスコルシ』において、マキャヴェッリはローマ共和国の法の安定性と制度の継続性を高く評価している。彼は、人民の根拠のない恐怖や不安定な権力の行使よりも、合理的で予測可能な権力体制の方が、長期的には国家に安定性をもたらすと認識していた。この点は、後のホッブズの社会契約論や、さらには現代の法の支配理論へと発展していくことになるのである。
君主の行動と人民の信頼
マキャヴェッリの著作に詳細に記述されているのは、君主が人民の信頼と支持を獲得し維持することの重要性である。彼は、純粋な暴力や恐怖だけに基づいた権力体制は、長期的には不安定であることを認識していた。したがって、君主は表面的にであれ、道徳的で善良であるように見えることが重要だと述べている。
この洞察は、マキャヴェッリが単純な権力志向家ではなく、権力の社会的基盤と心理的メカニズムについて深く思考していたことを示している。人民の忠誠を獲得し維持するためには、君主の行動が何らかの道徳的正当性を持つことが不可欠であるという認識である。これは、後の社会契約論者たちが論じる同意に基づく権力の正当性という観念へと発展していくことになるのである。
軍事思想と国家の武装化
軍隊の重要性と職業軍人制
マキャヴェッリは、その政治思想全体を通じて、軍事力の絶対的な重要性を強調している。国家の権力と安全保障は、最終的には、軍事力によってのみ確保されるというのが、彼の基本的信念である。彼は述べている。「どの君主もまた、軍事技術を学ぶべきである。これこそが、新しい君主にとって唯一の技術であり、科学である。」
マキャヴェッリは、当時のイタリア各地で採用されていた傭兵軍制度を激しく批判し、国家が自らの市民から構成される常備軍を保有することの重要性を主張した。傭兵軍は、本質的に不忠実であり、君主の指令に従わないリスクを持つ。これに対して、国家の市民から構成された軍隊は、その国家の利益と運命に直接的に利害を持つため、より忠実であり、より効果的なのである。
この軍事思想は、その後のヨーロッパの軍事改革と国民国家の形成に対して、大きな影響を与えたと考えられている。マキャヴェッリが強調した国家常備軍の概念は、やがて、フランス、スペイン、プロイセンといった強大な国家の軍事的基盤となっていったのである。
軍事戦略と城塞化
マキャヴェッリはまた、実際の軍事戦略と防御技術についても、詳細な知識を持っていた。彼は、城塞の設計と防御戦略について論じ、新しい火砲技術の導入に対応する防御策について考察している。彼の時代、中世の高い城壁は、砲撃に対して無防備であることが明らかになっていたのである。
マキャヴェッリは、新しい軍事技術に適応した城塞の設計の重要性を認識していた。低く、厚い壁と、砲撃に耐える堡塁の配置が、新しい時代の防御に必須であることを理解していたのである。この軍事技術面での洞察は、マキャヴェッリが、単なる政治理論家ではなく、実践的な軍事知識も有する、真の実務家であったことを示しているのである。
『ディスコルシ』における共和政治と自由
共和制への肯定的評価
一見すると、マキャヴェッリは『君主論』により君主制を支持しているように見える。しかし、『ディスコルシ』では、彼は共和政治、特にローマの共和政治の優位性について、強力な議論を展開している。マキャヴェッリによれば、国家の長期的な繁栄と安定性という観点からは、共和政治が君主制よりも優れているのである。
マキャヴェッリは、ローマ共和国の歴史を詳細に分析し、その成功が、どのようにしてもたらされたのかを追求する。彼は、ローマが、確固とした共和的制度を保有していたことが、その帝国的拡大と長期的な支配の基礎となったことを示唆している。共和国は、単なる政治体制ではなく、人民の自由と国家の強大性を両立させる、最も効果的な制度なのである。
人民の力と貴族の支配
『ディスコルシ』において、マキャヴェッリが提示した最も重要な議論の一つが、社会的緊張と対立の創造的役割についてのものである。ローマの貴族階級と平民階級の間の緊張関係は、一見すると、社会的不和と分裂をもたらすもののように見える。しかし、マキャヴェッリは、このような社会的緊張が、実は、ローマの活力と自由の源泉であったと主張する。
この洞察は、現代の政治学における多元主義理論の先行形式であると言える。様々な社会勢力の間の対抗と均衡が、個別的支配の形成を防止し、より広い自由を保証するのである。この観点から、マキャヴェッリは、社会的対立を完全に排除することを目指す絶対主義的統一よりも、利益相反する集団の間の制度的均衡を通じた秩序を、より高く評価しているのである。
宗教と道徳における相対主義
宗教の道具化と道徳の相対性
マキャヴェッリの最も論争的な主張の一つが、宗教を、道徳的真理ではなく、権力維持のための道具としてのみ扱うべきだという見解である。彼は『ディスコルシ』の中で述べている。「宗教の根本的な見かけを損なわない限り、君主は宗教を利用すべきである。」
この見解は、キリスト教的倫理観、あるいはあらゆる宗教的超越的価値を、権力の追求の下に従属させるものである。マキャヴェッリにとって、宗教の価値は、それが人民を統制し、社会的秩序を維持することにあるのみなのである。この相対主義的で道具化された宗教観は、啓蒙思想の世俗化の過程における、重要な先駆的思想となったのである。
道徳的判断と権力の必要性
マキャヴェッリは、道徳的行為の普遍的な義務性を否定する。むしろ、道徳的判断は、状況と権力の保有によって、相対化されるべきものなのである。彼は述べている。「行為が重要である。行為の倫理的性質ではなく。」
この見解は、その後の功利主義的倫理学と、結果主義的道徳論に対して、知的な基礎を提供したと考えられている。行為の道徳的評価は、その行為の帰結、特に権力と国家の安全保障への貢献度によってのみ、判断されるべきなのである。
マキャヴェッリの言語使用と修辞学
現実的言語と実践的表現
マキャヴェッリの著作の文体は、当時のフィレンツェの知識人の間で采用されていた古典的ラテン語的な華麗さとは異なるものである。彼は、イタリア国語を使用し、直截で実践的な言語を採用したのである。
マキャヴェッリの言語使用は、彼の思想内容そのものを反映している。彼は、古典的修辞学の美しさよりも、現実的で実践的な指示と提言を、より重視するのである。この言語的選択は、彼が、理論的な思弁よりも、実践的な権力の行使に関心を持つ思想家であることを示しているのである。
譬喩と具体例の活用
マキャヴェッリは、その著作における議論を支持するために、具体的な歴史的例と譬喩を多用する。彼は述べている。「新しい君主の行為を理解するためには、古い君主の例を見るべきである。」
この歴史的例の活用は、彼の理論的主張に、具体的な説得力を与えるのである。マキャヴェッリにとって、歴史的事例の分析は、政治的原理の発見の手段であり、同時に、彼の理論的主張の妥当性を実証する証拠なのである。
ルネサンスの古典学とマキャヴェッリ
古典古代への学習
マキャヴェッリは、ルネサンスの人文主義的古典学の伝統に属している。彼は、古代ローマとギリシャの著作を深く学び、特にローマの歴史と政治思想に精通していた。『ディスコルシ』は、リヴィウスの『ローマ帝国の最初の十年についての考察』に基づいているのである。
しかし、マキャヴェッリの古典学は、単なる古い知識の復活ではない。むしろ、彼は古代の著作を、現代的な政治問題の解決のための知的資源として活用しようとしたのである。古代の著者たちは、人間本性についての深い知識を持っていた。この知識は、時間や場所を超えて、永遠に有効であるのである。
人間本性の不変性への信念
マキャヴェッリが古典古代の著作に対して信頼を寄せた根拠は、彼の人間本性に関する基本的信念にある。人間の本性は、本質的に不変であり、古代も現代も同じである。したがって、古代社会を支配していた政治的原理は、現代社会においても、その有効性を保持しているのである。
この人間本性の不変性に関する信念は、時代を超えた政治的教訓の抽出を可能にする。マキャヴェッリは、古代の歴史的事例から、普遍的な政治的原理を引き出し、それらを現代の君主たちに提示することができたのである。
結論:近代へのゲートウェイ
マキャヴェッリは、ルネサンスと近代の転換点に位置する思想家である。彼は、中世の普遍的な道徳秩序と宗教的権威に支配されていた政治思想の領域を、自らの現実的利益と拡大の追求を目的とする独立した行動主体としての国家という観念に転換させた。
この転換は、近代国家の形成、国際法と国際政治の発展、そして近代的な権力分析の確立において、極めて重要な意味を持っている。マキャヴェッリが示した権力の現実的な動作様式に関する洞察は、その後のヨーロッパの政治思想と実際の政治権力の形成の双方に深い影響を与え続けている。
マキャヴェッリは、政治を道徳や宗教から解放し、権力と利益の現実的な問題として捉え直すことによって、近代政治哲学の門を開いた。この門を通り抜けることなしには、その後の近代の政治思想、すなわちホッブズの権力論、ロック以降の自由主義理論、さらには現代の民主主義理論も、存在することはできなかったであろう。マキャヴェッリこそが、中世から近代への移行を思想の領域において実現させた、重要な思想家なのである。
補足:マキャヴェッリ解釈の歴史
道徳的批判と再評価
『君主論』は、その出版以来、激しい道徳的批判を受けてきた。宗教的権威、啓蒙主義の道徳家たち、そして民主主義の推進者たちから、マキャヴェッリは、非道徳的で危険な思想家として非難されたのである。しかし、同時に、彼の思想の深さと現実的洞察が、次第に認識されるようになったのである。
19世紀から20世紀にかけて、マキャヴェッリは、単なる非道徳主義者ではなく、むしろ、権力と政治の現実的な分析者として、再評価されるようになった。政治学の確立において、マキャヴェッリは、不可欠な知的先駆者として認識されるようになったのである。
現代政治学への貢献
現代の政治学、国際関係論、そして現実主義的な戦略理論において、マキャヴェッリの思想は、継続的に参照される。特に、権力政治と国家利益の追求が、国際政治の基本的力学であるという認識は、マキャヴェッリの思想に直接由来するものなのである。
グローバル化の時代においても、国家の権力追求と安全保障の確保という問題は、国際政治の最も基本的な課題として残り続けている。マキャヴェッリは、この根本的な政治的現実を、最初に明確に認識し、体系的に分析した思想家として、永遠に重要性を保持するのである。