社会存在論——制度・規範・集合志向性

序論:社会的なものの存在

何が社会的に存在するのか。この問いは、形而上学的には単純に見えるかもしれないが、実際には極めて複雑である。物理的対象(机、椅子)は、明らかに存在する。しかし、金銭、国家、結婚、約束といった社会的な現象は、何の意味で存在するのか。それらは物質的実体を持たない。しかし、それらは強い因果力を持つ。金銭は行動を動機付け、国家は法律を制定し、結婚は人生を形作る。

社会存在論は、このような社会的なものの本質と存在様式を探究する学問分野である。それは、個人と社会の関係、規範の基礎、制度的事実の成立基盤を問う。この分野の発展は、21世紀の社会哲学の中で最も重要な発展の一つである。

社会的事実とその特性

ジョン・サール以来、社会的事実の概念は、社会存在論の中心である。社会的事実とは、人間の集団的な認識と同意によってのみ成立する事実である。机は、たとえ誰もそれを認識しなくても、物理的な物体である。しかし、金銭は、人々がそれを金銭として認識し、その価値を認めることによってのみ、金銭である。

サールは、社会的事実の形式を「X はY として数える」として分析する。金銭は、紙や金属としての物理的対象が、交換媒体として数えられるときに成立する。国家は、領土が国家として数えられるときに成立する。結婚は、二人の個人が配偶者として数えられるときに成立する。この「数える」という機能は、集団的な認識に依存している。

社会的事実の重要な特性は、その意図性である。社会的事実は、常に何かについて、すなわち、表象的内容を持つ。金銭は、価値を表現する。国家は、領土と主権を表現する。社会的事実は、この意図性によって、純粋な物理的事実から区別される。

制度の本質と機能

制度は、社会存在論における中核的な概念である。制度とは、安定化された社会的実践のシステムである。法律体系、言語、経済体系、家族形態、宗教システムは、すべて制度である。制度は、個人の行動を秩序付け、予測可能性を提供し、協力を可能にする。

制度が機能するために、人々は制度に従う必要がある。しかし、制度への従順は、単なる強制によってのみ説明できない。多くの人々は、制度を内在化し、その規範を自分たちの自身のものとして受け入れる。言語は、人々が話すことを強制されるわけではなく、むしろ、自然と話す。しかし、言語は強力な制度である。言語は、思考の可能性を形作り、社会的世界を構造化する。

制度の変化は、複雑なプロセスである。革命的変化は可能であるが、多くの場合、制度は段階的に進化する。新しい規範が古い規範と競合するとき、変化が起こる。複数の世代にわたる規範違反の累積は、制度的変化をもたらす。この過程において、指導者の役割と集団的な意思は重要である。

規範と社会的秩序

規範は、社会的秩序を維持する基本的なメカニズムである。規範は、誰もが何をすべきかについての期待である。規範への違反は、社会的罰による可能性がある。しかし、規範の力は、単なる罰への恐怖だけではない。人々は、規範を内在化し、規範に従うことが正しいと信じる。

規範には、異なる種類がある。記述的規範は、人々が通常何をするかについての期待である。規範的規範は、人々が何をすべきかについての期待である。この区別は重要である。記述的規範が常に規範的規範と一致するわけではない。人々は、多くが何をしているかは知っていても、それが正しいと思わないことがある。

規範の来源は複雑である。いくつかの規範は、実用性から生じる。運転は、左側でするか右側でするか、その選択は任意であるが、ひとたび規範が確立されると、すべてが同じ側を運転することが最適である。他の規範は、道徳的原則から生じる。盗むなという規範は、実用性ではなく、道徳的原則に基づいている。

集合意図性と共有意図

社会的実体の独特の特性は、それらが集合意図性に依存していることである。個人的意図は、個人的な願望や信念に基づいている。しかし、集合意図性は、グループとしての共通の目的と了解である。

マーガレット・ギルバートの集合意図性の概念によれば、集合意図は、個人的意図の単純な集計ではない。むしろ、それは新しい種類の心的状態である。集合意図を持つとは、他の人々とともに、共通の目的に従事することである。集合意図は、「私は個人的に目的Xを採択する」という立場ではなく、「我々は共通に目的Xを採択する」という立場である。

この集合意図性は、言語を可能にする。言語の共有は、単に多くの個人が独立して同じ言語を話す、という意味ではない。むしろ、言語使用者たちは、言語の規則と意味について、集合的意図を共有する。この共有は、言語の規範的特性を説明する。言葉が「正しく」または「誤って」使用できるというのは、集合的な了解に基づいている。

権力と社会的事実

社会的事実の成立は、权力と分離できない。特に、不平等な社会的事実の場合、권력は重要な役割を果たす。階級制度、人種的階層化、ジェンダー差別といった社会的事実は、権力の不均等な分配によって成立・維持されている。

支配的グループは、自分たちの支配を正当化し、自然的で当たり前のものとして見せるために、社会的事実の定義を形成する。ピエール・ブルデューの理論によれば、このプロセスは「象徴的暴力」と呼ばれる。支配的なグループの観点が、社会全体の観点として受け入れられる。支配されたグループでさえ、自分たちの抑圧を正当化する観点を内在化する。

社会的事実の変化は、したがって、権力構造の変化を伴う。差別的な社会的カテゴリーを廃止することは、単に人々の認識を変えることではなく、権力分配を変えることである。これは、なぜ社会的変化が困難で、しばしば対立的であるかを説明する。

個人と社会の関係

社会存在論は、個人と社会の関係に関する深い問題を提起する。社会が個人を形作るのか、それとも個人が社会を形作るのか。この二者択一は偽りである。関係は相互的である。

社会化によって、個人は社会的存在になる。人は、特定の言語、文化、価値体系の中に生まれる。この社会的文脈は、人の思考、欲望、自己理解を形作る。人は、社会の規範と期待なしに、人間的な存在になることはできない。

しかし、個人は、単に社会的決定論の受動的な対象ではない。個人は、規範に従うことも、違反することも選択できる。個人は、既存の制度の内で行動し、それらを再生産するが、同時に、それらを変化させる。創意的な個人と集合的な反抗は、社会的変化を駆動する。

この相互作用は、継続的である。個人と社会は、相互に構成しあう。社会的実体は、個人の認識と行動に依存しているが、個人は、社会的実体の中で認識し、行動している。このサーキュラーな関係を理解することは、人間の本性と社会の本性の両方を理解することである。

制度的パワーの行使

権力は、制度的立場を通じて、行使される。大統領、裁判官、教師は、機関的権力を持つ。この権力は、個人的な性質ではなく、制度的な立場の機能である。大統領が権力を持つのは、彼や彼女が強いからではなく、大統領という制度的立場にあるからである。

制度的権力の独特性は、それが集合的認識に依存しているということである。権力者が権力を失うことは、しばしば、人々がもはや権力者を権力者として認識しなくなるとき起こる。革命は、人々が既存の制度的権力構造を受け入れることを止めるとき起こる。

しかし、制度的権力は、同時に、非常に不動である。権力者は、自分たちが権力を持つと言うので、人々はしばしば、なお従う。権力の象徴、儀式、建築は、権力の実在性を強化する。権力を挑戦することは、これらの象徴的構造に挑戦することを意味する。

言語と社会的世界

言語は、社会存在論の重要な事例研究である。言語は、純粋な社会的事実であり、規範によって支配される。言葉の意味は、言語共同体の規範的実践によって決定される。同じ音でも、異なる言語では異なる意味を持つ。

言語は、社会的世界を構造化する。利用可能な言葉は、思考可能なことを形作る。自分の文化に言葉がない現象は、考えるのが困難である。例えば、現代のヨーロッパ言語には、現代に存在するジェンダー認識についての言葉は、歴史的には存在しなかった。言葉の欠如は、これらのジェンダー認識の実現を遅延させた。

言語変化は、社会変化の指標である。新しい言葉の採択と古い言葉の放棄は、社会的価値とカテゴリーの変化を反映する。「同性愛」という言葉の採択は、社会的認識の変化を示す。代名詞の使用の変化は、ジェンダー認識の進化を示す。言語と社会の相互作用を理解することは、社会的変化の力学を理解することである。

技術と新しい社会的事実

デジタル技術は、新しい社会的事実の創造をもたらしている。デジタルアバター、ブロックチェーン、仮想通貨は、従来の社会的事実とは異なる新しい形態である。これらは、純粋に社会的に構成されており、物理的基質を必要としない(または、物理的基質の必要性が最小限である)。

暗号通貨は、社会存在論的に興味深い例である。暗号通貨は、中央政府による支持なしに、純粋に数学的約定と集合的信用に基づいている。その価値は、それを金銭として認識する人々の集合的意図に依存している。この新しい形式の金銭は、金銭の本性と、それが何に依存しているかについて、重要な問題を提起する。

ソーシャルメディアプラットフォーム上の「友達」または「フォロワー」も、新しい社会的事実である。それらは、従来の友情とは異なるが、なお社会的関係を構成する。デジタル社会的事実の増殖は、社会存在論が、物理的世界と同じくらい、デジタル世界に注意を払う必要があることを示唆している。

結論:社会的実在の奥行き

社会存在論は、社会的実体が如何にして可能であるか、およびそれらが社会的秩序にどのような役割を果たすかについて、深い洞察を提供する。社会的実体は、虚構ではなく、しかし、物理的実体でもない。それらは、集合的認識と意図に依存した独特の実在様式を持つ。

この理解は、社会変化の可能性と困難について、重要な含意を持つ。社会的事実は、人間の創造物であり、理論的には変更可能である。しかし、社会的事実は、深く根付いており、権力構造によって支持されている。社会的変化は、集団的認識、規範、制度的実践の変化を必要とする。

社会存在論は、人間社会の本質についての理解を深めるため、そして、より正義的で公正な社会の構築のための知的基礎を提供する。社会的世界は、人間によって作成されたがゆえに、人間によって、改善され、変換されることができる。