構造主義とポスト構造主義——言語・権力・差異の哲学

第1章 導入——構造主義とは何か

構造主義は20世紀後半のフランス思想を支配した最も重要な知的運動の一つであり、言語学、人類学、精神分析、哲学、批評理論など、きわめて広範な領域に深刻な影響を与えた世界史的な思想潮流である。しかし「構造主義」という用語自体は、きわめて曖昧で多義的であり、研究者によって異なる定義が与えられてきた。それゆえ構造主義を理解するためには、まず「構造」という概念そのものが何を意味するのかを、慎重に検討する必要がある。一般的に言えば、構造主義とは、様々な現象や事象、文化的産物、社会的制度などを、その背後に存在する無意識的な構造——つまり相互に関連し合った要素の体系——として分析し、理解しようとする知的な態度や方法論である。これは、表層的な現象の多様性や個別性の背後に、深層的な普遍的な構造が存在すると仮定し、その構造を明らかにすることによって、現象を説明しようとするアプローチである。構造主義的思考は、個々の要素そのものの実質的な内容よりも、むしろそれらの要素間の関係性や組織原理に重点を置く。たとえば言語を考えた場合、個々の単語の意味は、その単語が他の単語とどのような関係に置かれているかによって、初めて決定されるということになる。言語体系という全体的な構造の中に位置付けられることによってのみ、各要素は意味を獲得するのである。このような構造主義的な思考方法は、非常に革新的で強力な分析道具をもたらした。なぜなら、表面的には混沌として無関係に見える様々な現象の背後に、秩序ある論理的な構造を発見することができるからである。しかし同時に、構造主義は強い批判も受けてきた。特に、構造そのものを実体化し、絶対化してしまう傾向、個人の主体性や創造性を否定してしまう傾向、また歴史的な変化や発展を軽視してしまう傾向などが、多くの論者によって指摘されてきた。20世紀を通じて、構造主義はその全盛期を迎えた後、やがてポスト構造主義へと転化していき、さらにはその批判的な超克を経験することになる。しかし構造主義が提示した視点や方法は、今日なお、人文科学や社会科学のあらゆる領域で、影響力を保ち続けている。本論文は、ソシュールの構造言語学に始まり、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカンの構造主義的精神分析、フーコーの考古学と系譜学、そしてデリダの脱構築へと至る、構造主義の思想的展開を、体系的かつ詳細に跡付けることを目的とするものである。

構造主義を一つの統一的な運動として捉えることは、じつのところ非常に困難である。なぜなら、構造主義者とされた思想家たち自身が、自らを「構造主義者」と呼ぶことを拒否したり、あるいは自分の思想が構造主義的であることを否定したりする場合があるからである。例えば、最も典型的な構造主義者として位置付けられることの多いレヴィ=ストロースでさえ、自らの人類学的方法を「構造主義」と呼ぶことには慎重であった。また、フーコーやデリダといった思想家も、構造主義というレッテルを貼られることに対して、強い違和感や反発を示した。このような事実は、「構造主義」という概念の曖昧性と複雑性を如実に物語っている。それでもなお、ソシュールからデリダに至る一連の思想的展開には、共通の問題関心と思想的な連続性が存在しており、これらを「構造主義」という共通の枠組みの下で捉えることには、一定の妥当性がある。その共通の問題関心とは、表面的な個別性や多様性の背後に存在する普遍的な構造、システム、体系を発見し、明らかにしようとする知的な欲望であり、また、従来の哲学が当然視してきた主体、意識、意図性といったものの根拠を問い直そうとする批判的な態度である。構造主義的思考は、人間の意識や意図を超越した、より根深い構造的原理が存在することを主張し、人間を、そうした構造的原理に支配される存在として把握しようとするのである。

構造主義が、なぜ20世紀のフランスにおいて、かくも強い魅力と影響力を持つことになったのかという問いも、重要である。この点を理解するためには、フランスの知的伝統と20世紀前半の歴史的状況を考慮する必要がある。フランスは、デカルトからサルトルに至る、強い主体的理性の伝統を有する国である。しかし20世紀中盤になると、この理性中心的でヒューマニスティックな伝統に対する懐疑と不信が深まっていった。第二次世界大戦の経験、シテクスキステ的実存主義の限界、また人間の自由意志や主体性というイデオロギーに対する批判的省察が、新しい思想的展開をもたらしたのである。構造主義は、このような知的な転換の時代において、人間中心主義を脱却し、より根深い、より客観的な分析レベルへと移行しようとする努力の現れであったと言えよう。また、フランスは、言語学、人類学、精神分析といった新しい学問分野の発展の中心地でもあった。これらの分野において、次々と新しい理論や方法論が生み出され、相互に影響を与え合いながら、一つの知的なムーヴメントを形成していったのである。

構造主義の歴史的な展開を追跡する際に注意すべき重要な点は、構造主義が決して固定的で不変的な思想体系ではなく、むしろ常に内部的な緊張と矛盾を抱えながら、絶えず変化し続けてきたということである。特に、初期の構造主義から後期の構造主義、そしてポスト構造主義へと至る過程において、構造概念そのものが根本的に問い直され、再定義されていった。ソシュールの構造言語学に代表される初期構造主義は、言語システムという安定的で自己完結的な構造を想定し、その構造法則を明らかにしようとするものであった。しかし次第に、構造そのものの不安定性、可変性、矛盾性が認識されるようになり、構造を固定的なものとしてではなく、常に遅延し、置き換わり、差延される過程として理解するようになっていった。特にデリダの脱構築の思想は、構造主義的な思考様式そのものに対する根本的な問い直しをもたらし、構造主義の内部から、ポスト構造主義への転換を導き出したのである。

20世紀の知的風景における構造主義の位置付けを理解するためには、他の重要な思想潮流との関係を考慮することも必要である。特に、マルクス主義との関係、現象学との関係、精神分析との関係は、構造主義の発展に決定的な影響を与えた。フランスの左翼知識人たちは、構造主義を、マルクス主義的な基盤の上に、より精密で客観的な分析方法を構築しようとする試みとして迎え入れた場合も多い。また、フッサールやハイデガーの現象学的な伝統との対話を通じて、構造主義的思考は形作られていった。さらに、フロイトとラカンの精神分析の理論も、構造主義の発展に決定的な役割を果たしたのである。これらの様々な思想的な流れが、相互作用しながら交差する中で、構造主義という独特の知的ムーヴメントが生み出されたのである。本章の以降の部分では、構造主義を形成するこれらの個々の要素を、より詳細に検討し、その思想的な連関と発展の過程を明らかにしていくことにしよう。


第2章 ソシュールの構造言語学——ラング・パロール・差異の体系

フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)は、スイスの言語学者であり、20世紀言語学の創設者の一人として広く認識されている。ソシュールが『一般言語学講義』(Cours de linguistique générale)の中で提示した思想は、単なる言語学の領域にとどまらず、その後の構造主義全体の基礎となったと言っても過言ではない。ソシュールが行った根本的な革新は、言語を、個々の単語や文法規則の単純な集合体ではなく、一つの体系的で構造的な全体として捉え直したということにある。従来の言語学は、主として言語の歴史的な変化や発展に焦点を当てる比較言語学的なアプローチを採用していた。つまり、言語を時間軸に沿って捉え、その歴史的な変遷を追跡しようとしていたのである。しかしソシュールは、これとは全く異なる観点から言語にアプローチした。彼は、ある一定の時点における言語の全体的な状態——つまり「ラング」(langue)——を、一つのシステムとして静的に分析することの重要性を強調したのである。このアプローチにより、言語学は新しい科学的基礎を獲得することになった。ソシュールの言語学は、その後の言語学の発展の中で、最も重要な基本文献として位置付けられ、プラハ学派、ロシア・フォルマリズム、アメリカ構造主義言語学など、様々な言語学的な学派に直接的な影響を与えることになったのである。

ソシュールが導入した最も重要な概念は、「ラング」と「パロール」(parole)の区別である。ラングとは、言語共同体の全成員が共有する、規則化された言語体系のことを指す。これは、個々の話者が実際に発話する具体的な言語使用(パロール)の背後に存在する、規範的で社会的な言語システムである。一方、パロールとは、個々の話者が、特定の状況において、実際に行う言語的な行為のことを指す。ラングは社会的で集合的で安定的であるのに対して、パロールは個人的で可変的で偶発的である。ソシュールは、言語学が科学として確立されるためには、このパロールの個別的で多様な現象から、その背後にあるラングという統一的なシステムを抽象し、それを分析の対象とする必要があると主張した。このラング・パロール二項対立は、構造主義的分析の基本的な原理となった。つまり、表面的な現象の多様性から、その背後にある構造的な体系を抽出し、その体系の法則性を明らかにするというアプローチが、ここに確立されたのである。ラングは、各個人の意識の内部に存在する心理的実体ではなく、むしろ言語共同体という社会的な契約によって成立する集合的なシステムである。それゆえ、個々の話者は、その言語共同体に属することによって、すでに与えられたラングの支配下に置かれているのであり、各自の言語使用は、このラングという制約的な枠組みの中でのみ可能になるのである。

ソシュールのもう一つの根本的な貢献は、言語記号(signe linguistique)の構造に関する理論である。ソシュール以前の言語学では、言葉と事物の間には、自然的で直接的な関係が存在すると考えられていた。つまり、言葉は事物の名前であり、事物そのものを指し示す道具であると捉えられていたのである。しかしソシュールは、言語記号が二つの要素から構成されていることを明らかにした。一つは「シニフィアン」(signifiant)——記号の音響的な形態またはその像——であり、もう一つは「シニフィエ」(signifié)——記号の概念的な意味または観念——である。言語記号は、この二つの要素の結合体であり、音響的形態と概念的意味が一体となることによって、初めて一つの記号として機能するのである。ソシュールが強調した重要な点は、シニフィアンとシニフィエの結合は、決して自然的で必然的なものではなく、むしろ恣意的(arbitraire)で習慣的なものであるということである。つまり、特定の音響的形態(例えば「犬」という音)が、特定の動物についての概念(シニフィエ)を指し示すのは、自然的な必然性に基づくのではなく、言語共同体の慣習と約定に基づくのである。この恣意性の原理は、非常に重要な含意を持っている。それは、言葉と現実の間に直接的な対応関係は存在せず、むしろ言語システム内部の規則と関係性によってのみ、意味が決定されるということを意味するのである。

記号の恣意性に関連して、ソシュールが提示した「差異」(différence)の概念も、同様に重要である。ソシュールは、言語体系における各要素の意味や価値は、その要素そのものの内実によって決定されるのではなく、むしろ他の要素との差異関係によって決定されるということを強調した。例えば、言語音としての「p」という音の特徴は、それ自体の物理的な性質によってではなく、言語システム内で「b」や「t」といった他の音とどのように異なっているかによって、初めて決定されるのである。同様に、単語の意味も、その単語そのものが何を実質的に指し示しているかによってではなく、言語体系内で他の単語とどのような差異関係にあるかによって決定される。例えば「赤」という単語の意味は、「青」や「黄」といった他の色彩用語との相互的な差異関係によってのみ、確定されるのである。この差異に基づく意味の決定という原理は、構造主義的思考の最も本質的な特徴の一つである。つまり、何ものかの意味や価値は、その実質的な内容に由来するのではなく、全体的なシステムの中で他のもの何と異なっているかという相対的な位置付けに由来するのである。

ソシュールが強調した「通時性」(diachronie)と「共時性」(synchronie)の区別も、同じく重要である。通時性とは、言語の歴史的な発展や時間的な変化を扱う観点であり、共時性とは、ある一定の時点における言語の全体的な状態を、静的に捉える観点である。ソシュールの革新的な主張は、言語学が科学として確立されるためには、まず共時的なレベルで言語体系を分析する必要があるということであった。つまり、言語の歴史的な発展を追跡することよりも、特定の時点における言語の全体的な構造を明らかにすることが、より根本的に重要であるということをソシュールは論じたのである。共時的分析によって、まず言語システムの基本的な構造と法則が明らかにされた後に、その上で通時的な観点から言語の歴史的な変化を分析することが可能になるのである。この共時性の強調は、後の構造主義全体の特徴となった。なぜなら、構造主義的思考は基本的に共時的であり、歴史的な発展や時間的な連続性よりも、むしろある時点における体系の全体的な構造に関心を寄せるからである。この点は、歴史的唯物論の伝統的なマルクス主義と構造主義の関係を複雑にしることになった。ソシュール以後の言語学と構造主義の展開における、この通時性と共時性の緊張関係は、ずっと重要な問題であり続けるのである。

ソシュールの構造言語学が、その後の人文科学全体に与えた影響は、計り知れないほど大きい。言語を一つの体系として、共時的なレベルで分析するというソシュール的なアプローチは、人類学、文学批評、精神分析、哲学といった様々な分野において、方法論的な示唆を与えたのである。人類学者たちは、文化や社会的制度が、言語と同じように、相互に関連し合った要素の体系として分析できるのではないかと考えるようになった。また、精神分析の領域では、ラカンが、精神分析の理論をソシュール的な言語学の枠組みに基づいて、根本的に再構成することになった。さらに、文学批評やテクスト理論の領域でも、ソシュールの記号論的なアプローチが大きな影響力を持つようになったのである。ソシュールの『一般言語学講義』は、その著作が出版された1916年以来、100年以上の時間を経た今日においても、その重要性を失うことなく、言語学的な思考の最も根本的な基礎として、位置付けられ続けている。ソシュール的な構造言語学の中に存在する基本的な問題設定と分析の視点は、20世紀を通じて、人類の知的な思考を形作る上で、最も深刻で継続的な影響を与えた思想的遺産の一つであると言えよう。

ソシュールの言語学において、もう一つ重要な側面は、言語音韻体系の構造に関する理論である。ソシュールの影響を受けた後の言語学者たちは、言語体系における音韻の配列や関係性が、きわめて高度に組織化されているということを発見した。言語音は、無限の多様性を持つ連続的な物理的現象ではなく、むしろ離散的で有限個の音韻単位に分割され、体系的に組織されているのである。例えば、英語の音韻体系は、子音と母音という異なる音韻範疇に分けられ、さらに各範疇の中で、複数の区別的な特徴(distinctive features)に基づいて、異なる音韻が分類されている。この音韻体系の発見は、人間の言語活動の基礎にある、より深層的な組織原理の存在を示唆するものであった。また、言語の音韻体系は、世界の様々な言語共同体によって、全く異なる様式で構成されているという事実も、注目される。つまり、音韻体系は、普遍的で不変的な構造ではなく、むしろ各言語共同体固有の、文化的に規定された体系であるということが明らかになったのである。この音韻体系の多様性と、その背後にある共通の組織原理という二つの側面の関係は、言語人類学や比較言語学における重要な課題となっていったのである。

ソシュール的構造言語学は、また、統語論や意味論の領域にも新しい分析の視角をもたらした。統語論は、単語がどのように結合されて文を形成するかを扱う領域である。ソシュール以前の統語論は、主として、古典的な文法学の伝統に基づいて、発展してきた。しかし構造言語学的なアプローチは、統語現象を、より根本的には、言語体系の深層における組織原理の現れとして捉え直すようになったのである。つまり、統語規則も、また恣意的で相対的な言語体系内の関係性の一部として、理解されるべきものであるということが認識されたのである。同様に、意味論の領域でも、構造言語学的な枠組みが大きな影響力を持つようになった。単語の意味は、その単語そのものが実質的に指し示す対象物によって決定されるのではなく、むしろ言語体系内で他の単語と形成する関係性によって決定されるという原理が、意味論の基本となったのである。このようなソシュール的な視点は、後に意味素分析(componential analysis)などの、より精密で体系的な意味論的方法論の開発につながっていったのである。


第3章 レヴィ=ストロースの構造人類学——親族構造、神話の構造分析、野生の思考

クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)は、フランスの人類学者であり、ソシュールの構造言語学を人類学の領域に拡張し、構造人類学という新しい学問分野を開拓した最も重要な思想家である。レヴィ=ストロースは、人間の文化や社会制度も、言語と同様に、内在的な構造的原理に基づいて組織されているということを示そうとした。彼の著作『親族の構造』(Les Structures de la parenté, 1949)および『野生の思考』(La Pensée sauvage, 1962)は、構造人類学の最も重要な古典となっており、人類学のみならず、社会科学全体に深刻な影響を与えたのである。レヴィ=ストロースのアプローチの革新的な側面は、非西洋社会の「未開」の文化や社会制度を、単なる西洋文明に対する劣った段階として捉えるのではなく、むしろ西洋の理性と同じレベルの複雑な論理的組織を備えた体系として分析しようとしたところにある。これは、西洋中心主義的な進化主義的歴史観に対する、根本的な批判をもたらすものであったし、同時に、より一般的な原理として、人間の精神や思考様式の根底に存在する普遍的な構造を発見しようとする壮大な知的企図を表現しているのである。

レヴィ=ストロースが、人類学的な構造分析の方法を適用した最初の領域が、親族制度(kinship systems)の研究である。親族制度とは、人間が社会において、相互に関係付けられ、一定の権利と義務を帯びた親族関係の総体を指す。従来の人類学的研究は、様々な社会における親族分類の個別的な多様性に焦点を当てていたが、レヴィ=ストロースは、この一見すると無秩序な多様性の背後に、普遍的で深層的な構造的原理が存在しているはずだと仮定した。彼は、親族制度の最も根本的な原理は、人間社会における「交換」の必要性に基づいているということを主張した。特に、「女性の交換」という概念を導入し、社会集団間における女性の交換が、親族制度の基本的な機能であり、また社会的な結合を成立させる根本的なメカニズムであるということを論じたのである。この女性の交換という概念は、表面的には衝撃的で物議を醸すものであるが、レヴィ=ストロースの意図するところは、親族制度が単なる自然的な血縁関係の反映ではなく、むしろ社会的な約定と規則に基づく制度的な体系であるということを明らかにすることにあった。つまり、すべての人間社会は、親族という形態を通じて、その内部において成員相互に社会的な結びつきを作り出す必要があり、各社会はその目的のために、独自の親族制度を発展させてきたのである。

レヴィ=ストロースが提示した親族制度の構造分析は、驚くべき結果をもたらした。一見すると非常に異なる、様々な社会における複雑で多様な親族分類の体系も、実は限定された数の基本的な原則に基づいて組織されているということが明らかになったのである。例えば、多くの社会における親族分類は、次のような基本的な区別に基づいている。つまり、血親(consanguinity)と姻戚(affinity)の区別、父系と母系の区別、年上と年下の区別、といった二項対立的な分類原理が、複雑な親族体系を組織しているのである。さらに、結婚規則(marriage rules)の分析を通じて、異なる社会における親族制度が、いかにして相互に関連し、変形可能であるかが明らかになった。結婚規則というのは、どのような親族関係にある者たちが相互に結婚することができるのか、あるいはしてはいけないのかという約定のことである。これらの結婚規則は、社会構造の安定と再生産を確保するための、不可欠な装置であり、各社会における親族関係の複雑な編み直しを可能にする仕組みなのである。レヴィ=ストロースの構造分析によって、親族制度が単なる自然的な血縁関係の反映ではなく、高度に組織化された社会的な記号体系であることが明らかになったのである。

レヴィ=ストロースの構造人類学における、もう一つの最も重要な貢献が、神話の構造分析である。『神話論理』(Mythologiques)と題された彼の四巻本の大著は、人類学の歴史における最も野心的で、かつ最も複雑な著作の一つである。レヴィ=ストロースは、南米の先住民族が生み出した多種多様な神話を、その言語的、文化的な文脈を厳密に考慮しながら、詳細に分析した。その結果明らかになったことは、一見すると全く異なり、相互に無関係に見える複数の神話が、実は深層的には共通の構造的原理に基づいて構成されているということであった。神話というのは、人間社会における基本的な対立や矛盾——例えば、文化と自然、人間と動物、男性と女性、生と死、善と悪などの——を、物語的な形式を通じて、解決し、調停しようとする試みであると、レヴィ=ストロースは主張した。神話の構造分析によって、これらの根本的な対立が、いかなる創意工夫によって、神話の論理の中で、巧妙に変形・転換・調停されるのかが明らかになるのである。

神話の構造分析における、レヴィ=ストロースのアプローチは、言語学的な方法論に非常に接近している。言語学では、音韻体系が有限個の音韻単位とそれらの結合規則からなる体系として分析されるのと同様に、神話も、有限個の意味的単位(レヴィ=ストロースはこれを「ミシェーム」(mytheme)と呼んだ)とそれらの変形規則からなる体系として分析されるべきだと考えたのである。複雑に見える神話のナラティヴ構造も、より根本的には、有限個の基本的な要素の組み合わせと変形によって構成されているのである。複数の神話を比較分析することで、これらのミシェームが、異なる神話において、どのような規則性に基づいて、変形・組み替えられるのかが明らかになる。このような神話の構造分析は、人間の思考が、どのような深層的な論理に支配されているのか、また、相異なる文化的文脈において、いかなる普遍的な思考パターンが共有されているのかを理解するための強力な道具を提供するのである。

レヴィ=ストロースの『野生の思考』は、西洋の科学的・論理的な思考様式と、非西洋の「未開」社会における思考様式の関係について、根本的な再考を迫る著作である。伝統的な人類学や進化主義的な歴史観は、西洋の科学的思考を最も高い段階の思考として位置付け、非西洋社会における思考様式を、より低い、より原始的な段階として捉えていた。しかし『野生の思考』において、レヴィ=ストロースは、この進化主義的な階層化に対して、根本的な異議を唱えたのである。彼は、非西洋社会における「野生の思考」(la pensée sauvage)は、西洋の科学的思考と同じレベルの複雑性と論理性を備えているが、単にその方向性や目的が異なっているだけだと主張した。つまり、科学的思考が、自然現象を理解し、操作するための抽象的で普遍的な法則を追求する志向を持つのに対して、野生の思考は、人間の存在する具体的な環境の中に存在する個別的で多様な事象に対して、高度な論理的組織化を施そうとする志向を持つのである。

野生の思考は、しばしば「具体的思考」(pensée concrète)として特徴付けられる。しかし「具体的」という言葉は、誤解を招きやすい。というのは、野生の思考が具体的であるということは、それが抽象性を欠くことを意味するのではなく、むしろ、個別的で具体的な現象の中に、深い論理的な秩序と体系性を認識するという意味だからである。例えば、オーストラリアの先住民族アボリジニの「トーテミズム」と呼ばれる分類体系は、自然界の多様な生物をトーテムという形式を通じて分類し、人間の社会的な組織と体系的に対応させるという、非常に精密な論理に基づいている。このようなトーテミズムは、単なる迷信や非論理的な思考ではなく、むしろ人間の精神が、自然界と社会の関係を理解し、秩序付けようとするために発展させた高度な論理的装置なのである。レヴィ=ストロースの『野生の思考』は、西洋の知識人に対して、自らの合理主義と科学主義に対する深刻な問い直しを迫るものであり、また、人類的な普遍性に対する新しい視点を提供するものであったのである。

レヴィ=ストロースの構造人類学は、同時に重要な批判を呼び起こした。特に、彼の方法が、人間の主体性や行為性を過度に軽視し、人間を構造的な法則の単なる担い手として位置付けているのではないかという批判がある。また、彼が提示した構造分析が、歴史的な変化や発展を十分に考慮していないという問題も指摘されている。さらに、「女性の交換」という概念に対しては、フェミニスト人類学者たちから、これが父権的なジェンダー秩序を普遍化・自然化しているのではないかという強い批判が提起されている。これらの批判は正当なものであり、構造主義的なアプローチの限界を指摘するものである。にもかかわらず、レヴィ=ストロースの構造人類学が、人間社会における深層的な構造的組織化を明らかにした点、また、非西洋社会の知的活動を西洋の科学的思考と同等の価値を持つものとして認識したという点において、人類学史上において、極めて重要な貢献をなしたことは疑いない。レヴィ=ストロースの著作は、今日なお、人類学のみならず、社会科学全体における古典的なテクストとして、その重要性を保ち続けているのである。


第4章 ロラン・バルトの記号論——神話作用、テクストの快楽、作者の死

ロラン・バルト(1915-1980)は、フランスの記号学者、批評家、思想家であり、構造主義が言語学や人類学の領域から、文化批評やテクスト理論へと拡張される上で、極めて重要な役割を果たした。バルトの著作の特徴は、ソシュール的な記号論を、現代文化の様々な現象——広告、映画、ファッション、写真、文学など——に適用し、これらの文化的産物の背後に隠された意味構造を暴き出そうとする態度にある。バルトは、現代社会においては、言語によるコミュニケーションだけでなく、画像、衣装、建築、日常的な物質文化など、様々な非言語的な記号体系が、複雑に機能しており、これらの記号体系を分析することなくしては、現代社会における意味生産のメカニズムを理解することはできないと主張したのである。バルトの記号論は、広い意味での「セミオロジー」(sémiology)——すべての意味化と記号化のプロセスを対象とする一般的な理論——を発展させようとする試みであったのである。

バルトの初期の著作『現代の神話』(Mythologies, 1957)は、記号学的な方法を、フランス社会の日常的な文化現象——レスリング、映画、雑誌、広告など——に適用した秀逸な事例集である。バルトが「神話」と呼ぶものは、古い意味でのそれ、すなわち原始社会の民間説話や宗教的な物語ではなく、むしろ現代社会における支配的なイデオロギーが、自らを「自然」として提示し、定着させるためのメカニズムを指している。バルトの議論によれば、現代の消費社会における様々な商品、スター、ライフスタイルなどは、単なる実用的価値を持つものではなく、むしろ強力な記号体系を構成しており、これらを通じて、特定のイデオロギー的価値が、自然なもの、当然なものとして、社会成員の意識に植え込まれるのである。例えば、ワインが単なる飲料ではなく、フランス人のアイデンティティの象徴として機能し、また広告においては、特定の衣装や身体が、ある種の「フェミニニティ」や「マスキュリニティ」の自然な表現として提示されるのである。バルトは、このような「神話作用」(fonction mythique)——イデオロギーが自然化され、定着化するメカニズム——を分析することを、記号論的批評の最も重要な課題として位置付けたのである。

バルトが『現代の神話』の中で展開した記号論的分析の方法は、ソシュールの記号論の発展であり、同時にその限界を超えていくものであった。ソシュールの記号論は、基本的には二次元的である。つまり、記号は、シニフィアン(音響的形態)とシニフィエ(概念的意味)から構成されるという理解である。しかし、バルトが注目したのは、現代社会における記号の複雑性は、この二次元的な構造によっては十分に説明されないということであった。バルトは、ソシュール的な記号体系に基づいてさらに上の層を加え、「内示的意味」(dénotation)と「共示的意味」(connotation)の区別を導入したのである。内示的意味とは、記号が最も直接的に指し示す意味であり、より客観的で一般的に受け入れられた意味である。一方、共示的意味とは、その記号が喚起し、示唆する、より広い社会的・文化的な含意やニュアンスのことである。例えば、「ライオン」という言葉の内示的意味は、特定の大型の肉食動物を指すことである。しかし、共示的意味としては、「勇気」「強さ」「王国の象徴」といった、より広い社会文化的な観念が、結びついくのである。バルトの議論によれば、現代社会における「神話」は、このような共示的な意味作用の層において、最も強力に機能するのである。

バルトの記号論における、もう一つの重要な概念が「テクスト」(texte)である。バルトは、次第に、従来の意味での「著作」(work)という概念から、より広い「テクスト」という概念へと移行していった。『テクストの快楽』(Le Plaisir du texte, 1973)において、バルトは、テクストを、単なる意味の安定的な容器として捉えるのではなく、むしろ意味が絶えず遅延し、置き換わり、増殖していく動的なプロセスとして捉え直したのである。テクストは、著者の意図や作品の形式的な構造によって、一義的に確定されるべきものではなく、むしろ読者の読解活動によって、常に新しい意味が生み出され、再構成される過程なのである。バルトは、テクスト読解の快楽を、二つのカテゴリーに分類した。一つは「快楽」(plaisir)であり、もう一つは「jouissance」(通常、「至福感」あるいは「享楽」と訳される)である。快楽は、従来の意味での読書の楽しみ、つまり、テクストの意味を理解し、読者の既存の世界観に統合する喜びを指す。これに対して、至福感は、テクストがもたらす、より根源的で激烈な身体的・感覚的な満足を指す。至福感は、テクストの意味を安定的に把握することを妨害し、読者を無秩序で不安定な感覚の領域へと投げ出すのである。バルトは、テクスト理論の発展とともに、テクストは、むしろこのような至福感をもたらすべきものであり、そのためにはテクストは、既存の意味体系や読者の期待を絶えず裏切り、解体していく必要があると主張するようになったのである。

バルトの最も有名な主張の一つが、「作者の死」(la mort de l'auteur)という命題である。1967年に発表された「作者の死」というエッセイにおいて、バルトは、テクストの意味を最終的に決定するのは、著者の意図や意識ではなく、むしろテクスト自体が生み出す意味の多重性であり、また読者の解釈行為であるということを主張した。伝統的な文学批評では、著者は、テクストの全知全能の創造者であり、テクストの「真の意味」は著者の意図の中にあると考えられてきた。しかし、バルトの議論によれば、このような著者中心的なテクスト解釈は、テクストの実際の多義性と複雑性を見落としており、また、読者による意味生産の活動的な役割を軽視しているのである。言語の本質が、すべての言語使用者に対して先立つ社会的な記号体系であり、個々の話者が言語を創造することはできず、むしろ言語に支配されているのと同様に、著者もまた、その時代の文化的な記号体系や言語体系に支配されているのであり、著者が「独創的に」生み出していると見える著作も、実は、既存の文化的テクストの無意識的な引用と変形の集合体に過ぎないのである。

「作者の死」という命題は、一見すると、非常にラディカルで挑発的に見えるが、その実質的な意味は、著者という個人を無視することにあるのではなく、むしろテクストの意味が、著者個人の意図に還元され、限定されることから解放すべきであるという主張にある。バルトの「作者の死」は、同時に「読者の誕生」をもたらすと彼は主張した。つまり、著者の支配から解放されたテクストは、読者に対して、より多くの解釈の自由度を与えるのであり、読者は、テクストの意味の最終的な決定者として、能動的に参加する立場に置かれるのである。この主張は、その後の理論的展開、特にデリダやポスト構造主義的なテクスト理論に、深刻な影響を与えることになった。また、バルトの「作者の死」は、単なる文学理論の問題ではなく、知識人、芸術家、知識生産者といったカテゴリーの社会的位置と権力に関わる問題提起でもあったのである。

バルトの後期の著作『明るい部屋』(La Chambre claire, 1980)は、写真という視覚的メディアを扱った優れた論考である。この著作は、バルトの記号論的なアプローチがいかに進化し、また同時に、その限界に到達していたかを示すものである。バルトは、写真が他の芸術メディアと異なる独特の地位を持つことを主張した。なぜなら、写真は、本質的に、ある対象の光学的・化学的な痕跡であり、したがって「ある事実が確かに存在した」ことの証拠として機能するからである。このような写真に固有の「インデックス的」(index)性質は、他の記号体系とは異なる独特の強度を持つのである。バルトは、また「プンクトゥム」(punctum)——写真見者を刺し貫く、ある細部の詳細——という概念を導入し、写真の体験が、単なる意味論的な分析によっては捉え切れない、より根源的で感覚的な次元を持つことを主張した。バルトの思想は、このように、構造主義的な記号論的分析から、より個人的で感覚的で身体的な領域へと、次第に移行していったのである。


第5章 ラカンの構造主義的精神分析——想像界・象徴界・現実界、鏡像段階

ジャック・ラカン(1901-1981)は、フランスの精神分析家であり、フロイトの精神分析理論を、ソシュール的な言語学的構造主義の枠組みに基づいて、根本的に再構成した。ラカンの業績は、単に精神分析理論の領域に限定されず、哲学、批評理論、美学といった広い知的領域に深刻な影響を与えてきた。ラカンが行った根本的な革新は、フロイトの精神分析の中核にある無意識というものを、言語的・記号的な次元として再定義したということにある。従来の精神分析では、無意識は、様々な圧抑された衝動や欲望の一種の心理的リザーバーとして捉えられていた。しかし、ラカンは、無意識は、人間の心理的な内部にある原初的なプール状の領域ではなく、むしろ言語そのものと同じくらい構造化された体系であり、また同時に、言語の根本的な不完全性と不安定性を特徴とするものであると主張したのである。この視点から出発して、ラカンは、精神分析の理論をほぼ全面的に再構築することになった。

ラカンのもっとも有名で、また最も影響力を持つ理論概念が、「鏡像段階」(stade du miroir)である。フロイトの発達段階論——口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、生殖期——とは異なり、ラカンは、人間の主体形成の過程は、一連の象徴的な構造化のプロセスとして理解されるべきだと主張した。鏡像段階は、生後6カ月から18カ月の間に生ずる発達段階であり、この段階において、幼児は、鏡に映った自らの像を見ることを通じて、自己という統一された身体的なゲシュタルトを獲得するのである。しかし、この自己像は、実は鏡という媒介を通じた、虚像である。つまり、幼児が「自分」として認識するもの——その統一された身体的な全体性——は、実は自分の外部に、鏡の中に存在する虚像であり、幼児はその虚像と自分自身を同一視することを通じて、初めて自己という統一的な同一性を獲得するのである。ラカンは、この過程を「誤認」(méconnaissance)と呼んだ。つまり、自己の統一性は、既に自分の内部に存在するのではなく、むしろ外部の虚像との同一視によって、遡行的に虚構されるものなのである。この鏡像段階の経験は、人間の主体形成において、極めて重要な基礎を構成するのである。

鏡像段階論は、伝統的な主体の哲学に対して、根本的な問い直しをもたらすものである。デカルト的な「我思う、ゆえに我あり」という合理的主体の自己確実性は、ラカンの議論によれば、すでに破壊されている。人間の主体は、首尾一貫した理性的な存在ではなく、むしろ絶えず分裂し、矛盾し、自らの外部にある虚像との関係の中でのみ成立するような、脆く不安定な構成物なのである。このような主体観の転換は、西洋の哲学的伝統における、極めて重要な転向をもたらすものであった。また、鏡像段階は、人間が言語的・象徴的な秩序へと進入する前段階を表現するものであり、この段階は、後の象徴的秩序への統合を可能にする条件を準備するのである。

ラカンが、その後の理論的な発展の中で、最も重視するようになった三つの次元が、「想像界」(ordre imaginaire)、「象徴界」(ordre symbolique)、および「現実界」(ordre réel)である。想像界とは、基本的には鏡像段階で支配的な、二者的な関係(自我と他者)の領域である。想像界において、主体は、自己と他者の間の二者的な同一視の関係に基づいて、存在する。しかし、人間は、やがて象徴界へと進入するのであり、この象徴界への進入は、「父の名前」(nom du père)——つまり、父権的な法と秩序の象徴——の受容を通じて生ずるのである。象徴界とは、言語そのものであり、また社会的な秩序と規範の世界である。人間が象徴界へと進入することを通じて、幼児は、母親との密接な二者的関係から切り離され、より広い社会的・言語的共同体へと統合されるのである。この象徴界への移行は、同時に、一種の「去勢」(castration)を意味する。つまり、母親との全能的で欠缺のない関係から、主体は切り離され、言語という象徴的秩序に従属する存在へと変換されるのである。

象徴界と想像界を区別するラカンの理論の中には、実は重要な諸矛盾と問題が含まれている。象徴界は、言語の秩序であり、意味と社会的な秩序の領域である。しかし同時に、象徴界は、その根底において、根本的な空白、欠缺、不完全性によって特徴付けられている。つまり、言語というシステムは、その内部にはなんらかの根本的な欠陥や不安定性を持ち、完全な意味の提示や充全な現実の表現を不可能にしているのである。ラカンは、この象徴界の本質的な欠缺と不安定性を表現するために、「スジェ」(sujet——主体)という概念を使用したのだが、この「スジェ」は、常に「~の欠缺」(manque-à-être)によって定義されるのである。人間の主体は、言語によって構成されると同時に、言語によって分裂させられ、根本的に欠缺した存在として、位置付けられるのである。

ラカンの理論における第三の次元である「現実界」(le Réel)は、象徴界や想像界によっても完全には同化され、表現されないような、根本的に外部的で抵抗的な領域を指す。現実界は、言語や概念によって完全には捉え切れない、「あるがまま」の現実性を表現するものであり、同時に、象徴界と想像界が、それを排除し、抑圧することによってのみ、その秩序を維持することができるような、脅威的で無秩序な領域なのである。ラカンの精神分析理論における現実界の概念は、その後のポスト構造主義的理論の発展において、非常に重要な役割を果たすことになった。特に、ジジェク(Slavoj Žižek)のような現代の理論家たちは、ラカンの現実界の概念を、イデオロギー批判やカルチュラルスタディーズの領域に適用し、文化的現象の分析に新しい視座をもたらしているのである。

ラカンの「欲望の理論」(théorie du désir)も、構造主義的精神分析における重要な位置を占めている。フロイトの「本能」(Trieb)という概念とは異なり、ラカンは「欲望」(désir)を、言語的・象徴的な次元に属する現象として捉えた。欲望は、生物学的なニード(需要)でもなく、また社会的な「要求」(demande)でもなく、むしろそれらの間の隔たりにおいて生ずる、根本的に充足不可能な心理的な力である。欲望の対象は、常に遅延し、置き換わるのであり、人間の主体は、この欠缺と遅延の経験を通じて、象徴的秩序の中に位置付けられるのである。ラカンは、また「ファロス」(phallus)という概念を導入し、これを、象徴的な統一性と支配的な秩序の象徴として位置付けた。しかし、このファロス的な秩序もまた、根本的には不安定であり、矛盾を抱えているのであり、特に「女性」(féminité)という範疇は、この父権的なファロス的秩序からの根本的な外部性を表現するものなのである。

ラカンの精神分析理論は、その複雑性と難解性により、理解と解釈をめぐって、非常に多くの議論を呼び起こしてきた。同時に、ラカンの理論は、特にポスト構造主義的な理論家たち、例えばデリダやジジェクによって、大きな影響を与えられている。ラカンが提示した主体の理論——その分裂性、その言語的構成性、その欠缺と遅延の経験——は、20世紀後半の思想における、最も重要で影響力のある思想的遺産の一つとなったのである。また、ラカンのセミナーにおける教育的実践や、彼のエクリチュール(ecriture——批判的な思考様式)のスタイルは、フランス知識人の知的活動全体に対して、深刻な影響を与えてきた。ラカンという人物と彼の理論体系をめぐる議論は、単なる学術的な枠組みを超えて、フランス知識人の主観的な経験とアイデンティティ形成と深く結びついているのである。


第6章 フーコーの考古学と系譜学——エピステーメー、権力と知、規律権力、生権力

ミシェル・フーコー(1926-1984)は、20世紀最も重要で影響力のある思想家の一人であり、その思想的発展の過程は、構造主義からポスト構造主義への転換を象徴するものである。フーコーの初期の著作『狂気の歴史』(Histoire de la folie, 1961)、『言葉と物』(Les Mots et les choses, 1966)、『知識の考古学』(L'Archéologie du savoir, 1969)は、構造主義的なアプローチを知識の歴史に適用した試みであり、それらは「考古学」(archéologie)という新しい知識史的な方法論をもたらした。一方、『監獄の誕生』(Surveiller et punir, 1975)および『性の歴史』(Histoire de la sexualité, 1976-)は、より系譜学的(généalogique)なアプローチを採用し、権力とその多様な機能メカニズムを分析するものであり、フーコー思想における重要な転換を表現するものである。フーコーの著作全体を通じて、一貫して問われ続けるのは、「知識」(savoir)と「権力」(pouvoir)の複雑な相互関係であり、特に、西洋の知識的・科学的秩序がいかに、同時に特定の権力体制と不可分に結びついているかという問題である。

フーコーの『言葉と物』における中心的な概念が「エピステーメー」(épistémè)である。エピステーメーとは、特定の歴史的時期における、知識の根本的な前提と組織原理を指す。フーコーは、西洋の知識史を、いくつかの不連続な「エピステーメー」の継起によって構成されていると主張したのである。彼が区別した最も重要なエピステーメーは、ルネサンス的エピステーメー、古典的エピステーメー、および近代的エピステーメーである。ルネサンス的エピステーメーは、16世紀を特徴とするもので、この時期には、知識は、世界における事物相互の類似性と対応関係の発見に基づいていた。古典的エピステーメーは、17-18世紀を支配し、ここでは、知識は、表象(représentation)に基づく秩序立った分類体系の構築を目指すものであった。近代的エピステーメーは、19-20世紀を特徴とするもので、この時期には、人間という「主体」が、知識の中心的な関心となり、人間の歴史、言語、労働といったものが、知識の主要な対象となったのである。

重要な点は、これらのエピステーメーの転換が、「進歩」や「発展」として捉えられるべきではなく、むしろ本質的に不連続な転換として理解されるべきだということである。フーコーの歴史観は、ヘーゲル的な弁証法的発展観や、進化主義的な進歩観を明確に拒否するものである。むしろ、知識の歴史は、異なるエピステーメー間の断裂と、その間のどのような連続的な移行も不可能な根本的な距離によって特徴付けられているのである。このような知識史観は、当時のヒューマニスティックな哲学に対する、根本的な批判をもたらすものであった。なぜなら、フーコーは、「人間」(l'homme)という概念そのものが、歴史的に構成されたものであり、ある特定のエピステーメーの産物に過ぎず、永遠普遍的な本質を持つものではないと主張したからである。特に『言葉と物』の最後で、フーコーは、近代的エピステーメーの支配が、やがて消滅し、人間という対象も、その歴史的使命を終えるであろうと示唆したのである。この宣言的な「人間の死」の宣告は、存在主義的ヒューマニズムを標榜していた多くのフランス知識人に対して、深刻な衝撃をもたらしたのである。

フーコーの「考古学」という方法論は、従来の歴史学的なアプローチとは異なるものである。考古学とは、文献史的な継時的な記述ではなく、むしろ特定の時期における、知識の様々な実践と言説体系が、いかなる深層的な構造と規則に基づいて組織されているかを明らかにしようとする試みである。フーコーが分析の対象とするのは、科学的知識の正式な体系だけではなく、むしろ、特定の社会において、様々な主体に対して影響を与える、多様な言説実践全体である。言説(discours)とは、単なる言語使用ではなく、知識、権力、主体化のプロセスが複雑に関わり合った、社会的実践の総体を指すのである。フーコーの考古学的方法は、『知識の考古学』において、より体系的に定式化されたのであり、そこでは、言説の規則性、あるいは「言説的形成」(formation discursive)の概念が、導入されたのである。言説的形成とは、特定の知識領域において、何が言及可能であり、何が言及不可能であるか、どのような命題が真として受け入れられ、どのような命題が偽あるいは無意味とされるかを規定する、見えない規則のネットワークを指すのである。

『監獄の誕生』においては、フーコーの思想的関心は、次第に「権力」というテーマへと移行していく。フーコーが分析対象とするのは、特に18世紀から19世紀にかけての、刑罰制度の根本的な変化である。フーコーは、肉体刑(公開処刑)という直接的で視可能な形態の権力から、より微妙で効率的な「規律権力」(pouvoir disciplinaire)へと転換する過程を追跡する。規律権力とは、個々の肉体を一定の様式において規律し、訓練し、管理するメカニズムであり、近代社会全体を特徴付ける権力形態である。フーコーが分析する「パノプティコン」(panopticon)は、イギリスの刑務所改革者ジェレミー・ベンサムが考案した建築設計であり、これは円形の建物の中央に監視塔を配置し、周囲に収容者の独房を配置するというものである。この設計により、監視者は、常に全収容者を見ることができるのに対して、収容者は、常に見られている可能性の下に置かれる。フーコーは、このパノプティコンの論理を、近代社会全体の規律化のメカニズムの象徴として捉えたのである。

規律権力の根本的な特徴は、それが否定的で抑圧的なものとしてではなく、むしろ生産的で積極的なものとして機能するということである。規律権力は、単に行動を禁止し、制限するのではなく、むしろ自己管理的で自律的な主体を生産する。つまり、常に見られている可能性の下に置かれることを通じて、個人は、やがて外部からの監視がなくても、自分自身を監視し、自己規制する習慣を身に付けるようになるのである。規律権力は、このようにして、個人の内面化された自己抑制のメカニズムを生み出し、それを通じて、より効率的な支配を実現するのである。フーコーの規律権力論は、権力を単なる抑圧的な力として捉える従来のマルクス主義的な理解に対する、根本的な再検討をもたらすものであった。そして、それは、現代社会における権力の行使形態が、いかに個人の知覚すら超える、微妙で浸透的な形態を取っているかを明らかにする上で、極めて重要な貢献をなしたのである。

フーコーの『性の歴史』の第1巻では、さらに新しい権力概念である「生権力」(bio-pouvoir)が導入される。生権力とは、人口、出生率、死亡率、寿命といった、生命現象そのものを統計的に管理し、調整する権力形態を指す。近代国家は、単に法律と刑罰を通じて個人の行動を規制するのではなく、むしろ人口という集合的な生命現象全体を、その対象として把握し、管理するようになったのである。生権力は、規律権力とは異なり、個々の肉体ではなく、人口という生物学的な集合体を対象とする。しかし同時に、生権力は、規律権力と補完的に機能し、両者が結合されることによって、より完全で総合的な権力体系が形成されるのである。フーコーは、「性」という問題を、この生権力の分析の中心に置いた。なぜなら、性は、個々の主体の欲望と心理的問題と同時に、人口管理と社会的規制という公的な問題でもあり、生権力が個人の最も親密な領域にまで及ぶことを示す典型的な事例だからである。

フーコーの思想的発展における重要な転換は、『性の歴史』の後期の巻において見られる。『快楽の用法』(L'Usage des plaisirs, 1984)および『自己への配慮』(Le Souci de soi, 1984)において、フーコーは、古代のギリシャとローマの倫理的実践にさかのぼり、「自己への技術」(techniques de soi)という概念を導入する。これは、個人が、自らの自己を構成するために用いる、様々な実践や規律のことを指す。フーコーは、この古代的な自己の実践の伝統の中に、現代における権力への抵抗や個人的な主体性の再構成の可能性を見出そうとしたのである。このような後期フーコーの関心の転換は、権力の抵抗不可能な支配から、個人の主体的な実践と自由への問いへと、思想の焦点をシフトさせるものであったのである。


第7章 デリダの脱構築——差延、ロゴス中心主義批判、エクリチュール

ジャック・デリダ(1930-2004)は、20世紀最後の四半世紀における、最も重要で影響力のある思想家の一人であり、彼の「脱構築」(déconstruction)という思想的戦略は、構造主義から「ポスト構造主義」への転換を象徴するものである。デリダの1967年に出版された三つの著作『声と現象』(La Voix et le phénomène)、『グラマトロジーについて』(De la Grammatologie)、『執筆と差異』(L'Écriture et la différence)は、哲学、言語学、文学理論における、急進的で根本的な再思考をもたらしたのである。デリダの思想的企図は、西洋形而上学の最も根本的な前提と、その隠れた階層的な構造を、批判的に解体することにある。特に、デリダが対象とするのは、西洋の思想伝統における「ロゴス中心主義」(logocentrisme)、つまり、音声言語(logos)を、意味の最も直接的で自己充足的な源泉として特権化する傾向である。デリダは、このロゴス中心主義が、西洋の哲学、言語学、倫理学といった様々な領域において、深く根付いており、知識と真理についての根本的な誤解をもたらしていると主張するのである。

デリダの脱構築の方法は、既存のテクストの内部に存在する矛盾、不安定性、隠された前提を明らかにすることを通じて、そのテクストが自らを安定化し、統一性を保つために依拠している戦略を露呈させようとするものである。脱構築とは、単なる否定や破壊ではなく、むしろテクストの内部矛盾から出発して、その論理的な構造を再び評価し、新しい可能性を切り開こうとする作業である。デリダは、プラトンからハイデガーに至る西洋哲学のテクストを綿密に読むことを通じて、これらのテクストが、自らが論じようとしている問題の解決を、実は既に前提している、つまり、循環的で一見すると自動的に成立するかのように見える論理構造を持つことを示した。また、これらのテクストが、その支配的な論理構造の周辺に、排除され、抑圧された他の可能性を隠し持っていることを明らかにするのである。

デリダが導入した最も重要な概念の一つが「差延」(différance)である。フランス語では、「différence」(差異)と「différance」(差延)は、音声上は区別されない。デリダは、この音声上の区別不可能性を利用して、新しい概念を創出したのである。差延とは、意味が、単なる同一性と現在性に基づくのではなく、むしろ差異と遅延によって構成されるということを表現するものである。つまり、何ものかの意味は、その「今ここ」における自己充足的で明確な現在において成立するのではなく、むしろ、他のもの何との差異(différence)関係によって、また、その意味の確定が常に遅延(différance)することによって、初めて確立されるのである。差延という概念は、ソシュールの「差異」の概念を発展させるものであると同時に、それを根本的に問い直すものでもある。ソシュールは、言語体系における意味が、差異関係によって決定されることを主張したが、デリダは、この差異の構造そのものが、安定的な共時的体系の中に存在するのではなく、むしろ常に遅延し、置き換わる過程の中にあることを示そうとしたのである。

デリダが西洋哲学に対して行う批判の中で、最も根本的なものが「ロゴス中心主義」への批判である。デリダは、プラトンからソシュールに至る西洋の思想伝統が、一貫して、音声言語(logos)を、意味の直接的な源泉として特権化し、一方で文字言語(graphé)を、それに次ぐ派生的で二次的なものとして従属化させてきたと主張する。ソシュールの言語学においてさえ、シニフィアンとシニフィエの関係は、基本的には音声的な表現(parole)を中心に考えられており、文字言語は、その二次的な表現形態として捉えられている。デリダは、この音声言語の特権化が、自己現前(présence-à-soi)と意図的な主体性に基づく幻想に根ざしていると主張するのである。つまり、話者は、自らが発話するとき、自らの意思と意図が、発話の瞬間において直接的に現前しており、そこには何ら仲介や遅延が介在しないと信じる。しかし、デリダの議論によれば、このような自己現前の幻想は、幻想に過ぎず、実は、すべての意味化と主体性は、差延という根本的なプロセスを免れることができないのである。

デリダが『グラマトロジーについて』で展開した議論は、これまでの西洋における言語研究が、基本的に「音中心」(phonecentrism)の偏向を持っていたことを示そうとするものである。彼は、ルソー、サルトル、ソシュール、さらには言語人類学者のレヴィ=ストロースまでもが、音声言語に対する特権的な地位を与え、文字言語を、その付属物あるいは堕落形態として扱ってきたことを指摘する。しかし、デリダは、逆に文字言語こそが、言語現象の最も本質的な側面を表現しており、音声言語の幻想的な自己現前を解体する鍵を握っていると主張するのである。文字は、話者の不在の下でも機能し、その意味は、発話者の意図を超えて、読者による解釈に依存する。また、文字は反復可能であり、各々の反復において、新しい文脈に移植され、新しい意味を生み出す可能性を持つ。このような文字性(écriture)の特性は、実は、すべての意味化と意思伝達の根本的な条件なのである。

デリダの「エクリチュール」(écriture)という概念は、単なる文字言語を指すのではなく、より広い意味における「痕跡」(trace)の一般的な構造を指している。すべての意味化と意思伝達は、何らかの物質的な痕跡——音、文字、身振りなど——に依存しており、この痕跡なくしては、意味の伝達は不可能なのである。したがって、広い意味での「エクリチュール」は、意味化と主体性の根本的な条件であり、むしろ「音声」こそが、この根本的なエクリチュールに依存しているのである。デリダは、このようにして、従来の言語学と哲学が前提していた階層関係を逆転させるのである。

デリダの脱構築という方法論は、従来のテクスト解釈の方法とは全く異なるものである。従来の批評や解釈は、テクストの意図や意味を明確にすることを目的としてきた。それに対して、脱構築は、テクストが自らを統一化し、意味の統一性を確保するために依拠している戦略を露呈させることを目的とする。脱構築は、テクストを「読む」際に、テクストの表面的な意味だけでなく、その内部に隠された矛盾、抑圧された可能性、越界的な傾向を発掘することを試みるのである。デリダ自身は、脱構築が単なる「批判的な技法」ではなく、むしろテクストそのものの内部に既に存在している構造的な動きであることを強調している。つまり、脱構築は、批評家や解釈者が外部から加える作業ではなく、むしろテクスト自体が自らを脱構築する過程を追跡することなのである。

デリダの思想は、その複雑性と難解性により、多くの誤解と批判を呼び起こしてきた。特に、デリダが「すべてはテクストである」というような相対主義的な位置へと堕落しているのではないかという批判が提起されている。しかし、デリダ自身は、このような誤読に対して、繰り返し反論してきた。むしろ、デリダの脱構築は、テクストの外部に何も存在しないことを主張するのではなく、逆に、テクスト化されたもの——すなわち、言説化され、意味化されたもの——と、その外部にあるもの、テクストが表現することができないもの、すなわち「他者」(l'autre)の間にある根本的な分断と不可約性を強調するものなのである。


(続きは次のセクションで...)

第8章 ドゥルーズとガタリ——リゾーム、差異と反復、器官なき身体、ノマド的思考

ジル・ドゥルーズ(1925-1995)とフェリックス・ガタリ(1930-1992)の共同著作『アンチ・オイディプス』(Anti-Œdipe, 1972)と『千のプラトー』(Mille plateaux, 1980)は、ポスト構造主義的思想の最も独創的で影響力のある著作の一つである。これらの著作は、フロイト的精神分析とラカン的構造主義に対する激烈な批判であると同時に、より根本的には、構造そのものの概念に対する批判的な再検討をもたらすものである。ドゥルーズとガタリが導入した「リゾーム」(rhizome)という概念は、構造主義的思考が前提していた樹木状の階層的な組織原理に対抗する、新しい思考様式を提示するものである。樹木状の構造では、すべての要素が根幹から出発し、次々と枝分かれしながら展開し、各要素は全体的な階層構造の中で、その位置と機能が規定される。これに対して、リゾームは、地下茎のように、あらゆる方向へと無規則に伸び、任意の点で他のリゾームと接続し、また新しい点から芽を出す。リゾーム構造では、統一的な中心も、階層的な秩序も存在せず、各要素は相互に等しい地位を持つ多元的な関係の中に存在するのである。

リゾーム概念の提示は、従来の構造主義的な思考をラディカルに転換するものである。構造主義は、現象の多様性の背後に、普遍的で安定的な構造の存在を仮定し、その構造の発見と分析を目指してきた。しかし、ドゥルーズとガタリの観点からすれば、このような構造主義的な思考は、依然として、樹木状の形而上学に支配されているのであり、真の多元性と異質性を捉え損なっているのである。リゾーム的思考は、むしろ、構造的統一性を前提することなく、様々な異質な要素間の接続と切断のプロセスそのものに注目するのである。このような思考様式は、複雑系の理論や非線形力学のような現代科学との親和性も高く、また、インターネットのようなネットワーク構造を分析する上でも、有用な視座を提供するものである。

ドゥルーズ単独の著作『差異と反復』(Différence et répétition, 1968)は、構造主義的な差異の概念を、さらに徹底的に再検討するものである。デリダが「差延」を通じて、意味の不安定性と遅延を強調したのに対して、ドゥルーズは、「差異そのもの」(différence en soi)を、肯定的で生産的な力として把握しようとする。つまり、差異は、単なる同一性からの背離や逸脱ではなく、むしろ積極的にあるものを生み出す創造的な力なのである。ドゥルーズは、ニーチェの思想やベルグソンの創造的進化論を参照しながら、差異の生産的な側面を強調するのである。また、「反復」(répétition)という概念を導入し、反復が単なる同じものの機械的な繰り返しではなく、むしろ各々の反復において新しい差異が生み出される、創造的なプロセスであることを主張するのである。

『アンチ・オイディプス』において、ドゥルーズとガタリは、フロイトのオイディプス複合体とラカンの象徴的秩序の理論に対して、激烈な批判を展開する。彼らは、精神分析理論が、人間の欲望を、オイディプス的な三角関係(父-母-子)に還元し、多元的で流動的な欲望の生産の過程を、父権的な秩序によって抑圧し、馴致してしまっていると指摘するのである。それに対して、ドゥルーズとガタリが提示する欲望の理論は、欲望を、充足すべき欠缺ではなく、むしろ絶えず何かを生産し続ける積極的な力として把握する。彼らは、「欲望する機械」(machines désirantes)という概念を導入し、人間の主体は、様々な欲望的なエネルギーの流れが交差し、接続し、切断される場所として理解されるべきだと主張するのである。このような欲望の理論は、人間を、外部から与えられた法則や秩序に従属する受動的な存在として捉えるのではなく、むしろ、自らが属する社会制度そのものを構成し、変換する能動的な力として把握するのである。

「器官なき身体」(corps sans organes)という、ドゥルーズとガタリが導入したもう一つの重要な概念は、非常に難解であり、多くの議論を呼び起こしてきた。器官なき身体とは、文字通りには、身体から各器官を取り除いた、組織化されていない、無秩序な身体を指す。しかし、より深い意味では、器官なき身体とは、機能的で有機的な秩序(つまり、各器官がその特定の機能を果たす状態)に対する、抵抗と逃脱の図式を表現するものである。つまり、器官なき身体は、社会的・規律的な馴致によって、特定の役割と機能に拘束されることに対する、拒否と抵抗を示す身体的な状態なのである。この概念は、生権力やバイオポリティクスに対する批判という文脈においても、重要な意味を持つ。なぜなら、生権力は、身体を、人口統計的に管理可能な、機能的に有機化された生命体として扱うのに対して、器官なき身体は、その秩序への逃脱と抵抗を示唆するものだからである。

ドゥルーズとガタリが『千のプラトー』において展開した「ノマド的思考」(pensée nomade)は、さらに急進的で、より広範な応用可能性を持つ概念である。ノマド的思考とは、一定の中心を持たず、領域を横断し、様々な方向へと移動することによって、新しい接続と可能性を絶えず開き直す思考様式を指す。これは、一つの固定的な学問的領域や理論的枠組みに定着することなく、むしろ異質な知的要素間を往来し、意図的な結合を試みる知識活動の様式なのである。ノマド的思考は、より一般的には、資本主義的な定住化と領土化に対する抵抗として捉えることもできる。資本主義社会は、労働者、消費者、市民といった身分を通じて、個人を特定の場所と機能に固定化しようとする。これに対して、ノマド的な思考と実践は、そのような固定化を逃れ、新しい解放的な可能性を探求しようとするのである。

ドゥルーズとガタリの思想は、政治的には急進的で革命的な志向を持つものである。『アンチ・オイディプス』は、明確に1968年のフランス5月革命の経験の上に立ちながら、資本主義的支配の微妙なメカニズムと、それに対抗する解放的な力の可能性を論じるものであった。彼らは、従来の左翼思想が、依然として階級的な二項対立の枠組みに支配されており、より微妙な権力作用と主体の複雑な構成を見落としていると批判する。しかし、同時に、彼らは、ニヒリズムや無力感へと陥ることなく、むしろ欲望の生産的な力と、生命の創造的な可能性に信頼を置く。このような楽観主義的で能動的な態度は、ドゥルーズ自身の哲学的思考全体を特徴付けるものであり、また、ポスト構造主義的思想の中でも、最も生命的で創造的な側面を表現するものなのである。


第9章 ポスト構造主義の日本への影響——浅田彰、柄谷行人との関係

構造主義とポスト構造主義の思想が、フランスからいかに日本へと伝播し、日本の知識人たちによってどのように受容され、転用されたかという問題は、日本の現代思想史における極めて重要なテーマである。特に、1970年代から1980年代にかけての日本における、フランス現代思想の受容過程は、日本の知識人層に対して、深刻な影響を与え、日本の思想的風景を根本的に変容させた。浅田彰(1952-)と柄谷行人(1941-)は、この時期における、フランス現代思想の最も重要で創造的な受け手であり、翻訳者でありながら、同時に独自の思想的貢献を行った思想家である。

浅田彰の『構造と力——記号論を超えて』(1983)は、日本におけるポスト構造主義の最初の本格的な入門書であり、また同時に、フランスの構造主義とポスト構造主義の理論を、日本の知識人層に対して、分かりやすく、かつラディカルに紹介した重要な著作である。浅田彰は、ソシュールの構造言語学から始まり、ラカン、フーコー、デリダ、ドゥルーズといった思想家たちの理論を、時系列的かつ体系的に紹介することを通じて、構造主義がいかに生まれ、いかに自己の内部から矛盾を深める中で、ポスト構造主義へと転化していったのかを明らかにしようとした。特に、浅田の議論の特徴は、これらの理論が、単なる学問的な枠組みではなく、むしろ現代社会における支配的なイデオロギーと権力体制に対する、根本的で急進的な批判的言説であることを強調した点にある。浅田は、フーコーの権力論を、日本の支配体制の分析に適用し、また、ドゥルーズとガタリの欲望の理論を、資本主義的支配に対する抵抗の可能性を探求する上で、重要な理論的資源として位置付けたのである。

浅田の著作は、日本の大学生や若き知識人たちの間で、極めて大きな人気を得た。『構造と力』の出版以来、浅田彰は、日本における「理論」(theory)の最も重要な代表的人物としての地位を獲得した。浅田の思想の特徴は、フランス現代思想の理論的な厳密さと、同時にその社会的・政治的な含意に対する鋭い感受性を保持していた点にある。また、浅田は、単にフランスの思想を日本に移輸するのではなく、むしろそれを、日本の具体的な社会的状況と文化的背景の中で、創造的に再解釈し、応用しようとしたのである。特に、1980年代の日本の消費社会とポップカルチャーの隆盛という時代的背景の中で、浅田は、これらの文化現象を、フーコー的な権力分析やドゥルーズ的な差異の理論を用いて、分析しようとしたのである。この試み自体が、フランス現代思想の日本化と創造的な発展を示すものであったのである。

柄谷行人は、浅田彰よりも一世代上の思想家であり、また異なる知的背景から、フランス現代思想に接近した人物である。柄谷は、元々は日本文学の理論家、特に近代日本文学の読み方の革新者として知られていた。『日本精神分析』(1978)や『探偵小説論』(1987)といった著作において、柄谷は、ラカンの精神分析理論やデリダの脱構築の方法を、日本文学のテクスト分析に適用することを通じて、日本の知識人たちに対して、西欧の思想的なツールが、いかに有効であり、かつ創造的に用いられ得るかを示したのである。柄谷の思想の特徴は、その普遍主義的な志向にある。つまり、柄谷は、日本的特殊性や日本的文化的アイデンティティに依拠することなく、むしろ西欧の知識と理論の枠組みの中で、日本の文化的現象を分析し、同時にそれが西欧の理論そのものに対して、いかなる批判的な変更をもたらし得るかを示そうとしたのである。

柄谷行人の『トランスクリティーク——カントとマルクスの間で』(2001)は、彼の思想的成熟を代表する著作であり、同時にポスト構造主義的思想からの彼の脱却を示すものである。この著作においては、柄谷は、カント的な批判的思考とマルクス的な唯物論の伝統を、デリダやドゥルーズのような現代フランス思想と対話させながら、より高次の思考様式を構築しようと試みているのである。特に、柄谷は、デリダの脱構築という方法論は、その純粋性と激進性にもかかわらず、政治的実践と社会的変化に対して、十分な関連性を持たないという批判を展開する。柄谷の「トランスクリティーク」という概念は、既存のイデオロギー的枠組みを批判し、脱構築するという活動と、同時にそれらに替わる新しい社会的秩序の構想という、二つの課題を調停しようとする試みなのである。

浅田彰と柄谷行人の思想的営為は、単に西欧の理論を日本に紹介するという作業にとどまるのではなく、むしろ、それらの理論を、日本の知識人たちの知的実践の中に統合し、創造的に変形させるという作業であった。この過程を通じて、フランスの構造主義とポスト構造主義の思想は、日本の思想的伝統と相互作用し、新しい形態へと発展していったのである。特に、1980年代から1990年代にかけての日本における、「理論」ないしは「思想」の流行現象は、このようなフランス現代思想の日本への伝播と深く関連しているのである。また、日本の大衆文化とポップカルチャーの理論的分析を試みた多くの論者たちが、構造主義やポスト構造主義的な枠組みを利用し、日本の消費社会とその文化的現象を分析しようとしたのである。このような知的営為全体が、日本における「ポスト構造主義」という独特の知的ムーヴメントを形成したのであり、それは、西欧の理論的枠組みの単なる受動的な受容ではなく、むしろ創造的で能動的な転用と変形の過程を表現するものであったのである。


第10章 結論——構造主義とポスト構造主義の遺産

20世紀を通じて、構造主義とポスト構造主義の思想は、人文科学と社会科学のあらゆる領域に深刻な影響を与えてきた。ソシュールの構造言語学に始まり、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカンの精神分析、フーコーの権力論、デリダの脱構築、そしてドゥルーズとガタリのノマド的思考に至る、この壮大な思想的展開は、人間の知識と理解の方法そのものに、根本的な変化をもたらしたのである。特に、これらの思想家たちが共有していた基本的な認識は、人間の文化的現象と社会的秩序が、表面的な多様性の背後に隠された深層的な構造によって支配されているということ、そしてまた、その構造そのものが、単なる固定的で不変的なものではなく、むしろ常に矛盾を抱え、解体と再構成の過程を経験しているということである。このような認識は、従来の人文学的思考における、人間の自由意志や主体性の根拠に対する根本的な問い直しをもたらすものであったし、同時に、既存の秩序と支配的なイデオロギーに対する批判的な視点を提供するものであったのである。

構造主義とポスト構造主義の思想的遺産は、それらの理論的な厳密性と精密性にあるだけではなく、むしろ、従来の知識的秩序に対して、新しい問題設定と思考の可能性を開いたという点にある。特に、以下の諸点においては、その影響の継続性を指摘することができる。第一に、言語とテクストの理論の領域においては、構造主義とポスト構造主義の思想は、今なお、最も重要な理論的基盤を提供し続けている。言語は、単なる透明な意思伝達の道具ではなく、むしろ、その内部に多くの矛盾と差異を抱える、複雑な象徴システムであるという認識は、現代の言語学、文学批評、記号論において、基本的な前提となっている。第二に、権力と支配のメカニズムに関する分析においても、フーコーの権力論とそれに続くポスト構造主義的な権力分析は、極めて有効な理論的道具を提供し続けているのである。特に、肉体的な圧力や法的な強制といった直接的な支配形態だけではなく、より微妙で浸透的な権力作用——知識と欲望に基づく支配——を分析する上で、フーコー的な権力論は、不可欠な分析的枠組みなのである。

第三に、文化批評と美学の領域においても、バルトの記号論とその後の発展は、現代社会における意味生産と価値形成のメカニズムを理解する上で、極めて重要な役割を果たし続けているのである。消費社会においては、商品や画像、メディアといった視覚的要素が、強力な記号体系を構成しており、これらの分析を通じてのみ、現代社会における支配的なイデオロギーと欲望の構造を明らかにすることが可能になるのである。第四に、ジェンダー研究と女性学の領域においても、構造主義とポスト構造主義の思想は、重要な理論的支柱を提供してきた。特に、ラカンの象徴的秩序論やフーコーの生権力論は、ジェンダー秩序がいかに社会的に構成され、支配されているのかを分析する上で、重要な枠組みを提供するのである。第五に、デリダの脱構築という方法論は、哲学的なテクスト読解だけでなく、法律学、神学、倫理学といった多くの領域に応用され、既存の理論的枠組みの根本的な批判と再検討をもたらしているのである。

しかし同時に、構造主義とポスト構造主義の思想に対する批判も、多くの領域から提起されている。特に、以下の諸点においては、重要な批判的問題提起がなされている。第一に、構造主義的思考が、人間の主体性と行為性の能動的な側面を軽視し、人間を構造的な法則の単なる担い手として捉えてしまう傾向があるという批判である。確かに、構造主義の初期の段階においては、個人の主体性や創造性の役割が、不十分にしか考慮されていなかった。しかし、ドゥルーズやポスト構造主義的思想は、より複雑で多層的な主体性の理論を発展させ、個人の行為と社会的構造の相互作用を、より精密に分析しようとしてきたのである。第二に、構造主義とポスト構造主義が、歴史的な変化と発展を軽視し、むしろ共時的、すなわち一時的な構造分析に傾斜しすぎているのではないかという批判である。確かに、構造主義は初期の段階において、歴史的な展開よりも、構造的な恒常性に関心を集中させていた。しかし、フーコーの系譜学的なアプローチやドゥルーズの差異と反復の理論は、より動的で歴史的な視点を導入し、構造と歴史の関係をより複雑に理解しようとするものなのである。

第三に、構造主義とポスト構造主義の思想が、政治的実践と社会的変化に対して、十分な関連性と有効性を持つことができるのかという問題である。特に、フーコーやドゥルーズの思想の政治的な含意をめぐって、多くの議論がなされてきた。左翼の伝統的思想からは、これらの理論が、十分に明確な政治的目標と改革的な綱領を欠いており、むしろ個人的な解放と逃脱の問題に集中しすぎているのではないかという批判が提起されている。しかし、他方では、これらの理論こそが、単なる国家権力や階級支配の問題だけではなく、日常的な権力作用と支配のメカニズムに対する、より微妙で効果的な批判を可能にするものであると主張する論者も多いのである。第四に、デリダの脱構築という方法論が、その自己反省的な複雑性と難解性ゆえに、一般的な理解の外に置かれ、知識人たちの限定的な集団のうちでのみ流通する、一種の「アカデミック」なテクスト操作に堕落していないかという批判である。このような批判に対しては、脱構築的な思考が、むしろ権力作用の最も微妙な層にまで到達し、主流的なイデオロギーに対する根本的な批判を可能にするものであると答える論者も多いのである。

21世紀に入った現在、構造主義とポスト構造主義の思想は、その最初の華々しい流行の時代を過ぎ、より安定した、しかしより限定的な学問的位置を獲得しようとしている。一部には、構造主義とポスト構造主義に代わる新しい思想的パラダイムの出現を指摘する論者もいる。例えば、認知科学、進化心理学、ニューロサイエンスといった新しい分野は、人間の思考と行動を理解する上で、新しい視座をもたらすものであり、それらは構造主義的な記号論的アプローチとは異なる枠組みを提供するのである。また、グローバル化とデジタル化の進行の中で、従来の構造主義的な分析枠組みが、その有効性の限界を露呈させているのではないかという指摘もなされている。しかし、他方では、構造主義とポスト構造主義の思想が、今なお、現代の知識的課題に対する、最も重要で有効な理論的資源であると主張する論者も多く存在するのである。

特に、以下の領域においては、構造主義とポスト構造主義の思想の継続的な重要性が指摘されている。第一に、デジタル化とメディア理論の領域においては、バルトの記号論やデリダのハイパーテクスト的な考え方が、インターネット時代のコミュニケーション現象を理解する上で、極めて有効な枠組みを提供する可能性を秘めている。第二に、グローバル化と文化的多元性の時代における、異なる文化的体系相互の関係と翻訳の問題を考える上で、構造主義的な比較文化分析が、依然として有効であるということである。特に、レヴィ=ストロースの構造人類学が示した、異なる社会的体系が、深層的には共通の論理的原理に基づいて構成されているという見方は、多文化社会における相互理解と共存を考える上で、重要な示唆を与えるものなのである。第三に、環境問題と生態系の保全に関わる問題を考える際に、自然と文化の二項対立を解体し、それらの相互関係を新しい観点から捉え直そうとするポスト構造主義的なアプローチが、有用な指針を提供し得るということである。特に、ドゥルーズとガタリが示唆した、人間と自然、主体と客体の関係の再考は、環境倫理の新しい基礎を構想する上で、重要な理論的資源となり得るのである。

最後に、構造主義とポスト構造主義の最も根本的な遺産は、「思考の自由」と「根拠の問い直し」に対する、断固たる献身であるということを強調したい。これらの思想家たちが行った作業は、既存の知識秩序と支配的なイデオロギーに対する根本的な批判であり、「当然とされている」ものを問い直し、その隠れた前提と矛盾を暴き出す作業であった。このような批判的精神は、知識的営為の最も本質的な特徴であり、また、自由で開放的な知識社会を維持するために、不可欠なものなのである。構造主義とポスト構造主義が与えた最も重要な教訓は、われわれが生きる世界は、固定的で自明的なものではなく、むしろ常に問い直され、再構成される可能性を秘めているということ、そして、知識と思考の活動こそが、その再構成の過程を担うものであるということなのである。20世紀の思想的遺産を受け継ぎ、21世紀の新しい課題に対応していくためには、このような批判的で創造的な思考様式の維持と発展が、極めて重要なのである。


【本論文についての補足説明】

本論文は、構造主義とポスト構造主義という、20世紀フランス思想の最も重要で影響力のある知的潮流について、包括的で体系的な解説を目的として執筆されたものである。ソシュールの構造言語学に始まり、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカンの精神分析、フーコーの考古学と系譜学、デリダの脱構築、そしてドゥルーズとガタリのノマド的思考に至る、この思想的展開は、20世紀の知識史における、最も重要で複雑な過程の一つである。本論文が試みたことは、これら一連の思想的営為を、単なる個別的な理論的成果として羅列するのではなく、むしろそれらが相互に如何に関連し、如何に影響を与え合いながら、より大きな知的ムーヴメントを形成していったのかを、明らかにすることである。また、フランスにおけるこの思想的発展が、日本の知識人層に対して、如何なる影響をもたらし、日本の思想的風景を如何に変容させたのかについても、簡潔に論じるところとなった。

構造主義とポスト構造主義の思想は、今日、その最初の流行の時代を過ぎているとはいえ、依然として現代の知識活動の基礎を形成する、極めて重要な理論的資源であり続けているのである。これらの思想が提供する分析の枠組みは、現代社会における権力、知識、欲望、そしてアイデンティティといった、最も根本的な問題を理解するためには、不可欠なものなのである。本論文が、これらの思想に対する理解を深め、また、それらの思想がもたらす可能性と限界についての、より深刻な考察を促すことができれば、幸いである。


補論 構造主義とポスト構造主義の思想的展開における重要な問題群

意味論と記号論の発展——シニフィアンとシニフィエの複雑な関係

ソシュールの記号論においては、シニフィアンとシニフィエの二項的な区別が基本的な分析的枠組みをなしていた。シニフィアンは記号の物質的な側面——音響的な形態、視覚的な形態、触覚的な形態など——を指し、シニフィエはその概念的な側面——観念、意味、内容——を指す。この二項的な区別は、非常にシンプルであり、その明確性ゆえに、言語学と記号学の基本的な分析道具として、広く受け入れられることになった。しかし、その後の理論的発展を通じて、この二項的な区別の限界と複雑性が、次第に明らかになっていったのである。

バルトが提示した内示的意味と共示的意味の区別は、シニフィアンとシニフィエの関係を、より複雑な層次的な構造として捉え直そうとするものであった。バルトの議論によれば、言語記号が持つ意味の作用は、複数の層次を持つ複雑な過程であり、表面的には非常にシンプルで「自然な」ものに見える記号も、実は複雑な意味作用のプロセスの結果であるということを指摘したのである。例えば、フランスの国旗の色——青、白、赤——は、内示的レベルでは、単に三つの色を指し示す。しかし、共示的なレベルでは、これらの色はフランスという国家、フランス的なアイデンティティ、フランス革命の理想といった、より広い社会文化的な観念と結びつくのである。さらに、その国旗が掲揚されるコンテクストによって、その意味はさらに複雑に多層化していく。政治的な抗議の場で掲揚される国旗は、単なる愛国心の表現ではなく、より複雑な政治的メッセージを伝えるのである。

デリダが提示した「トレース」(痕跡)と「差延」の概念は、シニフィアンとシニフィエの関係をさらに根本的に問い直すものであった。デリダは、シニフィアンとシニフィエの間には、決して透明で直接的な関係が存在しないこと、むしろそれらの間には常に「不可視の距離」(invisible gap)が存在することを強調した。つまり、シニフィアンが完全にシニフィエを「代表」し、その意味を完全に伝達することは、原理的に不可能であるということをデリダは論じたのである。例えば、言葉で何かを説明しようとしても、その説明と実際のもの、あるいは話者の意図の間には、常に何らかの不一致が生じ、言葉では捉え切れない余剰のもの——言語によって追放された、周縁化されたもの——が常に存在するのである。このようなシニフィアンとシニフィエの不完全な関係の理解は、言語の自明性と透明性の幻想を解体し、より現実的で複雑な記号論的理解をもたらすのである。

さらに、ラカンが「享楽」(jouissance)という概念を導入したことによって、記号論的な意味分析がいかなる限界を持つのかが、より明確に示されることになった。ラカンは、人間の経験のすべてが、象徴的秩序(言語とその規則)に吸収され、意味化されるわけではないことを主張した。むしろ、言語によって表現され、意味化される以前の、あるいは言語による意味化から逃れるような、より根源的で身体的な感覚的経験——享楽——が存在するのである。この享楽は、シニフィアンとシニフィエの関係を通じては捉えられず、むしろ象徴的秩序の枠外にあるものとして理解される。したがって、完全な記号論的分析というものは、本来的に不可能であり、常にある剰余、ある外部性が、分析の対象から逃げ去ってしまうのである。このような認識は、構造主義的な記号論的アプローチの根本的な限界を示唆するものであり、それゆえ、ポスト構造主義的思想の発展を促すものとなったのである。

社会的実在と言説——言説分析の方法論と限界

フーコーが『知識の考古学』において提示した「言説」(discours)の概念は、従来の言語学的な「言語」の概念よりも、はるかに広く、かつ複雑なものである。フーコーにとって、言説とは、単なる言語的な発話やテクストではなく、むしろ、ある時代の社会において、知識が生産される方法、現実が意味化される方法、そして主体が構成される方法を規定する、より広い社会的・制度的なプロセスの総体を指すのである。言説は、大学、病院、精神病院、監獄、裁判所といった様々な制度機構の中で、独特の権力関係を帯びながら機能している。例えば、精神医学という言説は、単なる精神的な疾患についての知識体系ではなく、むしろ、人間を「狂人」と「正常人」に分類し、その分類に基づいて、特定の管理と規律のシステムを施行する、一つの権力的な機構なのである。

フーコーの言説分析の方法は、従来の意味分析や内容分析とは異なり、言説が「何を言うのか」ではなく、むしろ「何が言うことができるのか」、「何が言うことができないのか」といった、言説の可能性と不可能性の境界線を明らかにしようとするものである。すなわち、特定の時代における特定の知識領域では、どのような命題が真として受け入れられ、どのような対象が分析の対象となり得て、どのような主体が知識の発話者として位置付けられるのか、といった問題を問うのである。このような方法論的視座は、単なる学術的な言語分析にとどまらず、権力と知識の複雑な結びつきを明らかにすることによって、社会批評の強力な道具となるのである。

しかし、言説分析の方法にも、当然ながら重要な限界が存在する。特に、言説分析がいかにして社会的実在に関わるのか、あるいは言説外の物質的な現実とどのような関係を持つのかという問題は、複雑な論争を呼び起こしてきた。例えば、精神病院における患者と医師の関係は、言説分析によってのみ理解されるべきものではなく、むしろ建築的な空間配置、医療技術、人間関係といった、物質的で具体的な次元を持つものである。言説分析が、これらの物質的な次元を見落とし、すべてを言説的な構成物として還元してしまう危険性は、常に存在するのである。また、人間の行為者性(agency)と実践的な能動性が、言説分析においていかに理解されるべきなのかという問題も、解決すべき重要な課題として残されているのである。

欲望と主体——精神分析理論と社会理論の交差

ラカンが『エクリ』において展開した精神分析理論は、フロイトの伝統を受け継ぎながらも、同時にそれを根本的に変形させるものであった。特に、ラカンが言語と象徴秩序の概念を精神分析の中心に据えたことにより、精神分析は、単なる個人の心理学的な治療法ではなく、人間の主体化と社会化のプロセスについての一般的な理論へと転化したのである。ラカンの理論によれば、人間の主体は、象徴的秩序(言語、父権法、社会的規範)に象徴化されることによってのみ成立するのである。しかし同時に、この象徴化のプロセスは、必然的に何らかの「喪失」や「去勢」(castration)をもたらす。つまり、人間が主体になることは、より原初的で全能的な状態(ラカンはこれを「想像界」の段階と呼ぶ)からの分離と、その喪失を経験することを意味しているのである。

ドゥルーズとガタリは、このようなラカン的な主体論に対して、激烈な批判を展開した。『アンチ・オイディプス』において、彼らは、ラカンの象徴的秩序論が、依然として、父権的で抑圧的な秩序を普遍化・自然化してしまっているのではないかと指摘し、代わりに、より肯定的で生産的な欲望の理論を提示しようと試みたのである。ドゥルーズとガタリにとって、欲望とは、何かの喪失に基づいた「欠缺」ではなく、むしろ絶えず新しいものを生産し続ける能動的で創造的な力なのである。人間は、欲望する機械として、常に様々な流れを組み合わせ、新しい接続を形成し、新しい現実を創出し続けるのである。このような欲望の肯定的理解は、人間を、単なる既存の秩序に従属する受動的な存在ではなく、むしろその秩序を変容させうる能動的な力を持つ存在として捉え直すことをもたらすのである。

近年のジェンダー理論とクイア理論の発展においては、ラカンとドゥルーズ=ガタリの理論を統合し、あるいは批判的に超克しようとする試みが進行している。例えば、ジュディス・バトラー(Judith Butler)は、ラカンの主体化理論とフーコーの権力論を統合する理論的枠組みを提示し、性的アイデンティティがいかに、反復的な「パフォーマティヴ」な行為を通じて、絶えず構成・再構成されているのかを明らかにしようとしている。また、ポール・B・プレッシャー(Paul B. Preciado)やアリッソン・キリング(Alison Kafer)といった、トランス理論家やクリップ理論家たちは、既存の異性愛的・シス性的な秩序を超えるような、新しい性的・身体的アイデンティティの可能性を追求しており、その際にドゥルーズ=ガタリのノマド的思考が重要な理論的リソースとなっているのである。

実証主義と理論的相対主義——科学的知識の地位についての問題

構造主義とポスト構造主義の思想が提示した、もう一つの重要な課題が、科学的知識の地位に関する問題である。フーコーが『言葉と物』において論じたように、科学的知識そのものが、特定の歴史的エピステーメーの産物であり、不変的で永遠の真理ではなく、むしろ歴史的に可変的なものであるという主張は、伝統的な実証主義的な科学観に対する、根本的な挑戦をもたらすものであった。19世紀後半以来、西洋の思想家たちは、科学的知識を、永遠不変の客観的真理に到達しようとする営みとして捉えてきた。しかし、フーコーやクーン(Thomas Kuhn)といった歴史哲学者たちは、科学そのものが、パラダイムの転換や「科学革命」を経験しながら、歴史的に発展していく営みであることを明らかにしたのである。

このような知識の相対性に関する認識は、科学的客観性の根拠を問い直す深刻な認識論的課題をもたらすことになった。もし科学的知識が、歴史的に規定されたエピステーメーの産物であるとすれば、科学的知識が「客観的である」と主張することは、いかにして正当化されるのか。また、異なるエピステーメー間では、科学的知識の評価基準や真理判定の方法そのものが、根本的に異なりうるとすれば、科学的知識の進歩や発展について語ることは、可能なのか。これらの問いは、1960年代から1980年代にかけて、科学学(science studies)と科学哲学の領域において、激しい論争を呼び起こした。社会的構成主義(social constructivism)の立場から科学知識を分析しようとした論者たちは、科学的事実そのものが、社会的に構成されたものであることを主張し、他方では、科学的リアリズムを標榜する論者たちは、このような相対主義的な立場が、科学の合理性と客観性の根拠を危機に陥れるものであると批判したのである。

現代の科学철学と科学学においては、このような二者択一的な枠組みを超える、より複雑で差異的な認識論的立場が模索されている。例えば、イアン・ハッキング(Ian Hacking)は、科学的知識が、社会的に構成された面と、同時に世界の客観的な特性に対応している面を持つことを論じ、単純な実証主義も単純な社会的構成主義も不十分であることを示唆している。また、ドナ・ハラウェイ(Donna Haraway)は、「サイボーグ・マニフェスト」において、科学的知識は、決して「神の目」(view from nowhere)から獲得されるのではなく、むしろ社会的・性的・種族的に位置付けられた「具体的な視点」(situated perspective)からのみ、獲得されることを論じ、それでもなお、より良い、より説得力のある知識を構成することが可能であることを主張している。このような認識論的実践主義のアプローチは、ポスト構造主義的な相対主義と伝統的な実証主義の単純な対立を超え、知識生産の複雑で政治的な現実に、より妥当な理論的枠組みを提供するものとして、高く評価されているのである。

構造と歴史——通時性と共時性の弁証法

構造主義とポスト構造主義の思想発展における、最も根本的で継続的な問題の一つが、構造と歴史の関係をいかに理解するのかという問題である。ソシュールが提示した共時性と通時性の区別は、単なる分析上の便宜的な区分ではなく、むしろ言語システムそのものの本質に関わる根本的な問題設定を示唆するものであった。共時的分析は、特定の時点における言語体系の全体的な構造を、その内部的な矛盾や不安定性をいったん括弧に入れながら、静的に把握しようとするアプローチである。これに対して通時的分析は、言語システムがいかに時間とともに変化していくのか、また、そうした変化がいかなる社会的・文化的な条件に基づいているのかを追跡する試みである。ソシュールの重要な主張は、言語学が科学として確立されるためには、まず共時的な分析レベルで言語の体系性を明らかにする必要があるということであった。しかし、このような立場は、当然ながら歴史的唯物論の伝統を継承するフランスの左翼知識人たちからの批判を招くことになった。なぜなら、マルクス主義的な観点からすれば、社会的・経済的・文化的現象は、常に歴史的な過程の中に位置付けられるべきものであり、その歴史的な発展を軽視することは、社会変化の可能性を否定することに通じるからである。

ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)やフィリップ・ソレルス(Philippe Sollers)といった、フランスの構造主義的マルクス主義者たちは、この共時性と通時性の関係を、より高次のレベルで調停しようと試みた。アルチュセールは、マルクスの理論をラカン的な精神分析や構造主義的言語学の枠組みに基づいて再構成することを通じて、構造主義とマルクス主義の統合的な理論的基盤を構想しようとしたのである。彼は、社会的・経済的構造(社会的フォルマシオン)は、複数の相対的に自律的な領域——経済的基盤、政治的上部構造、イデオロギー的領域——から構成されており、これらの領域は相互に影響を与え合いながら、一つの全体的な社会システムを構成していると主張した。このような理論的枠組みは、ソシュール的な構造言語学の方法を、社会的フォルマシオンの分析に直接応用することによって、既存のマルクス主義の一元的な経済決定論を超克しようとする試みであったのである。

フーコーが『知識の考古学』において提示した「言説的形成」(formation discursive)という概念も、同様に共時性と通時性の関係を問い直すものであった。フーコーは、特定の時期における知識の体系——例えば、近代的な精神医学や解剖学——が、いかなる言説的な規則に基づいて組織されているのかを明らかにしようとした。しかし、同時に彼は、これらの言説的形成が、いかに時間とともに変化し、相互に置き換わっていくのかを追跡しようとしたのである。つまり、フーコーの考古学的方法は、共時的な構造分析と通時的な発展の過程を、二つの異なる分析レベルとして把握し、両者の相互関係を探求しようとするものであったのである。このようなフーコーのアプローチは、後にポスト構造主義的な理論の発展を促すものとなり、構造そのものの不安定性と歴史的可変性をより強調する方向へと導いたのである。

権力、知識、支配——権力に関する思想的展開

フーコーが『監獄の誕生』以降に展開した権力論は、20世紀後半の社会理論における最も重要で影響力のある思想的貢献の一つであり、その思想的展開は、ポスト構造主義的な理論全体に決定的な影響を与えることになった。フーコーの権力論の根本的な革新は、権力を、単なる抑圧的で否定的な力として捉えるのではなく、むしろ常に「生産的」であり、様々な社会的主体と知識体系を生み出すものとして理解することにあった。従来の権力観——特にマルクス主義的な権力観——は、権力を、支配階級が被支配階級に対して行使する一方向的で抑圧的な力として捉えていた。しかし、フーコーは、このような単純な二項対立的な権力観では、近代社会における権力の複雑な作用メカニズムを充分に説明することができないと主張したのである。むしろ、近代社会における権力は、法律や国家による直接的な圧制よりも、むしろ自己管理的で自律的な主体を形成する過程を通じて、より効率的に機能していると論じたのである。

フーコーの規律権力論がもたらした最も重要な洞察は、権力が、個々の肉体の動作や時間使用を、微細なレベルで組織化し、規律化するメカニズムを通じて、対象となる主体そのものを形成していくということであった。学校、軍隊、監獄、工場といった、近代の各種制度機構は、個人の行動と時間を、非常に細密に規制する「規律的装置」(appareil disciplinaire)として機能しているのである。これらの制度を通じて、個人は、自分自身を継続的に監視し、自己調整する習慣を身に付けるようになり、やがて外部からの明示的な監視がなくても、自発的に規則を遵守し、期待された行動をとるようになるのである。このようなメカニズムを通じて、権力は、各個人の最も深い内面層にまで浸透し、その主体性そのものを形成していくのである。

フーコーのこのような権力分析は、ジョルジュ・カンギレム(Georges Canguilhem)やジャン・ドレーズ(Jean Dreyfus)といった、フランスの哲学者や思想家たちに深刻な影響を与え、また、アメリカの新左翼やフェミニズム理論家たちによる受容と発展をも促進した。特に、フェミニズム理論においては、フーコーの権力分析が、ジェンダーや性的規範がいかに、権力的な規律化プロセスを通じて、個人の身体と欲望に刻み込まれるのかを理解する上で、極めて有効な枠組みを提供することが認識されたのである。また、レズビアン理論家や異性愛への反抗を標榜する知識人たちは、フーコーの権力論と生権力論を参照しながら、既存の異性愛的・父権的な秩序がいかに、社会的権力作用を通じて、個人の性的アイデンティティと実践を規定しているのかを暴き出そうとしたのである。

主体性と行為性——構造と個人の弁証法

構造主義とポスト構造主義の思想に対する最も執拗で重要な批判の一つが、これらの思想が、人間の主体性と行為性を過度に軽視し、個人を単なる構造的な力の受動的な担い手として捉えているのではないかという批判である。特に、レイモンド・ウィリアムス(Raymond Williams)やエドワード・P・トムプソン(Edward P. Thompson)といった、英米の知識人たちは、構造主義の過度な構造決定論に対して、強い反発を示した。彼らは、人間の主体性、創造性、実践的な行為能力を無視する思想体系は、人間の解放と自由のための理論的基礎として、不適切であり、危険ですらあると主張したのである。このような批判は、特に1970年代から1980年代にかけて、構造主義の理論的影響力が衰退していく過程と密接に関連しているのである。

しかし、ポスト構造主義的思想の発展、特にドゥルーズやガタリの著作の中には、このような批判に対する重要な応答が含まれていると言えよう。ドゥルーズとガタリの「欲望する機械」という概念は、人間の主体性を決して構造的な力に完全に従属するものとしてではなく、むしろ、常に構造を超えて、新しい接続と可能性を創出する能動的な力として把握しようとするものである。彼らは、従来の哲学と社会理論が、人間の欲望を、常に「欠缺」として、すなわち何かを失うことによって定義されるものとして捉えてきたことを批判し、むしろ欲望を、常に何かを「生産」する能動的で創造的な力として理解するべきだと主張したのである。このような欲望の肯定的な理解は、人間を、単なる構造的な力の受動的な対象ではなく、むしろ、その社会的環境を能動的に創造し、変換する力を持つ存在として捉え直すことをもたらすのである。

また、ポスト構造主義的な理論家たちの間では、主体性と構造の関係をより複雑で弁証法的に理解しようとする試みが深まっていった。主体性とは、純粋に個人的な内面性から生じる原初的で透明な力ではなく、むしろ社会的・言語的・権力的なプロセスの中で構成されるものであるということが、次第に認識されるようになったのである。同時に、このようにして社会的に構成された主体も、またその構成的プロセスを逆転させ、既存の秩序を解体し、新しい可能性を開く能力を持つということが理解されるようになったのである。このような複雑な理解は、既存の「個人主義」と「構造決定論」の二項対立的な枠組みを超え、人間の主体性と行為能力をより現実的で複雑な光においてみなおそうとするものであったのである。

言語、現実、真理——言語的転回とその限界

構造主義とポスト構造主義の思想のもう一つの根本的な特徴は、「言語的転回」(linguistic turn)を経験したことである。つまり、これらの思想潮流においては、言語が、単なる意思伝達の道具ではなく、むしろ意味、思考、知識、社会的現実の形成に決定的な役割を果たすものとして理解されるようになったのである。ソシュールの構造言語学から始まり、デリダの脱構築やラカンの象徴界の理論まで、構造主義とポスト構造主義の理論家たちは、繰り返し、言語こそが人間の世界構成の最も根本的な手段であることを強調してきた。このような言語的転回は、20世紀の哲学と社会理論に革命的な変化をもたらし、多くの知識領域において、言語と記号の分析を通じて、社会的現実と権力体系を理解しようとする新しいアプローチが普及することになったのである。

しかし、言語的転回に対しても、多くの批判が提起されてきた。特に、このアプローチが、言語によって表現できない、あるいは言語が常に逃れ去ってしまう次元の現実を、軽視していないかという批判である。ラカンの「現実界」(the Real)の概念は、言語の象徴的秩序によって完全には同化されない、抵抗的で外部的な現実の存在を強調することによって、言語的転回に内在する限界を指摘しようとするものであった。また、現象学的な伝統を継承する哲学者たちは、言語的アプローチの強調によって、主体の身体的経験(embodied experience)や感覚的な直接性(sensory immediacy)が見落とされていないかと懸念を示した。このような批判を受けて、より最近の理論的発展の中では、言語的な記号分析と、身体、物質性、具体的な感覚的経験を統合しようとする試みが進行しているのである。

複数性と多元性——一元性の幻想を超えて

構造主義とポスト構造主義の思想が、20世紀の知的風景に与えた最も革新的な貢献の一つは、一つの統一的で普遍的な真理、あるいは意味、あるいは秩序の存在を想定する「一元性」(univocity)の幻想を解体し、代わりに、複数の異質な意味、価値、秩序が、相互に矛盾を抱えながら、共存している現実を提示したことである。バルトの「文本性」(textuality)の理論や、デリダの「トレース」(trace)の概念は、意味が単一で確定的なものではなく、むしろ常に複数性と差異を内に抱えながら、生成されるものであることを示唆している。また、ドゥルーズとガタリの「リゾーム」の概念は、樹木状の階層的で一元的な秩序に対抗する、複数中心的で多元的な組織原理の可能性を提示するものである。このような複数性と多元性の強調は、単なる認識論的な問題にとどまらず、政治的・倫理的な含意をも持つものである。なぜなら、一元的で普遍的な真理や正義の存在を前提する思想は、往々にして支配的で抑圧的なイデオロギーの基礎となりやすいからである。それに対して、複数性と差異の肯定は、多様な価値観、世界観、生き方の共存と相互承認の可能性を開くものなのである。


参考文献

フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』(1916年)

クロード・レヴィ=ストロース『親族の構造』(1949年)、『野生の思考』(1962年)

ロラン・バルト『現代の神話』(1957年)、『テクストの快楽』(1973年)、『明るい部屋』(1980年)

ジャック・ラカン『エクリ』(1966年)、各種セミナー

ミシェル・フーコー『言葉と物』(1966年)、『知識の考古学』(1969年)、『監獄の誕生』(1975年)、『性の歴史』(1976-)

ジャック・デリダ『声と現象』(1967年)、『グラマトロジーについて』(1967年)、『執筆と差異』(1967年)

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(1968年)

ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(1980年)

ルイ・アルチュセール『マルクスのために』(1965年)、『イデオロギーと国家的アパラートゥス』(1970年)

浅田彰『構造と力——記号論を超えて』(1983年)

柄谷行人『日本精神分析』(1978年)、『探偵小説論』(1987年)、『トランスクリティーク——カントとマルクスの間で』(2001年)